建築の本義
伊東忠太
近頃時々我輩に
建築の
本義は
何であるかなどゝ
云ふ
六ヶ
敷い
質問を
提出して
我輩を
困らせる
人がある。これは
近時建築に
對する
世人の
態度が
極めて
眞面目になり、
徹底的に
建築の
根本義を
解決し、
夫れから
出發して
建築を
起さうと
云ふ
考へから
出たことで、この
點に
向つては
我輩は
衷心歡喜を
禁じ
得ぬのである。
去りながらこの
問題は
實は
哲學の
領分に
屬するもので、
容易に
解決されぬ
性質のものである。
古來幾多の
建築家や、
思想家や、
學者や、
藝術家や、
各方面の
人がこの
問題に
就て
考へた
樣であるが、
未だ
曾て
具體的徹底的な
定説が
確立されたことを
聞かぬ。
恐らくは
今後も、
永久に、
定論が
成立し
得ぬと
思ふ。
若しも、
建築の
根本義が
解決されなければ、
眞正の
建築が
出來ないならば、
世間の
殆んど
總ての
建築は
悉く
眞正の
建築でないことになるが、
實際に
於ては
必しも
爾く
苛酷なるものではない。
勿論この
問題は
專門家に
由て
飽迄も
研究されねばならぬのであるが。
我輩は、
茲には
深い
哲學的議論には
立ち
入らないで、
極めて
通俗的に
之に
關する
感想の一
端を
述べて
見よう。
我輩は
先づ
建築の
最も
重要なる一
例即ち
住家を
取て
之を
考へて
見るに「
住は
猶食の
如し」と
云ふ
感がある。
食の
本義に
就て、
生理衞生の
學理を
講釋した
處で、
夫れ
丈けでは
決して
要領は
得られない、
何となれば、
食の
使命は
人身の
營養にあることは
勿論であるが、
誰でも
實際に
當つて
一々營養の
如何を
吟味して
食ふ
者はない、
第一に
先づ
味の
美を
目的として
食ふのである。
併し
味の
美なるものは
多くは
又同時に
營養にも
宜しいので、
人は
不知不識營養を
得る
處に
天の
配劑の
妙機がある。
然らば
如何なる
種類の
食物が
適當であるかと
云ふ
具體的の
實際問題になると、その
解決は
甚だ
面倒になる。
熱國と
寒國では
食の
適否が
違ふ。
同じ
風土でも、
人の
年齡によつて
適否が
違ふ、
同じ
年齡でも
體質職業等に
從て
選擇が
違ふ。その
上個人には
特殊の
性癖があつて、
所謂好き
嫌ひがあり、
甲の
好む
處は
乙が
嫌ふ
處であり、
所謂蓼喰ふ
蟲も
好き
好きである。その
上個人の
經濟状態に
由て
是非なく
粗惡な
食で
我慢せねばならぬ
人もあり、
是非なく
過量の
美味を
食はねばならぬ
人もある。
畢竟十
人十
色で、
決して一
律には
行かぬもので
食の
本義とか
理想とかを
説いて
見た
處で
實際問題としては
餘り
役に
立たぬ。
夫れよりは「
精々うまい
物を
適度に
食へ」と
云ふのが
最も
簡單で
要領を
得た
標語である。
建築殊に
住家でも、
正にこの
通りで、「
精々善美なる
建築を
造れ」と
云ふのが
最後の
結論である。
然らば
善美とは
何であるかと
反問するであらう。
夫は
食に
關して
述べた
所と
同工異曲で、
建築に
當てはめて
云へば、
善とは
科學的條件の
具足で
美とは
藝術的條件の
具足である。さて、
夫れが
實際問題になると、
土地の
状態風土の
關係、
住者の
身分、
境遇、
趣味、
性癖、
資産、
家族、
職業その
他種々雜多の
素因が
混亂して
互に
相交渉するので、
到底單純な
理屈一
遍で
律することが
出來ない。
善と
知りつゝも
夫を
行ふことが
出來ない、
美を
欲しても
夫を
現はすことが
出來ない、
已を
[#「已を」は底本では「己を」]得ず
缺點だらけの
家を
造つて、その
中に
不愉快を
忍んで
生活して
居るのが
大多數であらうと
思ふ。
建築の
本義は「
善美」にあると
云ふのは、
我輩の
現今の
考へである。
併し
或る
人は
建築の
本義は「
安價で丈夫」にあると
云ふかも
知れぬ、
又他の
人は
建築の
本義は「
美」であると
云ふかも
知れぬ。
又他の
人は
建築の
本義は「
實」であると
云ふかも
知れぬ。
孰れが
正で
孰れが
邪であるかは
容易に
分らない。
人の
心理状態は
個々に
異なる、その
心理は
境遇に
從て
[#「從て」はママ]移動すべき
性質を
有て
居る。
自分の一
時の
心理を
標準とし、
之を
正しいものと
獨斷して、
他の一
時の
心理を
否認することは
兎角誤妄に
陷るの
虞れがある。これは
大に
考慮しなければならぬ
事である。
莫遮現今建築の
本義とか
理想とかに
就て
種々なる
異論のあることは
洵に
結構なことである。
建築界には
絶へず
何等かの
學術的風波がなければならぬ、
然らざれば
沈滯の
結果腐敗するのである。
偶には
激浪怒濤もあつて
欲しい、
惡風暴雨もあつて
欲しい、と
云つて
我輩は
決して
亂を
好むのではない、
只だ
空氣が五
日の
風に
由て
掃除され、十
日の
雨に
由て
淨められんことを
希ふのである。
世の
建築家は
勿論、一
般人士が
絶へず
建築界に
問題を
提出して
論議を
鬪はすことは
極めて
必要なことである。
假令その
論議が
多少常軌を
逸しても
夫は
問題でない。これと
同時にその
論議を
具體化した
建築物の
實現が
更に
望ましいことである。
假令その
成績に
多少の
缺點が
認められても
夫は
問題でない。
問題は
各自その
懷抱する
所を
遠慮なく
披瀝した
處のものが、
所謂建築の
根本義の
解決に
對して
如何なる
暗示を
與へるか、
如何なる
貢献を
致すかである。
建築の
本義、
夫は
永久の
懸案である。
我輩は
今俄かに
之が
解決を
望まない、ただいつまでも
研究をつゞけて
行き
度い、
世に
建築てふ
物の
存在する
限り、いつまでも
論議をつゞけて
行き
度い。
今日建築の
根本義が
決定されなくとも
深く
憂ふるに
及ばない。
安んじて
汝の
好む
所を
食へ、
然らば
汝は
養はれん。
安んじて
汝の
好む
家に
住へ、
然らば
汝は
幸福ならん。(了)
(大正十二年九月「建築世界」)
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
- 「くの字点」は「/\」で、「濁点付きくの字点」は「/″\」で表しました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。