木菟俗見

泉鏡太郎




 苗賣なへうりこゑは、なつかしい。
……かきはな、さみだれの、ふるのきにおとづれて、朝顏あさがほなへや、夕顏ゆうがほなへ……
 またうたに、
……田舍ゐなかづくりの、かご花活はないけに、づツぷりぬれし水色みづいろの、たつたをけしたのしさは、こゝろさもどこへやら……
 うたのぼんんだだけでも一寸ちよつと意氣いきだ、どうしてわるくない。が、四疊半よでふはんでも六疊ろくでふでも、琵琶棚びはだなつきの廣間ひろまでも、そこは仁體にんてい相應さうおうとして、これに調子てうしがついて、別嬪べつぴんこゑかうとすると、三味線さみせん損料そんれうだけでもおやすくない。しろ指環ゆびわぜいがかゝる。それに、われらしきが、一念發起いちねんほつきおよんだほどお小遣こづかひはたいて、うすものつまに、すツとながじゆばんの模樣もやうく、……水色みづいろの、色氣いろけは(たつた)で……なゝめすわらせたとしたところで、歌澤うたざはなんとかで、あのはにあるの、このはにないのと、淺間あさまはひでもつたやうに、その取引とりひきたるや、なか/\むづかしいさうである。
 先哲せんてついはく……君子くんしはあやふきにちかよらず、いや頬杖ほゝづゑむにかぎる。……かきはな、さみだれの、ふるのきにおとづれて……か。
 わるいことはまをさぬ。これに御同感ごどうかん方々かた/″\は、三味線さみせんでおきになるより、でおみになるはう無事ぶじである。――
 下町したまちはうらない。江戸えどのむかしよりして、これを東京とうきやうひる時鳥ほとゝぎすともいひたい、その苗賣なへうりこゑは、近頃ちかごろくことがすくなくなつた。たまにはくるが、もう以前いぜんのやうにやま邸町やしきまちべい、くろべい、幾曲いくまがりを一聲ひとこゑにめぐつて、とほつて、山王樣さんわうさまもりひゞくやうなのはかれない。
 ひさしい以前いぜんだけれども、いまおぼえてる。一度いちど本郷ほんがう龍岡町たつをかちやうの、あの入組いりくんだ、ふか小路こうぢ眞中まんなかであつた。一度いちどしばの、あれは三田みた四國町しこくまちか、慶應大學けいおうだいがくうらおも高臺たかだいであつた。いづれも小笠をがさのひさしをすゑ、脚半きやはんかるく、しつとりと、拍子ひやうしをふむやうにしつゝこゑにあやをつてうたつたが……うたつたといひたい。わたし上手じやうず名曲めいきよくいたとおなじに、十年じふねん十五年じふごねんいまわすれないからである。
 この朝顏あさがほ夕顏ゆふがほつゞいて、藤豆ふぢまめ隱元いんげん、なす、さゝげ、たうもろこしのなへ、また胡瓜きうり糸瓜へちま――令孃方れいぢやうがた愛相あいさうに(お)のをつけて――お南瓜たうなすなへ、……と、砂村すなむらせいぞろひにおよんだ、一騎當千いつきたうせん前栽せんざい強物つはものの、はないたゞき、蔓手綱つるたづな威毛をどしげをさばき、よそほひにむらさきそめなどしたのが、なつ陽炎かげろふ幻影まぼろしあらはすばかり、こゑかして、大路おほぢ小路こうぢつたのも中頃なかごろで、やがて月見草つきみさうまつよひぐさ、くじやくさうなどから、ヒヤシンス、アネモネ、チウリツプ、シクラメン、スヰートピイ。ふえいたらをどれ、なんでも舶來はくらいもののなへならべること、尖端モダン新語辭典しんごじてんのやうになつたのは最近さいきんで、いつか雜曲ざつきよくみだれてた。
 けつしてわるくいふのではない、こゑはどうでも、商賣しやうばいみちによつてかしこくなつたので、この初夏しよかも、二人ふたりづれ、苗賣なへうり一組ひとくみが、下六番町しもろくばんちやうとほつて、かど有馬家ありまけ黒塀くろべいに、がんかへるやうに小笠をがさかしてあらはれた。
 ――紅花べにばななへや、おしろいのなへ――とくちうするにおよぶまい、苗賣なへうりこゑだけは、くさはながそのまゝでうたになること、なみつゞみまつ調しらべにあひひとしい。とこものの、ぼたん、ばらよりして、缺摺鉢かけすりばち、たどんの空箱あきばこ割長屋わりながや松葉まつばぼたん、唐辛子たうがらしいたるまでこゑせばふしになる。むかし、しもに(それにつけてもかねしさよ)とぎんずれば、前句まへくはどんなでもぴつたりつく。(ほとゝぎすなきつるかたをながむれば)――(それにつけてもかねのほしさよ、)――一寸ちよつと見本みほんがこんなところ。古池ふるいけや、でもなんでもかまはぬ、といつたはなしがある。もつともだ。うらぼん餘計よけいにしみてこえるのと、さもしいけれども、おなじであらう。
 その……
――紅花べにばななへや、おしろいのなへ――
 うたなるかな。ふるのきにおとづれた。なにすわつてても、苗屋なへやかさえるのだが、そこは凡夫ぼんぷだ、おしろいといたばかりで、やれすだれごしのりだしてたのであるが、つゞいて、
――紅鷄頭あかけいとう黄鷄頭きげいとう雁來紅がんらいこうなへ。……とさか鷄頭けいとう、やり鷄頭けいとうなへ――
 とんだ。せないと、つきやくち説明せつめいでは、なか/\かたせられないのに、この、とさか鷄頭けいとう、やり鷄頭けいとうは、いひてうまい。……學者がくしや術語じゆつごばなれがして、商賣しやうばいによつてかしこしである、とおもつたばかりは二人組ふたりぐみかけあひ呼聲よびごゑも、じつ玄米げんまいパンと、ちんどん、また一所いつしよになつた……どぢやう、どぢやう、どぢやう――にまぎれたのであつた。
 こちらでをつけて、聞迎きゝむかへるのでなくつては、苗賣なへうりは、雜音ざつおんのために、どなたも、一寸ちよつとがつかないかもれぬとおもふ。
 まして深夜しんやとりこゑ
 俳諧はいかいには、ふゆになつてたはずだが、みゝづくは、はるすゑから、眞夏まなつあきく。……ともすると梅雨つゆうちの今頃いまごろが、あの、忍術にんじゆつつかひ得意とくいときであらうもれぬ。魔法まはふ妖術えうじゆつ五月暗さつきやみにふさはしい。……よひののホウ、ホウは、あれは、夜鷹よたかだとおもはれよ。のツホウホー、人魂ひとだま息吹いぶきをするとかいふこゑに、藍暗らんあん紫色ししよくたいして、のりすれ、のりほせのないのは木菟みゝづくで。……大抵たいてい眞夜中まよなか二時にじぎから、一時ひとときほどのあひだとほく、ちかく、一羽いちはだか、二羽にはだか、毎夜まいよのやうにくのをく。ねがてのよるなぐさみにならないでもない。

 陽氣やうき加減かげんか、よひまどひをして、町内ちやうない大銀杏おほいてふ、ポプラの古樹ふるきなどでことがあると、ふくろだよ、あゝ可恐こはい。……わたし身邊しんぺんには、あいにくそんな新造しんぞないが、とにかく、ふくろにして不氣味ぶきみがる。がふくろのこゑは、そんな生優なまやさしいものではない。――相州さうしう逗子づしすまつたときあきもややたけたころあめはなかつたが、あれじみたかぜ夜中よなかに、破屋あばらや二階にかいのすぐその欄干らんかんおもところで、けた禪坊主ぜんばうずのやうに、※(「口+同」、第4水準2-3-86)どうかつをくはしたが、おもはず、いき身震みぶるひした。唐突だしぬけいぬがほえたやうなすさまじいものであつた。
 だから、ふくろのこゑは、はなしおほかみがうなるのにまぎれよう。……みゝづくのはうは、木精こだまこひをする調子てうしだとおもへばい。が、いづれものにちかいのであるから、またばける、といはれるのをおもんぱかつて、内々ない/\遠慮ゑんりよがちにはなしたけれども、じつは、みゝづくはきである。第一だいいちかたち意氣いきだ。――ねや、いや、寢床ねどこともの、――源語げんごでも、勢語せいごでもない、道中膝栗毛だうちうひざくりげまくらせて、どたりとなつて、もうきさうなものだとおもふのに、どこかのしげりへあらはれないときは、出來できるものなら、内懷うちぶところ隻手せきしゆいんむすんで、むねびたい、とおもふくらゐである。
 旅行りよかうをしても、このさと、このもり、このほこら――どうも、みゝづくがゐさうだ、と直感ちよくかんすると、はたして深更しんかうおよんで、ぽツと、あらはれづるからすなははなせる。――のツほーほう、ほツほウ。
「おいでなさい、今晩こんばんは。……」
 つい先月せんげつ中旬ちうじゆんである。はじめて外房州そとばうしうはうへ、まことに緊縮きんしゆく旅行りよかうをした、そのとき――
 て、たびといへば、うちにゐて、哲理てつりをかぼれのことにばかりつてゐないで、たまにはそとたがよい。よしきり(よしはらすゞめ、行々子ぎやう/\し)は、むぎ蒼空おほぞら雲雀ひばりより、野趣やしゆ横溢わういつしてしたしみがある。まへにいつたその逗子づし時分じぶんは、うら農家のうかのやぶをると、すぐ田越川たごえがはながれのつゞきで、一本橋いつぽんばしわたところは、たゞ一面いちめん蘆原あしはら滿潮まんてうときは、さつとしてくるなみがしらに、虎斑とらふ海月くらげつて、あしのうへおよいだほどの水場みづばだつたが、三年さんねんあまり一度いちどもよしきりをいたこと……無論むろんこともない。
 のちに、奧州あうしう平泉ひらいづみ中尊寺ちうそんじまうでたかへりに、松島まつしま途中とちううみそこるやうないはける道々みち/\かたはら小沼こぬまあしに、くわらくわいち、くわらくわいち、ぎやう、ぎやう、ぎやう、ちよツ、ちよツ、ちよツ……を初音はつねいた。
 まあ、そんなにねんいりにいはないでも、およそからす勘左衞門かんざゑもんすゞめ忠三郎ちうざぶらうなどより、とりでこのくらゐ、こゑ合致がつちしたものはすくなからう、一度いちどもまだ見聞みききしたおぼえのないものも、こゑけば、すぐわかる……
ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
 もし/\、久保田くぼたさん、とんで、こゝで傘雨さんうさんにおにかゝりたい。これではになりますまいか。
ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
 かほはらよこゆすつて、まんちやんの「折合をりあへません」がえる。
 加賀かが大野おほの根生ねぶはま歩行あるいたときは、川口かはぐちいたところあしひとむらさへあれば、行々子ぎやう/\しこゑうづてた、にななぎされば、さら/\とそでずれの、あしのもとに、幾十羽いくじつぱともない、くわらくわいち、くわらくわいち、ちよツ、ちよツで。ぬれいろの、うすあからんだくきつたひ、みづをはねて、はねえたふな飛囘とびまはる。はら/\とつて、うしろの藁屋わらやうめ五六羽ごろつぱ椿つばき四五羽しごは、ちよツちよツと、旅人たびびとめづらしさうに、くちばしをけて共音ともねにさへづつたのである。――なじみにると、町中まちなか小川をがはまへにした、旅宿やどや背戸せど、そのみづのめぐるやなぎもとにもて、あさはやくから音信おとづれた。
 ……次手ついでに、おなじ金澤かなざはまち旅宿りよしゆくの、料理人れうりにんいたのであるが、河蝉かはせみもちおそれない。むしらないといつてもい。にはいけこひを、大小だいせうはかつてねらひにくるが、かけさへすれば、すぐにかゝる。また、同國どうこくで、特産とくさんとして諸國しよこくくわする、鮎釣あゆつりの、あの蚊針かばりは、すごいほど彩色さいしきたくみ昆蟲こんちうしてつくる。はりに、青柳あをやぎ女郎花をみなへし松風まつかぜ羽衣はごろも夕顏ゆふがほ日中ひなか日暮ひぐれほたるひかる。(太公望たいこうばう)はふうするごとくで、殺生道具せつしやうだうぐ阿彌陀あみだなり。……黒海老くろえび、むかで、やみがらす、と不氣味ぶきみになり、黒虎くろとら青蜘蛛あをぐもとすごくなる。就中なかんづく、ねうちものは、毛卷けまきにおしどりの羽毛うまう加工かこうするが、河蝉かはせみはねは、職人しよくにんのもつともほつするところ、とくに、あの胸毛むなげゆるは、ごとうをせる、といつてあたひえらばないさうである。たゞことわつてくが、そのゆる篝火かゞりびごとき、大紅玉だいこうぎよくいだいたのをんなは、四時しじともに殺生禁斷せつしやうきんだんのはずである。
 さて、よしきりだが、あのおしやべりのなかに、もいはれない、さびしいじやうこもつたのがうれしい。いふまでもなく番町邊ばんちやうあたりでは、あこがれるかへるさへかれない。どこか近郊きんこうたら、とちかまはりでたづねても、湯屋ゆや床屋とこやも、つりはなしで、行々子ぎやう/\しなどは對手あひてにしない。ひばり、こまどり、うぐひすを町内ちやうない名代なだい小鳥ことりずきも、一向いつかう他人たにんあつかひで對手あひてにせぬ。まさか自動車じどうしやで、ドライブして、さがしてまはるほどのかねはなし……えんれめか、よしはらすゞめ、當分たうぶんせかれたと斷念あきらめてると、當年たうねん五月ごぐわつ――房州ばうしうつた以前いぜんである。
 馬鹿ばか一覺ひとつおぼえ、といふのだらう。あやめは五月ごぐわつ心得こゝろえた。一度いちどつてようようで、まだかけたことのない堀切ほりきりへ……いそさふらふほどに、やがてくと、きぞわづらはぬいづれあやめが、はゞかりながらばかりでびてた。半出來はんでき藝妓げいしや――淺草あさくさのなにがしとふだてた――活人形いきにんぎやうをのぞくところを、唐突だしぬけに、くわら/\、くわら、とかへる高笑たかわらひをされたのである。よしよしそれも面白おもしろい。あれから柴又しばまたへおまゐりしたが、河甚かはじんうなぎ……などと、ぜいはない。名物めいぶつ切干大根きりぼしだいこんあまいにほひをなつかしんで、手製てせいののりまきしか稚氣ちきあいすべきことは、あの渦卷うづまき頬張ほゝばつたところは、飮友達のみともだちわらはばわらへ、なくなつたおやどもには褒美はうびあづからうといふ、しをらしさのおかげかして、こうだいむかうにる、土手どてあがると、く、く、くぞ、そこに、よしきり。
 巣立すだちのころか、羽音はおとつて、ひら/\と飛交とびかはす。
 あしのちかづくと、またこの長汀ちやうていかぜさわやかに吹通ふきとほして、人影ひとかげのないものしづかさ。足音あしおとつたのに、子供こどもだらう、おそもなく、葉先はさきうきだし、くちばしを、ちよんとくろく、かほをだして、ちよ、ちよツ、とやる。ひそんで、親鳥おやどりが、けたゝましくぶのに、おやこゝろらずで、きよろりとしてゐる。
「おつかさんがんでるぢやないか。なかはやくおはひり――人間にんげん可恐こはいよ。」
人間にんげんべませんよ、ちよツ、ちよツ、ちよツちよツ。」
いぬがくるぞ。」
「をぢちやんぢやあるまいし……」
 やゝながめなをぴよんとねた――こいつつてやあがる。前後左右ぜんごさいう、たゞいぬはしまいかと、内々ない/\びく/\ものでことを。
いぬなんか可恐こはくないよ。ちツちツちツ。」
 畜生ちくしやうめ。
「これ/\一坊いちばうや、一坊いちばうや、くわらかいち、くわらかいち。」
 それおつかさんがしかつてる。
 可愛かはいいこの一族いちぞくは、土手どてつゞくところ、二里にり三里さんりあしとともにさかえてよろこぶべきことを、ならず、やがて發見はつけんした。――房州ばうしうときである。汽車きしや龜戸かめゐどぎて――あゝ、このあひだのどてつゞきだ、すぐに新小岩しんこいはちかづくと、まどしたに、小兒こども溝板どぶいたけだす路傍みちばたのあしのなかに、る、る。ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
「をぢさんどこへ。……」
 といてた。
 白鷺しらさぎが――わたしはこれには、目覺めざむるばかり、使つかつて安扇子やすせんす折目をりめをたゝむまで、えりのすゞしいおもひがした。かつて、ものにしるして、東海道中とうかいだうちう品川しながはのはじめより、大阪おほさかまはり、山陰道さんいんだうつうじて、汽車きしやから、婀娜あだと、しかして、窈窕えうてうと、に、禽類きんるゐ佳人かじんるのは、蒲田かまた白鷺しらさぎと、但馬たじま豐岡とよをかつるばかりである、とつたかぶりして、水上みなかみさんにわらはれた。
すこしお歩行あるきなさい、白鷺しらさぎは、白金しろかね本家ほんけしば)のにはへもますよ。」つい小岩こいはから市川いちかはあひだひだり水田すゐでんに、すら/\と三羽さんばしろつまつて、ゆきのうなじをほつそりとたゝずんでたではないか。
 のみならず、汽車きしや千葉ちばまはりに譽田ほんだ……をぎ、大網おほあみ本納ほんなふちかづいたときは、まへ苗代田なはしろだを、二羽には銀翼ぎんよくつて、田毎たごと三日月みかづきのやうにぶと、山際やまぎはには、つら/\と立並たちならんで、しろのやうに、青葉あをばしげみをてらすのをさへたのである。
 目的めあて海岸かいがん――某地ぼうちくと、うみ三方さんぱう――見晴みはらして、旅館りよくわん背後うしろやまがある。うへ庚申かうしんのほこらがあるとく。……町並まちなみ、また漁村ぎよそん屋根やねを、隨處ずゐしよつゝんだ波状はじやう樹立こだちのたゝずまひ。あのおくはるか燈明臺とうみやうだいがあるといふ。をかひとつ、たかもりは、御堂みだうがあつて、姫神ひめがみのおにはといふ。をかについて三所みところばかり、寺院じゐんむねと、ともにそびえたしげりは、いづれも銀杏いてふのこずゑらしい。
 ……と表二階おもてにかい三十室さんじふまばかり、かぎのにづらりとならんだ、いぬゐのすみ欄干らんかんにもたれてまはしたところわたしとぼしい經驗けいけんによれば、たしかにみゝづくがきさうである。おもつたばかりで、そのばんつかれてた。がつぎは、もうれいによつてられない。きざみと、まきたばこを枕元まくらもと左右さいうに、二嬌にけうごとはべらせつゝも、このけむりは、反魂香はんごんかうにも、ゆめにもならない。とぼけてになれ、そのみゝつてみゝづくのかげになれ、とかしてゐると、五月さつきやみがあつし、なみおと途絶とだゆるか、かねこえず、しんとする。
 刻限こくげん到限こくげん
 ――のツ、ほツほウ――
「あゝ、おいでなさい。……今晩こんばんは。」
 となり八疊はちでふに、家内かないとその遠縁とほえんにあたるむすめを、あそびに一人ひとりあづかつたのと、ふすまをならべてゐる。兩人りやうにんすそところが、とこよこ一間いつけん三尺さんじやくはりだしの半戸はんとだな、した床張ゆかばり、突當つきあたりがガラスはきだしまどで、そこが裏山うらやまむかつたから、ちやうどそのまどへ、まつ立樹たちきの――二階にかいだから――みきがすく/\とならんでゐる。えだあひだ白砂はくさのきれいなさかうねつてけて、そのをかうへ小學校せうがくかうがある。ほんの拔裏ぬけうらで、ほとんど學校がくかうがよひのほか、ようのないみちらしいが、それでも時々とき/″\人通ひとどほりがある。――しなに女連をんなれんのこれが問題もんだいになつた。ガラスをとほして、ふすまが松葉越まつばごしにそとからえよう。友禪いうぜんいたとりのやうだ。あら、すそはうがくすぐつたいとか、なんとかで、むすめさわいで、まづ二枚折にまいをり屏風びやうぶかこつたが、なほすきがあいて、れさうだから、淡紅色ときいろながじゆばんを衣桁いかうからはづして、鹿扱帶しごき一所いつしよに、おしつくねるやうにひつかけてふさいだのが、とにかく一寸ちよつとなまめかしい。
 もののとりが、そこを、まどをのぞくやうにいたのである。――ひるた、さか砂道すなみちには、あをすすき、蚊帳かやつりぐさに、しろかほの、はま晝顏ひるがほぶたを薄紅うすべにそめたのなどが、まつをたよりに、ちらちらと、幾人いくたりはなをそろへていた。いまそのつゆふくんで、寢顏ねがほくちびるのやうにつぼんだのを、金色こんじきのひとみにあを宿やどして……木菟みゝづくよ、く。
 が、とりことはいはれない。今朝けさ、そのあさかほあらつたばかりのところ横縁よこえんつたむすめが、「まあ容子ようすのいゝ、あら、すてきにシヤンよ、をぢさん、幼稚園えうちゑん教員けうゐんさんらしいわ。」「おつとたり。」「おまへさんおちやがこぼれますよ。」「つてる。」としたけばいゝものを、滿々まん/\とあるのをちかへようとしてつてるからりこぼして、あつゝ。「もうそつちへくわ、くつだからあしはやい。」「心得こゝろえた。」したのさかみちまがれるを、二階にかいから突切つききるのは河川かせん彎曲わんきよく直角ちよくかくに、みなとふねやくするがごとし、諸葛孔明しよかつこうめいらないか、とひよいとつてくだん袋戸ふくろとだなのした潛込もぐりこむ。「それ、あたまあぶないわ。」「合點がつてんだ。」といふしたから、コツン。おほゝゝほ。「あゝ殘念ざんねんだ、後姿うしろすがただ。いや、えりあししろい。」といふところを、シヤンに振向ふりむかれて、南無三寶なむさんばう向直むきなほらうとして、またゴツン。おほほほゝ。……で、だなをおとした喜多八きたはちといふではひだすと、「あのかた、ね、友禪いうぜんのふろ敷包しきづつみを。……かうやつて、すこなゝめにうつむき加減かげんに、」とおなじ容子ようすで、ひぢへ扇子せんすの、扇子せんすはなしに、つきでそで一寸ちよつと舞振まひぶり。……むすめ舞振まひぶりは、ることだが、たれかの男振をとこぶりは、みゝづくより苦々にが/\しい。はツはツはツはツ。
 しつ!……これ丑滿時うしみつどきおもへ。ひとりわらひはばけものじみると、ひとりでたしなんでかたをすくめる。と、またしんとなる。
 ――のツほツほ――五聲いつこゑばかりまどいて、しばらくすると、やまさがりに、ずつとはなれて、第一だいいちてら銀杏いてふおもふあたりで、こゑがする。第二だいに銀杏いてふ――第三だいさんへ。――やがて、もつともとほくかすかになるのが――みね明神みやうじんもりであつた。
 東京とうきやう――番町ばんちやう――では、周圍しうゐひろさに、みゝづくのこゑ南北なんぼくにかはつても、その場所ばしよ東西とうざいをさへわきまへにくい。……こゝではまちも、もりも、ほとんど一浦ひとうらのなぎさのばんにもるがごとく、全幅ぜんぷく展望てんばう自由じいうだから、も、ながれも、かぜみちも、とり行方ゆくへれるのである。また禽類きんるゐ習性しふせいとして、毎夜まいよ、おなじ場處ばしよ、おなじに、えだに、かつび、かつとまるものださうである。心得こゝろえことで……はさんではてるへびの、おなじ場所ばしよに、おなじかまくびをもたげるのも、あへて、咒詛じゆそ怨靈をんりやう執念しふねんのためばかりではないことを。
 ……こゝに、をかしなことがある。みゝづくのあとへねずみる。へびのあとでさへなければい。なんのあとへねずみても、ちつとも差支さしつかへはないのであるが、そのみゝづくがまどはなれて、第一だいいちのいてふへ飛移とびうつつたとおもころ、おなじガラスまどうへの、眞片隅まかたすみ、ほとんど鋭角えいかくをなしたところで、トン、とおとがする。……つゞいて、トン、とおとがする。をんな二人ふたりねむつた天井裏てんじやううらを、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン。はゝあねずみだ。が、おほげさではない、めう歩行あるきかただ、と、誰方どなたおもはれようとかんがへる。
 おたがひに――おたがひ失禮しつれいだけれど、破屋あばらや天井てんじやうてくるねずみは、しのぶにしろ、れるにしろ、おとひきずつてまはるのであるが、こゝのは――つて後脚あとあし歩行あるくらしい。はてな、じつとくと、ちひさなあさがみしもでもさうだ、とおもふうち、八疊はちでふに、わたしうへあたりで、ひつそりとなる。一呼吸ひといきいていて、唐突だしぬけに、ばり/\ばり/\、びしり、どゞん、廊下らうか雨戸外あまどそとのトタン屋根やねがすさまじく鳴響なりひゞく。ハツときて、廊下らうかた。退治たいぢではない、逃路にげみちさがしたのである。
 屋根やねに、忍術にんじゆつつかひがつたのでもなんでもない。それきりで、第二だいに銀杏いてふにみゝづくのこゑえた。
 さら人間にんげん別條べつでうはない。しかし、おなじこと三晩みばんつゞいた。刻限こくげんといひ、みゝづくのまどをのぞくのから、飛移とびうつるあとをためて、天井てんじやうすみへトン、トコ、トン、トコ、トン――三晩みばんめは、むすめ家内かない三人さんにんなほつていたのである。が、びり/\、がらん、どゞん、としても、もうおどろかない。何事なにごともないとすると、寢覺ねざめのつれ/″\には面白おもしろし、化鼠ばけねずみ
 どれ、これをづるに、ねずみをゑさに、きつね、たぬき、おほきくいへば、千倉ちくらおき海坊主うみばうず幽靈船いうれいぶねでもつりださう。
 如何いかに、ところひとはわたりさふらふか。――番頭ばんとうよびだすもどくだ。手近てぢかなのは――閑靜期かんせいきとかできやくがないので、わたしどもが一番いちばん座敷ざしきだから――一番いちばんさん、受持うけもち女中ぢよちうだが、……そも/\これにはよわつた。
 旅宿やどいて、晩飯ばんめしと……おさかなういふものか、といた、のつけから、「銀座ぎんざのバーからたばかりですからねえ。」――「ねえさん、むかうにえる、あのもりは。」「銀座ぎんざのバーからたばかりですからねえ。」うつかりして「うみへは何町なんちやうばかりだえ。」「さあ、銀座ぎんざのバーからたばかりですからねえ。」あゝ、修業しゆげふはしてことだ。ひとをしへをかないで、銀座ぎんざにも、新宿しんじゆくにも、バーの勝手かつてらないから、たびさきで不自由ふじいうする。もつとも、のち番頭ばんとうちんじたところでは、女中ぢよちうとの詮衡上せんかうじやう花番はなばんとかにあたつたからださうである。が、ぶくりとして、あだじろい、でぶ/\とふとつた肉貫にくかん――(間違まちがへるな、めかたでない、)――肉感にくかん第一人者だいいちにんしやが、地響ぢひゞきつて、外房州そとばうしうはひつた女中ぢよちうだから、ことおこる。
 たしか、三日目みつかめ土曜どえうあたつたとおもふ。ばら/\ときやくはひつた。なか十人じふにんばかりの一組ひとくみが、ばん藝者げいしやんで、はこはひつた。申兼まをしかねるが、廊下らうかでのぞいた。田舍ゐなかづくりの籠花活かごはないけに、一寸いつすん(たつた)もえる。内々ない/\一聲ひとこゑほとゝぎすでもけようとおもふと、うして……いとがると立所たちどころ銀座ぎんざやなぎである。道頓堀だうとんぼりから糸屋いとやむすめ……女朝日奈をんなあさひなしまめぐりで、わしが、ラバさん酋長しうちやうむすめ、と南洋なんやう大氣焔だいきえんをどれ、をどれ、とをどまはつて、水戸みと大洗節おほあらひぶしれるのが、のこらず、銀座ぎんざのバーからた、大女おほをんな一人藝ひとりげいで。……つた、つた、うたつた、をどつた。宴席えんせきどなりの空部屋あきべやころむと、ぐたりとたが、したゝか反吐へどをついて、お冷水ひや五杯ごはいんだとやらで、ウイーと受持うけもちの、一番いちばんさんへとこりにて、おや、旦那だんなつてころげてるね、おかみさん、つまんで布團ふとんつけなさいよ。まくらもとの煙草盆たばこぼんなんか、むすめさんが手傳てつだつてと、……あゝ、わたし大儀たいぎだ。」「はい。」「はい。」とをんなどもが、かしこまると、「翌日あしたまたおみおつけか。オムレツか、オートミルでもればいゝのに。ウイ……」廊下らうかを、づし/\歩行あるきかけて、よた/\と引返ひきかへし「おつけのなんとかいつたね。さう、大根だいこんか。大根だいこん大根だいこん大根だいこんでセー」とはなうたで、ひとつおいた隣座敷となりざしきの、をとこ一人客ひとりきやくところへ、どしどしどしん、すわんだ。「なにをのんびりしてるのよ、あはゝゝは、ビールでもまんかねえ。」前代未聞ぜんだいみもんといツつべし。
 宴會客えんくわいきやくから第一だいいち故障こしやうた、藝者げいしやこゑかないさきに線香せんかうれたのである。女中ぢよちうなかまが異議いぎをだして、番頭ばんとううでをこまぬき、かみさんが分別ふんべつした。翌日よくじつ鴨川かもがはとか、千倉ちくらとか、停車場前ていしやぢやうまへのカフエーへ退身たいしん、いや、榮轉えいてんしたさうである。むし痛快つうくわいである。東京とうきやううちなら、郡部ぐんぶでも、わたしたづねてつて、まうとおもふ。
 といつたわけで……さしあたり、たぬきのつりだしにはず、とすると、こゝにたう朝日新聞あさひしんぶんのお客分きやくぶん郷土學きやうどがく總本山そうほんざん内々ない/\ばけものの監査取かんさとりしまり、柳田やなぎださん直傳ぢきでん手段しゆだんがある。直傳ぢきでんきすぎならば、模倣もはうがある。
 土地とち按摩あんまに、土地ところはなしくのである。

「――木菟みゝづく……木菟みゝづくなんか、あんなものは……」
 いきなりあさがみしものねずみでは、いくら盲人まうじんでも付合つきあふまい。そこで、ころんでて、まづみゝづくの目金めがねをさしむけると、のつけから、ものにしない。
になりませんな、つかまへたつてへはせずぢや。」
 あつられたが、しかしさとつた。……かつ相州さうしう某温泉ぼうをんせんで、朝夕あさゆふちつともすゞめがないのを、夜分やぶん按摩あんまいて、歎息たんそくしたことがある。みんなつてしまつたさうだ。「すゞめ三羽さんばはと一羽いちはといつてね。」とちやん格言かくげんまで出來できた。それからおもふと、みゝづくをもつて、たちま食料問題しよくれうもんだいにする土地とち人氣にんきおだやかである。
「からすのはうがましぢやね、無駄鳥むだどりだといつても、からすのはうがね、あけのかねのかはりになるです、はあ、あけがらすといつてね。ときにあんたがたはどこですか。東京とうきやうかね――番町ばんちやう――海水浴かいすゐよく避暑ひしよにくるひとはありませんかな。……この景氣けいきだから、今年ことし勉強べんきやうぢやよ。八疊はちでふ十疊じふでふ眞新まあたらしいので、百五十圓ひやくごじふゑんところひやく勉強べんきやうするですわい。」
 おほきなくちをあけて、仰向あふむいて、
「七八九、三月みつきですが、どだい、やすいもんぢやあろ。」
 家内かないどくがつて、
「たんとやまがありますが、たぬきや、きつねは。」
「じよ、じようだんばかり、やすいたつて、化物屋敷ばけものやしき……んでもない、はあ、えゝ、たぬき、きつね、そんなものはくぢらんでしまうた、はゝは。いかゞぢや、それでて、二階にかいで、臺所だいどころ一切いつさいつき、洗面所せんめんじよも……」
 喟然きぜんとしてわたしたんじた。人間にんげんとくによる。むかし、路次裏ろじうらのいかさま宗匠そうしやうが、芭蕉ばせをおく細道ほそみち眞似まねをして、南部なんぶのおそれやまで、おほかみにおどされたはなしがある。柳田やなぎださんは、旅籠はたごのあんまに、加賀かが金澤かなざはでは天狗てんぐはなしくし、奧州あうしう飯野川いひのがはまちんだのは、せずして、同氏どうし研究けんきうさるゝ、おかみん、いたこの亭主ていしゆであつた。第一だいいち儼然げんぜんとして紋付もんつきたあんまだといふ、てんさづくるところである。
 みゝづくでしよくろんずるあんまは、容體ようだい倨然きよぜんとして、金貸かねかしるゐして、借家しやくや周旋しうせん強要きやうえうする……どうやら小金こがねでその新築しんちくをしたらしい。
 女教員ぢよけうゐんさんのシヤンをのぞいて、だなで、ゴツンの量見りやうけんだから、これ、てんいましむるところであらう。
 たゞ、いさゝかみづかやすんずるところがないでもないのは、柳田やなぎださんは、もつてそのしようあたるのだが、わたしはう間接かんせつで、よりにつたかくで、按摩あんまかみをもませてるのは家内かないで、わたしころんでくのである。ごぞんじのとほり、品行方正ひんかうはうせいてんは、ともだちが受合うけあふが、按摩あんまいたつては、しかだんじて處女しよぢよである。錢湯せんたうでながしをつても、ばんとうにかたさはらせたことさへない。もむほどのつきをされても、ひとちゞみにちゞあがる……といつただけでもくすぐつたい。このくすぐつたさを處女しよぢよだとすると、つら/\おもんみるに、媒灼人なかうどをいれた新枕にひまくらが、一種いつしゆの……などは、だれもかないであらうか、なあ、みゝづく。……
 いてる……二時半にじはんだ。……やがて、里見さとみさんの眞向まむかうの大銀杏おほいてふるだらう。
 みゝづく、みゝづく。苗屋なへやつた朝顏あさがほも、もうくよ。
 夕顏ゆふがほには、豆府とうふかな――茄子なすびなへや、胡瓜きうりなへ藤豆ふぢまめ、いんげん、さゝげのなへ――あしたのおつけのは……
昭和六年八月





底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
初出:「東京朝日新聞 第一六二五六号〜第一六二六一号」東京朝日新聞社
   1931(昭和6)年8月2日〜7日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「形」に対するルビの「かた」と「かたち」の混在は、底本の通りです。
※表題は底本では、「木菟みゝづく俗見ぞくけん」となっています。
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2017年10月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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