私が最初に怪談に筆をつけたのは、大正七年であつた。それは『魚の妖・蟲の怪』と云ふ、中央公論に載せたもので、『岩魚の怪』と『蠅供養』の二つからなつてゐた。
ところで、幸か不幸か、其の怪談の評判がよかつたので、彼方此方から怪談を頼まれるやうになつて、長い間怪談ばかり書いた。それは私が支那の怪談が好きで、晉唐小説六十種、剪燈新話、聊齋志異などと云ふやうな物を手あたりしだいに讀んでゐた關係から、怪談に特殊な興味を覺えてゐたことも原因してゐるのであらう。
そして、怪談が出來るに從つて、それを蒐めて小册子にしてゐたが、昭和五年[#「昭和五年」はママ]になつて『怪談全集』上下二册を作つた。私はそれで怪談に筆をつける機會もなくなるだらうと思つてゐたが、これも何かの因縁であらう。其の後になつても怪談を頼まれて、それが積つてかなりの數になり、其のうへ、怪談全集も絶版になつたので、茲に更めて、日本に關した物だけを蒐めて、『日本怪談全集』四册を上梓することにした。
終に臨んで一言したいのは、此の怪談集は、私が前後二十年に渉つて書いたもので、怪談集を作るがために筆をつけた所謂際物でないと云ふことである。
昭和九年六月七日
田中貢太郎識