一 おにと神と
「おに」と言ふ
鬼は怖いもの、神も現今の様に抽象的なものではなくて、もつと畏しいものであつた。今日の様に考へられ出したのは、神自身の向上した為である。たまは眼に見え、輝くもので、形はまるいのである。ものは、極抽象的で、姿は考へないのが普通であつた。此は、平安朝に入つてから、勢力が現れたのである。
おには「鬼」といふ漢字に飜された為に、意味も固定して、人の死んだものが鬼である、と考へられる様になつて了うたのであるが、もとは、どんなものを
現今の神々は、初めは低い地位のものだつたのが、次第に高くなつて行つたので、朝廷から神に位を授けられたことを見ても、此は、明らかである。即、神社の神は階級の低いものであつた。土地の精霊は、土地と関係することが深くなるに連れて、位を授けられる様になつて行つたので、其以前の神と言へば即、常世神だつたのである。
常世神とは――此はわたしが仮りに
二 祭りに出るおに
春の祭りには、一年中の農作を祝福するのが、普通であつた。其には、其年の農作の豊けさを、仮りに眼前に髣髴させようとした。かうした春の農作物祝福の祭りの系統を、はなまつりと言ふ。新・旧正月に通じて、今年の農作はかくの如くある様に、と具体的に示す。此春の祭りには、おにが出て来るのだ。
おには、実に訣らぬ怪物である。出雲の杵築の春祭りにも「
社々で行はれてゐる神楽には、鬼が現れてする問答がある。鬼が言ひまかされて逃げて行く処が、神楽の大事な部分である。此考へは、追儺の式と同じであるが、これにも矛盾が沢山ある。歳神と言ふのは、毎年春の初めに、空か山の上かゝら来る神で、年の暮れに村人が歳神迎へに行く。其時には、山の中の神の宿る木を見つけて、其木に神の魂を載せて帰る。かうした意味で、門松の行事の行はれてゐる地方が、沢山ある。此時神は、門松に唯一人で載つて来るのではなくて、大勢眷属を率ゐて来るのである。かうした神を祀る処は歳棚で、歳棚の供物には、鏡餅・
信州下伊那郡
此と同様な事は、盆にもする。盆棚は事実、歳神の棚と同じ意味でする地方がある。精霊・わき・ともと、それ/″\区別して、棚を拵へることもする。盆の変つた行事としては、生御霊の行事がある。其は、大きな家の子方に当る人々は、盆の間に其親方の家に挨拶に行く。大きな
此式は室町頃から続いたことで、田舎から京へ出たのだらうと思ふ。正月に朝覲行幸をせられるのも、実は此生御霊と同様な行事である。此信仰はすべて、吾々は生御霊を持つてゐるといふ考へから出たもので、吾々の身体から生御霊は離れよう/\とし、或は外物に誘はれて、出よう/\としてゐるのを、抑へなくてはならない。子方は親方の生御霊を抑へに行くのであり、祝福しに行くのである。今に用ゐる正月の「おめでたう」といふ挨拶は、其祝福の詞の固定したものである。其にしても、何故
琉球の石垣島の盆の祭りには、沢山の精霊が出て来た。即、おしまひ(爺)・あつぱあ(婆)が多くの眷属をひきつれて現れ、家々を廻つて、祝福をして歩く。此群をあんがまあと言ひ、大倭から来るものと考へてゐるが、其は海の彼方の理想郷からであらう。
春の初めの清明節には、まやの神と言ふ神が現れる。此は台湾の蕃人も持つてゐる信仰である。まやは即まやの国から来る神で、簑笠で顔を
かうした神々の来臨は、曾て、水葬せられた先祖の霊が一処に集合してゐて、其処から来るのである、と考へたものらしく、此等の神は、非常に恐れられてゐるのを見ても、古い意味を持つてゐるのである。簑笠を著けて家に入ることの出来るのは、神のみであるから、中でも、あんがまあと言ふ祖先の霊の出る祭りは、最古い意味を持つてゐるものと思はれる。其が、盆の行事と結合して、遺つてゐるのであらう。
此信仰の源は一つであるが、三様に岐れてゐる。内地の例に当てゝ見れば、よく訣ることで、最初の考へは、死霊の来ることである。此死霊をはつきり伝へた村と、祝福に来る常世神の信仰を持ち続けた村とがある。内地では此観念が変つて、山或は空から来るものと考へる様になつてゐる。
歳神は、祖先の霊が一个年間の農業を祝福しに来るので、此を迎へる為に歳棚を作るのであるが、今は門松ばかりを樹てるやうになつて了うた。多くの眷属を伴つて来るので、随つて供物も沢山供へる。その供物自身が神の象徴なのである。古い信仰では、餅・握り飯は魂の象徴であつた。だから、餅が白鳥になつて飛ぶ事の訣もわかるのである。白鳥はもとより、魂の象徴である。
神が大勢眷属を連れて来るのは、群行の様式である。仮装の古いものに
三 土地の精霊と常世神と
まきむくの穴師の山の山人と、人も見るかに、山かつらせよ
古今集巻二十に、かういふ歌がある。柳田国男先生が古今集以前に、既に、此風はあつたらしい、と言つて居られる通り、大嘗祭には、日本中の出来るだけ多くの民族が出て来たもので、穴師山の山人も其一つなのである。即、土地の神々が、祭りに参与すると言ふ考へが、かうしたしきたりを産んだのである。彼等は、彼等の神の代表者として来り加はり、神と精霊と問答をし、結局、精霊が負けると言ふ行事をすることになつて居たのだ。此形は、あまんじやくが何でも人に反対すると言ふ事に残つてゐる。あまんじやくは即、土地の精霊で、日本紀には、
一 ものまね→芸能(舞踊)
一 人に反対すること→狂言(おどけ)
即、日本の芸術、尠くとも演芸の発生を為すものである。狂言は、江戸に入つて初めて勢力が出た。ものまねとは、ちようど反対の立場にある。一 人に反対すること→狂言(おどけ)
猿楽ではをかしといひ、延年舞ではもどきと称して、所謂もどき開口の儀式をする者がある。もどきが、殊に有力な働きをするのは田楽で、随つて寺院の舞踊に這入つてゐる。ひよつとこは、その最近くまで残つた形である。もどきは即「もどく」意で、反対する事を現す。日本の芸術では、歌の掛け合ひから既にもどきである。神と精霊との問答が、歌垣となつたのである。源に溯ると、あらゆる方面にもどきが現れてゐる。
能楽の面に



開口は、口を無理に開かせて返事をさせる事で、其を司る者は脇役である。しては神で、わきは其相手に当る。かうしたわきの為事が分化して来ると、狂言になるのだ。勿論、狂言は、能楽以前からあつたものである。

また一方、恐怖の方面のみを考へたのが、鬼となつた。鬼と言ふ語は、仏教の羅卒と混同して、
村々の大切な儀式に鬼が参加することは、今も、処々に残つてゐる重大なことである。壱岐の島へ行くと、おにやと言ふものがあるが、此は古墳に相違ない。此処には昔、鬼が棲んだと言はれてゐる。対馬へ行くと、やぼさと言ふ場所が神聖視せられてゐる。初春には、殊に大切に取り扱はねばならぬ。此処には、祖先の最古い人が住んでゐると考へられ、非常に恐れられてゐる。
昔は、海辺の洞穴に死人を葬つたが、後には其処を神の通ひ場所と考へる様になつた。沖縄の
かうした鬼を扱ふ方法を、昔の人々はよく知つてゐた。あるじと言ふ語は、まれびと即、常世神に対する馳走を意味する。日本の宴会には後世まで、古代の神祭りの儀式のなごりが、沢山遺つてゐる。武家の間で馳走の時、おにと言ふ名の役が出た事も、かうして見て初めて意味がよく訣る。
まれびとなる鬼が来た時には、出来る限りの款待をして、悦んで帰つて行つてもらふ。此場合、神或は鬼の去るに対しては、なごり惜しい様子をして送り出す。即、村々に取つては、よい神ではあるが、長く滞在されては困るからである。だから、次回に来るまで、再、戻つて来ない様にするのだ。かうした神の観念、鬼の考へが、天狗にも同様に変化して行つたのは、田楽に見える処である。