▲余の住ってる町は以前は組屋敷らしい狭い通りで、多くは小さい月給取の所謂勤人ばかりの軒並であった。余の住居は往来から十間奥へ引込んでいたゆえ、静かで塵埃の少ないのを喜んでいた。処が二三年前市区改正になって、表通りを三間半削られたので往来が近くなった。道路が広くなって交通が便利になったお庇に人通りが殖えた。自働車が盛んに通るようになった。自然商店が段々殖えて来て、近頃は近所の小さな有るか無いかのお稲荷様を担ぎ上げて月に三度の縁日を開き、其晩は十二時過ぎまでも近所が騒がしい。同時に塵埃が殖えて、少し風が吹くと、書斎の机の上が忽ちザラ/\する。眺望は無い方じゃ無いが、次第にブリキ屋根や襁褓の干したのを余計眺めるようになった。土地の繁昌は結構だが、自働車の音は我々を駆逐する声、塵埃の飛散は我々を吹払う風である。
▲文明とは物質生活の膨張であって、同時に精神生活の退縮である。文明を呪う声が精神生活の側から生ずるのは当然である。
▲或る人が来て、世間の人は電車が出来て便利になったというが、我々は電車のお庇で辺鄙が賑かになって家賃が騰るので、延長する度毎に段々遠くへ転さなくてはならないから、電車の出来たのが却て不便だと云った。
▲近頃は巣鴨や大塚、中野や渋谷あたりから中央の市街へ毎日通う人は珍らしく無い。逗子や鎌倉から通う人さえある。便利だと云えば便利だが、茲に不便があると云えば又云われん事は無い。電車や自働車の発達したお庇に、金のあるものが市街を離れた郊外に広大なる邸宅を構えるは贅沢だが、金の無いものが家賃の安い処へと段々引込まざるを得なくなるのは悲惨である。同じ交通の便利の恩恵を受けるにも両様の意味がある。
▲戸川秋骨君が曾て大久保を高等
▲其上に我々は市外に駆逐されるばかりじゃない。毎日々々高価な電車税を払わねばならない。交通税共に往復九銭というのは決して高くは無かろうが、月に積ると莫大になる。我々の知人中には一家の電車代に毎月十円乃至十五円を支払う者は珍らしく無い。之だけの電車税を払うのは中産者に取っては相当な苦痛であるが、此苦痛を忍びつゝ交通の便利の恩恵を謝さねばならんのだ。
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▲そんなら電車に乗ってる間の時間を読書に善用したら宜かろうというが、
▲自働車の上なら悠然と沈着て読書は本より禅の工風でも岡田式の精神修養でも何でも出来そうだが、電車は人間を怯懦にし、煩瑣にし、野卑にし、
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▲我々は市中に生れて市中に育ったものだ。
▲人口が過剰すると淘汰が行われる。限りある都市の地積が一杯になると四捨五入して余分を市外に掃出さねばならない。交通の便利というは此淘汰を行う為めの準備であって、四捨五入で弾き出される我々は電車に乗るべき任務を背負わせられるのだ。
▲電車のお客様の大多数は我々階級のものである。我々以下の労働者の為めには特に割引車というものがあるから乗客の大多数は我々階級のもの、即ち既に市から掃出されたか、或は早晩掃出さるべき運命を持ってるものである。其都市の劣敗者――というのが悪るければ弱者――が毎日電車に乗って市の重大なる財源の供給者となっている。
▲交通の便利の恩恵を受けるのは市の附近の農民で、ツイ十五六年前までは一反いくらという田や畑が宅地となって毎年五六割ずつ騰貴する。甚だしきは一時に二倍三倍に飛上る。夫までは
▲郊外の場所に由ると市内の山の手よりも高い相場の地所がある。将来の騰貴を予期して不相当なる高値を歌ってるものもある。我々は既に市内を駆逐され或は将に駆逐されんとしているが、郡部でも電車の便利に浴する地には段々住えなくなりそうだ。或る人が来て、景色の好い上に馬鹿に安い地所があるから
▲親から貰う学費で下宿料を払ってる時代はノンキに人形町の夜の景色を歌っていられるが、扨て職業となると文士生活は門外で見るほど気楽じゃ無い。人形町に憧がれたものが万年町を歌うようになるかも知れない。都会の咏嘆者が田舎の讃美者とならざるを得なくなる。
▲文科大学の学費を調べたものを見ると、上中下の三級に分った下級の費用すらが年額六百円を算当してある。月に五十円を要するわけだ。駈出しの文学士では五十円の月給を取れない人がある。学校卒業生の問題は文学士ばかりじゃないが、大学出身者中で文学士が最も気の毒な境涯にある。二十年前に、嫁に行くなら文学士か理学士に限ると高等女学校の生徒の前で演説して問題を惹起した人があるが、文人と新聞記者とは今日では嫁に呉れての無い嫌われ者の随一である。
▲文人の資本は紙と筆ばかりのように云う人があるが、文人は常に頭脳を肥やす滋養代に中々資本が要る。芝居を見るのもカフエへ行くのも、時としては最少し深入するのも矢張頭脳を豊かにする為めである。勿論、新らしい書籍は常に読まねばならない。偶像破壊の世の中でも古いものを全然棄てゝ了う事は出来ない。此費用だけ見積っても中々容易では無い。と云って少し頭脳の仕入れに油断すると、直ぐ時代に遅れて了う。文人は常に都会を離れる事は出来ない。一年都会を離れたら全く時代に遅れて地平線下に蹴落されて了う。文人の寿命は相撲と同じだと云うが、相撲よりも一層果敢ない。声名を維持するには常に頭脳を養うに努力しなけりゃならず、頭脳を養うには矢張資本の潤沢を要する。
▲文人は競馬の馬のようなものだ。常に美食していないと忽ち衰えて了う。が、馬の方は遊戯的に愛撫して千金を費して飼育するを惜まない金持があるが、人間の文人は時としては飼養者に噛付くので、千金の餌を与えて呉れるものが殆んど無い。
▲古来傑作は貧乏に生じたゆえ、文人は貧乏させて置くに限るという説がある。曲芸の動物は腹を減らせて置かないと芸をしないという筆法である。若し恁んな説が道理らしく主張されるなら我々は文人虐待防止会を起さねばならない。
▲近頃或る新聞が芸術税を提起した。其理由に曰く、同じ芸術家でありながら俳優は高い税を賦課せらるゝに反して美術家や文人が課税されないのは不公平であると。日本画の先生達には大厦高楼を構えたり或は屡々豪遊したりするものもあるから、恁ういう大先生方は別として、高の知れた文人の目腐れ金に課税した処で結局手数損じゃ無かろう乎。が、之まで較やもすると浮浪人扱いされた文人の収入を税源にしようというは、済生会の寄付金を勧誘されたような気がして名誉に感じるが、芸術税というは世界に比類なき珍税として公衆の興味を湧かすに足りる。が、そこに一疑問がある。文学は果して職業だろう乎。
▲世の中には文学を以て生命とし、文学を売って衣食している者があるから、仮に之を称して職業と呼んでおるが、総ての職業を通じて一貫しているは同一任務の機械的反覆であって、同じ芸術家でも俳優は毎日同じ狂言を舞台で繰返している。一と芝居済んで他の狂言と変っても、何ヵ月目或は何年目には又繰返している。又在来の日本画家は一つ粉本を常に写し直している。梅花書屋だの雨後山水だのと画題までもチャンと定まっておる。印刷する代りに筆で描いているようなものだ。同じ精神生活の人でも坊さんがお説教をしたりお葬いをしたり、学校の先生が講釈をしたりするは皆同一任務の機械的反覆である。文人も亦生活の鞭に引叩かれる為め千篇一律の著述をする事はするが、本来手の仕事でも足の仕事でも眼の仕事でも口の仕事でもなく、一つ/\が尽く頭脳の中枢から産出す仕事であるから、他の職業のように全く同一のものを作り出す事は決して無い。
▲文人の仕事を機械的にしたのは印刷術の進歩で、文人の頭脳の産物を機械がドシ/\印刷して了うから、機械を間断なく運転させる為めには、印刷材料たる草藁をも亦間断なく準備しなければならない。そこで文人の頭脳も亦勢い機械的に発動すべく余儀なくされるので、新聞や雑誌が盛んになればなるほど文人の頭脳も亦定時的に働き出さねばならなくなる。文人の本来は感興を重んじて機械的に頭脳を働かすべき筈で無いが、幸いに印刷術の進歩が文人の頭脳の組織をも一変して、名什傑作が轆轤細工のようにドシ/\出来たなら、今までのように実際家に軽蔑されないほどの収入を得て、貧乏な日本の国庫を富ますに足るほどの文学税を納める事が出来るかも知れない。人情本を焼き直した芸者文学やジゴマの本を作るものは即ち文学製造業の稽古を始めたので、追々には書画屋の仕入れ屏風や掛物を描いたり、三越や白木をお店とする美術家先生達と一緒に多額の営業税を納めるようになるだろう。恁ういう人達は郊外生活をするには及ばない。日本橋か銀座に何々株式会社と列んで白煉瓦の事務所を構える事が出来る。
▲上司小剣君は日本の文士の隠者生活を何時までも保存したいと云ってる。が、文人が之まで隠者生活を送っていられたのは職業たるを認められなかったからで、今日のように到る処に輪転機を運転して、機械の経済的能力を全うさせる為めに文人の頭脳をも又機械的にし、収税官史が文人の収入を算盤珠に弾き込むようになっては、文人は最早大久保や雑司ヶ谷に閑居して電車の便利を難有がってばかりはいられなくなる。富の分配や租税の賦課率が文人の旁ら研究すべき問題となって、文人の机の上にはイブセンやメエターリンクと一緒に法規大全が載るようになる。
▲其代りには市外に駆逐されないでも済むかも知れないが、或は駆逐されても電車の恩愛に頼らないで自働車を走らす事が出来るかも知れないが、メエターリンクの夢を難有がる専門文人にもなれず、ジゴマの本を作る文学製造業に従事する気にもなれないドッチ附かずの中途半端の我々は、丁度市区改正の時取払いになるお城の石垣と同様なものではあるまい乎。市街の子たる我々の頭は郊外生活を楽むには実は余りにプロセイックである。と云って、道路の繁昌に伴う雑音塵埃に無頓着なるには少しくポーエチック過ぎる。我々は文明を呪うものでは無い。却て文明を謳歌しておる。が、文明は我々を駆逐せんとして無言の逐客令を布いておる。我々の身の上も誠に以て厄介なる哉。
(大正二年五月現代)