發動機船は棧橋を離れやうとし、若い船員は
『そんな筈はない、よく數へてごらん。』
振返つて私はいつた。
『足らん/\、なアこれ……』
其處を掃除してゐた爺さんをも呼んで、酒が幾らで肴が幾らでこの錢はこれ/″\で、と勘定を始めた。私はそれを捨てゝおいて船へ乘らうとした。
爺さんと婆さんは追つかけて來た。切符賣場からも男が出て來た。船の窓からも二三の顏が出た。止むなく私は立ち留つた。そして婆さんの掌の上の四五枚の銀貨を數へた。どうも足らぬ筈はない。
『これでいゝぢやアないか、四十錢ばかり多いよ。』
『馬鹿なことを……』
婆さんの聲は愈々
船は思ひのほかに搖れながら走つた。船内の腰掛には十人ほどの男女が掛けてゐた。
『間違ひといふものはあるもんで……』
私の前に掛けてゐた双肌ぬぎの爺さんは私に言つた。この爺さんは茶店で私が酒を飮んでゐる時から二三度私に聲をかけてゐた。
『イヤ、どうも、……』
私は改めて額の汗を拭いた。今日はもう一つ私は失敗をやつてゐた。鷲津までの切符を買つてゐながら一つ手前の新居町驛で汽車を降りた。濱名湖が見え出すと妙に氣がせいて、ともすると新居町から汽船が出るのではないか知らといふ氣になつたからであつた。が、矢張り淡い記憶の通り、鷲津から出るのであつた。そして通りがかりの自動車を雇つて鷲津の汽船發着所へ着いたのである。然しその時の船はもう出てゐた。次の正午發まで一時間半ほど待たねばならぬ。そして私は酒をとつた。朝飯を五時に濟まして來たので妙に食慾があり、茶店で出した肴だけでは足りなかつた。茶店の婆さんは附近の宿屋だか料理屋だかに電話をかけて二三品のものを取り寄せて呉れた。それこれの勘定が間違のもとゝなつたわけである。
永年の酒の毒が漸く身體に表れて來た。ことに大厄だといふ今年の正月あたりからめつきりと五體の其處此處に出て來た。この半年、外出らしい外出すらしないで私は部屋に籠つてゐた。花のころ、若葉のころ、毎年必ず出かけてゐた旅にもよう出ないで、我慢してゐた。それがこの梅雨の季節に入つていよ/\頭が鬱して來た。いつそ息拔きに何處かへ出かけてゞも見るがよくはないかと自分にも思ひ、家人も言ふので企てられた今度のこの濱名湖めぐりから三河行の小さな旅行であつた。そしてその第一日早々から重ねられたこれらの失敗であつた。
湖全體を一周するには別に船を仕立てねばならなかつた。私の乘つたのは鷲津から湖の西岸に沿うて氣賀町まで行くものであつた。肌ぬぎの爺さんはいろ/\と山や土地の名などを教へて呉れた。梅雨晴とも梅雨曇とも云ひ得る重い日和で、うす濁りの波の色は黒く見えた。湖を圍む低い
『お爺さん、一緒に降りませんか、次の船の來る間、一杯御馳走しませう。』
爺さんは仰山に打ち消した。
『とんでもねエ、わしはこれで氣賀で降りて、其處から荷物を背負つてまだ五里も歩かなくちやならねエ。』
『ヤレ、ヤレ。』
といふ氣になつた。
湖には釣舟が幾つか浮び、三味線太鼓の起つて居る所謂遊覽船も一艘見えてゐた。風のためか日光のせゐか、湖いちめんがほの白く輝いて見えた。岡の松はみな赤松であつた。そしてその下草にところ/″\
二十分もかゝつたか、私は岡を巡つて寺に出た。次の船の來る迄にはまだ二時間もある。止むなく寺の前の料理兼旅館の山水館といふに寄つた。上にあがればめんだうになると思つたので、庭づたひに奧に通つて其處の縁側に腰かけながら、兎に角一杯を註文した。
庭さきの水際の
『ホヽウ、此處に海の魚がゐるのかネ。』
番頭の方が寧ろ不思議さうに私を見た。
『よく釣れます、今朝お立ちになつたお客樣はほんの立ちがけに子鯖を二十から釣つてお持ちになりました。』
宿屋の前は背後の岡と同じ樣な小松の岡にとりかこまれた小さな入江になつてゐた。入江といふより大きな淵か池である。青んで湛へた水面には岸の松樹の影がつばらかに映つて居る。其處から鯖の子を釣りあぐる……、何としても私には變な氣がした。聞けば今は子鯖とかははぎの釣れる盛りだといふ。かははぎは皮剥ぎの
館山寺前の入江を出た船は袋の口の樣な細い入口を通つてまた他の入江に入つて行つた。此處はやや大きく、
私の名を聞いて奧から出て來た背の高い友の白髮は、この前逢つた時より一層ひどいものに眼についた。その細君には初對面であつた。頻りに固辭したが、
氣賀町は寂びて靜かな町に見えた。昔、何街道とかの要所に當り、關所の趾をそのまゝにとつてある家などあつた。町はづれを淺く清らかな伊井谷川が流れてゐた。橋に立つて見ると、鮎や
この友はこの附近で小學校の校長を長い間やつてゐた。それをこの四月にやめて、今は土地に新設された實科女學校に出てゐるとの事であつた。廣くもない庭に、植ゑも植ゑたり、蟻の這ふ隙間もないまでに色々なものが植ゑてあつた。いま花の眼についたは、
夜は酒嫌ひで言葉少なのこの友を前に私は一人して飮み一人して喋舌つた、これだから誰にも逢つてはいけないと思つたのにと思ひながら。
六月二十二日。
學校を一日なまけてY――君もけふ一日私と歩かうといふことになつた。停車場の附近にも昨日見たルイキユウの田が廣い。聞けばこれは琉球から取り寄せた
伊井谷神社の深い森を車窓に眺めて過ぎた。宗良親王を祀るところといふ。親王のお歌は若い頃私の愛誦したものであつた。程なく奧山終點着。
奧山半僧坊の名はかなり聞えてゐる。で、私は何とはなしに成田の不動の樣な盛り場を想像してゐたが、案外に靜かな山の中の寺であつた。門前町に三四軒並んでゐる宿屋なども、なつかしい古び樣を見せてゐた。
奧山の村を外れて陣座峠の路にかゝる。路は伊井谷川の源とも見受けらるゝ溪に沿うてゐた。溪は細く、岩の床で、岸の一方は直ちに雜木林となつてゐた。流れつ湛へつしてゐる水際には岩躑躅が到るところに咲いてゐた。いよ/\登りにかゝらうとするあたりで水を飮まうと谷ばたに降りてゆくと、其處の
陣座峠は遠江と三河との國境に當つて居る。國境の山といふと大きく聞えるが、僅か一千五百尺ほどの高さ、登りも下りも穩かな傾斜で、明るい峠であつた。ことに遠州路の方は木立が深くて登るに涼しかつた。その深い木立の下草に諸所
八合目ほどの所の路ばたによく囀る

其處へ先刻の男が眼白籠を提げてやつて來た。そして變な顏をして立ちどまつてゐたが、其儘其處に坐つてしまつた。Y――君は持つてゐた盃をさしたが、酒は大嫌ひだとて受けなかつた。三十前後の屈強な身體で、眼尻のたるんだ、唇の厚ぼつたい男であつた。話好きと見え、ほゞ三四十分の間、一人で喋舌つてゐた。おめエたちは一體何處で何の身分で、何をしに斯んなところに來たのか、といふのが彼の話題の第一であつた。根掘り葉掘り訊いた上、
『どうも、さつぱり解らねエ。』
と諦めた。そして代りに自分自身の事を語り始めた。何處何處の生れで、何處其處とさんざ苦勞をした揚句、今では斯んな所に引つ込んで何とか線の線路工夫をしてゐると語つた。
『線路工夫……?』
と聞きとがめると、Y――君が、
『いゝエ、電燈線の線路工夫でせう、此頃この邊に引かれた電燈線があるのです。』
と説明した。
眼白でも飼はねばなア、斯んな山の中では何の樂しみもねエ、と言ひながら彼は立ちがけに、私のころがして置いた空壜を取りあげて、これ、貰つて行くよ、酢を入れとくにいゝからナ、とどんぶりに入れた。
我等も程なく其處を立つた。するとまた眼白籠が路ばたの枝に懸けられ、鳥ばかりが

『ア、あんな所に!』
見れば成程、路から一寸離れた
下りつけば其處は幾つかの小山の裾の落ち合つた樣なところで、狹い澤となつてゐた。片寄りに一すぢの溪が流れ、あちらの山こちらの山の根がたにすべてゞ十二三軒もあらうかと思はるゝ藁家が見えた。それらの家に圍まれた樣な澤はみな麥の畑で、黄いろくも黒くも見ゆるそれをせつせといま刈つてゐた。
村に一本の路を急いで居るとツイ路ばたにすつかり戸障子をあけ放した一軒の家があつた。そして部屋の中にも軒端にもいつぱいに眼白籠が懸けてあり、とり/″\に
狹い村を通り終れば路はまた登りとなつた。吉川峠といふ。
山は陣座峠より淺かつた。そして雜木の茂つた灌木林の中に澤山の
勞れて來たせゐか、今度の
やがて、麥刈り、田鋤き、桑摘みの忙しさうな村に出た。埃の立つ道を急ぐともなく急いで、漸く豐川の岸に出た。偶然にも道はこの前同じく
ともするとその枕許に坐つて話をする事になりはせぬかと氣遣つて來た新城町の友K――君は幸にも起きてゐた。而かも私の訪問がだしぬけであつたので、
突然ではあり、時間ではあり、ことに初めての氣賀町の客人のために町の料理屋に出て夕飯をとらうといふ事になつた。それを聞くとY――君は驚いて、イヽエ私は歸りますといふ。これからどうして歸れます、それに折角の事だから、と家の人たちも總がかりで留めたが、一日はまだしも二日とはどうも學校が休めない、と言つて立ち上つた。なアに四五里の道だし自轉車ならわけはありません、と私の顏を見て笑ひながら言つた。私にはいま漸く彼があの乘れもしない山坂路を一生懸命になつて自轉車を押して來たわけが解つた。歸りは無論その山坂路でなく、他にいゝ道路があるのださうである。そしてその車のベルを鳴らしながら、たけ高いうしろ姿を見せて彼は歸つて行つた。夏のことだで、まだざつと二時間は明るいが、樂ではないぞなど此處の老父はそれを見送りながら言つた。
然し、夕飯には町へ出る事になつた。たつて止めたが早や立ち上つたこの友の、兩手を振りながら出もしない聲を絞つて、先生、後生ですから私のためにだしになつて下さい、私だつてたまには明るい所へ出て行きたいですよ、といふのを聞くと、矢張りいなめなかつた。その父と姉と友と私と、わざと町裏の田圃路を通つてこの前來た時も行つた事のある遠い料理屋へ出かけて行つた。新城町は桑畑の中に在り、兵兒帶の樣な長いながい一筋町である。
杯をなめながら、席に出た藝者たちから私は意外な事を聞いた。鳳來寺山の佛法僧聽きが近來急に流行り出し、なほその宣傳のため土地の有志に招かれてわたしたち一組は昨夜出かけ、殘る一組は今夜鳳來寺に佛法僧聞きに行つてゐる、といふのだ。呆れながら、お前たちがあの鳥を聞いて何にするのだ、と言へば、いゝえ、お客樣ごとにその事を
『それも先生のおかげサ。』
早や醉つて顏は眞赤に、豐かな頬鬚のつや/\と白い老父は笑つた。この前來た時、私は『鳳來寺紀行』にこの鳥の事を書いて雜誌『改造』に出した。それが今まで殆んど無關心であつたこの附近の人たちに意外な反響を喚んだのださうだ。現に主要な停車場には佛法僧の繪をかいたポスターが張られ、私の文章の中の文句が大きな字で引かれてあるといふ。
六月二十三日。
私の居る事はこの友人の身體によくない樣に思ひながら晝過ぎまでも愚圖々々してゐた。その間、私の膝の側には朝からずつと盃と徳利とが置いてあつたのである。豐川の鮎の
昨夜の藝者の話で鳳來寺行きはかなり興が醒めたが、然し毎晩啼くといふ佛法僧を樂しみに矢張り出かくる事にした。電氣に變つた豐川鐵道で長篠驛下車、驚くべし其處には鳳來寺行乘合自動車が出來てゐた。沿うて走る寒狹川の岸の岩には、昨日名も無い溪で見て來たと同じく岩躑躅が咲きこぼれてゐた。
直ぐ鳳來寺の山に登り、寺に一二泊を頼まうかと思ふたが、今では其處にも毎晩十人位ゐの泊客があると聞いたので遠慮され、とりあへず麓の宿屋に一泊することにした。この宿屋もこの前の紀行には『これも廣重の繪などに見るべき造りの家である』と書いてある通り、
一ぷく吸つたまゝ私は宿から二三軒先の硯造りの家に出かけて二三の硯を買つた。この山から出る鳳鳴石といふのでその質のいゝ事をばかねて聞いてゐながらこの前は荷になるのを恐れて買はなかつた。今度は自動車電車だから大丈夫である。
恐れてゐた
窓から見る宿の前の溪端に一つ二つと飛ぶ螢が見えだした。それまでに山の方で啼いてゐたいろいろの鳥の聲も靜まつた。軒を仰ぐと、曇つてゐるが月明りのある空である。その空を限つて嶮しく聳え立つた鳳來寺山の
其處へ、心おぼえの啼聲が聞えて來た。まさしくあの鳥である。佛法僧の聲である。月を負うた山の闇から、闇の底から落ちて來る、とらへどころのない深い/\聲である。聽き入れば聽き入るだけ魂の誘はれてゆく聲である。玉をまろがすと言つては明るきに過ぎ、
『ア、啼く、啼く、……』
私はいつか窓際にすり出て、兩手を耳にあて、息を引きながら聽き入つた。相變らず所を移して啼く。一聲二聲啼いては所を變へる。暫くも同じところに留らない。ともすれば、山そのものが動いてゐるかとも聞きなさるることすらある。
私は膳を窓側の縁に移した。一杯飮んでは耳に手をあて、一杯飮んでは眼を
『よう啼きますやろ。』
宿のお婆さんが笑ひながらお銚子を持つて來た。流石に私もきまりが惡くなり、それを濟ますと床についた。
この鳥の啼聲を文字に移し得ざる事を憾む。内田清之助博士著『鳥の研究』の中に「高野山中學校教諭榎本氏が幾年かに渉つて聞かれた所によれば次の如くである。」として、
この鳥の啼く聲はギヨブツコー、ギヨブツコー、或はグブツクオーと聽えるものを凡そ一秒弱の間を
んで繰返し、時々はギヨブツクオー、コー、或はギヨブツ、ギヨブツ、クオーを加へる。ギヨブツクオー、コー、の場合には第二音クオーと第三音コーとの間に、第一音と第二音との間よりも、少し長い間を置き、且つ第三音コーは第二音よりも調子低く、またギヨブツ、ギヨブツ、クオーの場合には各間隙に長短はなく、殆んど三音を連唱する。下略。
云々と書いてある。流石によく調べてある。強ひて書けば先づ斯うであらう。が、
枕許の水を飮むために眼を覺す。
啼いてゐる。
夜の更けたゝめか、或は麓近く移つて來たか、宵の口より一層澄んで聞える。
起きて窓に凭ると、月も曇を拭つて照つてゐた。山の森の茂みにも月の光があつた。そして、宵の口は多く右の、ギヨブツコー、ギヨブツコー、の二聲づつを啼いたに夜の更けてからは、ギヨブツ、ギヨブツ、コーの三聲を續ける啼きかたをしてゐた。この啼きかたは非常に迫つて聞える。
六月二十四日。
朝、洗面所で顏を洗つてゐると、その横の部屋から一人の泊客、痩せた青年が出て來て私を見てゐるらしかつたが、不意に牧水先生ではないか、と言ふ。君は、と問ひ返すと意外にも前のY――君やK――君たちと同じく我等の創作社々友T――君であつた。この人は入社して何年にもならぬが、歌に異色があり、印象の深い人であつた。同じく昨夜佛法僧聞きに來てゐたのであると。彼は名古屋の八高の生徒である。
朝食を共にし、一緒に山に登つた。實は昨夜よく聞いたには聞いたが、耳の惡い私には、もう少し近かつたら、の慾が出たのである。そして山の寺に一二泊を頼まうと思ふたのであつた。寺にはこの前の時の知合の僧侶がゐた。
彼も少なからず驚いて上へ招じて呉れた。そして、朝から酒ばかり飮んで何をする人かあの時はさつぱり解らなんだが、といふ四年前の囘顧談などが出た。あの時は三度々々梅干ばかりさしあげたが、今では寺でも相當の用意がしてある故、どうぞゆつくりして行つて呉れ、と勸められた。實は梅干すらその時は出し惜しまれたのであつた。そして明けても暮れても
寺の中もすつかり綺麗になつてゐた。それとなく聞いてみると今夜豐橋の實業家たちが登つて來て佛法僧を聞き乍ら寺で謠曲會を開くのだといふ。T――君と相顧み、麥酒など勸めらるるのをも辭して別れた。東照宮の方に行く途で、見覺えのある老爺に出會ふた。寺の寺男である。毎日私のために飮料を麓から運んで呉れた恩人であつた。銀貨を紙に
宿屋に歸り、折柄の自動車に飛び乘り、長篠に出で、折角の奇遇をこのまゝ別るゝも辛く、其處より二三驛
夜、柄にもなく旅愁を覺え、この病身の初對面の友を相手に私は酒を過した。そして終に藝者と名乘る女をも呼んで伊奈節を聞いたり唄うたりした。宿屋の前の往還が信州伊奈に通ずるものであることを聞いて思ひついた事であつたらう。
『先生、いつそ伊奈まで行きませうか。』
四五杯の酒に醉うた年若い友はその痩せた手を擧げて言うた。
六月二十五日。
頭をよくするどころか、へと/\になつて、夜遲く沼津に歸つた。靜かにならう、靜かにならうと努めつゝいつか知ら結果はその反對になる、いつもの癖を身にしみじみと感じながら。
硯はよき土産であつた、机の上に靜かである。鳳來寺の山よ。