今雄さんのお父さまは、ごん七さんといふ名で、
京一さんのお父さまは、ごん八さんといふ名で、
東山の瓦屋と、西山の瓦屋とは、いつも競争をして、おたがひに、自分のうちで焼いた瓦の、自慢を言ひ合つてゐました。
東山へ、瓦を買ひに行きますと、ごん七さんは、じまんらしく、
「
西山へ、瓦を買ひに行きますと、ごん八さんは、とくいになつて、
「手前どもの瓦は、東山さんのやうに、そまつなものでは、ありませんから、この通り、投げつけたつて、こはれるやうな事はありません。」と、言つて、瓦を庭に投げつけて見せます。
両方の瓦屋で、毎日そんな事を言つてゐるうちに、
「たたいても、こはれない瓦。」
「投げても、こはれない瓦。」
と、いふ評判が高まつて、遠くの村や町から、東山へも、西山へも、毎日大ぜいの人が、瓦を買ひに来るやうになりました。で、二人は、もう仲よくすれば善いのに、東山のごん七さんは、いぢわるでしたから、何とかして、西山のごん八さんを、たたきおとして、自分の店だけを、はんじやうさせたいと思つてゐました。西山のごん八さんも、きかぬ気の人でしたから、東山から、いぢわるを、しかけられると、だまつては、ゐませんでした。
その年の秋、村の小学校に、秋の運動会がありました。学校中で、一番よく走るのは、今雄さんと京一さんでした。今年の二百めえとる競走で、一番を取るのは、今雄さんだらうか、京一さんだらうかといふことが、村中の評判になりました。
いよいよ、運動会の日になりますと、村の人たちは、東山派と西山派とに分れて、
運動会の競技は、段段と進んで、いよいよ最後の、二百めえとる競走になりました。
東の方では、生徒の父兄達が、赤い旗を振つて、
「たたいても、こはれない方、しつかりしろ。」と、叫びますと、西の方では、
「投げても、こはれない方、しつかりしろ。」と、叫びつづけました。
けれども競技の結果は、京一さんが一足程早く、決勝点へ入つたので、
「投げても、こはれない方万歳。」の、こゑが、西の方から起りました。すると東山の方から、
「今一度やり直せ。不公平だ。」
と、叫ぶこゑが起りました。そこで校長さんは、
「番外として、も一度二百めえとる競走をいたします。」
と、呼びました。
「たたいても、こはれない方、しつかりしろ。」
「投げても、こはれない方、しつかりしろ。」
東西から起るこゑは、雷のやうでした。ところが今度は、今雄さんの方が、二足ばかり早く、決勝点に入りました。
今度は東の方から、しきりに、
「たたいても、こはれない方万歳。」を、くりかへして叫びました。けれども、今雄さんと京一さんは、にこにこ笑ひながら、手をにぎつて別れました。
ごん七さんは、瓦がよく売れるので、お金がうんとたまりました。で、東山の景色のいいところへ、立派な二階造りの
ごん八さんは、それを見て、西山の景色のいい所へ、三階造りをたてました。
ごん七さんは、まけてはならないと思つて、二階の上に、また一階をたてそへました。
ごん八さんは、三階の上に、また一階をたてそへました。
ごん七さんも、三階を四階にしました。
ごん八さんは、とても大きな鬼瓦を作つて、四階の屋根の上にのせました。その鬼は、恐ろしいかほで、ごん七さんのおうちの方を、朝も晩も、にらみつけてゐます。
ごん七さんも、まけぬ気になつて、もつと大きな鬼瓦を作つて、四階の上にのせました。それは世にもめづらしい、恐ろしい、かほつきの鬼瓦でした。それが、朝も晩も、西山の鬼瓦を、にらみつけてゐます。
今雄さんと京一さんとは、相かはらず、仲よく遊んでゐました。二人はおほぜいの生徒たちからはなれて、毎日小い紙の旗をもつて、学校のうら庭の、桜の木の下で、ひそひそと、さうだんごとを、してゐました。
ある日、今雄さんが、おうちへ帰ると、ごん七さんは、大きなこゑで、
「今雄、四階の屋根にのぼつて、うちの鬼瓦に、元気をつけてやれ。そして西山の鬼瓦を、にらみつぶすやうに、いつしよけんめいに、赤旗をふつて応援してやれ。」と、申しました。で、今雄さんは、
二人はまた学校で、旗のふり方を、さうだんしました。
ごん七さんは、朝早く起きてみますと、西山の鬼瓦は、朝日を受けて、いきほひよく、こちらを、にらみつけてゐますが、自分のうちの鬼瓦は、うす白く霜をおいて、こごえながら、ふるへてゐるやうに見えました。
ごん八さんは、夕方
ごん七さんも、ごん八さんも、かんがへました。
今雄さんも、京一さんも、お父さまのする事に、気をつけました。
ある日、京一さんが、学校からかへつて、四階の屋根にのぼりますと、今雄さんは、赤い旗をふつて、
「ぼくのうちの おにがはらへ、
こんや 金ぱくをぬる。」
と信号しました。そこで京一さんは、お父さまのごん八さんに、こんや 金ぱくをぬる。」
「お父さま、ぼく、毎日いつしよけんめいに、旗をふるんだけど、どうしても、東山の方が元気がいいから、うちの鬼瓦は、東山の鬼瓦に、まけさうですよ。だから、鬼瓦へ金ぱくを塗つて下さい。さうすると、うちの鬼瓦が、強くなつて、勝つにきまつてゐますから。」と、申しました。
ごん八さんも、うちの鬼瓦を、強くしたいと、思つてゐたところでしたから、
「それは、いいかんがへだ。では早速さうしよう。」と、いつて、にはかに大さわぎをして、一晩中に、鬼瓦の顔一面に、金ぱくをぬりつけました。そして、
「見ろ、明日の朝は、東山の鬼瓦が、おつかなびつくりで、まつぷたつに、われてるぞ。」と、申しました。
夜が明けました。太陽が東の山から、きらきらと、かがやきました。雨戸を開けた、ごん七さんも、ごん八さんも、両方ながら、
「おやおや、どつちの瓦も金色だ。」と、同じやうに一度に叫びました。
今雄さんと京一さんとは、学校の門のところで、出あひました。そして、だまつて、につこり笑つて、手をにぎりました。
その夕方、今雄さんは、学校からかへつて、四階の屋根の上に、のぼりますと、京一さんから、
「ぼくのうちの おにがはらの めのたまに こんや でんきを とりつける。」
といふ信号がありました。そこで、今雄さんは、お父さまの所へ行つて、
「お父さま、うちの鬼瓦が、金ぱくをぬると、西山の鬼瓦も、金ぱくをぬるんだもの。今夜はね、鬼瓦の
「なるほど、それはいいかんがへだ。」と、言つて、早速電燈会社へたのんで、大急ぎで、鬼瓦の眼に、百燭の電燈を取りつけました。そして五時になると、ぱつと、鬼瓦の目に、電気のつくのを、たのしんで待つてゐました。
五時前から、ごん七さんは、四階にのぼつて、障子を開けて、西山の方をながめてゐました。同じやうに、ごん八さんも四階の窓から、東山の方を、ながめてゐました。そして、電燈のついた時、二人は一度に、
「おやおや。これはどうした事だ。」と、叫びました。
あくる朝、学校の入口で、京一さんと、今雄さんとは、ばつたり出あひました。そして、二人は黙つて、手をにぎりながら、につこり笑ひました。
夕方、京一さんが、四階の屋根にのぼりますと、今雄さんは、旗をふつて、相図をしました。
「ぼくのうちの おにがはらの くちへ はなびを しかけて 五じから 三十ぷんおきに ひをふくやうに します。」それを見た京一さんは、お父さまの所へ行つて、
「お父さま、こつちの鬼の眼に、電気をつけると、向ふの鬼瓦にも、電気がつくんだもの、今夜は、あの鬼瓦の口から、三十分毎に、火を吹くやうに、花火をしかけてやらうぢやありませんか。さうすれば、東山の鬼瓦も降参して、角を折つてしまひますよ。」と、申しました。
ごん八さんは、大へん喜んで、直ぐ、花火屋さんを呼んで来て、鬼瓦の口へ、花火をしかけました。そして、家内や職人たちが、みんな庭に出て、
「見ろ。今に、こつちの鬼瓦は、火を吹くぞ。さうすると、東山の鬼瓦も、今度こそ、閉口して角を折るにきまつてる。」と、いつて、屋根の上を見てゐました。
五時五分前になりました。ごん七さんの、
「今に見ろ。こつちの鬼瓦は、火をふくぞ。そしたら西山の鬼瓦は閉口して、二つに破れて落ちるぞ。」と、云つてゐました。
五時一分前になりました。もう、たまらなくなつて、東山の方では、
「今に見ろ。」と、どなりました。そのこゑを聞いた、西山の方でも、
「今に見ろ。」と、どなり返しました。
五時になりました。両方の鬼瓦は、一度に、しゆう、しゆうと、すさまじく火を吹きはじめました。ごん七さんも、ごん八さんも、首をかしげて、かんがへました。
京一さんと今雄さんとは、あくる日、また学校の裏庭の、桜の木の下で、ひそひそと話しては、笑つてゐました。すると、にはかに、ごう、ごう、と、地の下が、鳴りはじめました。
「京一さん、地震だよ。」と、今雄さんが言つた時、たて物が、がたがたと、動きました。二人は、ひしと、だき合つて、桜の木の下に、立つてゐますと、どこかで、どうん、がらがらと、大へんなひびきが、いたしました。
「あ、うちの鬼瓦が、屋根から、おつこちたのだ。」
二人は同時に、叫びました。そして、門のところへ、走つて行つてみますと、おほぜいの生徒が、そこに立つてゐて、
「東山の鬼瓦…… 西山の鬼瓦……」と、言つて、さわいでゐました。
東山の鬼瓦は、まつさかさまに、泉水の中におちたので、角が、めちやめちやに折れて、頭が八つに、われてしまひました。
西山の鬼瓦は、庭石の上に落つこちて、顔のまん中に、ぽつこりと、大きな穴があいて、
ごん七さんは、めちやめちやにわれた、鬼瓦を拾ひあつめながら、
「下らない競争をして、かんじんのしごとを、一月も休んだ。もう、こんな下らない競争はよしませう。」と、言ひました。
ごん八さんは、顔のまん中に大穴の開いた、鬼瓦をながめながら、
「下らない争をして、
ごん七さんところの四階は、三階になりました。
ごん八さんところの四階は、二階になりました。
ごん七さんところの三階は、平家になりました。
ごん八さんところの平家は、とりはらはれて、そこは、瓦を、かはかす場所になりました。
ごん七さんところの平家は、取りのけられて、そのあとは、瓦をやく所になりました。
あくる年の四月に、京一さんも今雄さんも、同じ一番で六年級になりました。
ごん七さんの、やく瓦は、石ころでたたいても、こはれないといふ評判が、日本中へ、ひろがりました。
ごん八さんの、やく瓦も、投げたつて、こはれないといふ評判が、高くなりました。
そして、東山も西山も、だんだん商売が、はんじやうしました。
東山の上から、赤い旗を振つて、
「きみのところへ どうわとくほんが つきましたか。」と、信号しますと、西山の上から、
「つきました あすのあさ がくかうへ もつていつて かして あげます。」
と、あひづをしました。
ごん七さんは、今雄さんが、旗をふつてゐるのを見て、
「もう、鬼瓦がないんだから、旗をふらないでも、いいぢやないか。」と、
ごん八さんも、京一さんの、旗を振るのを見て、
「もう、下らない競争はよせ。」と、叱るやうに言ひました。
あくる日、今雄さんと京一さんとは、学校の裏庭で、相談しました。そして、その日の夕方、おうちへかへつて、今までの事を、すつかり、白状することにしました。
ごん七さんも、ごん八さんも、二人ながら、自分の子供さんの、かしこいのに、感心しました。
それから、東山と西山とでは、毎日、赤と白との旗をふるやうになりました。それは、東山へ瓦の註文があつても、瓦の足りない時は、西山へ旗をふつて、足りないだけを、すぐ持つて来てもらふのです。そのかはり、西山へ瓦の註文が有りすぎた時は、その半分を、東山でやいてもらふやうに、旗をふつて、たのむのです。その信号手は、いつも京一さんと、今雄さんでした。
東山と西山とが、
「打つても投げても、こはれない瓦だ。」と、いつて、ほめました。