昨年の八月いつぱいを伊豆西海岸、
八月いつぱい、子供を主として何處かの海岸で暮したい、さういふ相談を妻としてから七月の初め私はその場所選定のため伊豆の西海岸へ出懸けました。西海岸と云つてもさう不便な場所では困るので、この沼津から靜浦灣を挾んで、殆んど正面に見えて居る西浦海岸を探す事になつたのです。幸ひそちらには我等の歌の社中の友人も居るので、大よその事をその友人に調べておいて貰ひ、先づ此處等がよからうといふ事を聞いた上、私は出懸けました。そして[#「そして」は底本では「そし」]指定せられた二三箇所を見てつた末、矢張りその友人の居村である古宇村といふにきめたのでした。
其處は半農半漁の、戸數五十戸ほどの村でした。半農と云つてもそれは殆んど蜜柑の栽培が重でそのほかに椎茸木炭などを作り出すと云つた風の山爲事なのです。その村の少し手前の江の浦
旅客用の部屋は
『これは素敵だ、早速此處にきめませう。』
二階に上るや否やさう言つて、坐りもやらずに、二つの部屋をぐる/\と私はつて歩きました。階下の部屋も欲しかつたのですが、折々つて來る常客などのために其處だけは空けておきたいとのことで、諦めねばなりませんでした。
『イヤ、二階だけで澤山だ、そちらを子供部屋にして、此處に自分の机を置いて……』
その夜一泊、翌朝早くの船で沼津へ歸る筈でしたが、折よく降り出した雨をかこつけにもう一日滯在することにしました。そして雨に煙つて居る靜かな入江の海を見て何をすることもなく遊んで居りますと、丁度二階の眞下の海に沿うた小徑を三人の女が何やら眞赤な木の實らしいものの入つた籠を重々と背負つて通るのが眼にとまりました。木の實の上は瑞々しい[#「瑞々しい」は底本では「端々しい」]小枝の青葉が置かれ、それに雨が降りかゝつてをりました。
『山桃!』
さう思ふと惶てゝ私は彼等を呼留めました。
そして中の一人から大きな
斯くして八月の
まつたく潮は綺麗でした。二階から見てゐますと、眞前の岸近く寄つて來て泳いでゐるいろいろの魚の姿がよく見えました。細長い姿のさよりやうぐいはその群までも細長く續いて、折れつ伸びつ、ちよこ/\と泳いで行き、黒鯛はおほく獨りぽつちでぼんやりとその大きな體を浮かせ、何か事があるとぴんと打たれたやうにかき沈んで忽ち何處へやら消え去りました。折々雨の降り出したかの樣にぴよん/\ぴよん/\こまやかな音を立てゝ水面に跳ねあがり、それが朝日か夕日かを受けて居れば、青やかな銀色に輝くのはしこの密群でした。若しこの大群がやゝ遠くを過ぐる時は、海面が急にうす
魚の話のついでに釣の事を申しませう。
私の釣りに行つたのは多く磯魚でした。土地では根魚と呼んでゐます。海底が磯になつてゐる所即ち砂でなくて石や岩の重疊した樣な場所にのみ居る魚の總稱です。味は一體に大味ですが、色や形には誠に見ごとなのゝ多いのが特色です。かさご、あかぎ、ごんずい、くしろ、おこぜ、海鰻、その他なほ數種、幾ら聞いても直ぐ忘れてしまふ樣な奇怪な名を持つた魚たちが
技巧は簡單で、舷に掌を置き、そして親指と人差指との間に持つて垂れた釣絲の感觸によつて魚の寄りを知り、やがて程を見て手速く船の中に卷き上ぐるのです。唯だ絲の降りてゐる海底が岩石原であるため、馴れないうちはよく
『おめえたちは指がびるつこいせえに追つつかねヱ。』
びるつこいとは柔かな、せえには故にの意。蓋し指の柔かなためいち速く絲の感觸を受くるから釣りいゝのだとの事でせう。
何しろ二三十尋もある深みの底から一尺大のかさごなどがその大きな口をあいて、一條の絲につれて重々とあがつて來る時の指から腕、腕から頭にかけての感覺の面白さはまつたく別でした。海鰻は淺い所でも釣れました。だからその海底に魚の姿を見ながらに釣れるのです。大瀬崎といふ岬の蔭の磯に此奴の無數に棲んでゐる所がありました。此處では先づ用意して行つた魚の腸(臭い程いゝの故、腐つてゐればなほよし)を海中に投じ、徐ろに其處等の岩や石の間を
思ひ出して來るといろ/\ありますが、もう一つ、毎日の夕方の事を書いてこれを終りませう。ア、朝起きてから顏も洗はずに、まだ日のさゝぬうす黒い海面へ庭さきからざぶりと飛び込む愉快さをも書き落してゐましたね。
この村から毎日早朝沼津へ向けて出る發動機船があります。そしてそれは午後の四時、五時の頃に村へ歸つて來るのです。私はいち速くこの船の人たちと懇意になつて、いろ/\と便宜を得ました。そんな佗しい漁村の、そんな佗しい宿屋のことで、何も御馳走がありません。殆んど自炊をしてゐる形で私たちは其處の一月を送つたのですが、その食料品をば全てこの發動機船に頼んで沼津から取り寄せたのです。そればかりでなく、沼津の留守宅から送して來る郵便や新聞等も途中一二箇所の郵便局の手を經るよりもこの船に頼んで持つて來て貰ふ方がずつと速かつたのです。
夕方の四時近く、いつとなく夕涼が動き出して西日を受けた入江の海の小波が白々と輝き出した頃、泳ぎに疲れた二階の一家族は誰かれとなく一樣に沖の方に眼を注ぎます。
『來た、來た、壯快丸が見えますよ、父さん!』
兄が斯う叫びます。
『どれ、どれ、……うゝん、あれは常盤丸だよ、壯快丸ではないよ。』
『
『ア、さうだ、今日も兄さんに先に見附けられた、つまんないなア。』
と妹が呟きます。
大抵親子二三人してその壯快丸の着く所へ出懸けます。そして野菜や(海岸には大抵何處でもこれが少ない)肉や郵便物を受取つてめい/\に持つて歸ります。歸つてから兄は水汲み、妻は七輪、父親はまた手網を持つて岸近く浮けてある
八月が終りかけると母と子供とは學校があるので家の方に歸り去り、父親一人は釣に未練を殘してもう二三日とその宿に殘りましたが、越えて九月一日の正午、例の大地震を食つて大いにうろたへたのでした。