新聞をひろげてみて次のような三面記事が出ていない日はほとんどあるまい。
水曜日から木曜日にかけての深更 、某街四十番地所在の家屋に住む者は連続的に二発放たれた銃声に夢を破られた。銃声の聞えたのは何某氏の部屋だった。ドアを開けてみると借家人の某氏は、われと我が生命 を断った拳銃を握ったまま全身あけに染って打倒れていた。
某氏(五七)はかなり楽な生活 をしていた人で、幸福であるために必要であるものはすべて具 っていたのである。何が氏をしてかかる不幸な決意をなすに到らしめたのか、原因は全く不明である。
某氏(五七)はかなり楽な
何不足なく幸福に日を送っているこうした人々を駆って、われと我が命を断たしめるのは、いかなる深刻な
そうした「動機もなく我とわが生命を断った」人間の一人が書き遺していった手記がその男のテーブルの上に発見され、たまたま私の手に入った。最後の夜にその男が弾をこめたピストルを傍らに置いて書き綴った手記である。私はこれを極めて興味あるものだと思う。絶望の果てに決行されるこうした行為の裏面に、世間の人が
夜も更けた、もう真夜中である。私はこの手記を書いてしまうと自殺をするのだ。なぜだ? 私はその理由を書いてみようと思う。だが、私はこの幾行かの手記を読む人々のために書いているのではない、ともすれば弱くなりがちな自分の勇気をかき立て、今となっては、遅かれ早かれ決行しなければならないこの行為が避け得べくもないことを、我とわが心にとくと云って聞かせるために
私は素朴な両親にそだてられた。彼らは何ごとに依らず物ごとを信じ切っていた。私もやはり両親のように物ごとを信じて疑わなかった。
永いあいだ私はゆめを見ていたのだ。ゆめが破れてしまったのは、晩年になってからのことに過ぎない。
私にはこの数年来一つの現象が起きているのだ。かつて私の目には曙のひかりのように明るい輝きを放っていた人生の出来事が、昨今の私にはすべて色褪せたものに見えるのである。物ごとの意味が私には酷薄な現象のままのすがたで現れだした。愛の何たるかを知ったことが、私をして、詩のような愛情をさえ厭うようにしてしまった。
吾々人間は云わばあとからあとへ生れて来る愚にもつかない幻影に魅せられて、永久にその
ところで私は年をとると、物ごとの怖ろしい惨めさ、努力などの何の役にも立たぬこと、期待の
私はこれで元は快活な人間だったのである! 何を見ても嬉しかった。
私は三十年このかた来る日も来る日も同じ時刻に
私は気分を変えようとして旅に出たこともある。だが、知らぬ他国にあって感じる孤独が恐怖の念をいだかせた。私には自分がこの地上にたッたひとりで生きている余りにも小ッぽけな存在だという気がした。で、私は
しかし、帰って来れば来るで、三十年このかた同じ場所に置いてある家具のいつ見ても変らぬ恰好、新らしかった頃から知っている肱掛椅子の擦り切れたあと、自分の部屋の匂い(家というものには必ずその家独特の匂いがあるものだ)そうしたことが、毎晩、習慣というものに対して嘔吐を催させると同時に、こうして生きてゆくことに対して劇しい憂欝を感じさせたのである。
何もかもが、なんの変哲もなく、ただ悲しく繰返されるだけだった。家へ帰って来て錠前の穴に鍵をさし込む時のそのさし込みかた、自分がいつも
私は毎日顔を剃りながら我とわが咽喉をかき切ってしまおうという聞分けのない衝動を感じた。頬にシャボンの泡のついた、見あきた自分の顔が鏡に映っているのを見ていると、私は哀しくなって泣いたことが幾度となくある。
私にはもう自分がむかし好んで会った人々の側にいることさえ出来なくなった。そうした人間を私はもう知り尽してしまったのである。会えば彼らが何を云い出すか、また自分が何と答えるか、私にはもうちゃんとわかっているのだ。私はそんなにまで彼らの変化に乏しい思考のかたや論法のくせを知ってしまった。人間の脳などと云うものは、誰のあたまも同じで、閉め込みをくった哀れな馬が永久にその中でかけ




今夜は霧が深くたち籠めている。霧は並木路をつつんでしまって、鈍い光をはなっている
食ったものが好く消化れると云うことは、人間の生活のうちにあってはなかなか馬鹿にならないものなのだ。一切のことが消化によるとも云える。芸術家に創作的情熱をあたえるのも消化である。若い男女に愛の欲望をあたえるのも消化である。思想化に
私は三十年このかた毎日腰をかけて来た肱掛椅子に腰を下ろした時に、ふと自分の周りにあるものの上に眼を投げた。と、私は気が狂ってしまうかと思ったほど
私は久しい前から机の
今夜、私は
私は抽斗をあけると黄ろく色の変った紙片がうず高く積みあがっているのを見て、
ああ、もしも諸君が生に執着があるならば、断じて机に手を触れたり、昔の手紙が入っているこの墓場に指も触れてはいけない! 万が一にも、たまたまその抽斗を開けるようなことでもあったら、中にはいっている手紙を鷲づかみにして、そこに書かれた文字が一つも目に入らぬように堅く眼を閉じることだ。忘れていた、しかも見覚えのある文字が諸君を一挙にして記憶の大洋に投げ込むことのないように――。そしていつかは焼かるべきこの紙片を火の中に放り込んでしまうことだ。その紙片がすべて灰になってしまったら、更にそれを目に見えぬように粉々にしてしまうことだ。――しからざる時は、諸君は取返しのつかぬことになる、私が一時間ばかり前からにッちもさッちも
ああ、初めのうちに読み返した幾通かの手紙は私には何の興味もないものだった。それにその手紙は比較的新らしいもので、今でもちょいちょい会っている現に生きている人たちから来たものであった。また、そんな人間の存在は私の心をほとんど動かさないのである。が、ふと手にした一枚の封筒が私をはッとさせた。封筒の上には大きな文字で太く私の名が書かれてある。それを見ていると私の双の眼に
私の手はワナワナ
私はそこで河をひとが

そうだ、私は突然母の
また、別な抽斗をいきなり開けると、私は恋の思い出にばッたりぶつかった。舞踏靴、破れたハンカチーフ、靴下どめ、髪の毛、干からびた花、――そんなものが急に思い出された。すると私の生涯の懐かしい幾つかの小説が私をいつ果てるとも知れぬものの云いようのない憂愁の中に沈めてしまった。この小説中の女主人公たちは今でも生きていて、もう髪は真ッ白になっている。おお、金色の髪の毛が縮れている若々しい額、やさしく撫でる手、物云う眼、
こうした遠く過ぎ去った旧い愛の
最後に私の手には一通の手紙が残った。それは私の書いたもので、私が五十年前に習字の先生の言葉を書き取ったものだ。
その手紙にはこうあった、
ボクノ 大スキナ オ母アサマ
キョウ ボクハ 七ツニナリマシタ 七ツトイウト モウ イイ子ニナラナクテハイケナイ年デス ボクハ コノ年ヲ ボクヲ生ンデ下サッタ オ母アサマニ オ礼ヲ云ウタメニ ツカイマス
キョウ ボクハ 七ツニナリマシタ 七ツトイウト モウ イイ子ニナラナクテハイケナイ年デス ボクハ コノ年ヲ ボクヲ生ンデ下サッタ オ母アサマニ オ礼ヲ云ウタメニ ツカイマス
オ母アサマガダレヨリモスキナ
オ母アサマノ子
ロベエル
手紙はこれだけだった。私はこれでもう河の源まで溯ってしまったのだ。私は突然自分の
私の拳銃はそこに、テーブルの上にのっている、――私はその引金をおこした、――諸君は断じて旧い手紙を読んではいけない!
世間の人は大きな苦悶や悲歎を探し出そうとして、自殺者の生涯をいたずらに