今はもう散つて了つたが、
馬酔木の花を見ると、大抵の人が少しさびし過ぎると考へるであらう。その色つやも大して立派だとは言ふまい。けれどもそれは馬酔木の古木が本当に咲き盛つてゐるところを見てゐないのである。一丈以上にも伸びた古木が山一面にさき続いてゐるところ、それは実際何とも言へないはでやかなもので、だれでもちよつと、この花叢を馬酔木だとは信じまい。
馬酔木の花の美しいのは奈良である。私はこの春用事があつて幾度となく奈良へ出かけたが、一箇月の余少しの衰へをも見せないで咲き盛つてゐる馬酔木の花を見ることは、その間一つの楽しみであつた。
この辺一帯、即ち三笠山の馬酔木は、既に一千年余の歴史を持つてゐる。万葉集の中にも馬酔木の歌は二十首許り這入つてゐる。中でも有名なのは、天平宝字二年二月、式部大輔中臣清麻呂の宅で宴会のあつた時、来会者の大伴家持らが目を山斎に属して作つた歌三首であるが、それは芸術的に見ても馬酔木の感じを立派に出してゐるものだ。
をしのすむ君がこの山斎 けふ見れば馬酔木の花もさきにけるかも
池水にかげさへ見えてさきにほふ馬酔木の花を袖に扱入 れな
いそかげの見ゆる池水照るまでにさけるあしびの散らまく惜しも
池水にかげさへ見えてさきにほふ馬酔木の花を袖に
いそかげの見ゆる池水照るまでにさけるあしびの散らまく惜しも
ところがこれらの作に歌はれた
けれども三笠山の馬酔木を見た時、私はすべての疑問を解決し得ると思つた。守部などは、馬酔木は花白く見どころがないから、集中の歌にはすべて似つかぬと言つたけれども、それは三笠山の馬酔木を知らぬからである。東大寺の池に映つた花叢を見ると、「いそかげの見ゆる池水照るまでにさける」は正しく実感である。それはかがやかににほうてゐる。家持はこのさきにほふ花を袖の中へ扱き入れようと歌つたが、霰白の珠玉を惜気もなく振り蒔いた、軽快なこの花叢を見ると、だれでもちよつと家持の持つた欲念にそそられる。木瓜の花では扱くことが出来ない。「あしびなす栄えし」と枕詞に使はれたり、「山もせにさける
作品の解釈は、やはり実感を標準としなければ分るものでないと、私はその時固く信じたのである。