五月は爽快な男児。ぴちぴち若い体じゅうの皮膚を裸で、旗のような髪の毛を風にふき
近い五月は横丁の細道にもある。家の塀について右へ一つ、もう一遍右へ一つ曲ると、そこに五月の慎しい宝が人目にかくれ横わっている。右も生垣、左も生垣、僅か三尺ばかりの小道がそこを貫いているのだが、五月になると、小径は緑の王国だ。高いところに樫の若葉、要の葉、桜、楓、地面に山吹や野茨が

あらたふと青葉若葉の日のひかり
北方の五月は
人は心を何ものかにうばわれたように歩く。……歩く。葉巻の煙、エルムの若葉の香、多くの窓々が五月の夕暮に向って開かれている。
やがて河から靄が上る。街燈が鉄の支柱の頂で燐を閃めかせ始める。ほんの一とき市民の胸を掠めるぼんやりした哀愁の夜が、高架鉄橋のホイッスラー風な橋桁の間から迫って来た。
そういう黄昏、一つの池がある。ふちの青草に横わって池を眺めると、水の上に白樺の影が青く白く映っていた。花咲かぬ水蓮も浮いている。白鳥が一羽いる。むこうの丸木橋の下にいたが、こちらへ向いて泳いでいた。眠たい水が鋼色にひろがる。青草に横わって池を眺めると、今は樹間をこめる紫っぽい夕暮の陰翳まで漣とともにひろがり、白鳥ばかり真白に、白樺の投影の裡に伸びた。
〔一九二七年五月〕