短歌三十一文字と定まりたるを三十二文字乃至三十六文字となし俳諧十七字と定まりたるを十八字乃至二十二三字にも作る事あり。これを字餘りと云ふ。而して字餘りを用うるは例外の場合にて常に用うべきにあらずとは歌人俳諧師等が一般に稱へ來れる掟なり。されど此掟程
三十一文字と定め十七文字と定めし事もと是れ人間が勝手につくりし掟なればそれに外れたりとて常に用うべきにあらずとは笑ふべき
或人曰く字餘りの和歌俳句は句調あしく口にたまる心地す故に好んで用うべからずと。稍ことわりあるに似たれど再び考ふればこれも亦謂れなき事なり。句調惡しとか口にたまるとか言ふは三十一字又は十七字を標準としての上にて言ふものにして例へば十七字卅一字のつもりにて吟ぜし者が十九字卅三字等ならんか自ら句調惡しく口にたまらざるを得ず。是れ其句切りの長短、發音の伸縮など總て三十一字十七字に適して三十一字十七字以外に適せざればなり。初めより十八九字又は三十二三字の覺悟にて之を吟ずるか若しくは虚心平氣にて
さりながら習慣の外に句調の善惡と言ふ事なきに非ず。例へば「五」「七」と云ふは調子善きものなれば漢詩には「五言 」「七言 」多く日本には「五七調」又は「七五調」多きなるべし。されどもこれを以て唯一の好調となすは固 より僻見のみ。
世人多くは曰く好んで字餘りの句を爲すは徒に新を弄し奇を
和歌の字餘りには古來遵奉 し來れる法則あり。即はち「ア」「イ」「ウ」「オ」の四母音ある句に限り字餘りを許したるなり。是れ三十一字を標準としたる考へよりすれば至當の事なれども前に述べし如く字餘りを姑息 なる例外物となさずして一種の新調と爲す上は母音子音の區別はあながちに之れを言ふを要せざるなり。
〔日本 明治27[#「27」は縦中横]・8・20[#「20」は縦中横]〕