上京の頃
僕が初めて東京に出て来た年少時に、京橋のビアホールになにか祝いごとがあってね。ビールが半額なんだ。飲んでやろうと思って行ったが、まず洋食を食おうと思ってね。ところがその時は洋食のことはなにも分らん。ビフテキといっても、それが野菜だか肉だか飲物だか分らん。どうしようかと思って、そこで考えたね。隣のテーブルで命じたものの名前を覚えておいて、その品物が来るのを一生懸命我慢して待っておった。ところが持って来たものがもしかして、前に命じたものを持って来たんじゃないかしらなんて心配してね、用意周到なことだ。とにかくビフテキを注文したがもしかして変なものを持って来たらば逃げ出そうと思っていたら、隣のと同じものを持って来たので安心したよ。聞いてみたらこんどはフライだ。そこでこっちもフライを注文した。西洋料理の名前を二つ覚えたよ。なにしろ他人の注文した料理を見てから注文したんだからね。……その洋食を食った頃は京橋のカフェーなんど古風な物だったよ。新橋の
その頃のこと、去年の暮れか今年の春か、ライスカレーで特色を見せた「南洋」のカフェーの女主人が「わたしの顔だといって先生がスケッチしてくださったのを、今でもわたしは持っています。お
料理屋の経営
日本人の食う料理はみな日本料理だよ。うなぎ屋でも、寿司屋でも、何屋でもそれは日本料理だ。しかし日本料理が十種あるとしてだね、その中の一つだけを知っているというのが、今の日本料理人だ。後の九つは知らんでもすましている。そういうことを指導したり取り扱ったりする人間がほとんどいないんだね。星岡の取り扱うものは日本人の食うすべてのものだ。だから日本料理といえる。西洋料理や、中国料理にはまたおのずからその道がある。それをやるとすればまた僕の気に入るような設備をしなければならない。とにかく、世間並みのこととは根本的に見解が異なる。金
料理道ということを本格的にやっていくため、日本料理界の建てなおしのためだ。世間並みの料理屋は料理道を楽しんでいない。東京の星岡は十年間経営して失敗しないが、大阪のはどうかなんてゴテゴテいうひともあるが、とにかく、料理道を本格的にやっていけばどこも同じだ。牛肉屋でも何屋でも日本人の食うものを料理するというのだが、それがなかなか分らん。分らんはずだ。
とにかく世の中には、酢でもこんにゃくでも食えないように鋭い商人があるが、星岡はそうじゃない。時に酢でもこんにゃくでも食えないように大坊ちゃんだ。昔武士が「尋常に勝負」といって立ち向かうが、あの真剣な態度が星岡だ。大坊ちゃんの仕事だ。さもなくば名士が相手にならないよ。こんなことはひとがいうことだけれども、誰もいわないから僕がいうんだ。半分だけみて、坊やとあなどると失敗するよ。むずかしい大坊ちゃんだ。そういう意味において、豊臣秀吉なんかも酢でもこんにゃくでも食えない大々的な坊ちゃんらしい。だから大物になれる。けちな欲気なんか少しも持っていないのが
鰻の下拵え
すずきのごとき魚も洗いにしてうまいものだが、東京の職人のこの作り方をよく心得ているものが少ない。また、うなぎのごときも東京には本物のうなぎが少なく、ほとんど養殖ものばかりといっていい状態だが、このうなぎの扱い方などをみているとなかなかおもしろい。
これは東京の職人がだんぜんうまいね。うなぎというものは、素人にはちょっといじれない。ところが法を心得ているものには実に簡単だ。その第一のコツは、自分の手を水温くらいに冷たくしておくことだ。そしてこの冷たい手でうなぎの尻の部分を軽く握るんだね。すると、うなぎは前へ逃げるかと思うと、反対に手の方へ入って来る。そこがうなぎの習性で、うなぎは岩かなにかに触れたとでも思うのだろう。そして穴の中へもぐり込むような気で手の中へぐうっと入ろうとする。こうしてうなぎの体に力の入った瞬間に、職人はすっとそれを前へ押し出すようにして
だがこのうなぎ裂きよりむずかしいのは、どじょう裂きだ。素人はどじょうの方がやさしいと思っているがどじょうには細かい
飢餓は食を弁ぜず
そうだ何日か江州へ鴨を食いに行ったことがある。鴨というとなんとなくかしわよりはうまいような気がするんだね。ひともそういうし、自分でもそんなふうに思うんだね。そこで江州の鴨が美味いというんで、あの辺でご自慢のものだから、これを食った。なんでも一週間か十日も鴨ばかり食っていたろう。別に特にうまいとも思わなかったが、まずいとも考えなかった。ところが、その終りごろさんざん鴨を食ったあとで、一日かしわを食ってみた。すると、かしわの方が鴨より数等美味かったので驚いた。これには鴨を食って損をしたような気がしたね。
だから物は自分で食ってみんことには承知出来ない。ところがだね、いわゆる食通でございと称して食べ物の本などを書いているものに、ろくに食いもしないでものをいっているものが多い。いのししは昔はどうして食ったとか中国ではどういう字を書くとか、そばは何科の植物でどうやって打つとか、いろいろ知ったか振りをしているが、その実そばひとつ真から自分で味わったこともないのである。なんのことはない、そういうものは辞書のうけ売りなんだね。さっきのてんぷらでもそうだ。やれ天金がどうのこうのというから、それでは天金のてんぷらをどれだけ食ったかというと、なにろくに食ってもいない。そのくせ、あそこのてんぷらはかやの油を使うからうまいなどと、もっともらしいことをいう。そんなことをいわれると知らないものは、かやの油というものは高いものなんだ、などと思う。しかるにかやの油なんてものはかえって安いものだ。そうすると、かやの油、かやの油と宣伝して、結局どういうことになるかね……。
だから孔子あたりが昔から、飢餓は食を弁ぜず、食するひとはあれど食を弁ずるひとは少なしなどといっているが、ほんとうだ。
僕は徹底的にものを食ってきたが、小さい時から味をぐっとこう見詰めている癖があったね。それになんというか楽しんで食うという気分があったね。物を自由に食うには実際問題として金がなければ食えない。僕は貧乏書生だったから、そう自由には食えなかったが、しかしおもしろいことがある。
僕が二十一、二の頃でもあったろう。あるところの事務員をしていた。僕の上にいた課長というのが、後に資生堂の重役になった男だが、この課長が僕
要するに物を食うには、なければないでどこか風流だったんだろうね。豆腐を食って贅沢だといわれたのは、おそらく僕ぐらいのものだろう。
風流といえば、当時の風流人に岡本可亭があった。これは岡本一平のお父さんであるが、当時僕はこのひとに連れられて、入谷の朝顔、団子坂の菊などを見に行った。朝顔などはすでに京都の方がずっとすぐれていたから、京都の朝顔を知っていた僕にとっては入谷の朝顔など至極つまらないものであったが、当時のいわゆる風流人はそういうところへ行っては、帰りに根岸の「笹乃雪」へ寄って来たりするのであった。僕が若いに似ず風流を解するというので連れて行かれたものなんだね。そこであの笹乃雪なるあん掛豆腐を食ったりしたものだが、これが小さいものだから、二十や三十くらい食うのは瞬く間だね。中には五十も六十も食うということを自慢にしているものもある。それから僕は一人でもよくここへ出かけた。行きかけるとどこでも、舌が徹頭徹尾承認するまで行くんだね。そんなわけだから自分の給料というものは、まったく食う一方に使われた。だから友達の中にはうらやましがっているのもあったね……。
朝鮮の牛肉
徹底的に食うということでは、朝鮮へ行った時のことだが、二十四、五歳のころだ。朝鮮にはうまいものはまずない。ところが朝鮮の牛肉が割合にうまかった。もっとも他に食うものがないからでもあったが、牛肉がうまいというので、その話をある男にすると、いくら美味しくても一カ月とは食えまいという。いやそんなことがあるもんかというので、毎日牛肉を食った。そしてついつい半年食いつづけた。
しかし、さすが半年食いつづけたら、しまいには少しいやになったね。
朝鮮時代の食い物で今でも覚えているのは、親子丼の味だね。僕は当時これでも書家をもって立っていたんだが、職務は軍属であって軍司令部に勤めていた。ところがこの司令部へ持って来る親子丼がうまい。変な話だが、その卵がいつも半熟で加減がいいんだね。あれは今でも不思議に思っている。も一つ朝鮮の食い物で記憶に残っているのは、京城(ソウル)から新山へ行く途中に大きなせりがつくってある。大きいのなんの、太くて長い、二尺五寸もある。まるで
豆腐の味
総じて味のないもの、ぬるぬるしたものや、ぐにゃぐにゃしたものには美味いものが多い。豆腐、こんにゃく、やまいものごときものがみなそうだね。
中国料理にパイモールというものがあるね。
味は舌だけで味わうものでない。僕等もうんと豊富に食わんといかん。豆腐のごときは殊に舌ざわりが大切だから、生で食う時には絹ごしがいいが、煮て食う場合には、むしろ普通の豆腐がいい。少しざらっとしていても煮ると感じが少し変わってくる。なにか化学的な変化でも起こすのではないか、舌ざわりがとろっとしてくる。それには普通の目の粗い豆腐がいい。いい豆腐というが、普通煮て食う場合には、そこの関係でうまく食えるもんだから、せいぜい食うんだね、ハハハァ……。
にんにくは僕も好きな方だね。ああいうものは、なんとなしに少し食っても血肉になる感じがある。
にんにくの匂いも体にしみてくるが、ふぐなどというものもそうだね。あんな淡泊な魚がと思うが、僕は先日十日ばかり続けてふぐを食っていた。すると、ある男が僕と話をしているときに、なんだかふぐの匂いがするね、というんだ。驚いて自分の体の匂いを
中国料理と京都料理
それから中国料理の話だが、中国に料理が発達したのは、食道楽のためのみではない。一つには食品が少ないということが、料理の発達を促した原因になっている。例えば中国の桂魚のごとき、あんなものを珍重がっているが、あれは日本だと誰もうまいともなんとも思わない。というのは日本のごときは食品に恵まれていて、うまい魚がいくらでもあるからだ。その点では、一般に海辺に臨んでいるところでは料理が進歩しないということが観察される。それというのも、海辺は食品が豊富でめんどうな料理などをしなくとも、いいかげんに拵えて食って、結構美味しく食えるという事情がある。また、日本では、料理をする場合に実によくゴミを出す。魚一つ切っても頭を捨て、尾を捨て、はらわたを捨て、少し極端に
中国料理にともすればグロテスクな食品が取り入れられるのも、この材料の少ないという点から来たものではなかろうか。例えばひきがえるの
京都に料理が発達したというのも、ちょうど中国料理の発達に似たものがある。まず山の中にあって食品に恵まれていない。しかも、昔から千年来の皇居があり、著名な寺の多くある文化の中心地である。そこで勢い料理法というものが発達したものとみられるんだね。
ところでそばを味わうので大切なことは、少しずつつるっつるっとやるんでなしに一度にたくさん
ほんとうに物の味が分るためには、あくまで食ってみなければならない。ずうっとつづけて食っているうちに、必ず一度はその食品がいやになる一種の飽きが来る。この飽きが来た時になって、初めてそのものの味がはっきりわかるものだ。