七月十四日、私は丁度
病院へ行つて靴を預けようとしたら、意地悪な下足のお婆さんに、
「そんな汚い靴! そこへ置いときな!」と叱られた。四階へ行つて暫らく間ごつき、ヤツと見つけて戸を開けたら、手前の小さな寢台が、モソツと少し動いた。
「おや?」と第六感にピンと来たので戸もしめずにのぞきこんだ。中には赤い小さな人間がねてゐた。成程赤ん坊だ。
「生れたの? エツ! 男?」夢中になつて、しかし、半分男である様にと念じて伺つたのに「女よ」と、お母様はニヤ/\笑つておつしやつた。おや/\三分の一がつかりして、……さて改めてこの小さいけれど生物である赤ちやんを眺めた。
ヘエー、これでも人間かしら。いやに赤いなあ、猿みたいだ。泣くかどうか試めしてみたくなつたので、頭へ一寸さわつたら顔をしかめた。まだこの世に生を享けてからヤツと十四時間位しかたつてゐないのに、顔をしかめる事を知つてゐるなんて生意気だ。
赤ちやんの顔を見てゐると、色々な事が次から次へと浮び上つて来る。
数日前、お友達に、
「今度、家に赤ちやんが生れるのよ」と話したら「え? あなたの御家の犬、
だけど実際、実に不思議だ。昨日までお母様と同じ人間だつたのが、もう今日は立派に一人前の人間だなんて……。実に妙な気持だ、してみると、私ももとはお母様と同一人物だつたのかな。でもおばあ様とも同じ理由だ。もつと/\さかのぼつて私達の遠い/\祖父とも同じなのかしら。
けれど、それが、今ではかうして一人前になつて、それぞれの考へを持ち、力を持つて生きてゐる。なんと不思議なことなんだらう。しかも、このふしぎなことが、大昔から今まで、何千年となく続き、自分もその仲間のどこかにぶら下つてゐる。
私はなにが何んだか分らなくなつて、只、滅茶苦茶に赤ちやんの頭をいぢくつてゐた。
(昭和十六年八月)