パァル・バックはアメリカ人であるが中国で成長して、中国の生活を小説にかく婦人作家である。彼女の作品をまだよまない人でもポール・ムニとルイゼ・ライナーが主演している「大地」は見物したであろうと思う。ひところ、あの映画もこの頃の情勢で公開されないかもしれないなどと言われていたが、ともかく観ることが出来てうれしかった。
ずっと昔、リリアン・ギッシュが主演して大好評であった「ブロークン・ブラッサム」という映画があった。日本のタイトルは何という名であったろうか。それなどは、リリアン・ギッシュの持味として演技の落付き、重々しい美はあったがシナリオ全体としては従来の「
「大地」は、バックの原作がこれまでヨーロッパ人によってかかれた「支那物語」と性質を異にした本ものである故もあり、おそらくアメリカ映画界としては初めてつくられた真面目な中国についての映画ではあるまいかと感じた。ムニも、ライナーも、力演である。芸において、彼等の人種が中国民に対して過去に抱いていた偏見を突破して、中国の農民たらんと真に努力している。彼等の俳優としてのそういう熱意が快く感じられると共に、中国の現実そのものの力が、今日国際的な関心の性質を次第に真面目な人間的なリアリスティックなものに変えつつあることを痛感したのである。
ただ残念なことにこの「大地」もアメリカ映画特有の癖で、ハッピイ・エンドになっている。終りは大変甘い。そして、いささか下らない。原作は遙に現実の仮借なさを描いていて、王龍は蓮英を追っぱらおうなどせず阿蘭は依然として紛糾する家庭の中で王龍に先立たれて了うのである。
「大地」の監督に当ったシドニー・フランクリンは、ムニやライナーを東洋人として演じさせるためにこまかい注意を払っているのであるが、私たち東洋の眼で見ていると、折々パッと異国の花が開いたようにライナーがほかならぬアメリカの最も尖端的な表情で立ち現れる瞬間がある。例えば、南から幌馬車で王一家が再び故郷へかえって来た時、さアいよいよ家へ還ったぞ、おじさんに、かえって来たと言って来い! と息子を王が走らせようとする刹那、まだ馬車の中で赤坊を抱えている阿蘭がこっちを向きながら左肩をおとすような姿で実に目もさめるばかり華やかに笑う。その笑顔は全くそれとして、満目美と輝きをてりかえす自然なものではあるが、阿蘭は本当はああいう風な笑顔は決して持たないのである。あの笑いの瞬間に横溢する感情表現は、阿蘭の全生涯の歴史が別に書かれて来ているのでなければ阿蘭の体と顔とに現れ得ない美である。俳優としてよりむしろライナーの富、華麗、社交性、女としての日常性があすこで一閃するが如き強烈な印象を与えるのである。映画全体として、これは一つの大きい破綻のモメントである。監督フランクリンがそれに心付いていまい。そのことにもまたこの監督の身についている社会性の複雑さが語られていて感想を刺戟するところである。阿蘭が農奴として育ち農婦として大地を愛して生きる強さ、農民的な粘着力、粗野な逞しい、謂わば必死な生活力をライナーの阿蘭は全面的に活かし得ているかどうかということについても、性格というものの解釈に附随するこの映画製作者関係者一同の或る心持が反映していて興味があるのである。
或る人が「大地」を高く評価しつつ全篇に時間的感覚の欠乏している点をあげていた。これは意味のある注意点であると思った。時間的感覚の欠乏ということは、この監督者が、王龍一家の推移の歴史性をつよく、はっきりと掴み切っていないところから生じている。事件と事件との間にはそれぞれの事件の質の推移もあるのである。そこが、くっきりと認識されていず事件から事件へと平面的にうごいている。これも些細なことのようであって、実は単なる技術上の問題につきないところに芸術と現実との歴史的な問題がかくされているのである。これ等のさまざまな問題を与えつつ「大地」はたしかに昨今の傑出した映画の一である。「大地」を製作させる今日の中国の歴史生活の意味を感じさせる作品である。近衛秀麿氏の言う如く単なる宣伝映画ではないのである。
つづいて、私は或る機会で、文部省その他の役所の人々が集まってこしらえている「都市生活委員会」主催の「都市生活映画第一篇小学校」三巻を観た。主な監督者は飯田心美氏。委員制によってつくられた作品で、日本の小学校がどのように児童の衛生、学習のために注意を払っているかということを映画化したものであると説明された。主に映されているのは芝高輪の極めてモダーンな小学校である。飯田氏は、一ヵ年間の苦心になる作品であり、冬期は全く撮らなかったと言われた。画面は美に必要な光線が不足だからなのであろう。五月と秋晴れの一ヵ月の午前だけとられたそうだ。建物も整然、子供らも整然。整然。すべてこれ優等児製造はかくの如き文化性から生み出されるかという印象を与える雰囲気、画面の
三巻の映画を眺めて行くうちに、もっとユーモアを! もっと天然な子供らしさを! と切実な要求がたかまって来るのであった。文化映画は、皮相な意味の文化性から脱して、もっともっと真剣に現実に迫らなければならない。文化性というものも語をかえて云えば現実に対する強い深い合理的な認識への要求以外にないのである。
〔一九三七年十一月〕