奥山へは、秋の訪れが早い。
都会では、セルの
渓流の波頭に騒ぐ北風も、一日ごとに荒らだってくる。そして波間に漂う落葉の色を見ると、奥の嶺々を飾っていた紅葉は、そろそろ散り始めて山肌をあらわに薄寒く、隣の谷まで忍び寄ってきた冬に
そのころ、澄んだ渓水の中層を落葉に
木の葉山女魚の姿を見ると、しみじみと秋のさびしさが身に沁みる。人間の、孤独さを想わないではいられない。
春さき、川の水が温まってくると、中流に遊んでいた山女魚は上流へ上流へと遡り、夏には冷徹な渓水に棲みついてしまう。九月末から十月になれば、親の山女魚は、浅い流れの小石の間に堀をほって卵を産みつけるのである。性の使命を終えた親の山女魚は、まことに気の毒な姿になる。体色は真っ黒に変わり、痩せ衰えて岩の陰にかがんでしまう。味が劣って釣っても食べ物にならないのである。
ところが、二年子のまだ腹に子を持たない山女魚は、秋になっても体色も変わらず肉も落ちず、青色の鱗の底に紫色の光沢を浮かべて活発に泳ぎ回っている。体側に並んだ小判型の斑点は、その麗谷に一層の美を添えているかのように見えるのである。大きな口の上にチョコンとついた丸い眼。いかめしくもあるが、おどけた風でもある。この二年子が落葉を浮かべて流れる渓流を里の村近くへ
木の葉山女魚を釣るのは、盛夏のころ親山女魚を釣るよりも楽である。竿は二間か二間半の軽いもの。胴のしっかりした穂先のやわらかい竿がよろしい。仕掛けの全長は竿の長さだけで錘から上四、五尺を一厘二毛柄のテグスにして、
秋の山女魚は深い淵の渦巻くところに、上流からくる餌を待って群れている。そこへ道糸を振り込んでそろそろと流してやると、白羽の目印がツイと横に揺れる。餌をくわえているのである。すかさず鈎合わせをすると、可憐な姿で、胴に波を打たせながらひらひらと鈎先にかかってくる。
塩焼きもいい。ことに鱒科の魚は油になじみがよく、天ぷら、ふらいにすると、やわらかな甘味が舌端に溶ける。家庭の人々に、