大正八年三月二十一日。信濃鉄道にゆられながら、重いリュックサックを背負ったまま腰をかけて、顎の下にアルペンストックをかって、反対側の窓の中に刻々に移って行く真白な雪の山々を眺めていると、雪の山の不可抗な吸引力は、ジットしていられないほど強くなった。しかし夜行できた寝不足の身体は、今日山に入ることを拒んでいる。はやる心を抑えつつ穂高駅に下車した。迎えにきてくれた寺島寅吉老人と春にしては暖かすぎる田圃道を牧に向かった。常念、蝶ガ岳が雪を浴びた下に、平たくこんもり茂った浅川山を背後に、牧の愛らしい村が点々と見える。スキーを肩に、リュックサックの重みを感じながら汗の流れる身体を寺島方に着いた。水車がめぐっている。昼飯をすましてから、案内の永田小十郎がきたので、万事相談の上明朝出発と定め、小十の外に寺島政太郎、渡辺虎十の二人がきてくれることになった。
三月二十二日。今日もまた暖か過ぎる好天気である。午前七時半に出発した。寅吉老人は「雪の山を見に行けるところまでついて行く」といって、六十二歳の老体を運んできた。総勢七人となった。荷物は大部分人夫に背負って貰って、今はわずか二貫余平均となった。松林をぬけると本沢、二ノ沢、一ノ沢を集めた大きな谷をへだてて、鍋冠山が雪をかぶって、層をなした雪は実に綺麗に積っていた。沢を伝って目を上に上げて行くと、蝶ガ岳の崩れが白い中に見える。道は一ノ沢の左岸の中腹をかなり急に登って行く。汗はダラダラと流れる。真白い雪の常念が雪の中から出たり入ったりしていた。道が谷川の岸を通るようになる時分には、雪がまだらに河原に出てきた。太陽の光線を強く反射する斑の雪の中を、谷川の水は光の中を躍り流れた。雪はだんだんまして、案内は小屋の跡に入って
三月二十三日。四時に起きて、焚火して夜の白むのを待った。乗越は星の下に白く見えた。淋しい谷に、チッチロという鳥の声を聞いたと思うと、次第に空が白んで、飯が炊ける時分には、日がパッとあたってきた。午前八時に夜営地を出発した。谷は全く雪に埋められて、白樺さえ背が大変低い。水はちょっと目につかない。夏のような暑さを感じてきた。目を焼く恐れがある。常念の乗越を間近に見るひろいひろいスロープで、夏シャツ一枚で滑って遊んだ。実にいい雪だ、と風をきりながら叫んだ。まるで滑ってくれ、と今までスキーのくるのを待っていたようだ。これから上はだんだん急に谷が狭くなって、分れて行くと谷がそってくるように思われる。上窪下から乗越を仰いで、夏の針ノ木を思い浮べだ。はじめはウエンデンをしながら、電光形に登ったが、ついにはそれもできなくなった。雪は波形をして、固くなってきた。急な所を横登行をやりながらしばしば休んだ。途中で菓子を食いながら、一本の支える木もない急な斜面を見渡すと自らつつしみ深い心になる。雪巡礼の一歩一歩は、乗越に近づいて行った。常念の頂上への斜面は、雪が飛ばされてしまって、岩が露れていた。十一時の予定が遅れて十二時に乗越に着いた。上窪下から一時間以上かかっている。スキーをはい松の上に置いて岩に腰を下ろした。赤岩岳から穂高まで真白だ。ただ槍ガ岳のみ、その中にポッリと黒い。音もない。風もない。いうことも無ければ考えることもない。案内が「美しい」というのが聞えた。はい松を焚いて、パンを噛った。いま登ってきた方には浅間、小浅間や、真白な戸隠が見えた。静かに話をしながらパンを火にあぶっては食った。スキーから雪がとけて岩の上に流れている。尾根はすべて雪がない。スキーで中房へ越えるのは駄目だと思った。再びスキーをつけて、槍ガ岳を右に見て一ノ俣に降る。大きなボーゲンを画いて木の間を縫いながら十分ばかりで降りた。雪は一丈余もあろう。河はほとんど埋っている。針葉樹の下を通って行くとハラハラと雪が木から落ちてくる。中山の登りは、スキーをぬいで
三月二十四日。目を覚すと曇っているという声がする。小十が天候を見に出たが、危いという。がっかりしながら雪の上にはいだした。槍沢は曇った空の下に静まりかえっている。早い雲の往来を見でこれは駄目だと思った。無理をしてはいけないと第一に考えた。案内のをはいて、槍沢を登っていった。の歯はザクリザクリと雪に音をたてて食いこんだ。なんだか自分が蟻のように小さいように思いながら、急いで登った。一ヵ所熊の足跡が谷を横ぎっていた。槍がちょっと見えた。なるほど雪がない。天気さえ好ければ、一日かければ槍は楽に登れそうだ。虚栄心でくる連中でなく、心から槍の眺めを拝しにくる人なら、きっと荘厳な景色が見られる。僕らはまたくるとしようと口惜しがりながら、顔だけは平気を装って、すたすたと大股に引返した。遠くに小屋の頭がちょっと雪の上に見えた。小屋に帰ると皆待っていてくれた。飯をすまして午前九時に出発した。スキーをはいてたちまち小屋を後に滑った。谷を降りながらヤーホーと声をかけると上の方からヤーホーと応じて、スキーが雪をする音が聞えてくる。休んで木を見あげると、木鼠がガサガサと木を登って遊んでいた。二ノ俣のドーへきて、顔を洗っているうちに案内がやってきた。横尾の屏風岩を見るころ雨が降ってきた。雪がザラメのためにスキーに少しも付着しない。だんだん広い原に出てきた。今は広い雪の原の上を、遥か彼方に目標をえらんで、一歩に一間ぐらいずつ滑走して行く。右手には凄いように綺麗な穂高を眺め、行手に霞沢、六百、徳本の山々が、上の方は雪と見えて白く霞んでいる。柳はもう赤い芽を吹いていた。宮川の池のかなり手前の木陰で昼食をつかった。雨などは眼中に無くなって、焚火にあたりながらゆっくり飯を食った。宮川の池を訪問して牛番小屋のところへ出ると、スキーの跡があった。かねて知合いのウインクレル氏だとすぐ思って、会えるかも知れないと道を急いだ。雪は非常な滅じ方で、ここだけならスキーは無用の長物だと思った。スキーをする雪ではない。の雪だ。温泉は雨の中に固く戸を閉ざしていた。傍の小屋では犬が吠える。入って見ると常さんがいた。「これは珍しい人がきた」と心よく迎えてくれた。ウ氏は今朝平湯へ行ったそうだ。乗鞍へ行ったのだ。時刻はまだ午後四時前だ。炉を囲んで盛んに話がはずんだ。犬がおびえている。
三月二十五日。今日はここで遊ぶことにした。湯の元へ行って岩の中の温泉に浴すると、ぬるくて出ることができない。晴れ渡った朝の空気を吸いながら、河の流れを聞きながら、岩の浴槽で一時間もつかっていた。十時頃から焼岳へ散歩に行った。焼の方から見た霞沢や六百山はなかなか綺麗だ。殊に木の間から見た大正池と雪の霞沢の谷は美しい。昼めしにビスケットを噛っていると雨になった。焼のラバーの跡には、雪が層をなして見える。小屋に帰って常さんと小十の猟の話を聞いていると、ちっともあきない。夜に入って雨は吹雪に変った。戸を打つ吹雪の音がサラサラと聞える。炉には大きな木がもえさかって、話はそれからそれへと絶えようともしなかった。
三月二十六日。吹雪は大分強い。十分用意をして午前七時半に出発した。いい雪だ。本当に粒の細かい水気のない雪だ。理想的のブルツファシュネーだと感じながら、吹雪の中を徳本に向かった。すっかり用意をして吹雪の中を歩くのは、気持ちのいいものでかつ痛快なものだ。徳本の下で焚火をした。時々パッと日があたると、木の影が雪の上にさす。何という美しさであろう。スキーは例の通り谷を一直線に登って行く。夏の道は左にある。頂上近くでいよいよ風が烈しくなる。温度は大したものでなく、摂氏の零下四度を示していた。まつ毛は凍って白い。徳本の頂上の道よりちょっと南に出た。東側には雪が二間もかぶっていた。下りは非常に滑りにくかった。古い雪の上に新しい雪が乗っているので、みななだれてしまう。途中吹雪の中で焚火をしたが少しも、暖かくなかった。手袋をちょっとぬぐともう凍ってかたくなる。
(大正九年四月)