人類が、生命の本然によりて掛ける祈願の前に、私共は謙譲であり、愛に満ちてありたい。
あらゆる悲惨の彼方へ、あらゆる不正と、邪悪との彼方へ! 其れは利己的な、一寸法師の「我」が探求する事なのではないのだ、と想う。お互の魂の純真な憧憬を尊ばなければ成らない。或る人が、嘗て抱いていた希望を破壊されたからと云って、希望其ものの本質まで否定する事は許されない。
幸福と云う事、真実な正義と云う事に就て、私共は
如何ほど聖純な祈願も、祈願する者は、私共である。外の何物でもない。そして又、其祈願が如何程失墜したとしても結局は、其祈願を捧げる私共の中に墜ちて来るのでは無いだろうか。
よきものが或場合受けなければ成らない屈辱や、苦難やを、無頓着らしく冷笑する事は冒涜である。人類の真実な希願を蹂躙する者は、其の同じ足で、自分の生命を踏み躙っているのだ。
私どもは屡々、自分等の足りなさから、失敗しているのは悲しむべき事実である。今、私共が見ずにはいられない事実であるけれども、私共は、
皆が友と成らなければ成らない。皆が互に、互の献物を大切に仕合って
〔一九二〇年一月〕