もうそろそろ、もずが巣を営む季節が近づいてきた。私は毎年寒があけて一日ごとに日が長くなってくると、少年のころ小鳥の巣を捜すのに憂き身をやつしたのを思いだしてひとりでほほえむのである。小鳥のうちで巣をつくりはじめるのは、もずが一番早い。もずは営巣をはじめると殆ど
今年は、どこへ第一着につくりはじめるかなとそれを捜すのに興味を持ったのだ。学校から帰ってくると、鞄を上がり
しかし、もずは巣をつくるのにまことに用心が不足している。人の眼につくところなど、平気で巣をかけはじめる。椿の葉の密生したところと篠薮の密生したところが、だいぶ好きらしい。それに巣の位置が低い。私ら子供の手さえ届くくらいのところへ、平気で巣を営むのだ。
それからさらに面白いことには、巣には必ず目印をつけて置く。巣をつくり終わると、神社の拝殿か新築の家の屋根の
もずの巣に興味を失うころになると、
雲雀の一番巣は四月一杯。二番巣は五月一杯。三番巣は六月で、このうち一番巣は大部分雄が孵化するから興味が深い。大きく育てても、雌の方は啼かないから無駄である。だから雌の子が多い二番巣、三番巣はあまり人が興味を持たないのである。一番巣の頃はまだ田の麦が腰をたてない。僅かに四、五寸に伸びたばかりである。雲雀の一番巣は、その低い麦の芽の柵へつくるのであるが、これを発見するのは大事業だ。容易のわざではなかった。
どこの麦田に雲雀が巣を営んでいるかを見当つけるには、雲雀の餌をくわえて子供のところへ運んでゆく姿をまず発見しなければならないのである。餌をくわえて飛んでいる雲雀の親を発見しても、親は決して直接には巣の上へ降りない。充分、あたりを警戒したのち、巣から一町か一町半も離れたところへ降りる。そして、地上を這って行ってから子供に餌をやるのだ。だから、親の降りたところを中心として、一町か一町半のところを半径として、その近くの田圃を捜しまわるので、一つの巣を発見するのに三日も四日もかかることがあった。
親は、子供に餌をやって置いてまた直ぐ餌を捜しに出るのだが、必ずから手では飛び上がらない。子供がお尻からだした糞をくわえて出るのである。そこで、親が糞をくわえて
私の故郷は、上州の榛名山の麓で、長い山の裾が広く長く関東平野へ伸びゆくところの村である。麦田と桑畑が、はてもなく続いている。麦田の上を春の風がそよそよと吹いて、おだやかな
西の空には遙かに、浅間山が薄い煙を越後の方へ
やがて、春の遅い日も夕べに近づいて上信国境の山際へ陽が落ちこもうとする。大きな丸い紅い陽が霞に隔てられて橙色に薄れてくる。何と静かな春日だろう。
私は、とうとう雲雀の巣を捜しあてることができないで、若草の野路をいつも田圃から村の方へ歩いてくるのだ。遠い村の方へ、ちらほらちらほらと灯がつく。
少年のことの春を、もう一度味わいたい。
(一五・三・五)