今日から「Ocean の巻」と改めることに致しました。Ocean は申すまでもなく「大洋」のことであります。わざと英語を用いたのは気取ったのではありません。「大洋」とするよりも「海原」とするよりも「わだつみ」と言ってみるよりも、いっそこの方がこの巻にふさわしいような気持がするからであります。従来も「みちりや」と名附けてみたり「ピグミー」を出してみたりするのも、やはり同様で、ことさらに奇を弄 するという次第ではありません。規模が大きいだけに、今後も思いがけない言葉が少しは飛び出すかも知れません。もし、不分明でしたら、不分明のままに飲み下しておいていただきましょう。「誦すべくして解すべからず」とすましておいた方がよろしいと思います。
一
駒井甚三郎と、田山白雲とが、九十九里の浜辺の波打際を、
駒井は軽快な洋装に、
それで二人は、九十九里の浜辺を、或いは轡を並べたり、或いは多少前後したりして、今でいえば午後三時頃の至極穏かな秋晴れの一日を、
天高く馬
「どうです、田山君、この辺の海は」
と、駒井甚三郎が海をながめて、少し
「海岸の風物が一変したら、海そのものまでも別のような感じがします」
と、田山白雲が答えました。
「そうですね、九十九里は全く別世界のような気がしますね、
「左様、
「しかし、この九十九里が
「でも、不思議に飽きません。強烈にわれわれを魅するということはないが、
田山はこう言って、
「風景としてはとにかく、単に海を広く見るという点からいえば、日本中、この辺の海岸に及ぶところはないでしょう。この海を Pacific Ocean と言います、太平洋とか
田山白雲が、それについて言いました、
「事ほど左様に、われわれは世界で最も大きなもの、最も広いものに接していながら、その刺戟というものを少しも感じないのは、不思議といっていいです」
駒井甚三郎が、それを肯定して、
「そうです、何かわれわれに刺戟を感ずるもの、威圧を感ずるもの、窮屈を感ぜしめるものは、偉大なものじゃありません、少なくも広大なものではありません」
「そういえば、そうかも知れないが、そうだとしてみれば、われわれに感激を与うるものは、すべて、そのものの迫小ということを意味するゆえんとなりますね」
「一概に断言もできないが――刺戟の強いものには、あまり偉大なものはないようです」
「といったところで、それでは刺戟のない、感激のないものが、ことごとく偉大だというわけにはゆきますまい、私は感激の無いところに、偉大性は無いように思われてなりません」
「感激というものは、その偉大なるものが、ある
「それは、あるかも知れません」
「たとえば――私は、いつぞや君から、日蓮上人のことを鼓吹せられて、全く新しい世界を見せられたように感じました、そして、私の癖として、一応君から教えられたところを追従して、
「いやはや」
「あれから、僕の研究癖というようなものが
「聞きません――お弟子がお弟子だから、さだめてすばらしい
「なあに、それほどの創見でもなんでもないのだが、日蓮を知る者は、どうしても
「法然――浄土宗の法然上人ですか」
「そうです、法然と、日蓮とは、他人ではありません」
「これは斬新なお説を承ります、古来、法華と門徒とは、仲の悪い標本の大関ものと見立てられていますぜ。末流が、そういうふうに
田山白雲は逆襲気味になりましたが、駒井甚三郎は頓着せず、
「ところが法然と、日蓮とは、切っても切れない親子です、法然は慈愛
田山白雲はようやく不服の色で、
「さすがに研究家だけに、眼の着けどころが違ったものですね、法然と、日蓮が、他人でないということにも恐れ入りましたが、そのまた法然と、日蓮が、血肉を分けた親子だとは驚き入りました。拙者の方は恐れ入ったり、驚き入ったりするだけで文句はないが、それでは浄土宗と、浄土真宗というものから尻が来ましょうぜ。浄土には浄土の法脈があり、ことに真宗の
駒井は、それに就いて言いました、
「だが、何といっても法然あっての日蓮ですよ、法然が、日蓮を産んだということは、途方もない独断に見えるかも知れないが、これは結論を先にして、前提を省いたから君を驚かしたものだろう。ひとつ、順序を追うてみようか。まず……」
田山白雲は、馬上から砂地の滑らかなところを、これに何か描いてやりたいような気持でながめながら、駒井の論法を聞こうとしていると、駒井甚三郎は、前方の海をしきりに見向いて、
「まず、法然と、日蓮とは、地位が違い、性格が違いますね」
「性格の違うのはわかっているが、地位の違うというのは、どう違うのですか」
「生活していた時の、社会的地位とでも言いますかな」
「なるほど」
「法然は、その生ける時代において、最大級の人格を誰にも認められておりましたが、日蓮の社会的地位は比較になりません」
「そうでもないでしょう、あの通り強烈に、時の権威に抗し、一代に活躍した大人物の行為を、誰が認めなかったと言います」
「それは、ある方面を騒がせたり、てこずらせたり、もてあまさしめた強烈なる行動は、その当時の相当の注意を
「どうして」
「法然上人という人は、その生ける時に、知恵第一ということを公認されておりました。この知恵第一というのが正銘の意味で、当時の学界を総べての第一人者であったのです。単にその宗門においての第一の学者というだけではありません、あの時代のあらゆる方面において、
「そうして」
「それから、学者としてでなく、単に社会的地位において、尊敬せられたことも比類がありません。親しく帝王の師となり、
「それは無論です」
と、田山白雲が
「それは無論です、日蓮が朝廷貴紳の
「まだ結論に行っているわけではありません、単に、
二
二人は談論に我を忘れて、九十九里の浜辺に馬を歩ませて行きました。
談論に我を忘れているのは、単にこの二人の上ではない。いったい、この二人が九十九里の浜辺に相並んで馬を歩ませているとはいうが、九十九里も長いのに、どの地点を歩ませているのだか、どちらに向って歩ませているのだか、何を目的にここへ出かけて来たのだか、その辺のことが忘れられている。
二人の歩ませている地点は、蓮沼から富浦の間あたりのことで、行手は飯岡の岬、こし
もう少し大ざっぱな数字でいえば、九十九里を四十七里半あたりのところまで、日本里数の十五里と見れば、七里半あたりのところまで進みつつありながらの、以上の会話であります。
二人の歩ませつつある地点はそうだとしても、二人はまた何用あって、この辺まで遠出をしてしまったものか。
それは一口に房総半島とはいうけれど、駒井の根拠地である
さればこそ、二人のいでたちも、あの辺の海岸を、仕事の上や、興に乗じての散歩で往来するのと違い、立派な旅の用意になっているのが証拠ですけれども、その用向のほどは、
第一、二人がこうして、出立してしまった後のことを考えてみるとよくわかる。
造船所の方は、もはや相当に任せきっても、多少の時日は明けられることに心配ないにしても、その遠見の番所の留守宅というものが気にかかるではないか。
こうして、肝腎の二人が出て来てしまったあとの留守のことを想像すれば、二人とても、そう
清澄の茂太郎は何をしている、岡本兵部の娘も精神状態が心もとないのに、
ともかくも、駒井と、田山と、二人のうちが一人だけ残っていればまだ安心なものを、二人が
マドロス氏がいけなければ、むしろ金椎でも供につれて来る方がよかった――
だが、そんなことまで心配する必要はあるまい。二人ともにこうして
ただ一つ、思われるのは例の茂太郎という
そうして、おのおの談論を交わしながら馬を進めて行くうち、駒井が、ちょっと
さては、また例の
駒井は、早くも馬からヒラリと飛び下りて、波打際に小走りに走って行ったものですから、田山が眼を円くしていると、駒井の拾い取ったのは女軽業の親方でもなければ、ジャガタラ芋の
けだし、日本に於ては、英国人コブランという者が、明治の初年、横浜にビールの醸造所を設けたくらいですから、その以前に入って来ているには相違ない。その道の人は、相当に味を知っているに相違ないから、自然ビール罎なるものも、一部の方面においては、そう珍奇な物ではなかろうが、田山白雲には目新しいものでありました。
本来ならば白雲もずいぶん飲む方ですから、境遇によっては、すでに、もはや
よし、その余裕があったからとて、彼の気性では、
そこで彼は駒井の挙動をも不審なりとし、そのビール罎なるものをも珍しとして、馬上から問いかけました、
「何です、それは」
「西洋酒の罎です」
「イヤに黒い、下品なギヤマンですな」
と、一応は夷狄のものをケナしてみるのも、一つの癖かも知れません。
「西洋酒といっても、そう上等な酒ではありません、といって下等というわけでもないです、上下おしなべて飲みます、ビールというやつで、麦の酒です、
「ははあ、麦の酒ですか、麦の酒じゃ、
と田山が言いました。
それは、ビールというものが、燗をして飲む酒でないということを知って、そう言ったのではありません。
酒というものは本来、米の精であればこそ、これに燗をして、キューッと
「燗をして飲む酒じゃない、このまま飲むのだが、これは無論空罎です。これについて面白い話は、嘉永六年にペルリが浦賀へ来た時分、アメリカの水兵どもがこの中身を飲んで、空罎をポンポン海の中へ捨てたものです、それが、こんなあんばいに海岸に流れつくと、浦賀あたりの役人がそれを見て、あれこそ
と言いながら、駒井は丁寧にこれを拾い、懐紙を抜き出して
「毛唐の飲みからしの
「見給え――この通り、厳重に封がしてあって、口に符号がつけてある」
「それじゃ、まだ中身があるのですか」
「中身といっても酒じゃない、酒は飲んでしまって、その空罎を利用して、中へ合図をつめて海に流したものです」
「ははあ」
「海流の方向を知るために、或いは何か通信の目的で、そうでない時は、単なる好奇心で罎の中へ、何事かの合図、或いは通信文を
「あ、そうですか、つまり、
田山も、好奇心に
駒井甚三郎はナイフを取り出して、流れ罎の口をあけようと試みながら、
「海に関係のある職業の人が、海流を調査するためにこれをやったのか、航海中、船客が戯れに投げ込んだものか、或いは漂流者か、
と言いました。
田山白雲は
「ありましたね」
「ホラ、何か書いてあります」
空罎は下へ投げ捨て、駒井はその紙片をとりのべて見ると、そこに横文字の走り書がある。
最初から駒井は、これは、航海用の事務としてやったものではないと思っていました。
海流調査かなにかのためにやるんならば、もう少し仕事が器用で、事務的に出来ていそうなもの。どうも
しかるに、その現われた紙片の文字が横文字であったものだから、少しばかり案外には思ったが、横文字だからとて、その想像が
駒井は、仔細にその横文字を読んでみると、英語で次の如く認めてあることを発見しました。
It is the great end of government to support power in reverence with the people and to secure the people from the abuse of power; for liberty without obedience is confusion; and obedience without liberty is slavery.
駒井は、これを一通り読んで後に、最後の署名で頭をひねりました。その署名は
だが、いずれにしても、この短い文句は、ウイリアム・ペンなる人の頭脳か、筆蹟かの産物であるに相違ない。或いは、ウイリアム・ペンという人の著作かなにかの中の文章を抜き書したのかも知れないと思いました。
しかし、その当時の駒井は、どうもウイリアム・ペンという著名なる学者著作者の名前を知りませんでした。
そこで、ウイリアムはよく西洋人には見える名だから、ペンというのは筆のことで、つまり、これは「ウイリアム手記」というような記号ではないかとさえ思いました。そんなように考えながら、一通り読み
「ははあ、全部横文字ですね、
と言いながら、半ば好奇、半ばイマイマしさに、それでもまだ負けない気を眼の中に
「予想と違って、海流の調査でもなければ、漂流人の合図でもなし、そうかといって、ジャガタラへかどわかされた婦人が、危急を訴えたという種類のものでもなし――西洋人の船の中で、誰か
「ははあ、何と書いてあるんです。残念だなあ、こればっかりは泥縄では役に立たない、附焼刃では歯が立たない……」
白雲が、
駒井甚三郎は、田山の手から再びその紙片を受取って、英語の発音で、一度スラスラと読んでから、改めて、
「つまり、この短文の意味は、政府の目的というものは、人民と相尊敬し合って権力を行使せねばならぬものだ、権力を
「なるほど」
「これはウイリアム・ペンという人の言った言葉のようですが、そのペンという人が何者か、いま思い当らない」
「毛唐でしょう」
「西洋人には違いないが、イギリス人か、フランス人か、或いはアメリカの人か、どの程度の人か、どうもわからないが、この短文の意味はこれだけで明瞭です」
「そうですね――もう一ぺん、その翻訳をお聞かせ下さい」
「とにかく、馬に乗りましょう」
駒井は右の紙片をかくしにハサんで馬に乗ると、田山もつづいて馬上の人となり、かくて二人は、また以前のように九十九里の浜の波打際を並んで歩み出し、そこで駒井は言いました。
「権力を用うる政府の最大主眼は、人民と
「ははあ、つまり、政府と人民とを対等に見、服従と自由とを、唇歯の関係と見立てたのですな」
「まあ、そんなものです、イギリスか、アメリカあたりの政治家の言いそうなことで、立派な意見です」
「しかし、駒井さん、西洋では、そんな理窟が通るかも知れませんが、日本では駄目ですね」
と白雲が、キッパリと言いました。
「なぜです」
「なぜといったって、政府と人民とが相敬重し合うなんて、そんなことは口で言ったり、筆で書いたりすれば立派かも知れないが、事実、行われるものじゃありません」
「どうしてです」
「人民なんていうものは、
「
「そうですとも。そりゃ一般の程度が進むか、人間がズッとわかっていれば、どこまで尊敬信用してもかまわないが、まだ大多数の人民なんていうやつが、さほどたいしたものじゃありませんからな、やっぱり政府は、力でグングン押していかなけりゃ駄目ですよ。御覧なさい、なんのかんのというけれども、水野越前や、
三
二人は議論を交わしながら、富浦も過ぎ、
しかし、これを裏へ出れば
犬吠に出でると、海岸の風物が、また全く九十九里とは別の
それとは別に、これより先、その銚子の海の一部分、外に向ったところの、俗に
滑稽な事件が出没するというのは、滑稽な事件がまさに起っているのでもなく、現に起りつつあるのでもなく、これから起ろうとするのでもなく、今や盛んに起りつつ、消えつつしているのだから、出没しているというよりほかは、言いようがないと思われます。
それは一個の怪物――頭の毛の赤い、素敵に大きな
その有様が、おのずから珍無類の滑稽になっているのであります。
いったい、滑稽というものは、
また当人も滑稽と思わず、それを滑稽として見るべき
お気の毒なことには、天地間にその滑稽を見て笑い手が無い、まさに滑稽の持腐れ。ここに出没している御当人と、その為しつつあることが、まさにその滑稽の持腐れに似ている。
滑稽の持腐れも、かなり楽な仕事ではないらしい。
化け物なら知らぬこと、人間である以上は、二分間より以上の潜水は至難のことでなければならない。ところがこの滑稽なる出没は、どうかすると二分間以上沈んでは、また浮き上ることもあるから、その
見る人が無い、笑う人が無いから、この滑稽の持腐れは思いきって発揮される!
浮き出す
これぞ前名のウスノロ氏――今や駒井造船所の新食客マドロス君その人であると知った時には、見る人の口が、
これは、ジャガタラ
マドロス君が海の中に出没しているということは、炭焼氏が山の中を徘徊しているのと同じことに、あたりまえのことなのですが、本来、あちらの方の、洲崎の留守役に廻っていることとばかり信じきっていた人が、早くもここに先廻りをしている順序となっているのですから、知らない人は、ちょっと
だが、それとても、有り得べからざることでもなんでもありません、マドロス君が先発して、こちらに来ている――駒井氏と、田山氏が、
しかしながら、天下に有用なものでも、無用なものでも、有るものが発見されないという例はなく、発見せられて、その存在の価値を評価されないという例も、極めて少ないことであります。
せっかく、ここで多量に発揮されていた滑稽の持腐れも、やがては認めらるるの時が来ました。
それは駒井、田山の両氏がここに到着した当然の結果ではありません。無論二人が到着すれば、マドロス氏の演ずる滑稽の、決して単なる滑稽にあらざる
竿と、ビクとを
この二人にとっては、滑稽がまず非常なる驚異として現わされました。二人は、砂へ足を吸いつけられたように突立って、件の怪物を遠目にながめ、次に
恐怖とはいえ、それは青天白日のことではあり、呼べば答えるところに、人間の影もあるという安心から、恐怖の次に逃走とはならず、恐怖に加うるに好奇を以てして、海中を見るの余裕があります。
滑稽といい、真剣といい、驚異といい、好奇といい、また恐怖という、要するに一つのものの異なった見方であります。
これより先、房州の海辺ではお杉のあまっ子が、前世紀の
今や、前にいう通り、青天白日のことであり、勇敢にして、海に慣れた二人の少年は、あの時のお杉のあまっ子ほどには
「何だい、ありゃ」
「
「善さんは、あんなに頭の毛が赤かあねえぞ、それに、もっと
「今、へっこんだから、もう一ぺん見てえろ、出て来るところを見てえろ、善さんだか、そうでねえか、見てえろ」
二人は
それはマドロス氏が、また浮袋を離れて海に没入した瞬間に於て、次の浮揚期間を待つものでしたが、それでも彼等は、怪物とも、化け物とも見ないで――それを村の鮪取りの善さんなるものと比較対照していたが、浮び出でた時は、決して鮪取りの善さんなるものではありません。
それはむしろ、彼等もその通りに期待していたのですが、再び現われた瞬間を見ると、鮪取りの善さんなるものとは、あまりに相違の
「善さんじゃねえ、善さんじゃねえ――大江山のスッテンドウジだ」
かくて二人は、釣竿と、ビクとを宙にして、
この二人の少年は、町の方に向って走りながら、宣伝をはじめました、
「黒灰の浦にスッテンドウジが来ているよ」
それを聞く少年少女らは、恐怖に打たれて耳をそばだてたが、大人連はいっこう取合いません。
「大江山のスッテンドウジが、黒灰の浦に来ているのを見て来たよ、ほんとうに嘘じゃねえんだよ、こうして泳いでいるところを……」
二人の少年は、力を極めて、自分たちの目撃して来たことの真実なることを証明せんとしたが、それらは、少年同士の好奇と、恐怖を催すだけで、大人たちにとっては、訴えれば訴えるほど、
「スッテンドウジは、山にいるもので、海へ来るはずのものじゃねえよ」
けだし、スッテンドウジというのは、大江山の
かくて、少年たちは、好奇より恐怖が多いせいか、行って見ようとはいわず、大人たちはてんで一笑に附して問題にしないから、
榊新田の古陣屋は、高崎藩が、この海岸の守護を承って、千人塚に砲台を築いた時分の
二人の少年が、のぞき込むと、車大工の
「
車大工の東造爺は、けげんな
「え、スッテンドウジが――スッテンドウジが黒灰の浦へ来たって?」
東造爺だけが、少なくもこれだけに受入れてくれたのに、二人が力を得て、
「頭の毛の赤い、眼のこんなにでけえ、絵に描いてある通りだよ!」
「へえ……」
「爺、早く行って見な。行くんなら、鉄砲を持って行ったがいいかも知れねえぜ」
「は、は、は、は」
かわいそうに、せっかくここまで来て、東造爺までがまた一笑に附しはじめました。
少年たちは、見るも無残にしょげ返ったが、それでも、
「は、は、は、は」
と第二笑に附した東造爺は、ほかの者がしたように冷たいものではなく、その中には多分の同情を含んだ
「お前たちが見たというスッテンドウジは違うよ、
「
「は、は、は、お前たちが黒灰の浦で見たというのは、髪の毛の紅い、眼のでっけえ、海ん中に浮袋を持って、浮いたり沈んだりしていた奴だろう。あれは、スッテンドウジじゃねえのさ、おらが家のお客様だよ」
「え、お
「そうさ、もうやがて、ここへ帰って来るから見てえろ」
「
「違うよ、全く別のお客様だよ」
「そうか、ほんとうにお前んちのお客様かえ。でも、大江山のスッテンドウジにそっくりだったぜ。お前んちにあんなお客様が、どこから来ていたんだ」
その時、真向うの畑道から、問題のスッテンドウジが抜からぬ
四
来て見れば、これは極めて
浮袋を片手にさげ、多分重しにつけて海へ沈んだものだろうと思われる鉄の玉を下へ置いたマドロス氏は、炉辺に有合せの
恐怖から解かれて、好奇ばかりになった子供たちは、あとを
「ハウ、ハウ」
と、妙な叫びを立てました。
そこで、何をするかと見てあれば、マドロス君は
口もとまで来る時分、何をするのかと心配して見ている子供らは、毛唐人がそれを一息にグッと飲んでしまったものだから、驚嘆の叫びを立てないわけにはゆきません。この子供たちのあいた口がふさがらない先に、またも一方の乳房をとらえて、しぼりにかかりました。
この勢いでは、この牝牛の乳をみんな絞って、みんな飲んでしまうかも知れない、牛の子の飲むべき乳を――人間が横取りして飲んでしまうなんて、なるほど、毛唐というものは随分ひでえことをするなあ――という表情が、子供たちの
それで多分、渇きが止ったのでしょう、
幸いに、ここは町並を少し離れたところでしたから、わいわい
マドロス氏は、そこで
この時分になって、スッテンドウジの宣伝が
門の外で
その時分、日もようやく傾きはじめて、海の方へ落ちた余光が、あざやかに、この古陣屋の屋根の上の兵隊草をまで照らして来ました。
陣屋の中では、車大工とその数人の弟子たちであろうところの者が、静まり返って仕事をしている時分、門の外に
「そら、お役人様が来たぞ」
「お役人様じゃ
二騎
こんな面ぶれが相前後して、こんなところへ事々しく集まって来たという理由は、ふとした聞きかけが最初でありました。
これより先、駒井甚三郎が、このたびの造船に当って、何物よりも苦心しているのは、蒸気機関の製造であったことは、前に申した通りです。
他の部分は、ほとんど完全に設計が出来、順調に工事も進行し、大砲の
これは、その当時の日本としては、全く不可能のことであり、駒井が不可能ならば、無論、日本の国のどこへ持って行っても、可能のはずがないことは、何人よりも、当人自身が熟知しているところです。
最初の計画は、必ずしも、機関を要せずとも、
そこで無謀に近い熱度を以て、駒井が自身その製作――というよりは、創造よりも困難に近い仕事に当ろうと決心したのは、一日の故ではありません。
彼は、これがために、この忙しい間を、石川島の造船所へ行ったり、相州の横須賀まで見学に出かけたりしましたが、駒井が時めいている時ならばとにかく、今の地位ではその見学も思うように自由が
とはいえ、こればかりは、いかに駒井の優秀な頭脳を以てしても、一年や半年の間に
かく
それは、この銚子の浜のうちの「クロバエ」という浦へ、先年、ある国の密猟船が吹きつけられて来て、そのなかの一隻が破壊して、海の中へ沈んでしまった。乗組は、ほとんど仲間の船に救助されたが、船のみは
その
そうして、このことを語り出でたマドロス君の言い分が、でたらめのホラでないことは、その言語挙動の着実が証明する。
おそらく、この先生も、当時その密猟船のうちの一つに乗っていて、親しく遭難の一人であったのか、そうでなければ他船にいて、実際、その船の沈むまでを見ていたものとしか思われないくらいの話ぶりでありました。
さほどの船を沈めっぱなしで、
これを聞くと駒井は、天の与えの如き感興に
その結果が、ここに、右の密猟船の引揚作業を
来て見れば、高崎藩の旧陣屋を利用した引揚事務所と、その準備とは、自分があらかじめ指図をしておいたのにより、
水練に妙を得たマドロス君は、先発して、黒灰の浦の船の沈んだ海面を日毎に出没して、たしかに当りをつけてしまった。
設備さえ完全すれば、船全体を引きあげることも、必ずしも不可能ではないようなことを言う。また潜水夫の熟練なのさえあれば、補助機関だけを取外して持って来るのも、難事ではないようなことを言う。
しかし、事実はそれほど簡単にゆくかどうか、駒井も決して軽々しくは見ず、引揚げに要する、この附近で集め得らるる限りの人員と、器具とを用意して、黒灰の浦に集め、海岸に幕を張って事務所を移したのは、到着のその翌々日のことでありました。
その日になると、黒灰の浦は町の立ったように
もちろん、これだけの仕事を、人目に立たないようにやるわけにはゆきません。
すでに人目を避けずにやるということになれば、浦と、港と、
何も知らぬ
そう思うのも無理はありません、かりそめにも、これだけの工事が、一私人の力でできるはずはないのですから。もし、有力な一私人の力でやるならば、官辺の十分なる諒解を得た後でなければ、かかれないはずです。
この点において、駒井甚三郎の準備に、抜かるところは無いか?
それがあった日には、工事半ばで、たとえ目的の機関を半分まで引揚げたところで、また陸上まで
駒井ほどの男が、あらかじめ、その辺の如才がないということはあるまい、ここを管轄するところの領主とか、代官とかに、相当の諒解を得た後でなければ、これはやれまい。
果して、工事に着手すると共に、海岸は町の立ったような人出になり、
どうかすると、役人らしいのが、姿を見せることもあるが、それはむしろ引揚工事の方へは近寄らないで、見物に来る民衆に間違いのないように、世話を焼いているくらいのものですから、泰平無事です。
駒井甚三郎は、例の軽快な洋装で、自ら陣頭に立って、まず引揚機具の取調べから、人員の手わけを指図しました。
引揚機具といっても、そう完全なものがあるはずはなく、従来の漁具、船具を、うまく利用応用したのと、多少の意匠を以て新調した程度のもので、人員は皆、多くは浜辺の漁師連であります。
次に潜水に得意なもの数名を
必ずしも船全体を引揚げるのが目的ではなく、機関の一部を取外して持ち出しさえすれば、目的は達するのだが、しかし場合によっては、船全体をある程度まで浮かせることの方が、内部へ潜入して、機関の一部を持ち出すよりも容易なこともある。
まずマドロス君を先陣として、一応、海をくぐって、その勝手を見届けて来るということが、彼等の第一の使命でありました。
これらの潜水夫は、おのおのこの浜辺において名誉のものであるのみならず、どうも、この浦ではあまり見かけない、房州の南端あたりから連れて来たものであろうと思わるる
これらの
浜辺では、今、幾カ所も盛んに火を
一方には、その炎々と燃える焚火の中へ、しきりに小石を投入して焼き立てている者もある。
五
これより先、
これも役人は役人だが、ただの役人ではない。軽装して、測量機械を携え、日の丸の旗を押立てたところを見ると、どうしてもこれは幕府の軍艦奉行の手であるらしい。
この一行は、しかるべき
ところで、とある小高い岩の上へ来て、組頭の一人が遠眼鏡をかざした時に、黒灰浦の引揚作業の大景気を眼前に見ました。
それは肉眼でも見えるほどの距離を、かねて地勢をそらんじているところではあるし、その群集と、群集の中での作業、これから何事に取りかかろうとするのだか、職掌柄それを眼下に見て取ってしまったから、組頭の顔の色が変りました。
不興極まる
「おい、あれは何だ」
と一人に言いました。
「左様でござります」
部下の一人は、一応その人だかりの方をながめてから恐る恐る、
「高崎藩の手の者が、黒船を引揚げるといって騒いでおりました」
「ナニ、高崎藩で黒船を引揚げる?」
「左様でございます、先年、あの黒灰浦に、多分オロシャのであろうところの密猟船が吹きつけられて、
「
組頭は最初から機嫌を損じておりましたが、いよいよ
「よく見て来給え、何の目的でああいうことをやり出したのか、
この命令の下に、早くも軽快なのが二人、飛び出して行きました。
組頭が不興な色を見せるのみならず、一隊の者が残らずそれに共鳴して、岩角の上から黒灰の浦を
けだし、これらの人々の不快は、自分たちが幕府の軍艦奉行の配下として、この近海に出張している際において、自分たちに一応の交渉もなくして、海の事に従事するというのは、たとえ高崎藩であろうとも、佐倉藩であろうとも、生意気千万である。
ことに自分たちの奉行は、当時海のことにかけては、誰も指をさす者のない
そこで軍艦奉行の連中が、自分たちの首領の威光を無視され、自分たちの権限をおかされでもしたように、腹立たしく思い出したものと見える。
かくて、彼等は測量のことも
もとより、眼と鼻の間の出来事とはいえ、使者となった以上は、実際も検分し、且つ、先方の言い分をも相当に傾聴して帰らぬことには、役目が立たないものもあろう。しかし、こちらは視察よりは、むしろ問責の使をやったつもりですから、返答ぶりの遅いのに、いよいよ
「ちぇッ、
いらだちきった組頭は、この上は、自身
そこで組頭は、再び気をしずめて遠眼鏡を取り直して、その旗印をながめたが
旗の揚ったことは組頭が認めたのみではなく、配下の者がみな認めたけれど、その旗印の何物であるかは、遠眼鏡のみがよく示します。
上州高崎松平家か、その系統を引くこの地の領主
そこで組頭は、またも配下の一人に遠眼鏡を渡しながら、
「あの旗印はありゃ何だ、君ひとつ、よく見当をつけてくれ給え」
「なるほど」
それを受取った配下の一人が、しきりに考えこんでいると、組頭が、
「高崎の紋ではないじゃないか」
「仰せの通りでございます、丸に立波のように見えますが」
「その通りだ、拙者の見たのも丸に立波としか見えない、が、丸に立波はどこだ」
「左様でございます」
彼等残らずが一つの旗印を見つめて、不審の色を、いよいよ濃くしてしまいました。
最初には掲揚されていなかった旗じるし、多分時間から言ってみると、これはさいぜん、詰問にやった配下の者の交渉の結果であろう、その交渉の結果、彼等はこの旗印を掲揚することになったと思われるが、掲げられてみるとこちらからは、それがいっそう不可解の旗印となって現われてしまいました。高崎松平も、大多喜松平も、どう間違っても、丸に立波の紋を掲げるはずはないのだから、ここで
つまり、何藩にあれ、何人にあれ、われわれ幕府の軍艦奉行の手の者をさし置いて、その面前で沈没船引揚作業を行うというのが、軍艦奉行というものを無視しているし、ことに当時の軍艦奉行が凡物ならとにかく、日本全国に向って名声の存するところの、勝安房守というものの威光にも関するという腹があったのだから、安からぬことに思い、親しく出張して、一つには
この一隊は、測量をそっちのけにして、勢いこんで浜辺を進みました。
この勢いで、高崎藩の陣屋へ
「どうした、エ、何をしていたのだ君たちは」
組頭は、充分の怒気を頭からあびせかけると、二人の使者は、さっぱり張合いがなく、
「いやどうも、少々とまどいを致して、力抜けの
彼等は旗印を指さしたが、その旗印こそ不審千万なので――そこで追いかけて彼等が説明していうことには、
「御覧下さい――あれはお勘定奉行の
それを聞いて、組頭の面の上に、かなり
「ははあ……」
これも拍子抜けの
その旗印が小栗上野介の定紋であるのみならず、なお奇怪にも聞えるのは、その旗印の下に仕事をしているのが、以前の甲府勤番支配駒井能登守らしいと言われて、彼等は夢を見たように、ぼんやりと考えさせられてしまいました。
小栗を知るほどの者は、駒井を知らないはずはなかろうと思われる。
しかし、小栗が隆々として、一代の権勢にいるのに、駒井は失脚以来、その生死すらも疑われている。七十五日は過ぎたが、その人の
さては没落と見せたのは表面で、内々は小栗上野介と謀を通じて、隠れたる働きをしていたのか、油断がならない――と軍艦奉行の組頭が、この時はじめて恐怖を催しました。
軍艦奉行の威勢も、勘定奉行の権勢にはかなわない。
さすが勝安房守の名声も、小栗上野介の旗印の前には歯が立たないということを、この時の賢明なる軍艦奉行配下の組頭が心得ていたのでしょう。
高崎藩ならば、大多喜藩ならば、一番おどかしてもくれようと意気込んで来た一隊が、急に
「ははあ、ではやむを得ないところ」
旗を巻いて、進軍の歩調が、すっかり
ほどなくこの一隊は、君ヶ浜方面に向って、なにくわぬ
一方、引揚作業の方面では、十分に焚火で身をあぶった海人海女が介添船に乗る。
駒井甚三郎は、別に一隻の小舟に、従者一人と例のマドロスとを打ちのせて――そのいずれの船にも丸に立波の旗印が立っている。
この作業にあたって、駒井が最初から、勘定奉行の小栗上野介の
そうでもなければ、こうして白昼大胆に、こんな作業が行われるはずはない。そうして、小栗と駒井との関係は、特にこの機縁だけで結ばれたものではあるまい。
駒井は
相州の横須賀に、幕府の造船所が出来たのは昨年のこと。
相州横須賀の造船所が、主として小栗上野の方寸に出でたものであることは申すまでもない。
横須賀の造船所がしかるのみならず、講武所も、兵学伝習所も、開成所も、海軍所も、幕府の新しい軍事外交の設備、一として小栗の力に待たぬものはない。
駒井も、旗本としては小栗と同格であり、その新知識を求むるに急なる点から言っても、どうしても、相当に相許すところがなければならないはずになっている。
駒井が洲崎から、しばしば横須賀に往復する時分、ある幕府の要路の、非常に権威の高い人が、微行で洲崎の造船所へ来たことがあると、働く人が言っている。
その人品骨柄を聞いてみると、それが小栗上野であったようにも思われる。
六
小栗上野介の名は、徳川幕府の終りに於ては、
事実に於て、この人ほど維新前後の日本の歴史に重大関係を持っている人はありません。
それが忘れられ過ぎるほど忘れられているのは、西郷と、勝との名が、急に光り出したせいのみではありません。
江戸城譲渡しという大詰が、薩摩の西郷隆盛という千両役者と、江戸の勝安房という松助以上の
歴史というものは、その当座は皆、勝利者側の歴史であります。
勝利者側の宣伝によって、歴史と、人物とが、一時
そこで、あの一幕だけ
舞台の廻し方が、正当(或いは逆転)に行くならば、あの時、西郷を向うに廻して当面に立つ役者は、勝でなくて小栗でありました。単に西郷とはいわず、いわゆる、維新の勢力の全部を向うに廻して立つ役者が、
小栗上野介は、当時の幕府の主戦論者の中心であって、この点は、豊臣家における石田三成と同一の地位であります。
ただ三成は、
ですから、石田三成に
徳川の天下になってから、石田は、一にも二にも悪人にされてしまっているが、明治の世になって、小栗の名の
小栗上野介が、自身、天下を望むというような野心家でなかったことは確かとして、そうして彼はまた、幕府の保守側を代表する、
小栗は、一面に於て最もすぐれたる進歩主義者であり、且つ、少しの間ではあったが、これを実行するの手腕と、地位とを、十分に与えられておりました。
彼が最初――新見、村垣らの幕府の使節と共に米国に渡ったのは僅かに二十余歳の時でありました。或いは三十余歳。しかも、この二十余歳の青年
ほどなく勘定奉行の地位を得、またほどなく財政の鍵を握って、陸海軍の事を
勝でも、大久保でも、その手足に過ぎないし、講武所も、兵学所も、開成所も、海軍所も、軍艦の事も、火薬の事も、造船の事も、徴兵も、郵便も、今日まで功績を残している基礎に於て、彼の創案になり、意匠に出でぬというもののないこと再論するまでもない。
その人となりを聞いてみると、酒を
小栗上野介が、単に人物として日本の歴史上に、どれだけの大きさを有するか、それは成功せしめてみた上でないと、ちょっと論断を立て兼ねるが――少なくとも、明治維新前後に於ては、軍事と、外交と、財政とに於て、彼と並び立ち得るものは、一人も無かったということは事実であります。
この人が、徳川幕府の中心に立って、朝廷に
長州の大村益次郎が、維新の後になって、小栗の立てた策戦計画を見て舌を捲いて、これが実行されたら薩長その他の新勢力は
かくありてこそ、大村の大村たる価値がわかる。西郷などは、この点に於ては、
小栗の立てた策戦は、第一、聯合軍をして、箱根を越えしめてこれを討つということ、第二、幕府の優秀なる海軍を以て、駿河湾より薩長軍を砲撃して、その連絡を
聯合軍には海軍らしい海軍は無いのに、幕府の海軍は新鋭無比なるものである――そうして、その財政と、軍費に至っては、小栗に成案があったはずである。
かくて小栗は十分の自信を以て、これを将軍に進言、というより
形勢を逆に観察してみると、最も興味のありそうな場面が、幕末と、明治初頭に於て、二つはあります。
その一つは、右の時、小栗をして志を得せしめてみたら、日本は、どうなるということ。
もう一つは、
この答案は、通俗の予想とは、ほとんど反対な現象として現われて来たかも知れない。
右の時、小栗を成功せしめても、世は再び徳川幕府の全盛となりはしない。
もうあの時は徳川の大政奉還は出来ていたし、小栗の頭は、とうに郡県制施行にきまっていたし、よしまた、ドレほど小栗が成功したからとて、彼は勢いに乗じて、
これに反して、明治十年の時に西郷をして成功せしむれば、必ず西郷幕府が出来る。
西郷自身にその意志が無いとしても、その時の形勢は、明治維新を、僅かに建武中興の程度に止めてしまい、西郷隆盛を、
西郷は自身、尊氏にはならないまでも、尊氏に祭り上げられるだけの器度(?)はあった。小栗にはそれが無い。
すべて歴史に登場する人物というものは、運命という黒幕の作者がいて、みなわりふられた役だけを済まして引込むのに過ぎないが、西郷は、逆賊となっても
時勢が、小栗の英才を犠牲とし、維新前後の多少の混乱を予期しても、ここは新勢力にやらした方が、更始一新のためによろしいと
七
駒井甚三郎は最初の日の偵察によって、この海に沈んでいるところの船について、大体、次のような知識を得ました。
船の大きさは日本の千石――あちらの百トン程度のものであること。
機関室が船の中央になくして前部にあること。特にその機関が――旧式の外輪でなくして、スクリューによるものであることは、駒井をして非常に驚喜せしめました。
マドロスがサヴァンナ式といったのは何かの間違いだろう。
それと同時に、駒井の首を傾けさせたのは、この船が密猟船だとは言い条、内部には、漁具や漁獲物がわりあいに少なくして、武器や食糧の類が比較的に多く積込まれているらしいことです。
海賊同様の密猟船でありながら、軽小とはいえ
そんなことは、どうでもよいとして、まず何よりも螺旋式の機関を持っているということが、この上もない掘出し物――引揚げ物だと、駒井の心を勇み立たせました。
こうして第一日は、輪廓と、内容の要部の偵察を遂げ、明日よりは細部にわたり、全部の引揚げが可能か、一部分の取りこぼちが有利かに向って、精細なる実地検分を遂げしめようとしている時に、一つの故障が持ち込まれました。
この故障というのは、もとより官辺から来たのではない、官辺は上に述べたる如き
さらばこの附近の漁民たちが、営業の妨害を
漁民のうちには、喜んで作業の
さらば内部の作業員に多分の病人でも出来たのか、
そんなはずもない、彼等はそれぞれ適度に仕事をして、一同みな焚火にあたりながら元気よく談笑している。第一ここでは、「水を
たとえば、男子の潜水の最大限度が、かりに三分間だとすると、女には五分間もつづく者がある、というようなことを是認しているらしいから、競争心の起りようはずもない。つまり外房の方から、優秀な
そんなようなわけで、内外共に和気すこぶる
それはまず、浦の坊さんたちから故障が起りました。
難船を引揚げるからには、難にあってさまよう霊魂のために、一片の
それについで第二の故障は、神主さんたちから出ました。
とつくにのふねの、わがわたつみにしずめるをなん、すくわんとするには、たなつもの、はたつものそなえて、かみはらいにはらいまつりて――後、その作業にかかるが礼儀だと申し出がありました。
この二つの故障は、駒井甚三郎が言下に受入れて、では作業の第二日を全部、難船の
その翌日、急ごしらえにしては、
近所の坊さんという坊さんはみんな集まり、神主様という神主様もみんな集まって、読経と、祈祷とに、最も念を入れ、かなり多大なりと覚しいお
そのあとで
そこで、すべてが大満足で、浦々が湧くような陽気になり、その日一日は全くお祭礼気分で、浦を挙げてのこの大陽気である中に、到るところで人気を博して歩いているのは、例のマドロス君です。
マドロス君は酔っぱらっているのだか、酔っぱらっていないのだか知らないが、その
坊さんの中へも交れば、神主さんとも握手を試みようとし、また婆さん連の中へ不意に
ことに言葉がわからないところに、多少の
とうとう、この勢いで、素人相撲に飛入りとして現われた時は、やんや、やんやの喝采が暫くは
ところが、この人気力士が土俵に上ると、意外な離れ
この浦にも、
ほとんど相撲になるのは一人もないような負けぶりでしたから、浦の漁師連のうちにも一種の
あんまり、
この分では総勢撫斬りであろう、余興とは言いながら、
その雲行きを、笑いながら見ていた田山白雲が、やがて今や登場の一力士に近寄って耳打ちをして、腰と手を以て、取り口を指南したのを、マドロスが遠目で見て、
「田山サン、ズルイ」
と叫びました。
田山の指南の結果、その力士は、立合うと、マドロスの最初の一撃を左の腕で受留めると、そのまま組みついて、腰投げに行ったのが見事にきまり、ここにはじめて常勝将軍に土がついたものですから、浦もくずれるばかりの大喝采です。
マドロスの、田山白雲を
かく、すべてが大陽気である間、田山白雲は、駒井甚三郎に向って、この引揚作業が、おおよそ何日を要するかを尋ねると、十日の予定、遅くとも十五日――とのことでしたから、その間を水郷に遊ぶべく、単身この浦を出でたのは、
八
その日の夕方、清澄の茂太郎は、
その辺まではわきめもふらずに上って来たが、ここで歩みをゆるやかにしたものですから、呼吸もやや平調になったのでしょう。ブレスが正しくなったために、歌をうたいたくなったのだか、何か歌いたくなったものだから、それでブレスの加減をする気になったのか……
とにかく、茂太郎の足がゆるやかになると共に、
一つとや――
人も通らぬ山道を
誰かさんと
誰かさんが……
せっかくのことに、勢いこんで歌い出したのに、急に息がつまったもののように人も通らぬ山道を
誰かさんと
誰かさんが……
「弁信さん、だまっといでよ」
弁信は、なにかにつけて茂太郎の即興歌に、干渉したものです。
それは茂太郎の出まかせの即興が、たとえ純然たる無邪気を以て発せらるるにせよ、内容を無視した形式だけの肉声で、その歌詞が往々飛んでもないところへ
「
ここには、無論、その弁信はおりません。
それは中止したけれど、茂太郎のブレスがこの時は、もう歌をうたうようになっていたのですから――そこで直ちに出直して、
二人行けど
行き過ぎ難き
秋山を
いかでか
君が
独 り越ゆらん
ゆっくりと、うらさびしく歌い出しました。これならどこからも干渉の行き過ぎ難き
秋山を
いかでか
君が
しかし干渉は来らないが、感傷の起るのはぜひもないと見えて、茂太郎は
二人行けど
行き過ぎ難き
山道を
いかでか
君が
独り越ゆらん
二度目の歌では字句に少しの変化がありましたけれど、調子にはさのみ変りはありません。行き過ぎ難き
山道を
いかでか
君が
独り越ゆらん
歌いきった後、
いかでか君が独り越ゆらん――
これを茂太郎は折返しました。聞くに堪えんや陽関三畳の
クマニセントー通る時ゃ
前から鉄砲でドカドカと
あとからラッパで責めかける
今年ゃ何で苦労する
皆、天朝さんのかかり
軍歌のつもりかも知れません。これを進軍の歩調に合わせて、ホイチニといわぬばかりの勢いで、一気に、房総第一の高山の頂上までのぼりつめてしまいました。前から鉄砲でドカドカと
あとからラッパで責めかける
今年ゃ何で苦労する
皆、天朝さんのかかり
房総第一の高山の頂上に立った清澄の茂太郎は、この時、日が全く落ち、親しい星がかがやきはじめ、落日の遠く
清澄の茂太郎は、房総第一の高山の上に立って、煙波浩渺として暮れゆく海をながめて、
生物の間に、沈黙の世界というものは無いようです。
万物がみな歌う、茂太郎が黙っていられるはずがない。明けるにつけ、暮れるにつけ、歌無くしてやむべきものではありません。
さりとて、茂太郎のが厳密にいって、歌であるかどうかは
そうかといって、彼の口を
要するに、彼が歌うの歌詞そのものは
「そうら、この
この子は、
そうでなければ、駒井甚三郎が読む外国の本の口うつしを、うろ覚えにしておいて、それを、ここでそっくり反芻しているのかも知れない。
だが、いずれにしても、模倣というほどに邪気のあるものでなく、焼直しというほどに
「皆さん、御承知の通り、高慢、罪悪、恋の
この時、頭の上で、大きな鳥の輪を描くのを認めたものですから、清澄の茂太郎は、急にたわごとをやめて、
「あ、ありゃアルバトロスだ」
地上へ
もう少し近い空を飛んでいたなら、口笛を吹いてでも呼びとめてみようものを、あの高さでは、自分の魅力も及ばないものと思いあきらめたらしく、
「アルバトロスに違いない」
うらめしそうに、夕暮の空に消えて行く大きな鳥の、白い翼を見送っています。
その見慣れない鳥を、アルバトロスというような名で呼びかけた茂太郎の知識は、駒井甚三郎から出たのではあるまい。多分、例のマドロスが、折に触れては航海話をして聞かせているうち、幾度かその名が出るものだから、海の上を飛ぶ大きな鳥さえ見れば、この子はこのごろ、アルバトロスと呼んでみたくなるのらしい。
事実上、海洋と、孤島とを
見ているうちに、その姿も消えてしまいました。
そこで、茂太郎は、急に手持無沙汰の感じで、さいぜんの続きであろうところのたわごとをうたい出しました、
「諸君、フムベールはイカサマですぞ。かれは権力を得ることができなかったために、民衆に結ぼうとしました。その民衆も
茂太郎とても、興に乗じてはあえて弁信に譲らない
しかしながら、いくら長く
だが、こうして、聞く人もないところの空気を、茂太郎がしきりにかき廻しているのを、不意に惑乱せしめた動物があるのも皮肉じゃありませんか。
「やあ、牛――お前、いつのまに来ていたの」
茂太郎は一時びっくりしてみただけで、その後はあえて驚きません。尋常ならば、たとえ牛であっても、こんな際に、房総第一の高山の上で、人っ子ひとりいないと信じていたところへ、不意にのっそりと現われて、体をこすりつけられるようなことをされては、大抵の子供は
こすりつける牛の首筋を、可愛がって撫でてやりました。
そうすると、今までは多少遠慮の気味でこすりつけていた牛が、もう
物と物との間には、どうしても、身も魂も入れ上げて好きになれるものもあれば、
清澄の茂太郎が、物に好かれる性質を、先天的に、極めて多量に持ち合わせて生れたことは申すまでもありません。ただそれを多量に持ち過ぎていることが、彼を苦しめたこと幾度か知れません。
都会にあって、見世物に出されて、人気を占めていた時は、多くの婦人が、貴婦人といわるべきものまでが、彼の
「おや、お前はチュガ公じゃないか、ああ、チュガ公だね、チュガ公……」
茂太郎に驚喜の色があります。
九
チュガ公と呼ばれて仔牛は、前足をトントンと二つばかり鳴らし、クフンクフンと甘えるような息づかいをする。
「ああ、ほんとうにチュガ公だ。お前、久しく逢わなかったね、お父さんも、お母さんも達者かい」
そう聞かれて牛は、またクフンクフンと鼻を鳴らし、
「お父さんも、お母さんも達者だろう、なぜ、お前、今時分、ひとりで、こんなところへ来たの、みんなが心配するだろう、お父さんやお母さんも心配するだろう、牧場の番兵さんも心配するよ――ひとり歩きをするものじゃない」
茂太郎は、この場合、仔牛に向って大人びた意見を試みたが、父母
父母
駒井甚三郎も、田山白雲も、マドロス君も出て行ったあとの
ここを房総第一の高山だと思って上って来たわけではないが、もうこれより上へのぼるところはないからここで止まったのだ。上へのぼるところがありさえすれば、雲の上へでも、空の上へでも、登ってしまったかも知れない。しかし、ここまででさえ上って来て見れば、鹿野山よりも、
本来、こんな高い所へ登ろうと
牛に向って教訓を試みたことによって、はじめて我が身に反省することを知り、わが身に反省してみると、
「ああ、そうだ、そうだ、お嬢さんが待っている、あたしも早く帰らないと悪い――」
茂太郎に父母はいないらしいが、彼の身を心配する人が無いというはずはない。
兵部の娘が心配する。そこで茂太郎は、
「さあ帰ろう、牧場では、きっとお前を探している、あたいだって、誰か探しているかも知れないが、あたいの方は、今日はじめてじゃないんだから……」
全く茂太郎の脱走は、今にはじまったことではないから、心配する方にも覚えがある。仔牛の方はそうはゆくまい。熊か、狼にでも食われたか、
「お前を
茂太郎は、仔牛の頭を
房総第一の高山を下ると、そこに柱木の牧場があります。
仔牛を送って、柱木の牧場まで来た清澄の茂太郎、
「番兵さん、チュガ公を連れて来たぜ」
「チュガ公を……そういうお前は、芳浜の茂坊じゃねえか」
牧場は、軍隊組織になっているわけではないが、この番人は、陸軍の古服でも払い下げたものか、いつも古い軍服を着ているものだから、茂太郎は、番兵さんの名を以て呼んで、その本名を知らない。
その番兵さんは、チュガ公の帰来を喜ぶよりは、茂太郎の現出に少なからぬ驚異を感じているもののようです。
「番兵さん、チュガ公もずいぶん大きくなったものだねえ、まるで見違えてしまったよ、それでも直ぐわかったよ」
「茂坊、お前もずいぶん珍しいことじゃないか、今までどこに何をしていたえ」
「三年目だねえ」
「そうだなあ、三年目だなあ」
「三年前の
といって、茂太郎は牛小屋の中を、まぶしそうに見入ります。
三年前の
番兵さんが産婆役をして、茂太郎が介添役となって、かくて安々と玉のような牛の子が、夜這星の
「番兵さん、名前を何とつけてやろうか知ら。チュガ公はどうだね、チュガ公とつけたらどんなもんだろう」
「よかろうね、なんでも名は、呼びいいのがいい」
そこで即座に、チュガ公の名が選定されてしまいました。
その後、茂太郎去って後も、多分その名で呼ばれ通して来たのでしょう。畜生の身としても、その産婆役と、名附親とを忘れてよいものか。
「チュガ公が、このごろお前、だまって出歩きをするようになっていけねえんだ」
「どうして」
「どうしてったって、お前、お
「え、チュガ公のお母あは死んだのかい、番兵さん」
「ああ、惜しいことをしたよ、この春ね」
「ええ、だから、お父さんも、お母さんも達者かと聞いてみたんだのに、どうして死んだの、病気でかい」
「いや、病気で死んだんじゃねえんだ、乳を取られに江戸へ連れて行かれて、それっきり帰って来ねえんだ、いや帰してくれねえんだから、多分……」
「そんならチュガ公のお母さんは江戸にいるだろう、江戸にいれば死んだときまりはしまい」
「ところがね、江戸へ連れて行かれて帰されなけりゃ、たいてい運命の程はきまっているよ」
「どうきまっているの」
「つぶされて、食べられたのさ」
「誰に……」
「誰に食べられたか知れねえが、人間に食べられてしまったのさ」
「憎い人間だなあ、誰があの牛を食やがったんだ」
「御用だから、仕方がないよ」
チュガ公の母親が、乳を取られに江戸へ引いて行かれて、そのまま帰されないのは、乳だけの御用では済まなかった証拠である、と言って、その他の多くを語らない。
それと同時にこのチュガ公が、フラフラ歩きをするようになったのだ、と語り聞かされました。
十
夕飯前、茂太郎は、番兵さんについて、牧場の中を一めぐりして歩きました。
茂太郎のおなじみは、チュガ公のみではありません。
チュガ公は、名附親としての浅からぬ
茂太郎は、そのいずれに対しても、これをいたわり、愛するの意志を示しました。人間ならば歓呼の声を挙げ、挨拶と、握手とに忙殺されるところでしょう。
かく、牧場の牛と馬とに愛せられたのみならず、数頭の番犬までが、祝砲でも放つかの如く、高く
その中で、茂太郎が特別の興味を以て見たことの一つは、牛が、鹿の子に乳を飲ませて養っていることであります。
番兵さんの話によると、多分猟師に追われたものだろう、一頭の子鹿がこの牧場へ逃げこんだのを、そのまま一頭の乳牛にあてがって置くと、それがわが子と同様に乳を与え、鹿の子もまた、牛を母としてあえてあやしまないで毎日暮しているとのこと。
それを聞いて茂太郎が、不意に妙なことを、番兵さんに向ってたずねました。それは、
「番兵さん、ここへオットセイは来ないかい、オットセイは」
番兵さんが
「オットセイは来ないよ、オットセイの来べきところでもなかりそうだ」
「そんならいいが番兵さん、もしオットセイが来たら、殺さないようにして帰しておやり、子供がかわいそうだから」
番兵さんは、茂太郎の申し出を奇怪なりと感じないわけにはゆきません。
この際、特にオットセイを持ち出して来るのが意外なのに、そのオットセイに親類でもあるかの如く、
「鹿の子でも、オットセイでも、来れば
「いいえ、違います」
茂太郎は、オットセイの知識については、何か相当の権威を持っていると見えて、首を左右に振って、番兵さんの言葉をうけがわず、
「違いますよ、オットセイはお魚じゃありません、
「そうか知ら」
オットセイについて、茂太郎よりも知識の薄弱らしい番兵さんは、勢い、茂太郎のいうところに追従しないわけにはゆきません。事実、オットセイは海にいるということは聞いているが、それが魚類であるか、獣類であるかを、決定的に回答のできるほどの知識を持っていないからです。
やや得意になった茂太郎は、
「海にいたって、オットセイは魚じゃないんだ。鯨だってお前、番兵さん、鯨だってありゃお魚じゃないんだよ、山にすむ獣と同じ種類の動物なんですから」
「え……」
番兵さんが眼をまるくして、今度はうけがいませんでした。
「
オットセイについては、自分の知識の不明な点から、圧倒的に茂太郎の言い分に追従せしめられた形でしたが、鯨が魚でないなんぞと言い出された時に、番兵さんがうけがいません。のみならず冷笑気分になって、
「熊の浦で、鯨の捕れたなんて話はあるが、木曾の山の中に、鯨が泳いでいたなんという話は聞かねえ」
木曾の山を二度まで引合いに出しました。そこで茂太郎も応酬しないわけにはゆきません。
「でも、学者がそいったよ」
この場合、茂太郎は、自分を当面に出さないで、学者を
「学者? ドコの学者が、鯨が魚でないなんていう学者は、唐人の寝言だろう」
「でも、立派な学者がそいったよ」
茂太郎は、どこまでも学者を
「ばかばかしいよ、学者が言おうと、誰が言おうと、そんなことを本当にする奴があるものか、論より証拠、まだ鯨の本物を見ないんだろう」
「ああ、見ないけれど、立派な学者がそう言うから」
「立派な学者もヘチマもあるものか、本物を一目見りゃわかることだよ、百聞は一見に
今度は番兵さんが得意になりました。
茂太郎がいかに大学者を引合いに出そうとも、現に見ていることより強味はない。自分は幾度も鯨の本物を本場で見ている――という
「マドロス君もそいったよ、鯨は魚じゃないんだって」
「お前がだまされてるんだよ、からかわれてるんだよ。もう、そんな話はおよし、鹿の子もそんな話は聞くのはイヤだといって、ああして親牛の腹へもぐりこんで寝てしまったあ」
茂太郎は、まだまだ、あきらめきれないものがあるけれど、相手が受けつけないのだからやむを得ない。
そこで鹿の子が、親ならぬ親を親として、その懐ろに安んじて眠り、牛の親が、子ならぬ子を子として、二心なく育てる微妙な光景を見ていると、この分では、狼の子が来ても、牛はそれを憎まずに愛し得るだろうと思われる。
平和なる動物、忍従の動物、沈勇の動物、犠牲の動物、労働の動物、博愛の動物、そこで古来神として
ただいまの論争は忘れて、それをしげしげと見入った清澄の茂太郎、
「オットセイじゃ、ああはいかないんだぜ」
この子は、オットセイに対して、よくよく執着があるものと見える。そうでなければ、鯨で言い伏せられた
「ねえ、番兵さん、牛はあんなに他人(?)の子でも
「オットセイの親が、どうしたというのだ」
「オットセイの母親というのはね、番兵さん、自分たちの
茂太郎は、マドロス仕込みであろうところの、オットセイの知識を物語りました。
牧場、牧舎の見廻りが一通り済んで、
「茂坊、
それは色の白い、ベタベタした
「これは、チュガ公の母親がこしらえた
すすめられるままに、その
「何だい、番兵さん、これは、味もなにも無いじゃないか」
「薬物だからね」
「何の薬になるの」
「何の薬ってお前、白牛酪なんてのが、
と、そこで番兵さんが、茂太郎に、白牛酪の講釈をして聞かせました。
白牛酪は、この牧場の白牛に限ったものである。この牧場の白牛から
それは主として将軍の御用であるほかに、極めて
売下げを希望する者は、江戸の
光栄は光栄かも知れないが、甘くも、辛くも、なんともないことは争われない。そのはず、
長い間、
バタを食べさせられて、変な
それは、魚なりや、
いずれの動物でも、子を愛さない動物はないが、ことに、鯨ほど子を可愛がる動物はあるまいとの実見談を、番兵さんが、茂太郎に話して聞かせました。
子鯨を殺された親鯨が、毎日その時刻になると港外までやって来て、或いは悲鳴をあげ、或いは直立して
そんな話で、かれこれして眠りについた時分、外はさらさらと
それがかえって、しめやかな夜を、一層静かなものにし、時々海の
半島国とはいえ、ここから海はかなり遠かろうのに、あの
それが気のせいか、鯨がやって来て「子をよこせ」「子をよこせ」と叫んでいるように、茂太郎の耳に聞える――
十一
その夜、茂太郎は鯨の夢を見ました。
港の外の
大きいのは母鯨だろう。母子は平和な海に、愉快に泳いでいる。
と、それを見つけた漁師が、けたたましく叫ぶ。みるみる無数の鯨舟が、その二頭の鯨を
漁師共がいう、まず子鯨を殺せ、親鯨はひとりでに捕れる、と。
そこで取巻いた二十
子鯨は負傷する、親鯨はそれを助けんとして奮闘する。鯨舟はこっぱのように動揺する。
母鯨は、子鯨の上にのしかぶさって隠そうとする。子鯨は、負傷に苦しがって浮き出すと、
親鯨は、鰭と
ついに、親と子は離れ離れになった。漁師共は得たりと、半殺しにしてしまった子鯨を、綱で結んで舟へ引き上げようとする。
深く沈んだ母鯨の姿が、見えなくなってしまった。
とうとう、親の方を逃がしちゃったと漁師共が
逃げたんじゃない、沈んでいる、沈んでいる、と叫ぶものもある。
逃げたのは男親だ、男の親鯨は逃げるが、母鯨というものは、決して子を捨てて逃げるものじゃ
一旦は逃げても、直ぐに来るから用心しろ、用心してつかまえてしまえ、と声をしぼって
そこで、海岸が暫く静まったが、やがて、すさまじい海鳴りがすると共に、果して大鯨が
「そら来たぞッ」
漁師共の
一気に、子鯨のつながれてあるところへのして来た親鯨は
そこで出鼻をおさえられたところを、また無数の鯨舟がやって来て、周囲から攻め立てて、とうとう子鯨を取り返してしまった。
怒気、心頭に発した母鯨は、行手をふさいだ港口の鯨舟数隻を、粉々にたたきこわすと、そのまま再び外洋に逃れ去ってしまった。
漁師共もあきらめて、その子鯨だけを大切な
それからまた暫く海が平和であったが、やがて海鳴りがする。
港の外を見ると、またやって来た。母親がそこまで来たには来たが、以前の奮迅の勇気は無く、港の外へ来て悲しげに泣く。海が急にわき立ったかと思うと、母鯨は、燈台が崩れたように海中に直立して、真白い腹を鰭でたたきながら、「子を返せ」「子を返せ」と狂いまわる――その哀求の声。
茂太郎は、その声でガバと起き上ってしまいました。
外で子をよこせ、子をよこせと哀願している声は、自分を迎えに来たもののように、茂太郎の耳に響きます。
もう寝られない。寝られないとなれば、この少年は無意味に辛抱して、
ややあって、雨をおかして石堂原をまっしぐらに走るところの清澄の茂太郎を見ました。
笠をかぶり、
けだし、寝るに寝られず、じっとしては一刻もいられぬ茂太郎は、番兵さんの熟睡の
そんならば、蓑笠はどうしたのだ。
さいぜん、古畑の
興に乗じての脱走は常習犯だが、他人の持物を無断で借用して、その人を困らせるような振舞は、かつてしたことのない茂太郎だから、無人格な案山子殿のならば、無断借用も罪が浅いと分別したのかも知れません。
雨を
しかし、なにも悪いことをしたんでなければ、そう、まっしぐらに走らないでもいいではないか。番兵さんの熟睡を見すまして逃げて来たんなら、そう物に追われるようなあわただしい脱走ぶりを、試みなくともいいではないか。
だが、この少年は、なお
果して、後ろに足音がする。足音がバタバタと聞え出して来た。スワこそ!
しかし、仮りに番兵さんに追いかけられて、つかまってみたところで、何でもないではないか――
その以外の、誰かこの辺のお百姓にでも怪しまれて、
狼が出たって、熊が出たって、コワがらないこの子が、何に怖れてこうもあわただしく走るのか、了解のできないことだ。
だが、その後ろから、起る足音の近づくを聞くと、茂公はなお一層の馬力をかけて走る。
後ろのは、得たりとばかり追いかける足音が、いよいよ急です。
前の走る者の
しかしながら、この競走の結果は大抵わかっています。何をいうにも茂太郎は、子供の足です。もうどうにもこうにも、あがきがつかなくなったと見えて踏みとどまり、追いかけて来る後ろの足おとを、恨めしそうに、闇の中から眺めて、
「
と言いました。これもたあいのないこと。ここで、「叱ッ、叱ッ」と小さな口で叱ってみたところで、
「叱ッ、叱ッ、お帰りというのに」
再び叱りながら、その石を、闇の中へめがけて投げ込みました。
手ごたえはあるにはあったのです。茂太郎の投げた石で、追い迫った足音はハタと止みました。
相手も相手です、このくらいの
そこで、茂太郎は、またしても足を立て直して、まっしぐらに走り出すと、つづいて、例の足音が、ばたばたと追いかける。
走ること暫くにして、どうしてもまたあがきがつかなくなって、
「叱ッ、叱ッ」
しかしながら、もう駄目です。この時、後ろなる或る物から、完全に追いつかれてしまっていました。
追いつかれたものを見れば、なんの人騒がせな、
チュガ公の後を慕って来るのを、或いは疾走によって、或いは威嚇によって追い返そうとしたが、ついにその効なきことを知ると、やがて妥協が成り立ちました。
その辻堂を出立する時、チュガ公の背には一枚の古ゴザが敷かれて、その上に
雨の夜道も、苦にはなりません。
夜が明けると、その雨さえも
茂太郎もいい心持になると、また例の
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
そらそら
そちらを行っては
あぜ道へ落っこちる
こちらをあゆびなよ
あれあちらの
赤い花の咲いている
お寺の前を通りなよ
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
チュガ公は、その赤い花の咲いているお寺の前を歩むと、チュガよ
チュガ公よ
そらそら
そちらを行っては
あぜ道へ落っこちる
こちらをあゆびなよ
あれあちらの
赤い花の咲いている
お寺の前を通りなよ
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
あさっから
しっかりぬきい
てらんぬわ
またがいどもが
おだされにくる
房州人だけが知っている歌。それを茂太郎が寺の前でうたうと、寺からしっかりぬきい
てらんぬわ
またがいどもが
おだされにくる
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
静かにあゆびなよ
そんなに急 かずとも
おくれはしないよ
もうあとが二里だよ
近路 をせずと
館山大路 を
真直ぐにあゆびなよ
そらそら
あちらから
村の小旦那 が来る
よけて通しなよ
村の小旦那が来る
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
村の小旦那が、めかしこんで通りかかるのと、すれちがいになった時、茂太郎は、チュガよ
チュガ公よ
静かにあゆびなよ
そんなに
おくれはしないよ
もうあとが二里だよ
真直ぐにあゆびなよ
そらそら
あちらから
村の
よけて通しなよ
村の小旦那が来る
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
小旦那どんが
どこへ出るにも
羽織きて
那古北条 は
いいとうりだのんし
これは他国者でも少しはわかる歌。茂太郎から歌われて、小旦那なるものは、悪いどこへ出るにも
羽織きて
いいとうりだのんし
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
そらそら
そちらを行っては
海へ落っこちる
もう少し
こちらをあゆびな
竜燈の松が見えるよ
洲崎 は近いよ
お嬢さんが待っている
金椎君 も待っている
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
チュガよ
チュガ公よ
そらそら
そちらを行っては
海へ落っこちる
もう少し
こちらをあゆびな
竜燈の松が見えるよ
お嬢さんが待っている
チュガよ
チュガよ
チュガ公よ
十二
かくて、まだ朝といわるべき時間のうちに、早くも
「御苦労だったね」
このごろ、新築された
厩には馬がいない。いないはず、これは駒井と田山とが、
牛から下りた茂太郎は、牛の労をねぎらって、これに、かいばを与え、水を与え、雨に濡れた身体をぬぐうてやり、
「御苦労、御苦労、もういいからお帰り」
たてがみのあたりを撫でて軽く押してやると、チュガ公は
「番兵さんが心配するから、早くお帰り」
「さよなら」
チュガ公は、言われたままに、とっとともと来た方へ走り出す。
「道草を食べないでおいでよ」
チュガ公は振返って、眼をパチクリする。
「はいはい、承知致しました」
とっとと走り出す。珍客を送るために出て来て、使命を
行くも、帰るも、チュガはチュガだ。
この分では、六里の道を無事に帰って、番兵さんに、ただいま送って参りました、との挨拶をするに違いない。
チュガ公を帰してやった茂太郎は、足を洗い、濡れた着物をぬいで、台所の隅へ行き、乾いたのと着替えてから、こっそりと、おまんまを食べてしまいました。
ずいぶん、お
おまんまを食べているうちにも、主人が不在とはいえ、この家の
金椎は
お嬢さん――まだ自分のお部屋で寝ているのか知ら。金椎さんの驚かないのは仕方がないが、お嬢さんは、いるんならば、わたしが帰って来たのを気がつきそうなもの。多分、朝寝をしているんだろう。殿様も、田山先生もいないものだから、全く気兼ねをする心配がとれたので、それで思いきり朝寝をしていらっしゃるのだろう。
おまんまを食べてしまうと、茂太郎は兵部の娘の部屋、つまり自分たちと同居の部屋を訪れて、
「お嬢さん」
こう呼びかけて戸を叩いてみたけれど、返事がありません。
「お嬢さん」
ふたたび呼んで、戸を開いて見たが、その人がおりません。
「おや?」
せっかく、雨を
茂太郎は室内へ入って、
ただ、たった今まで、ここに人がいた形跡はたしかにある。人がいたというのは別人ではない、お嬢様その人がたしかにいたことは、残されて、半分ばかり始末をしかけた化粧道具の、取散らかしが説明する。
では、相当のおめかしをして、どこぞへ出かけて行ったのか。近いところならばかまわないが、もしかして、わたしのあとを追いかけて、ふらふらと出かけられたんでは困る。
「お嬢さあ――ん、いないの?」
茂太郎が第一級の声を張り上げて呼ぶと、思いがけないところで、
「は――い」
と返事がある。
返事をしたところは離れの物置で、それはこのごろ手入れをして、田山白雲が画室にあてているところであり、その返事の主は、兵部の娘であることに相違がありません。
茂太郎が、そこへ飛んで行くと、兵部の娘は畳の上へ、画帖を取散らかして、それを、腹ばいの形になって、
「茂ちゃん、どこへ行っていたの」
「お嬢様、ただいま」
挨拶があとさきになりました。
「何?」
兵部の娘が落ちつきはらって、わきめもふらずに絵を見ているものですから、茂太郎が傍へ寄って来てのぞきこむと、
「ずいぶん、いろんな絵があるから、すっかり、見てしまおうと思って」
なるほど、一枚描きの絵や、仮綴じの画帖や、絵巻や、まくりものが、あたり一面に散らかしてあって、室の一隅の
「あたしにも、見せて頂戴な」
茂太郎は、兵部の娘の傍へ、その頬と頬とがすれ合うばかり寄って来て、左の手を
「いやな先生ねえ、なんでもかでも、見る物をみんなかいちまうんだよ」
「何がかいてあるのさ」
「ごらん、なんでもかんでもこの通り、わたしたちのすること、なすことを、みんなかいてしまってあるんだよ」
「見せて頂戴」
「そんなに引張らないで、ここへ置いてごらんな、一緒に見たって、見えるじゃないの」
「あれ、お嬢さん、浜を歩いている後ろ姿があらあ」
「後ろ姿なら、いいけれど、ごらん」
一枚をめくると、
「あれ、お嬢さんがお化粧している」
「そうよ、お化粧ならまだいいけれど、ここをごらん」
「やあ、お嬢さん、裸になって行水をしているところ……」
「いやじゃありませんか、いつのまに、こんなものをかいたんでしょう。そっと
「だって、絵かきの先生だもの」
「絵かきの先生だって、お前、人が裸になっているところなんか、かかなくってもいいじゃないの……女が人に肌を見せるなんて、恥じゃありませんか」
「だッて……」
「だッて、何さ……ちゃんと、お化粧をして、着物を着かえたところならば、誰が見たって恥かしくはないけれど、行水をしているところなんかかかれちゃ、たまらないわ。こんなのを人前にさらされちゃ、わたし立つ瀬が無いわ」
「だッて……女だって、裸が恥かしいとはきまらないでしょう、
「あれは違いますよ、あれは商売だから、海へもぐるのが商売だから、裸でいたって誰も笑やしないけれど、わたしなんぞ、商売じゃありませんもの」
「だって、風俗だから仕方がないでしょう」
「何が風俗さ……」
「先生は風俗をかいているんだから。
「生意気をお言い。何にしたって、こんな恥かしいところをかかれちゃいや」
兵部の娘は手をさしのべて、筆立から筆を抜き取り、墨を含ませると、ズブリとその絵を塗りつぶしてしまったから、清澄の茂太郎が、その勇敢に、あっ! とたまげました。
「茂ちゃん、お前のことも、ずいぶんかいてありますよ」
「わたしは、かかれたってかまわない」
「それから、駒井の殿様も、
「商売なんだもの」
「こっちの方をごらん、造船所から、竜燈の松の方まで、風景がすっかり写し取ってあるのよ」
「商売だもの」
「いくら商売だってお前、こんなに、一から十までかいておいて、知らん顔をしているのは憎いわねえ……およしよ、茂ちゃん、うるさいわよう」
茂太郎が、あんまり
「それはお嬢さん、殿様だって、あんな立派なお船をこしらえながら、知らん顔をしていらっしゃるじゃないの、何でも、仕事をする人はだまってしてしまいますよ」
「ませたことをお言いでないよ。ホントに、茂ちゃん、お前という子は、このごろイヤにませてきてしまって、始末にいけないよ。お放しってば、痛いから」
「このくらいのこと、痛いもんですか」
「痛いか痛くないか、人のことがわかって……そんならお前、こうしても痛くないかえ」
「痛い!」
茂太郎は横腹をツネられて、痛い! と叫んだけれども、それでも首に捲いている手は、ちっとも放さず、
「お嬢さん、そんな
「何が邪慳です、甘たれ小僧」
「そんなに叱れば、あたい、また出て行ってしまってやるから」
「どこへでも、出ておいで」
「今度、出て行けば帰らないよ」
「勝手におし」
「いいの?」
「いいとも」
「あたいが帰らなくても?」
「あいさ」
「ああそうでしょう、あたしがいなくても、殿様がいらっしゃるからね」
「まあ……」
兵部の娘は、ちょっと横を向いて
「なんてこましゃくれたことを言うんでしょう、お前の言うこととは思えない」
「だって、お嬢様は、以前は一晩でも、あたいがいなければ淋しがったり、恋しがったりしていたくせに」
「まあ、いいからお放し……ね、いい子だから、あんまり、しつっこいと人に嫌われますよ」
「ねえ、お嬢さん、あっちへ行きましょうよ」
「どこへさ」
「あっちへ」
「あっちとはどこさ。まあ、この絵をみんな見てやりましょうよ、知らん顔をして、こんなにかき散らしているのが、ホントに憎らしいから」
「あたいは絵なんか見たくない、それに留守の時に、人の物をだまって見るなんて、悪いから」
「だって、お前、向うだって、だまって人の姿をうつしたりなんかして、知らん顔をしているんだもの……おたがいさまよ」
「行きましょうよ、あっちへ」
「どこだっていいじゃないの」
「でも、居慣れたところの方がいいでしょう」
「やんちゃな子だねえ……」
その時、窓の下の海岸を、人が走り出して、
「鯨だ、鯨だ、鯨が来たよ!」
室内の二人は、この声におどかされてしまいました。
十三
この近海へ、鯨が見えたということは珍しい報告である。珍しければこそ、人があんなに騒いだのだろうと思われる。
二人もまた、この物置から走り出して、海辺へ出て見ると、鯨だ、鯨だと言ったのは多分、「
眼の前といっても、それは海上かなりの遠くではあるが、ここからは眼と鼻の先、浦賀海峡の真中に、三本マストの堂々たる黒船が、黒煙を吐いたままで
黒船と聞いて、人心が動揺しないわけにはゆきません――鯨ならば、
木造、
それが
眼を驚かすばかりでなく、心を
もうすでに番所番所から、役向役向に伝えられたに相違ない。昨日出張の
一方、黒船の方を遠眼鏡で見ると、バッテイラを卸しはじめたようです。
スワこそ、バッテイラで乗込んで来るぞ、うかうかしていた日には、
こちらに大砲は無いか、砲台の守り手に抜かりはないか。しかしまた、いかに
そうそう造船所の殿様――は、外国の言葉を知っておいでなさる、うむ、それよりも、あすこには、このごろ本物がいた、本物の毛唐人が来ていた、いい幸いだ、あれを立合わせろ、あれを立合せて、聞くだけは聞いてやってからのことがいいじゃないか、そうして、どこまでも図々しければ図々しいように、こっちにも出ようがあろうというものだ。
「ナニ、あいにく、造船所には殿様も、本物もいないって……みんな揃ってどこへか出かけてしまったって、冗談じゃない、こういう時は、ペロが手柄を現わすじゃないか。ちぇッ、何だって今日に限って、留守なんぞになるんだ、ちぇッ」
海辺に立って騒ぐもののうち、気の
だが、バッテイラは下りたには下りたようだが、こちらへ向って、漕ぎ寄せられるような様子もありません。
黒船は、相変らず
兵部の娘と、茂太郎は、これを
二人だけは人心の動揺に頓着なく、黒船をよそに、海岸をふらふらと歩いて、とどまるということを知らないらしいから、放って置けば、また海へ没入してしまうでしょう。
それに、天気が申し分ない。鮮麗な秋の空、目立たぬほどの積雲が、海上二マイルばかりのところに
でも、今日は二人とも感心に、止まるところを知っているらしい。
そこで勢い、即興の
昔より今に渡り来たる黒船
縁がつくれば鱶 の餌 となる
ハライソ、ハライソ
サンタ、マリヤ
兵部の娘は、松の木から海を背にしているのですから、黒船を見ることができません。縁がつくれば
ハライソ、ハライソ
サンタ、マリヤ
小春日和に、散歩気分の充実した
「茂ちゃん、踊ってごらんな」
と言いました。
「踊りましょうか」
「踊ってごらんな、誰も見る人はないから」
「そんなら踊りましょう」
「その砂の上で、少ししめりのあるところがいいでしょう、はだしにおなりなさい、足あとが砂の上につくから。やわらかでいいでしょう」
「ええ、乾いた砂の上より、こっちの湿ったところの方が踊りいいね」
「さあ、誰も見ていないから、思いきって踊ってごらん」
「ええ」
茂太郎は誰も見ないところで、思いきって踊ることの自由を与えられたことに、至極の満足らしく意気ごんで、左の肩をぬぎました。
その場合、
参ろうや、参ろうや、ハライソの寺に参ろうや、ハライソの寺とは申すれど、広い寺とは申すれど、狭い広いはわが胸にあり
と、いいかげんな節をつけて、お能がかりにうたい出すと、手をのばして般若の面をそれが済むと、ガラリと変った烈しい身ぶりになって、
ハライソ、ハライソ、サンタマリヤ
ハライソ、ハライソ、サンタマリヤ
これが踊りといえるか知らん、単にハライソ、ハライソ、サンタマリヤ
でも曲折に巧妙な点はある。左の手は面をかかえ込んで、自由が
伴奏としては、ハライソ、ハライソ、サンタマリヤを、単純に繰返すことだけに過ぎないが、興に乗って、身ぶり、足どりが烈しくなるほど面白い形を見せて、砂の上のしめりを含んで
単純なようで、変化もあるし、第一、当人が興に乗って、充実しきっているから、自分も踊りながら、見ている人をも、その陶酔に誘い入れずにはおかないのだから、兵部の娘も引入れられてしまい、
「茂ちゃん、わたしも踊るわ」
こちらの方から、盆踊りにある手ぶりで、兵部の娘が踊り出して来ました。
さんざんに踊って、踊り疲れた茂太郎は、そのまま以前の岩の上に来て腰を
その時、兵部の娘は盆踊りの手ぶりから、本式の踊りになって、しとやかに浦島を踊っているのを、茂太郎は汗をふきながら一心に見ているのは、その手を覚え込もうと心がけているのか、或いは自分のガムシャラの踊りに比較して、その長所と、短所とを、総評的に見ているのかも知れません。
「茂ちゃん、もっとお踊りよ」
「お嬢さん、あなた、もっと踊って見せて下さい、今のは浦島でしょう、今度は
「生意気な子だよ、老松が何だか、知りもしないくせに」
「知ってますからね」
「では、お前、踊ってごらん」
「見ていればわかるけれども、自分じゃ踊れませんよ」
「
「何を踊りましょう」
「何をって、お前のなんぞはみんな出鱈目じゃないか、何でもいいように踊り、あたしの方で合わせるから」
「それじゃ、
「何でも勝手に踊りなさい、さあ」
兵部の娘がさしのべた手をとった茂太郎は、やっぱり般若の面を左の
いざやさんおき
津島の参りてさんならさんなら
さんどころ
エイサノエイサノエイ
と足拍子面白く踊り出したから、兵部の娘もそれに合せて、茂太郎の手を引いたまま、津島の参りてさんならさんなら
さんどころ
エイサノエイサノエイ
友は持つべきもの、弁信法師がついていれば、こうまで
片手の自由が般若の面に殺されているのに、片手は兵部の娘に取られているものですから、茂太郎は
「あっ!」
といって被害を受けたのは当人ではなく、寝るから起きるまで、
その途端、
「いけないよ、いけません、ほかのいたずらと違いますよ、もし、海の方にでも落ちて流れてしまってごらんなさい、かけがえが無いじゃありませんか」
心から恨めしげに、手をさしのべたが、兵部の娘は、それを高く差し上げて返しません。
茂太郎はよりかかって手を伸ばす、兵部の娘は
「あぶないよ」
「あぶない!」
どちらが警告するのか知れません。
この時、
それと共に浜辺にいた村民漁夫たちが一時に仰天して、
さすがの幼稚な石女木人のいさかいも、この音に驚かされないわけにはゆきません。
二人はいさかいをやめて、黒煙
十四
津の宮の鳥居の下から、舟をやとうた田山白雲は、鯉のあらい、白魚の酢味噌を前に並べて、
船は、どこまでも流れにまかせて進むから、これは鳥居前から、十五島を横断し、十二橋をくぐって
利根の流れをズンズンと
中流にして、田山白雲は、
「おい、
つまり、利根川の舟の船頭さんであるところの若いのに、杯をさしたものです。
「こりゃあ、どうも」
と、その若い船頭さんが恐縮する。この兄いは、ちょっと、いなせなところがある。恐縮しながら
「兄い、おめえは土地の人か」
田山白雲が、調子をおろして尋ねてみますと、
「へえ、これでも土地っ子には土地っ子ですが、少しよその方へ行って遊んで参りました」
「そうだろう、おめえ、なかなか色男だ、津の宮の茶店でも女共が、お前のことをなんのかんのと騒いでいた」
「恐れ入っちゃいます……ではお辞儀なしに一ついただきます」
兄いは、白雲のくれた杯を、頭をかきながらいただいて、一杯飲みました。
「遠慮なくやってくれ、舟なんぞは流れっぱなしでもかまわねえ」
「どうも、済みません」
「返すには及ばねえ、いけるんなら、かまわず、盛んに飲み給え」
「へ、へ、へ、どうも」
白雲から
「時に、お前のその
「へ、へ、へ、これでございますか」
白雲が、さいぜんから気にしていたことの一つは、この若い者の背中に、仮名文字が一列に染め出されている。それは仮名文字だから、横文字と違って、読むに困難はないが、文句そのものが意味を成さないから、白雲ほどのものが思案に余っているらしい。
「これですけえ」
若い船頭には、なまりと
「もっとよく、こちらを向いて見な」
「はい、はい」
背中を向けると、若い船頭の
「ゆききんのぶみよ」
と染めてある、片仮名にしてみれば、「ユキキンノブミヨ」となる。白雲はそれをながめながら、最初の通りに思案の首をひねる。どう判断しても、この一行の文字の意味がわからないらしい。
「へへ、へへ、これはね、旦那様、潮来の竹屋の女中さんの名で、こうして、わっしにみんなして、気を
「なるほど、そうか」
そこで、白雲が、これは「ユキキンノブミヨ」と一行に読んでしまうからいけない、ゆき、きん、のぶ、みよ、と四つにわけて、四人の名にして読めば、手もなく解釈がつくのだとさとりました。
ところで、この若い船頭さんが、白雲に向って、これをきっかけに、よからぬ事をすすめる。
よからぬ事というのは、どうです、旦那、これから潮来へおいでになって、
というのは、単に
「
これで一たまりもなく、若い船頭の提案はケシ飛んでしまいましたが、存外わるびれず、
「ほんとうに、それもそうでございますねえ、神様へ参詣する前に遊女屋なんぞへ上っては、
「その通りだ」
「先生、あんたは剣術の方の先生でございましょう、それで鹿島神宮へ御参詣をなさるんでございましょう。何しろ、香取、鹿島の神様ときては、武術の方の守り神様でございますからなあ」
若い船頭は、今まで旦那扱いで来たのが、ここで先生になって、その先生も、
「うむ」
白雲が
「剣術は何流をおやりになりますか。水戸には、なかなか使える先生がありますよ、水戸へおいでになりましたか」
「まだ水戸へは行かん、土浦にはどうだ」
「左様ですね、土浦の方のことは
「ああ、そうだ、そうだ、どちらもお訪ねして来たところだ」
「左様でございますか――おやおや、舟が横っ走りをはじめやがった」
舟のへさきが
「旦那、どうも御馳走さまでございました」
杯をおさめ、
舟は満々たる水の中を
田山白雲は、興に乗じて
そこで若い船頭も、興を催してか、或いは興を助けるつもりでか、潮来節をうたい出したのが、白雲の耳を喜ばせる。
その途端に、向うの真菰の中から、すうーっと辷り出して来た小舟の中に、例のめくら縞に赤い帯、青い
「あ、痛えな」
若い船頭が、仰山な叫び方をすると、
「いたけりゃ辛抱していろよ、誰も
「それじゃ、おっかの舟貸すか」
「乗れねえに、持ち上げろよ」
「ナニョー、しんだ」
「うるせえな、このオベラカシ」
白雲の耳には、何ともわからないざれごとを言い合って、舟は左右にわかれました。
十五
大船津の浜へのぼると、そこで田山白雲は、物珍しい一行を見てしまいました。
数十人の団体が、手に手に小旗を持って船を待っている。その小旗を見ると、どれにも、これにも、「十五文」と記してあるのがおかしい。
団体の中に、一人、頭へ置手拭をして、
「十五文、橋庵先生 」
としるしてあります。そうして、そのさては読めた。倉と、亀とが、道庵先生の不在に乗じて裏切りをし、ここに橋庵先生というのをもり立てて、その向うを張らせ、道庵の十八文よりは三文だけ安くして、つまり、それだけ大衆的であるとの看板の下に、あっぱれ一謀反を
そうとは知らぬ道庵先生と米友、今頃はもう名古屋の市中に入って、また出来損いの「大岡政談」でも見ていることだろう。
デモ倉や、プロ亀が、あっぱれな小刀細工をしようとも、そこは大腹中の道庵先生のことだから、蚊の食ったほどにも思うまいが、宇治山田の米友というものが存在している以上は、倉公、亀公いいかげんにしないと、耳ったぼにカーンと来ないとも限らないぞ、ほかと違って米友のは、手練だから痛さが違うぞよ。
そんなことは、知ったことでない田山白雲――アイロ、コイロの
しかし、鹿島は単に神宮だけでなく、裏へ廻って
その目的を以て田山白雲は、
ここは音に聞く鹿島灘――今、目に見て白雲の心が
すでに
ここへ来る以前に、松川が教えてくれたのだ。鹿島の海岸は処女地だ、九十九里の浜どころではない、旅行通を以て任ずるやからでも、まだ鹿島灘を見ないやつがいくらもある、よほどの変り者でなければ、あれまでは行かないのだ、また行ったところで、それだけの心ある奴でなければ、得るところはあるまい。
こんなところを天下の馬鹿野郎に教えたくない、君だけに教える、行ってその
教えにたがわず、来て見れば、鹿島の灘は、わが腸を洗うに十分である。
下津の浜辺を西南に向って歩みながら、白雲は豪壮なる波と、無限の海の広さにあこがれ、
年代
出雲に
この両神が
なるほど、鹿島の海は経津主、武甕槌を載せるにふさわしい海だ――
この怒濤の上に立って、両神が相顧み、相指さして、一方は香取の山に登り、一方は鹿島の山に威を振うの光景を、田山白雲は、まざまざと脳裏にえがきました。
これでなければいけない、この海でなければ
そこでまた、香取、鹿島の海で相呼応するこの神代の両英雄を、優れて大なる額面に描き、これを関東、東北の主峰にかかげてみたいとの願望が、
この海を写し得なければ、かの両神を描き出すことができない。願わくばここに
田山白雲は、こういう空想にのぼせきって、異常なる