ついでに
この手数将棋といふのは、五十手なら五十手、百手なら百手――その約束した手数のあひだで、相手をつめてしまはなければならないのである。
芝居のなかの若い衆に、
そして、この芝兼さんは攻める方でなく、守る方であつた。普通の将棋がヘボかつたので、これなら
とにかく、五十手なら五十手と約束する。そのあひだに芝兼さんを詰ましてしまはなければならないのであるが、こちらばかり指してゐるわけではなく、相手も一手に対して一手だけはさしてくるのだから、駒をつつかけて来られればその相手をしてとらねばならなかつたり、また王手をかけられれば体をかはさなければならなかつたりして、十手やそこら無駄されてしまふのは訳はないのである。しかも、芝兼さんは自分の陣営を堅固に守つては、さういふチヨツカイを出してくるのだから、始末にわるい。
いまの寺田梅吉六段のお父さんの、寺田浅次郎五段もなかなかこの手数将棋の名手であつたが、この手数将棋といふものは見てゐてもなかなかおもしろく、攻める方が五十手なら五十、六十手なら六十といつた具合に、最初に約束しておいただけの手数の数の碁石をもつてゐて、攻める方で一手させば、守る方では、「はい、一つ。」と、その碁石を一つづつもらつて行くのである。
攻める方は、せつかちな人ほどいけない。うつかりして一手さしたのに、碁石を二つやつたりする。冷静に考へると、そんなバカな話はないのであるが、夢中になつてくると、さういふことは間々あつたものである。その当時、黒川徳三郎四段や、上田
余興にやれば、なかなかに面白く、また力もつくものである。
たゞ、あまり面白いから、はじめると凝るおそれがある。凝つてはいけない。浅草の
芝兼さんの他に、手数将棋の強かつた人に、京橋八丁堀の袋物屋の主人で中村といふ人がゐた。この人は攻める方で、耳が遠く、きこえるのかきこえないのか、トボけたやうな感じで、一手さしても石をなかなか渡さないのである。やはり、夢中になつてゐたりすると、守る方では石を取りそこなふやうなことが出来てきたりして、退治されてしまふのである。
しかし、この手数将棋は繰りかへしていふやうに非常に興味の深いものであるが、やはり攻める方と守る方とであまり段がちがひすぎると面白くない。
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昨年ひどい
さういふ風に、ひどく元気で寒さも