頭は少々
馬鹿でも、
腕っぷしさえ強ければ人の頭に立っていばっていられるような昔の時代であった。
常陸の
八溝山という高い山の
麓の村に
勘太郎という男がいた。今年十八
歳であったが、頭が
非常によくって、
寺子屋で教わる読み書き
そろばんはいつも一番であった。何を考えても何をしても人よりずばぬけていた。しかしその時代にいちばん
必要な腕っぷしの力がなかった。体は小さく腕や
脚はひょろひょろしていて、自分より五つも六つも年下の子供とすもうを取っても、
たわいもなく投げ
飛ばされてしまった。
だから勘太郎は人前に出るといつも小さくなっていなければならなかった。勘太郎から見れば
馬鹿としか思われない男が、ただ
腕力があるばかりに勘太郎をいいように引きまわしていた。勘太郎はそれを
腹の中でずいぶんくやしがりながらも、どうすることも出来なかった。
勘太郎の村から十丁ばかり
離れた所に
光明寺という寺があった。山を少し登りかけた深い
杉森の中にあって、
真夏の日中でもそこは
薄寒いほど暗く
しんとしていた。この寺には
年寄った
住職と
小坊主一人が住んでいたが、住職はついに死んでしまい、小坊主はそんなところに一人では住んでいられないと言って、村へ
逃げて来てしまった。
それから四、五年の間、その寺は
荒れるままに
任せて、
狐や
狢の住み家となっていたが、それでは
困るというので、村の人たちは
隣村の寺から一人の
若い
坊さんを
呼んで来てそこの住職とした。すると十日もたたないうちに、その住職は
姿をくらましてしまった。やっぱり若いから一人では
恐ろしくて住んでいられないのだろうと村の人は思い、今度は五十ぐらいのお坊さんを外の寺から
頼んで来てその寺に住まわせた。が、このお坊さんは十日とたたぬうちに死んでしまった。いや死んだのではなく頭だけ
残して
胴や手足は
骨ばかりになって
殺されていたのであった。おおかた何かの
獣に食われてしまったのだろうと村の人たちは言い合った。
三人目のお坊さんが外の寺から頼まれて来た。このお坊さんは元は
武士であったので、今度は獣の
餌食になるような
意気地なしではなかろうと、村の人たちは安心していた。
ところが五、六日してこの坊さんは、
左腕をつけ根の所から何かに食い取られて、生き血を流しながら村へ逃げて来た。
「どうしたのだ、
何奴に食われたのだ。」と村の人たちはよってたかってきいた。
「
鬼だ。あの寺には鬼が住んどる。口が耳まで
裂けている青鬼赤鬼が
何匹もいて、おれをこんな目に
会わしたのだ。」と坊さんは苦しそうな息をしながら話した。
それを聞いた村の人たちもびっくりしてしまった。
「四、五年の間、あの寺を
空き
家にしといたので、その間に鬼どもが
巣をくったのだろう。」
「そうだ。
最初の坊主の姿が見えなくなったのも、二番目の
坊主が
骨ばかりになって死んでいたのも、
皆鬼にやられたのだ。えらいことになったものだ。」
村の人たちはそう話し合った。この
噂はすぐに
方々へ
伝わったので、もうだれもこの寺の
住職になろうというものがなくなってしまった。
村の人たちは
寄り合いをやって
相談をした。そして
結局、村の人の中で、寺の鬼どもを
退治したものを寺の住職にしようということになった。その寺には村中の田や畑を合わせたほどの田畑がついているので、もちろんこの寺の住職になりたがらないものは一人もなかった。そればかりでなく、鬼を退治してみんなの前でいばってやりたいという力
自慢、
度胸自慢の
若者も大ぜいいた。そこでみんなでくじを引いて、くじに当たったものが一番先に鬼退治に出かけることになった。ところで弱虫の
勘太郎もそのくじを引く
仲間に入ろうとすると、みんなは手をたたいて
笑いながら、
「勘太郎が鬼退治をするとよ、
鼠が
猫を
捕りに行くよりひどいや。
阿呆もあのくらいになると
面白いな。」と言った。
勘太郎はくやしくてたまらなかったが、仲間に入ることはあきらめてしまった。
くじに当たった男は
新平という
若い力持ちの男だった。
猟に行って
穴熊を
生け
捕りにしたことのある男で、村でも指
折りの度胸のいい男であった。新平はもう寺を自分のものにしたようなつもりで、
大鉈を
一打腰にぶち
込んだだけで、
羨しがる若者どもを
尻目にかけながら山の寺へ出かけて行った。
が、新平は
翌日の明け方、お
尻や
背中の肉をさんざんに食い
破られ、命からがら
逃げ帰って来た。新平は
驚きのあまり、死んだようになって、鬼退治の様子を話すことさえ出来なかった。
そこで二度目のくじ
引きが行われて今度は
力造という男がくじに当たった。この男は村一番の
強者で、ある時村の一番強い牛と
喧嘩をして、その牛の角をへし
折り、あばら
骨を
蹴破って
見事に
倒してしまったことのある男であった。だから村の人たちもあの男が行ったら、さすがの
鬼どももどてっ
腹を
突っこぬかれたり、首っ玉を引っこ
抜かれたりしてしまうだろうと話し合った。
ところが、この男も
退治に出かけた次の朝、
片足半分食い取られ、おまけに鼻や耳や
頬っぺたまでかみ切られて、おいおい
泣きながら地べたを
這うようにして
逃げ帰って来た。
それを見た村の人たちは、始めはわれもわれもと鬼退治に行きたがったのに、今はだれ一人それを言い出すものもなかった。
「あの男でさえあんな目にあって来たんだから、おれなんか問題にならない。」と
弱音を
吐くものも出て来た。
もうだれもくじ引きをしようとはしなかった。
この時、弱虫の
勘太郎が、
「だれも行けないなら、おれが行って
立派に退治して来て見せよう。」と言い出した。
それを聞いていた村の人たちは、また
笑い出した。
「お前に出来たら、この暑いのに雪が
降るよ。」
「いやその雪が見たい。一つ退治してもらいたいもんだ。」
「お前の体じゃ鬼も食べでがあるまいが、鬼も食わないよりましだろう。一つ
御馳走をしてやるさ。」
村の人たちはてんでにそんなことを言っては勘太郎をひやかした。けれど勘太郎はすました顔をして、
「
馬鹿力さえあれば鬼退治が出来ると思っているのがおかしいよ。おれはそんな力はないから
腕っぷしで退治しようとは思わん。まぁこの頭一つで
首尾よくやっつけて来て見せるさ。」といった。
「お前に
退治が出来たら、三年があいだ飲まず食わずで生きて見せる。」
「お前に退治が出来たら、おれは水の中にもぐって三日いて見せる。」
「お前に退治が出来たら、おひる前のうちに
江戸まで三度
往復して見せる。」
みんな勝手なことを言って
勘太郎をからかったが、勘太郎はそんなことは耳にも入れず、身じたくをすると
獲物一つ持たずに
光明寺へ出かけて行った。
すべて
怪物は、昼のうちはどこかに
姿を
隠していて、夜になって
現れて来るものだということを知っていたので、勘太郎はまず明るいうちに寺へ着いて、どこかに自分の身を隠しておこうと考えた。
寺までの道には夏草がぼうぼうと生えて、勘太郎の小さい体を
埋めるほどであった。山門の所からは
杉森は暗いほどに
繁り、
奥へ行くにしたがって
肌がひやりとするような寒い風が流れるように
吹いて来た。大木の
梢からは雨も
降っていないのに
滴がぽたりぽたりと
垂れ、風もないのに梢の上の方にはコーッという森の音がこもっていた。
やがて寺の
本堂へついた。大きな屋根は
朽ち、広い
回廊は
傾きかけ、太い柱は
歪み、見るから怪物の住みそうなありさまに、勘太郎も始めはうす気味悪くなった。しかしぐっと
胆力をすえて、本堂の中へ入ってみた。そして中の様子を
隈なく
調べた。それから
廊下つづきの
庫裡の方へ入って行った。そこも雨は
漏り、
畳は
腐り、
天井には
穴があき、そこら中がかびくさかった。勘太郎は土間の
上がり
框のところにある
囲炉裏の所へ行ってみた。と、
自在鉤の
掛かっている下には、つい
昨夜焚火をしたばかりのように新しい
灰が
積もり、木の
枝の
燃えさしが
散らばっていた。さらによく見るとその
炉端には、鳥の羽根や、
獣の毛や、人間の
骨らしいものが散らばっていた。
「なるほど、
鬼どもは
生け
捕って来た
えものをこの
囲炉裏で
焼いて食うのだな。それじゃ一つ、この
炉の上の
天井に
隠れて今夜の様子を見てやろう。」
勘太郎はそうひとりごとを言って、それから
土間の柱をよじ上って、ちょうど
炉端がぐあいよく見える
穴のあいている天井の上に隠れた。
やがて日は
暮れた。日が暮れると短い夏の夜はすぐ
更けていった。
一寸先も見えない
真っ
暗な寺の中はガランとして物音一つしない。勘太郎は息を
殺し、今か今かと鬼どもの来るのを待っていた。
すると夜中の一時
頃であろうか。
本堂の方の
廊下を歩く大きな足音がきこえて来た。その足音は少なくも八本か十本ぐらいの足で
踏みならす音であった。間もなくその足音は、勘太郎の隠れている天井の下の炉端に近づいた。そしてどさりと炉端にあぐらをかく音がする。木の
枝を
折る音がする。しかし真っ暗なので勘太郎はただ耳で様子をきくより外はなかった。
と、同時に囲炉裏には火がめろめろと
燃え出した。勘太郎は天井の穴に目をつけて下を
覗き始めた。めろめろとした赤い
炎は、炉端に
座っている四
匹の鬼の顔を
照らした。土間を正面に見た
旦那座に座っているのが鬼の
大将であろう。
腰のまわりに
獣の皮を
巻いて大あぐらをかいている。口の
両端から
現れている
牙が炎に
照らされて金の牙のように光っている。勘太郎も一目見て、なるほどこいつぁうっかりかかったら、頭からひとかじりにやられそうだと思った。
家来の三匹の鬼は大将ほど大きな牙は生えていないが、目の光るところを見ただけでも勘太郎は
体中がすくむような気持ちになった。勘太郎は、ぴったりと天井に
腹ばったまま身動きもせず、じっと下の様子を見ていた。
間もなく
鬼どもは話を始めた。まず
家来の鬼がいった。
「今夜みたいに
不猟なことはねえ。
腹がへってやりきれねえよ。」
「ほんとにろくな
晩じゃねえ。人の子一
匹つかまえなかった。腹の虫がグーグー鳴るわい。」と外の家来が
合槌を打った。
すると
大将の鬼がみんなを見回して、
「そのうちに村の
若者がやって来る。落ちついて待っていろ。」と言った。
「いや親分、いくら人間が
馬鹿だって今夜も来るようなことはあるまい。もうこりてるはずだよ。」
「ところがきっと来る。人間という
奴は、自分たちが世界で一番強いものだと思っているんだからしようがない。村中の奴らがみんな食われてしまうまでやって来るに
違いないよ。」と大将の鬼は大将だけに
偉そうなことをいった。
「そりゃそうだな。力もろくにないうえに、
知恵が足りないと来てるんだから人間もかわいそうなもんだ。」と家来の鬼は言って鼻を高くした。
「ところで人間がおれたちより弱いとなると、世界中でおれたちより強いものは何だろう。」と今まで
黙って火を
燃していた家来の鬼が言った。
「何もないよ。おれたちの
敵は世界中にないんだよ。」と外の家来がいばった顔をした。
「いや、一つあるよ。たった一つおれたちより強いものがいる。」と大将の鬼がまじめな顔をしていった。
「何だろう。」
「さぁ何だろう。」
「わからないかね。それは人間どもに
飼われている
鶏というけものだ。」
「鶏!
初めて聞く名だな。だが、いったいそれがどうしてそんなに強いんだね。」
「それはこうだ。その
鶏という
奴はトッテクーと鳴くのだ。取って食うと鳴いたら
最後、どんなものでも取って食ってしまうのだ。
恐ろしい奴だ。」
「なるほどそんな鳴き声をする奴は外にはいない。そいつぁよっぽど強い奴だろう。」
この話を
天井で聞いていた
勘太郎は「しめた」と思った。するとその時、
大将の
鬼が鼻を天井に向けてもがもがさせながら、
「何だか人くさいぞ。」と言い出した。
ぐずぐずしていたら、あべこべに取って食われると思った勘太郎は、そこで寺中に
響くような声を
張りあげて、
「トッテクー……」と
叫んだ。
さぁたいへん、鬼どもはあわてふためきながら
逃げ出した。
家来の一
匹は
土間へもんどり打って転げ落ち
腰を
折ってしまった。他の二匹の家来は柱に頭をぶつけて
頭の
鉢をぶち
割ってしまった。大将の鬼は
旦那座から一足
飛びに土間へ
跳ね下りようとして、
囲炉裏にかけた
自在鉤に鼻の
穴を引っかけてしまった。すると、
「鶏につかまった。ああ……鶏につかまった。」と叫びながら、もう手足を動かそうともせず、自在鉤にぶらりとぶら下がってしまった。
勘太郎は
腹を
抱えて
笑いながら天井から下りて来て、大将の鬼を
生け
捕ってしまった。勘太郎は鬼の鼻の穴に引っかかっている自在鉤をそのままにして、
残りの
綱で両手をうしろに回して
縛りあげ、先に歩かせながら村へ帰って来た。
今まで勘太郎をはずかしめた村中の人たちは、これを見て勘太郎の前にみんな両手をついてあやまり、勘太郎の
偉い
手柄をほめた。そして勘太郎を一番強い偉いものとしてあがめ
奉った。
勘太郎は寺の
住職となり、後には
知徳すぐれた
名僧となったということである。