右に述べた歴史の長短と聯想されて起る問題は
大和民族の立場である。我々が新聞や演説に常に天孫民族ということを聞くは、あたかも排外的米人がアングロ・サクソン民族とかノールディックとかを振りまわすように、耳ざわりとなるほど多いのである。果して大和民族という純粋な民族があったかすら未だ判然せぬ。かく
呼び
做す如き民族は政治上の目的のために作った一種の
仮装談であるならば、その用い所を選ばねばただに効果が少いのみならず、かえって
弊害あるを怖る。米人がハンドレッド・ペルセント米人といえるに対し、他邦民は大分反感を抱いている。今こそアングロ・サクソンは景気がよいから、かかる人種が実際に現存していることを信じたいものが沢山あるが、研究の結果、どれほどかくの如き純粋の人種があるか、その道の人は大にこれを
疑っている。然るに総て秀でたものはアングロ・サクソンなりと言うに至っては抱腹絶倒の至りである。一体
英吉利の国土にアングルス人種がどれほどいたかと尋ねたら、その数たる甚だ少く、また英国に於て有為あるいは有名な人々を列挙して、その中にアングルス人種に属するものが何人あるかといえば、その割合の
寥々たるには一層驚かざるを得ない。米国に於てはなお更のことである。近頃米国の代表的詩人として名高きホイットマンの如きアングルス種でもなければサクソン種でもない。大戦争前に
独逸の御用学者らが
揃いも
揃って政治的人類学という雑誌を
編纂して、仏人ゴビノーという曲学者より聞いた独逸民族優勢説をかつぎ出し、世界に最も優秀なる民族はゲルマン人種であると力説し、一歩を進めてゲルマン人の外にこれに匹敵する民族なしと断言し、更になお一歩を進めてたまたまゲルマン人にやや匹敵し得るものありとすれば、その血脈中には必らずゲルマン人の血が幾分か混っていると主張した。今日でもこの説が幾分か残っている。現に今春伊太利首相ムッソリニーは独逸種だと発表したものがある。その論拠は薄弱だと思うが、恐らく彼の筆法を以てすれば老子も独逸人なり、何となれば彼の頭髪は少しく赤味を帯びていたといい、しかして彼は西に行ったからというであろう。独逸人のことは別とし、大和民族の優勢を論ずるものは
逆上せぬよう、冷静なる学術上の研究に土台を
据えてかからねば、
徒らに国の
旧きを誇ると同じように、威張った甲斐なく、否な威張ってかえって恥をかく結果となるも計り難い。
我輩近頃古事記を再三読み返して見て疑を懐くことは、日本古代の文化はどれほど純粋の大和民族の
頭脳から出たものか、奈良朝の美術を誇るものは、その作者が如何なる点まで大和民族であったかということである。なるほどその後の天平時代になってはこの点に関しよほど確実なる証拠も出るそうだが、それは天平以前の
作物にして誇るものは、我祖先の作物でないということを含むのではあるまいか。一体祖先とはだれをいうのか、大古より中古に至るまで朝鮮人だの支那人だのが日本に土着し帰化したものが何万人か何十万人かある。彼らは特にその部落を作ったこともあるが、一般人民と混って住み、丁度アングル人、サクソン人その他ピクト人、ブリトン人らが今日英国と称する島に共に住して段々血も混り、今では彼らは、一種確定せる特別な民族たることを誇るに
由なく、かえってよく他の長所を吸収する包容力あることを自慢せると同じである。誇りとすべきことは必ずしも人種の純粋なる点ではない。また国家の
勃興し隆盛となるは人種や血の単一なるによるとも思われぬ。欧洲の諸国を見渡しても、如何なる国でも人種的に統一された純粋な所は一もない。故に我々の系図の中に朝鮮人や支那人の入っているのを寧ろ誇とする時代が来るであろう。しかして極東民族の間に親密を保つ情愛も今日より一層深くなるべき理由も新に発見さるるであろう。何れにしても事実に基いた説でないものを、あたかも学説であるが如く政略的に用うることは、方便としても長く続くものでなく、また我々が良心に省みて快しとすることでもない。
〔一九二八年一〇月二九日『東西相触れて』〕