私は遊ぶ事が何よりも好きなので、家で仕事をしていながらも、友あり遠方より来るのをいつもひそかに心待ちにしている状態で、玄関が、がらっとあくと
「あ、これは、お仕事中ですね。」
「いや、なに。」
そうしてその客と一緒に遊びに出る。
けれども、それではいつまでも何も仕事が出来ないので、某所に秘密の仕事部屋を設ける事にしたのである。それはどこにあるのか、家の者にも知らせていない。毎朝、九時
仕事部屋。
しかし、その部屋は、女のひとの部屋なのである。その若い女のひとが、朝早く日本橋の
愛人とか何とか、そんなものでは無い。私がそのひとのお母さんを知っていて、そうしてそのお母さんは、或る事情で、その娘さんとわかれわかれになって、いまは東北のほうで暮しているのである。そうして時たま私に手紙を寄こして、その娘の縁談に就いて、私の意見を求めたりなどして、私もその候補者の青年と
しかし、いまではそのお母さんよりも、娘さんのほうが、よけいに私を信頼しているように、どうも、そうらしく私には思われて来た。
「キクちゃん。こないだ、あなたの未来の
「そう? どうでした? すこうし、キザね。そうでしょう?」
「まあ、でも、あんなところさ。そりゃもう、
「そりゃ、そうね。」
娘さんは、その青年とあっさり結婚する気でいるようであった。
先夜、私は大酒を飲んだ。いや、大酒を飲むのは、毎夜の事であって、なにも珍らしい事ではないけれども、その日、仕事場からの帰りに、駅のところで久し振りの友人と逢い、さっそく私のなじみのおでんやに案内して大いに飲み、そろそろ酒が苦痛になりかけて来た時に、雑誌社の
「とめてくれ。うちまで歩いて行けそうもないんだ。このままで、寝ちまうからね。たのむよ。」
私は、こたつに足をつっこみ、
夜中に、ふと眼がさめた。まっくらである。数秒間、私は自分のうちで寝ているような気がしていた。足を少しうごかして、自分が足袋をはいているままで寝ているのに
ああ、このような経験を、私はこれまで、何百回、何千回、くりかえした事か。
私は、
「お寒くありません?」
と、キクちゃんが、くらやみの中で言った。
私と直角に、こたつに足を突込んで寝ているようである。
「いや、寒くない。」
私は上半身を起して、
「窓から小便してもいいかね。」
と言った。
「かまいませんわ。そのほうが簡単でいいわ。」
「キクちゃんも、時々やるんじゃねえか。」
私は立上って、
「停電ですの。」
とキクちゃんが小声で言った。
私は手さぐりで、そろそろ窓のほうに行き、キクちゃんのからだに
「こりゃ、いけねえ。」
と私はひとりごとのように
「キクちゃんの机の上に、クレーヴの奥方という本があったね。」
私はまた以前のとおりに、からだを横たえながら言う。
「あの頃の貴婦人はね、宮殿のお庭や、また廊下の階段の下の暗いところなどで、平気で小便をしたものなんだ。窓から小便をするという事も、だから、本来は貴族的な事なんだ。」
「お酒お飲みになるんだったら、ありますわ。貴族は、寝ながら飲むんでしょう?」
飲みたかった。しかし、飲んだら、あぶないと思った。
「いや、貴族は暗黒をいとうものだ、元来が
キクちゃんは黙って起きた。
そうして、蝋燭に火が点ぜられた。私は、ほっとした。もうこれで今夜は、何事も仕出かさずにすむと思った。
「どこへ置きましょう。」
「
「お酒は? コップで?」
「深夜の酒は、コップに
私は
キクちゃんは、にやにや笑いながら、大きいコップにお酒をなみなみと注いで持って来た。
「まだ、もう一ぱいぶんくらい、ございますわ。」
「いや、これだけでいい。」
私はコップを受け取って、ぐいぐい飲んで、飲みほし、仰向に寝た。
「さあ、もう一眠りだ。キクちゃんも、おやすみ。」
キクちゃんも仰向けに、私と直角に寝て、そうしてまつげの長い大きい眼を、しきりにパチパチさせて眠りそうもない。
私は黙って本箱の上の、蝋燭の
「この蝋燭は短いね。もうすぐ、なくなるよ。もっと長い蝋燭が無いのかね。」
「それだけですの。」
私は黙した。天に祈りたい気持であった。あの蝋燭が尽きないうちに私が眠るか、またはコップ一ぱいの酔いが覚めてしまうか、どちらかでないと、キクちゃんが、あぶない。
焔はちろちろ燃えて、少しずつ少しずつ短かくなって行くけれども、私はちっとも眠くならず、またコップ酒の酔いもさめるどころか、五体を熱くして、ずんずん私を大胆にするばかりなのである。
思わず、私は
「足袋をおぬぎになったら?」
「なぜ?」
「そのほうが、あたたかいわよ。」
私は言われるままに足袋を脱いだ。
これはもういけない。蝋燭が消えたら、それまでだ。
私は覚悟しかけた。
焔は暗くなり、それから
しらじらと夜が明けていたのである。
部屋は薄明るく、もはや、くらやみではなかったのである。
私は起きて、帰る身支度をした。
(「新思潮」昭和二十二年七月号)