猫征伐

大町桂月




鷄の親鳥、ひなどり、合せて、六十羽ばかり飼ひけるが、一匹の、のら猫來りて、ひよつこを奪ひ去ること、前後、十五六羽に及べり。是に於て、わが家に、一の波瀾起る。その猫を殺さむとは、血氣盛りの甥の意見也。猫も憎けれど、祟るもの也。どうぞ殺して呉れるなとは、母、姉、妻などの意見也。なほ露國が滿洲を占領せしを見ても、清國、韓國などが何等の手出しをも爲す能はざりしが如し。甥、余の意見を問ふ。余曰く、害を爲すものは殺しても可也。されど、女の連中が神經をなやますも、可愛想なれば、殺すことを女に知らすなと。
 一夜、甥、盥伏せを設けけるに、猫、果して術中に陷りたり。甥之を蚊帳につゝみて、遠方にもちゆきて、棄てて歸らむとす。母、以爲らく、或ひは途にて殺すことあらむとて、監督として、下女をして共にゆかしめたり。かくて棄てて歸りしが、翌朝、その猫は、直ぐに我庭にあらはれ來れり。勞して功なし。われ甥をあざけりて曰く、正直も事に因る也。何ぞ下女に言ひふくめて、猫を殺して來らざりしぞと。
 一夜、甥、余に、うらの竹藪に來て見よといふ。共に行けば、こぼてといふものを拵へたり。こぼては、林中にて鳥をとる一種のしかけ也。甥喜んで曰く、今夜必ずこれにて猫を殺さむと。余曰く、朝、一家の人の未だ起きざる前に來り見よ。猫かゝりて死し居らば、直ちに埋めて、人に知らするなと。翌朝、甥よりさきに目覺めて、往いて見れば、こぼては、そのまゝにて、肴は殘り居らず。猫の奴、狡猾、こぼてにはかゝらざる也。そのまゝ置けば、怪しまれむ。晝間だけ、人に知らさじとて、こぼてをこはしたり。その夜、甥他出す。われ藪の中に入りて、また、こぼてをとり直し、新に工夫を加へて、今夜は、必ずかゝらむと思へり。度々藪の中へ往來するを見て、家人は怪しむ樣子なりしも、こぼてを作るとは、知らざりしやう也。翌朝ゆきて見しに、肴は取られて、猫はかゝり居らず。あゝ、こぼての計略は猫には役立たざる也。
 出入する古本屋あり。余の留守の日、來りて、この事をきゝて、箱おとしを設く。半日かゝりて、出來上りて、夕方、甥、之を藪の中にもちゆきけるに、猫果してかゝる。箱のまゝ、うらの川へもちゆかむとせしに、猫は、箱をやぶりて、とび出せり。箱をつくろひて、待ちけるに、猫また來りてかゝる。今度は、前のしくじりに懲りて、箱の中に殺して、然る後に、之を棄てにゆかむとて、無謀にも、猫に石油をかけて、燒き殺さむとす。猫は、箱の中にて、七轉八倒す。この時、姉は裏口の農家より小兒負うて歸り來り、表の口よりも客來たる。甥あわてゝ、猫に水をかけて、火を消す。されど、おそし。猫をころさんとせしこと、あらはれて、甥は母、姉の前に、いたく叱られたり。その來りし客は、家人が加持祈祷など頼む老婆也。余は、宗教を信ずるなら、もつと氣の利いたものを信ぜよと思へど、鰯の頭も信心、安心が得らるゝなら、必ずしも追窮するを要せずと、大目に見て、知つて知らぬふりせしが、この老婆、甥が猫を殺せるさまを、ちらと見て、家人に向つて曰く、今晩、神の御告あり。御家にて亂暴なる事をするものあり、早く往いてすくへと也。よりて、直ぐに來りしに、果して、猫を殺さむとせられたり。かゝる事爲して、神を信ぜらるゝとも、神はいかでかうけ給はむや、情なき御方なりとて、大に怒る。家人、その神の御告といふことを、まことと思ひて、いよ/\老婆を信じ、甥の爲しゝことにて、他の家内一同の知らぬことなりとて、あやまる。かゝる騷の中に、裏口の農家の主人、きゝつけて來りて曰く、これ迄、鰻をつりて來て、桶に入れ置きけるに、この猫にとられたること、幾回なるを知らず。われにも恨ある猫也。われに下されよとて、箱と共にもち行きて、池に投じて終に之を殺せり。
 この夜の出來事は、われ留守中にて、夢にも知らず。われ在らば、甥に恥かゝせじと思へど、せん方なし。たつた一匹の猫にして、かくまでも、多くの人を騷がしければ、死しても恨なかるべし。猫に善惡の念なし。宿なきまゝに、ありとも、十分に食を得ざるまゝに、鷄をかすむ。憎むよりも、むしろ憐れむべし。されど、それよりも、神の御告をいつはる老婆の方が、一層小面にくくして、且つ憐れむべき也。
(大正四年)





底本:「桂月全集 第一卷 美文韻文」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年5月28日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2009年1月13日作成
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