その時代によつて多少の相異はあるがクラシツクの方では正しい形を美の標準としてゐる。然し私には、このクラシツクの方でいふ正しい形は、どうも厳格すぎるやうな感じがする。
即ちこれを日本人に応用すると
と云つて又、口元に大変愛嬌があるとか、
目の細い、
この絵は、ルネツサンス時代のフロオレンスの絵画によくあるやうな上品なスツキリとした優美――意気でない、野暮な優しさを描かうと思つて、頸なぞも思ひ切つて長くし、髪なども
然し嬉しいとか、悲しいとかの表情のない処までは行つたと思ふ。難を云へば、顔が一体に行き詰つてゐるかと思ふ。優しみといふ点も欠けてゐる。品が十分でない。私としては、モウ少し間の抜けた上品な処がほしかつた。
一体に東京の女は顎が短くつていけない。尤もあまり長過ぎても困るが、どちらかと云へば少し長い位なのがいい。京都には、態と表情を殺してゐるやうな女がよくあるが、あれは中々いゝと思ふ。(画並談)