ナリン殿下への回想

橘外男





 昨年の八月中頃、ヒューゲッセン大使負傷事件を契機として我が国に対する英帝国の態度が、そろそろ敵意を帯びた奇怪なものに映り出していた頃であったと記憶している。何かの用件である日の夕方、ヴァローダ商会という印度商館へ訪ねて行ったことがある。電車通りに面した事務所には、相変らず所狭いまでに各種の器具機械類が並べられて、三人ばかりの日本商人が注文欲しげな顔で売り込みに控えていた。そして番頭のジョージ・依田という二世の少年や、そのほか私が顔も見知らぬ印度人たちが主人公のカパディア氏の周りに、立ったり腰かけたりして店はいつものように混雑を極めていたが、
HALLOハロー! HALLOハロー!」とその中を分けて、カパディア氏は懐かしそうに私の手を握った。自分の机の側に椅子いすを勧めながらそこらにいる印度人たちに、「MRミスタ・タチバナ! K・三田谷サンターヤ商店の支配人マネージャー有名ポピュラー作家ライター!」と紹介してくれた。有名ポピュラー作家ライターとは驚いたが、外国人の中には得て自分の友達をこういう風に高く祭り上げて、暗に日本における自分の交際を誇示したがる人々がある。どうせ相手は日本語のわからぬ印度人だし私だって生れた時から実話書きになるつもりで世の中へ出て来たわけではないから、たまに一度ぐらいは有名な作家づらもしてみたくなるヨ。ともかくそのまま、高名らいのごとき顔をして腰を落ち付けたと思ってくれ。どうぞよろしくと小腰をかがめて名刺をくれる黒チャンたちは、いずれもシャシカント、マヘンダーラ、ワサント、ナナヴァティなぞという印度人特有の妙な名前をした連中ばかりであったが、今何をお書きになっていますかとか、どういう物語ストーリイに興味がおありですかなぞと、知らぬが仏ですっかり大作家扱いをして聞くから私も悪い気はせず、あごでながら感極まっていた。そのうちにジャヴェリという大変なものを読んだ代物しろものがあらわれて、
MRミスタ谷崎タニジャーキ春琴抄シューキンショウを英訳で読みました。主題テーマがそう優れているとは思いませんでしたが、人物の性格は大変面白く感じられました。タニジャーキという作家はどのくらいの地位の人でしょうか?」と聞くから、
「有名でしたが彼はもう過去の人です。今はあまり書きません」と軽くコナシてしまって、今はもっぱらMRミスタ・タチバナの時代であるというような顔をしてくれた。ジャヴェリはもちろん詳しく日本の様子なぞ知っているわけではないから、ほんとかと思ったのであろう。それですっかり堪能たんのうして、もっとMRミスタ・タチバナの文学上の意見を聞かまほしやというような顔をしたが、これらの話の間カパディア氏は不自由な片語かたことの日本語で日本の商人たちと値段の交渉をしながら、
「しばらく顔を見せなかったが病気でもしていたのか? 一度逢いにこちらから訪ねて行こうかと思っていたところだ」というようなことを言って、今すぐ用事も終るからゆっくりして行って欲しいとお世辞を並べた。が、私はさっきからナナヴァティやシャシカントらのともがらと話はしながらも、眼だけはすこぶる変った人の上に注いでいたのであった。それはジョージ・依田がタイプライターをたたいているすぐ後方うしろに掛けて、表通りへ眼をやったり、耳を傾けるともなくこちらの方へえくぼうかんだ顔を向けている、年頃十八、九ぐらいの可愛らしい少年の姿であった。この少年だけは珍しく頭布タアバンを巻いて、すごい光を放った飾りの宝石をそこに着けていた。日本で買ったらおそらく百円以上もするかと思われるくらいの、贅沢ぜいたくなよく身に合った純白の麻の背広を着て、斜めに筋の走った真紅のネクタイを結んでいた。キリリとした可愛らしいその姿よりも、私はこの少年の容貌の秀麗さに思わず見惚みとれてしまったのである。なんという気高そうな愛くるしい少年の顔か。印度人なぞにこれほどの優れた美少年があろうとは、まったく私にとっては生れて初めての驚きであった。絵から抜け出してきた西洋の王子そっくりの顔であった。女にもして見まほしいくらいパッチリと見開いた黒曜石のような瞳、そこには近眼鏡を掛けていた。キリッと通ったアーリヤ人種特有の高い鼻、丸顔で、皮膚の色だけはまったく周囲の黒い人たちとは違っていた。もちろん白人ではない。印度人には違いないのだが、非常に薄く鳶色とびいろいて、その上へほの白くあおみを掛けたとでも形容したら言い表わせるのだろうか。
 MRミスタ・タニジャーキを蹴飛ばしたり、ワサント、マヘンダーラたちを相手にしながらも、むさぼるように私は少年のうるわしさに見惚みとれ切っていた。眺めれば眺めるほど、ほとほと感にえざるを得なかった。この美しさに較ぶれば、ただ白いばかりで肌膚きめの粗い生毛うぶげの生えた西洋の女の皮膚なぞというものは、味も素っ気もない瀬戸物の破片かけらみたいな気持がした。初めて私には、真実ほんとの美しさというものは白人よりもむしろ磨きの掛かった優生の東洋人に存することを感じたのであった。少年は微笑ほほえんだ顔を時々私の方へ見せているだけで、また窓から往来を眺めているが、卓絶した気品はあたりを払わんばかりであった。
MRミスタ・カパディア、素晴らしい子供がいますね。誰です、あの子供は!」と私はうならんばかりの勢いでカ氏のひじを突いた。一瞬ハッとしたように当惑の色がカ氏のおもてを走ったが、
「私の兄弟ブラザーです。今度日本へ来ました」
兄弟ブラザー?」と驚いて、私はカ氏を見たが、粗製の真っ黒な顔で笑っているカ氏の様子ですぐ冗談とわかった。もっとも様子で見せなくてもこの黒く焦げついたカ氏とあの子供とが兄弟であるとは、まず盲目めくらでもない限り誰も信じるものもないであろう。
「今度印度から来られました、私共の恩人のお子さんです」と、すぐカ氏は真面目な顔に帰って紹介した。そしてよほど鄭重ていちょうに取り扱っているのだろう、うやうやしく立ち上ってカ氏の母国語のカッチ語で何かその子供に話し掛けた。やがて子供は鷹揚おうよううなずいて、立ち上ると、
「初めてお眼にかかります。MRミスタ・タチバナ!」とにこやかに目礼した。
「お名前は?」と聞いてみたら「シュータン!」と言った。あどけなく唇をややつぼめ加減に発音したのが、なんとも言えず可愛らしく見えた。しかし私にはその発音はサルタンと聞えた。
「サルタン?」
NOノー! シュータン!」ともう一度子供は唇をつぼめた。それでも私が解せぬ風でいると、静かに立ち上って来て側へ席を占めたが、今私がカパディア氏と話をしながらもてあそんでいた鉛筆をって Sheutan とつづってみせた。ひとしきり私との間にいつ日本へ来たかとか、日本は気に入ったかというようなごくありふれた初対面の外国人との会話を交えたが、もちろんこんな質問に対する返事なぞは聞いている私の方でも興味なぞは感じてもいなかった。そんな返事はすべての外国人いずれも判で押したように「大変美しいベリーナイス」とか、「イエス! 驚くほどワンダフル!」とかいう紋切り型のものであった。ただ不思議に感じたのは、この少年がさっき立ち上って来る時にも並いる印度人ことごとくが椅子いすから立って、慇懃いんぎん挙動ものごしで通路をあけてやったが、部屋が混雑しているからそうするのかと思っていたら今またこうやって私が少年と無遠慮にしゃべっている間印度人たちは、いかにもハラハラしたように私の方を眺めていることであった。どれほど世話になった恩人の子かは知らぬが、下らぬ心配をするものだと、可笑おかしく思ったが、初めて見る少年の頭布タアバンに私はすこぶる興味が湧いたからどういう風にそれを巻くのか見せて欲しいと言った。少年は気さくにすぐ頭へ手をやって幾つかの宝石をちりばめたピンを抜いて、頭布を解きに掛かった。見守っていた印度人たちはまた急いで駆け寄って手を貸そうとしたら、少年から母国カッチ語で注意されて恐縮したように凝乎じっと眺めていた。
「同じような形はしていますけれど、これは頭布タアバンとは言いません。頭布サッファと言って非常に身分の高い人が使うものなのです」と傍からカ氏が口を出した。今も言ったとおり何を小さくなってやがる、この印度人ども! といった気持であったから私はカ氏の言葉など、大して気にも留めていなかった。頭布サッファが解かれると左から右分けにした房々と恰好かっこうのいい頭髪があらわれて、少年は解いた頭布を私に示してからまた巻きに掛かった。が、巻くのにその手数の掛かることは! ものの五、六分間も掛かったであろうか。さすがに私も心ないことをさせてしまったと、気の毒なくらいであった。実は今まで私は、頭布サッファなぞというものは、布を巻いた形をしている一種の帽子とばかり思っていたが、恰好を取りながら実際に頭へ巻いてゆく手数の掛かるのにはあきれてしまった。そしてその呆れたのよりも頭布の綺麗きれいなのにはなお一層呆れてしまい、頭布の綺麗さよりもそこにちりばめられて巻いた上に挿される幾つかの宝石の大粒な美しさには、さらに眼を廻してしまった。机の上に置かれた金脚のついた宝石の一つをまさぐりながら、
「これは何という宝石? 金剛石ダイヤモンドですか?」
 と聞いてみたら、
「ほんの硝子ガラスみたいな詰まらないものです」
 と少年はにこにこしながら、凝乎じっと私の顔を観察するように見守っていた。やがてその宝石を私から受け取ってから頭布サッファに挿すのかと思っていたら、黙って手を延ばして私のネクタイへ挿してくれた。少し草臥くたびれ加減の私の二円五十銭のネクタイは、たとえ硝子ガラスでも燦然さんぜんたる光のせいで、たちまち五円ぐらいの値打にり上ってしまった。
「どう思う、MRミスタ・カパディア! これで私のネクタイは、英国製の十五円ぐらいの品物に見えるか?」
 と聞いてみたら、
OHオー、イエス! イエス! 十五円どころか! 私の国の太子殿下ラジクマールのように見える」とカ氏は面喰らって、周りの人たちと眼を見合せて笑った。少年は面白そうに片頬にえくぼうかべながら、何か母国カッチ語で言っていた。涼しい声であった。私のことを言っているに違いないと察したが、おそろしく母音の多いその言葉はもちろん私なぞには一言半句もわかりようはずもなかった。私はただ半面を見せて少年らしく笑い声を立てているその華奢きゃしゃな横顔を、女のような美しさ――しかもその女も、優れた彫刻家が一鑿ひとのみ一鑿に丹誠めて琢磨した、名彫刻の美しさだと思いながら眺めていたのであった。大体その日私は用件でも早く済んだら久しぶりで銀座へ出て、映画でも見て飯でも食おうかと思っていたのだったが、この黒い印度の大群を引き具して行くだけの金も勇気も持ち合せてはいないにしても、せめてこの少年だけならば見るからに可愛い子供であったし……。カ氏との用事も思いのほか早く済んでしまったので、何ということなしに私はほっとした気持を感じて少年のおもてに目を移した。
「もう、東京が一人歩きできますか?」と聞いてみたら、少年は困ったように肩をつぼめて、不可能インポシブルな様子を示した。それなら帰りにどうせ私はここを通るから、連れて帰ってあげるが一緒に面白い所へ行ってみませんかと私は誘ってみた。周りの印度人たちは妙に不安そうな顔をして、私と少年との問答を打ち見守っていたが、
「どこへ」と、微笑みながら少年が聞いた。
「わずか五十銭ばかりの金で、頭のさをすっかり吹き払って、アルコオルなしで楽しむことエンジョイのできる所へ!」
「どこにそんな面白い所があります?」
「当ててごらん!」と私は笑った。
映画ピクチュア
「そう穿じくらないで、ついて行くのならさあ行こう! その代り私はあとで美味おいしいものをあなたにご馳走してあげる」
有難うサンキュー」と少年は上眼遣いにまじまじと考えていたが、「オーライ! 連れてって下さい!」と気さくに立ち上った。がまたもや驚いたことには、私と少年とが外へ出ようとした時には、カ氏も他の印度人たちもぞろぞろといて来て出口に佇立ちょりつしながら、右手で胸を抑えた直立不動の姿勢で第一公式の礼をした。吃驚びっくりして一瞬私は嘲弄ちょうろうされたような気になって眼をみはったが、恩人の子供だといったカ氏の言葉を思い出して、いくら恩人の子供にしたところでこうまで莫迦ばか莫迦しい時代離れのした取扱いをする必要がなぜあるのだろうかと、この亡国連中の礼儀の仰山ぎょうさんなのにはほとほと腹を抱える思いがした。そしてそう思いながら、今後を追って来た一人に何か言い付けている少年の後ろ姿を眺めていると、こんな美しい子供が住んでいる印度という国について、何の興味をも持っていなかった私自身の心をそこに振り返るような気持がして、凝乎じったたずんでいたのであった。


 今も言ったとおりそれまで私は、印度なぞという国に対しては何の興味もなく別に知りたいという欲望もないのであったが、それがヴァローダ商会に出はいりしてカパディア氏らとたびたび話をしているうちに、知らず識らずに印度の知識を注入されて、この頃では一通りさまざまなことをわきまえてきたのであった。たとえばガムシャラなくせに子供の時分から私は雷が大嫌いで、いい年をした今でも夏になってピカリゴロッ! とくると顔色を変えて座敷中をウロウロして女房に笑われるのであったが、その雷が印度――殊にカパディア氏の国のヴィルプール国の南東境を限るトラウデヤ山脈地方においては、いかに地軸も砕けんばかりに猛烈なものであるか。五月末雨季になりたてにデカン高原地帯を越えて吹いてくる季節風モンスーンが、いかにすさまじい雨を伴ってくるものであるか、そしてその雨が日本なぞでは到底想像も付かぬくらいに土砂降りで、見る間にアスファルトの舗装道路の上一尺も高く川を作り出すということなぞ。あるいは印度においては今なお種姓カストの観念が依然としてはなはだしく、印度人は英国の虐政に泣きつつ一方においては自分らの仲間の賤民ハリジャン階級三千万にどれほどの酷薄な待遇を与えているかということ、印度婦人は幕組織バルダーシステムという社会制度の桎梏しっこくわずらわされて一切の異性との交際を厳禁せられ、いかにすべての世相に背を向けて家庭内に蟄居ちっきょした生活を送っているかということなぞ。しかも一口に印度人と言ってもいかに多種多様の人種を包含して、全然語系を異にする言語が二十幾つも行われているかということ、したがってヴィルプール国においてはアーリヤ語系に属するグジラット語、カッチ語を半々に用いているけれども、わずか山脈を一つ越えた隣国ではもう語源を全然異にしたドラヴィダ語系に属するマラカラム語を用いているために、英語を知らず印度語ヒンドスタニーを知らぬ無智階級では、同じ印度人でありながらも全然意思を通ずる道もないということなぞ。そしてそうした言語と人種の複雑した間隙かんげきに乗じて、英国政府はいかばかり印度人を強圧し虐遇しているか。
 現在英領印度ブリティシュインディアと称せられている中にもなお国内的にそれぞれ独立した総理大臣を持ち、内務大臣、大蔵大臣らの内閣組織を整えた王国三百七十幾カ国を数え、ヴィルプール国もまたその一つであったが、これらの各国王は、英政府の離間政策によって隣国とのよしみを結ぶことも許されず、印度総督ヴァイスロイの派遣する駐在官レジデント副知事レフテナント・ガヴァナー代官エイゼント等は、各王国居城に豪奢ごうしゃな官邸を構え、儀仗ぎじょう兵を付して威容を整え、各国王マハラージャの内政に容喙ようかいして、貢納金の取立て峻厳しゅんげんを極めている。すなわち英国政府は全印度人に苛酷の重税を課して生活を極端に低下せしめ、印度人は小刀を除く一切の剣、猟銃、拳銃等の武器の携帯を禁ぜられているほか、もしいささかでも英国官吏を誹謗ひぼうする印度民衆があれば直ちにこれを讒謗律ざんぼうりつの重刑に処し、印度は殺されもせず生かされもせず牢獄のうちに閉じめられて、ただ原料と製品の消費地として、その富を英本国へ移し植えられることにのみ役立っている。しかも今日印度の津々浦々各町村に英国の密偵が入り込んで、英政府の誹謗をする印度人の探査に努めている数はいかにおびただしいものであるかということ等々、私は別段自分が行きたいとも思わなければ、知りたいともかつてこいねがわなかった印度の細かい事情がすっかり飲み込めて、ギラギラするような熱帯の風物下、英国の暴圧に生きる望みを失って酔生夢死の生活を送っている印度大衆の姿が、この頃では眼に見えるように感ぜられていたのであった。もっとも以上のような事柄は智識的に言えば、何も必ずしもカ氏の説明を待つほどのことはなかったかも知れぬ。印度旅行記か地理の本でも開ければいずれも概念的にはすぐわかることばかりであったろうが、それがこうして直接に黒いカ氏の口から聞かされると、そこには何かしらまた本から受ける感じとは違って生き生きと胸を打つものが迫ってくるようで、私の心を見も知らぬ遠い熱帯の国へつなぎ止めていたのであった。ことに私の魂消たまげたのはヴィルプール国の王宮なぞと言ったところで、どうせ英国人のいわゆる土侯チーフぐらいのものであってみれば大したものでもなかろうと高をくくっていたにもかかわらず、カ氏の見せてくれた写真で驚いたことには、その荘厳華麗を極めていることであった。緑したたる眼も遥かな芝生の彼方此方かなたこなたには鬱蒼うっそうたる菩提樹ぼだいじゅがクッキリした群青ぐんじょうの空を限って、その樹陰を透かして広やかな泉水の彼方には高塔高く雲を突いた五階建ての燦然さんぜんたる白大理石の宮殿が糸杉の並木に囲まれてそびえ立っていた。そして左手遠くなだらかな丘のふもと殷賑いんしんな市街を見下ろした雄大な景色は莫迦ばかにしていた私の想像を根柢から裏切って、思わず眼をみはらしめたのであった。
 カ氏は写真のあちらこちらを指して、この辺に太子殿下ラジクマールの設けられた蚕業さんぎょう試験場があり、この辺に太子殿下の作られた無料図書館があり、丘の麓にある細菌研究所ではいつぞや私の方から納めた機械の二台が組み立てられて今頃は調帯ベルトがかかってうなりを立てている頃であろうと教えてくれた。大体がこのカ氏という人は非常に自分の王室を崇敬して二口挙句には「国王陛下マハラージャ」とか「太子殿下ラジクマール」だとか土侯チーフをまるで一国の元首扱いにしているような言葉を使うのであったが、私にはそれがどうも滑稽こっけいで今まではカ氏の口から、国王陛下マハラージャ太子殿下ラジクマールが出てくると、眼の前に坐っている黒い氏の顔から想像して、たちまち跣足はだしで鉄砲をかついだエチオピアの兵隊サンを連想せざるを得ないのであった。が、今こうやって雄大な写真を眺めながら凝乎じっとカ氏の説明に耳を傾けていると、さすがに私の認識も幾分改まってくるのを覚えた。まんざらハダシに大礼服を着た国王の姿も想像されなくて、やはり相当な威令と威厳とを備えている王室らしく感ぜられてくるのであった。が、それはともかくここに一つ、どうしても私にはうなずきかねることがあった。それは氏の話によれば印度のほんとうの美人には、欧州人さえも食指を動かしてこれに垂涎すいぜんするものがすくなくないというのであったが、それだけは私には何としても承服できかねた。
 なるほど、アーリヤ系の容貌は、鼻筋が通って眉が秀で、骨格は雄大であり、肉体上から観た人種としては、到底日本人なぞ足許あしもとにも寄り付けぬ優れたものだと思っていたが、しかしこの鍋墨なべすみのようなこんな汚い色の中にそんな美人があろうかとは、想像にも付きかねることであった。
 カ氏の言い草によればカシミール地方北部、ヴィルプール地方の婦人は色白く世界にも定評のある典型的な美人が多いと言うのであったが、それもカ氏のような黒い印度人の眼から見ればこそ渇仰かつごうに値するかも知れないが、私たちの眼からはやはりふだん見慣れている、日本美人や活動によく出てくる聖林ハリウッドあたりの亜米利加アメリカ美人に優る代物しろものが黒サンの国に見出されようとは考えられぬことであった。
「これがボンベイの映画女優です。美人とは思えませんか?」と、あまり私がニヤニヤと信じられぬ眼付きをしているので、カ氏はごうを煮やして大きなまゆずみこしらえた印度女優のブロマイドを持ち出してきた。なるほど顔立ちが美人でないとは決して言えなかった。夢見るような瞳をしてひどく濃情的な容貌は、もしこれが聖林ハリウッドあたりの女優だと言っても決して恥ずかしくないだけの縹緻きりょうをしていたが、写真ではもちろん皮膚の色もわからず、それに第一南国的なしちくどい肉感さは見ただけで腎虚じんきょになりそうで私には感心できなかった。
「よろしい! 美人であるかないかは、人々の好き不好ぶすきにもよることですから一概にも言えません。けれど、ともかく印度に来ている欧州人が非常な憧憬を持っていることだけは間違いありません。あいにく今手許にお写真がないのであなたにお見せすることができないのは残念ですが」といかにも残念そうに前置きしてカ氏は話し出すのであった。ヴィルプール王国ナリン太子殿下ラジクマールの姉君カムレッシ王女殿下クマーリがいかに美しいかという自慢話であった。
「初めて仏蘭西フランスのボギラール大佐が私の国を訪問された時だったと思います。大佐は国王陛下マハラージャ謁見えっけんされましたが、太子殿下ラジクマールはその折ちょうど旅行で御不在でしたのでカムレッシ王女殿下クマーリがお逢いになりましたが、大佐は口を極めて王女殿下の美をたたえられました。まだこれだけの美しい女性を世界中で見たことがない。何と評すべきか。その美しさを称える言葉を見出すのに苦しむ。造物主が作った人間のうちで最も美しい最も気高い女性と言えば印度のカムレッシ王女であると、大佐は口を極めて賞讃されました。その後英国のマンチェスター・ガーデアン紙の特派員コレスポンデントも王女謁見記を新聞紙上に公にしましたが、カムレッシ王女殿下が欧州人の前で写真をお撮りになるのがお嫌だから写真を読者に示すことができないのは残念であるが、もし王女殿下がひとたび巴里パリーへ来られロンドンへ来られたならば、おそらく欧州一流の美女たちも王女の持たれる色づける皮膚の美しさ、気高さ、麗貌のこの世ならぬ尊さに顔色を失うであろう。哀愁をたたえられた沈思のまなざしと薄小麦色に蒼白さを交えた深みのある肌膚きめあでやかさとは、到底自分らの筆をもっては表わすこともできないと書いていました」
 私は込み上げてくる笑いを隠すのに骨が折れた。相手が外国人でなかったら「おふざけなさんな」と肩でもたたいて笑い転げてしまうところであったが、大真面目で話しているカ氏の顔を見るとそれもできなかった。仕方がないから私も真面目な顔を装って調子を合せていた。
 誰しも国の自慢を言わぬものはないけれど、ここまで通り越してしまっては、うっかり相槌あいづちも打てぬとあきれ返ったのであった。モジャモジャと熊のような毛の生えた真っ黒なカ氏の顔を眺めながら、こんな話を聞かされて私たらずとも真正面まともに信じ得る人間が幾人あったであろうか? 気品が高いとか眼鼻が整っているとかいうのならばともかくも、欧州一の美女たちも驚倒するような絶世の美人ときては相槌を打っているのさえも莫迦ばか莫迦しくなって、しまいには私も黙って聞いていた。その口をつぐんでいる私の姿が、また、のぼせ上ったカ氏の眼には、私が共鳴感を表わしているとでも見えたのであろう、私をみつめて口を閉じていたが、たちまち悲憤の色を漂わせた。「その美しい王女殿下を、どうです、MRミスタ・タチバナ、暴戻ぼうれいな英国の官吏は臆面もなく恥ずかしめようとしたのです。けだものとも何とも評しようのない無礼極まる奴らです。彼らの眼には私たちの崇敬する王女殿下のお姿も土人の娘としか映ってはいないのでしょう」とんで吐き出すように言った。「私はその頃王宮内の図書館に働いていたのですが……」
 そこでカ氏が私に話してくれたことを要約してみると、王女はその時何かの用事で珍しく後宮ザナナを出て、表御殿のナリン太子クマールの部屋へお見えになっていられたが、あいにく太子は部屋においでがなかった。ちょうどその時刻ヴィルプール※(「答+りっとう」、第4水準2-3-29)ちゅうさつの英国駐在官レジデントサー・ロバートソン・ジャルディンきょうは、国王に拝謁はいえつして退庁しようとしてたまたま王女のあでやかなお姿を、開け放したドアの向うに垣間見た。
 王女の美しさに胸を焦がしていた独身の駐在官レジデントは、折悪しくそこに侍女や侍僕の姿の見えないのに安心して、つかつかと部屋の中へはいり込んで行った。そして兼ねての思いを掻き口説いたが、英国主権の悲しさには王女は王宮内に絶大な権力をふるっているこの厚顔な英国駐在官の無礼な恋を無下にしりぞけられることもならず、当惑しつつも柳に風と受け流していられた。が、あまりに人もなげな無礼さと英国宗主権をかさにきた駐在官の執拗さに、身をもってのがれようとされた瞬間、誤って手に持った刺繍ししゅう用の針が相手の身体に触った。それが駐在官の頬を破って血を流したが、血を見てかっと猛り立った駐在官から身をひるがえして、王女は王宮の廊下を後宮ザナナの方へ駆け出して来られた……。そこへ太子は階段を上って帰って来られたが、姉上に対する駐在官の無礼を見られると、いきなり手にせられた乗馬用の革鞭かわむちを奮って駐在官目蒐めがけて打ち降ろされた。人に見せまじき場面を太子に目撃せられて血迷った駐在官は、逆上して、相手の見境もなく悪鬼のように躍りかかってきた。一度は太子もそこにぎ倒されたが、二度目に躍り蒐ってきた駐在官はその瞬間太子の引き離された拳銃のために、一発の下に、その場を去らず射殺されてしまったということであった。
「私はその頃ちょうどボンベイ大学を卒業したばかりのころで、太子図書館ノートの整理をしていましたが、この騒ぎを聞いて王宮前の広場へ駆け付けました時には、駐在官レジデントの屍体がちょうど白布におおわれてかつぎ出されようとする時でした。太子殿下や王女殿下の御身の上に間違いはなかったかと広場前にたたずんでいましたが、急を聞いて、同じ心の市民は続々と広場に集ってきました。口々にナリン太子殿下クマールの万歳を唱え始めましたが、やがて太子殿下は露台へ姿をお現しになって私共に向って御会釈をなさいました。右手に繃帯ほうたいをしていられましたようですが、ふだんと何の変った御様子もあらせられず穏やかに微笑んでいらっしゃるのを見ました時には私共国民は、感激のあまり、まったくうれし涙がこぼれ落ちました。そして私たちが安心して帰り掛けていますと、どうでしょう英国の兵隊が――各王国に英国は必ず屯管区カントンメントを設けて、英兵と印度兵とを混入してこしらえた帝国貢進兵インペリアルサアヴィスツループスというものを駐屯させておきましたが、その駐屯兵を繰り出してきて王宮をぐるっと包囲させたのです。しかも血迷った英国士官は本国の威力を示すためか、いきなり馬上から指揮刀を挙げて、この大群集を目蒐めがけて小銃の乱射をさせました。何の罪咎つみとがもない身に一挺いっちょうの小刀すらも帯びぬ市民たちは、たちまち血煙立ててそこに数百人の死傷者を生じました。その阿鼻叫喚あびきょうかん直中ただなかへ、騎馬兵がさらに砂塵を挙げて吶喊とっかんしてきました。馬蹄ばていに掛けて群集を蹴散らさんがためなのです。その時いずれの印度人もまなじりを挙げて、いつの日にか英国への復讐ふくしゅうを誓わぬものとてはありませんでした。あらゆる抵抗力を奪われている私たち印度人はただ眼を挙げて、王宮の露台に佇んで凝乎じっとこちらを凝視みつめていられる太子殿下のお姿を見返り見返り退散しましたが、殿下はその時右手をお挙げになりながら、私たち退散する群集の方を眺めていられました。声を挙げればたちまち英国兵のために暴動として撃たれますから私たちは黙々として涙をこびり付かせたまま帰りましたが、この時ほど私たち全民衆と太子殿下との心が一つになって、英国への復仇ふっきゅうを誓ったことはなかったのです。国を挙げて亡国となってしまった人民の気持だけは到底日本人たるあなたにはおわかりにもなりますまいが、私共印度人は今日では英国の前には両手両足をしばられた赤子も同然です。血の涙がこぼれましても何を一つ酬いることもできぬ身の上です。私たちはただ、王女殿下や太子殿下の安否を気遣って王宮へ駆け付けたに過ぎません。英国へ何の異心を企図していたわけでもないのです。しかもこの無抵抗な私たちさえも、こうして集まって来さえすれば暴動の前提として、理も非もなく英国兵は馬蹄に掛けて蹂躙ふみにじってしまうのです。
「これが人道を叫び紳士を標榜ひょうぼうする英国が、印度で常套じょうとう手段です。英国人にとっては印度人の命ほど安いものはありますまい」
「しかし英国の派遣している駐在官レジデントを射殺されては、たとえ太子であっても大問題が起るでしょう? それで太子には何のとがめも掛からなかったのですか?」と私は聞いてみた。
「もちろん問題になりました。しかしもしナリン太子殿下に何らかの危害を加えれば、今度こそ武器はなくてもヴィルプール全国に大暴動が突発することを英国側でも気付いていたのでしょう。もともと駐在官レジデントのジャルディン卿がよくないのですから、一時は憲兵が来、高等法院長が来て険悪な状態を示しましたが、到頭有耶無耶うやむやのうちにこの事件は葬られてしまいました。判然はっきりしたことはわかりませんが、このことのために国王陛下マハラージャは、わざわざ首府ニューデリーまで印度総督ヴァイスロイを御訪問になって、ジャルディン卿遺族の弔慰その他に大分の国帑こくどをおつかいになったというもっぱらの評判でした。お年は若くても私共の太子殿下は、印度各王国中で一番英邁えいまいなお方として従前から隠れもない評判のお方でしたが、私が感じましたのは、そうした非常の際の太子殿下のお姿だったのです。お身の上が危ないと、今日明日にも危ないとその噂とりどりの最中でも、ふだんと少しのお変りもなく王宮内のいろいろな研究所の中でさも楽しそうに所員の研究報告なぞに耳を傾けておいでになるのです。私の勤めておりました太子図書館へも時々御見えになりましたが、穏やかな御様子で私たちまでにも御会釈になって、これがあの傲慢ごうまん無礼な英国官吏をこらして王室の威厳を御保持になった方とも思われないくらい、女にもしたいほどのお優しさでした。そのお姿を眺めました時に、世が世ならばこういう空位を擁するお方としてではなく、かかる英邁剛毅なお方をこそ、我が王国の指導者とあがめたい気持で、私は胸が一杯だったのです。うれしいに付け悲しいに付け、亡国の民の心ほど頼りない淋しいものはないのです」と、カパディア氏はこの長い物語の結末を結んだ。
 私も机の上に頬杖を突きながら凝乎じっとカ氏の話に聞き惚れていたが、この時だけはさすがに亡国の民族の哀れさが聞いている私の胸にまでも滲透しんとうして、真正面まともにカ氏の顔を眺めているにも忍びぬ気がしたのであった。もちろんカ氏も、こんな悲憤慷慨こうがいの話を最初から始めるつもりでもなかったのであろう。初めは下らん印度美人の自慢話なぞからこんなことになってしまったのであったが、さすがに故国への哀愁や思慕やが胸を詰らせたとみえて、しばらくは黒い顔を俯向うつむけて言葉もなかった。やがて「忘れましょう、忘れましょう、いくら考えてもどうなる話ではないのですから」と迷夢からめたようにかしらを振った。「下らぬことを申し上げて、あなたにまで不愉快な思いをお掛けしてしまいました。どこかへ行ってお茶でも飲みましょうか」
「そうしましょう、どこかへ行って気持でも変えて爽やかにしましょう」と私も腰を浮かせたが、その途端であった。「そうそう……」とカパディア氏は重大なことを言い忘れていたといったように、急に面を輝かせた。「つい話の方に夢中になって機会を失していましたが、その今申し上げたナリン太子殿下が、今度日本へおいでになるのですよ。二、三日前私の方へも知らせがまいりました」
「太子が」と私も驚いた。「そんなことがあってお国にもいられなくなってでしょうか?」
「そんなことはありますまい。それは三年前にもう片が付いていることですから」とカパディア氏は苦笑したが、「ただ御来朝になるという知らせが二、三日前に突然はいっているばかりで、どういう目的でおいでになるのか、そういうことは一切わかっていないのです。あるいは欧州へでもおいでになる途中、お立寄りになるのではないかと思っているのですが」カ氏も解しかねる顔をした。「殿下がおいでになりましたら、あなたにも一度お引合せいたしましょうか? 平民的なそれは気持のいいお方ですから」とつけ加えた。「ええどうぞ!」と、私は別段ことさらに逢いたいと思ったわけでもなかったが、「どんな事情でおいでになるにせよ、太子にお逢いになれるということはうれしいでしょうね?」と聞いてみた。
「それはもう!」とカ氏も包み切れぬ喜びの色をあらわして、今しがた暗くした顔をにこにこと嬉しそうにほころばせた。「こうやって遠いあなたのお国へ来ていて、自分の国の太子をお迎えできるということはまた格別の喜びです。同じ印度でもベンゴール州からは随分たくさん日本へ来ていますが、ヴィルプールからは私も入れて十人ぐらいに過ぎません。そのうち六人の者に知らせがまいりましてからはもう大ハシャギで、寄るとさわるとその話ばかりで持ち切りです」と破顔した。「もし私の留守中にプラタラップさんが見えたらすぐ帰るからお待たせして!」と女中アーマに言い付けて、「お待たせしました。さあ、出掛けましょう」と私を促した。
 なんでも六月末……それはまだこんな戦争なぞ、始まる前のことだったと覚えている。その時の話の太子というのは日本へ来られたのか、それともこんな戦争騒ぎで中止にでもなったのか! あまり、大して念頭にもないことだったのでついうっかりして今日まで忘れ切っていたが、今こんな美しい少年を見ると初めてその時のカ氏の話なぞがそれからそれへと思い出されてくるのであった。
「なるほどこんな素晴らしい少年なぞがいるようでは、その王女も相当に美人かも知れんな」とあの時ムキになって私に王女の美しさを力説したカ氏の顔を可笑おかしく思いうかべながら、私はさっきから少年と肩を並べて駿河台するがだい下のヴァローダ商会から、小川町おがわまちの方へと灯のまばゆい電車通りを歩いていたのであった。


 さて今少年と連れ立ったその夕方はまことに爽やかな、吹いてくる風が水のように涼しい晩であった。暑い一日も過ぎて美しい月が澄んだ夕空の向うに輝いて、久しぶりで気持のくつろいだせいもあったろうが、一気に自動車を飛ばせるよりも、何かこうゆっくりと良夜を楽しみたいような気持のする晩であった。自動車よりも省線電車を取りたいと思うけれど歩くのはかまわないかと聞いてみたら、「ええ、どうぞ!」という返事であった。
 女の靴かと見まごうばかりの光った華奢きゃしゃな白靴で、コトコト舗道を踏んでいて来る少年の姿を眺めていると、なぜかそんなことを問わずにはいられないような気がするのであった。
 少年はこんな夜の東京の町を歩くのも初めてと見えて、いかにも楽しげに跟いて来る。やがて私たちは万世橋まんせいばし駅のホームに立ったが、電車に乗ろうとする時に初めて少年の頬にチラと、当惑の色がうかんだ。
一等車ファストクラス二等車セカンドクラスはついていないでしょうか? まだ三等車サードクラスに乗ったことはないのですけれど」
 よく日本にいる外人連中には目白押しをして乗る三等車をいとうて、二等を選ぶ連中があったが同じ当惑をこの小さな印度の少年の頬に見たのであった。
 私は苦笑して贅沢ぜいたくを言うなと無理に三等車へ押し込んでしまったが、車内にはいると同時に今度は私の方がてれてしまった。頭布サッファに付いている無数の玉が電灯の光に反射して、少年は硝子ガラスの玉だと言っていたが、なかなかもって硝子どころではない輝きを放ち出した。その上、美しい少年のおもては満員の乗客の注目をいて、乗客たちは言い合せたようにジロジロと少年の姿ばかりに視線を送った。私は閉口して、得意になってこういう少年を連れて歩いていると人が思やせんかと電車が有楽町へ着くまでなるべく少年と離れ離れになっていた。停車場を出ると何ということもなく日本劇場へ足を向けたが、表には黒山のような群集が切符の順番を待って、長い列を作っている。それが少年には厭わしそうに見えたので、日比谷劇場に足を向けたが、ここもまた一杯の人で二階へ行っても階下のどのドアを開けてみてもあふれんばかりの観客であった。せっかくはいってはみたものの当惑して、映写中の森閑ひっそりとした休憩室に少年と肩を並べてもたれていると、突然少年は涼しい眼を挙げてこんなことを言い出した。
切符ティケットは全部五十銭ばかりなのでしょうか?」
「なぜそんなことを聞く?」
「私はあなたの御好意は感謝しています。まだこうして東京市中をゆっくり散歩したことがありませんから、大変愉快を感じているのです。ですけれどなぜこの劇場は、切符ティケットを一番高いのと中くらいのと安いのと三通りくらいに分けておかないのでしょうか。そうすれば誰でもゆっくりと映画が楽しめると思うのです。全部五十銭というのは平民的デモクラティクに見えますけれど、かえって不便ではありませんか。その身分に応じて人は楽しむのがいいと思うのですけれど、あなたは何とお考えになるでしょうか」
 私は吃驚びっくりしてあどけない少年の唇を眺めていた。
「御免なさい! 私はそれに気が付いて、今大変興味を感じたのですけれど、あなたにはこんな話は詰らないでしょうか?」
「かまいません、続けて!」と私は吃驚しながら先を促した。
「ボンベイやカラチなどの都会にはたくさんありますけれど、私の国にはまだ映画館の設けがないのです。それで私は日本へ来るちょっと前に映画館を一つこしらえよう思い立ちました。映画による教育エデュケーション宣伝プロパガンダの力がどんなに、無智な人々にも大きく働き掛けるかに気が付いたからなのです。計画プランを拵えただけで私はこちらへ来てしまいましたから今年の十一月ごろでないとでき上りませんが、初め私はその計画を考えた時、入場料は一切取らない予定を立てたのです。私の周囲の者たちもそれに賛成してくれました。しかし近頃私は、自分の考えが間違っていたことに気が付きました。無料では人々の自尊心を傷つけて、富める階級はそこへ足を向けないことに気が付いたのです。貧しい階級だけは業務をなげうって、毎晩のように見に来るでしょうけれど、毎晩見に来るのもよくなければ、ちっとも見に来ないのも困ります」と少年は綺麗な眼を微笑ほほえませた。
「私のつもりでは教育の場所を拵えるつもりなのですけれど、見に来る側では娯楽の場所を与えられたつもりになるでしょう。そしてそう思わせることがいいことなのでしょう。ですから、私は境遇に相応ふさわしいだけの、自尊心を傷つけないだけの入場料を区別せよと命じました。一等は四ルピー、二等は二ルピー、三等は半ルピー、四等は無料、しっかりそう決めたわけではありませんけれど、大体そんな風に考えました。そして私は今夜ここへ来てみて、私の考えが間違っていなかったことに気が付きました。私はこのことを早速国へ書き送ってやるつもりなのです」
 私はあきれ返って凝乎じっと少年の顔を眺めていた。
MRミスタ・シュータン! もう一度あなたの年を教えて欲しい! 幾歳いくつと言った?」
十九歳ナインティーン……お忘れになりました?」と少年は笑いながら顔をかしげた。
 まったく私は考え込んでしまった。諸君もそれを感じられるであろうが、日比谷劇場は日におそらく数千数百の人々を呑吐どんとしているに違いない。しかし映画を見るべくあの廊下にひしめいている日本の少年たちのおそらく幾人が、これだけの考えをいだきながら廊下をそぞろ歩いていただろうか。恥ずかしいが私も未だかつてこんなことは考えたこともなかった。がそれよりも私の驚いたのは可愛い顔をしているくせに少年の口吻くちぶりがなんとなく、一家の見識を備えて、威厳おのずから備わるあるものをほとばしらせていることであった。しかも映画館を一つ作ることを私は命じておきました、と少年はまるで玩具おもちゃの人形でも拵え上げるように、いとも軽々と口に出している。映画館なぞというものが、こんな十八、九の子供の小遣こづかいぐらいで易々とでき上ることであったろうか。どんな小さな映画館でも、すくなくとも何万という金がなければできることではないではないか。素晴らしい容貌をしてわかったようなことは言ってるが、どこか少し肝心なところが足りないのではないかしらんと思った。
「あなたの作る映画館は幾らぐらい掛かるのです」
 と莫迦ばか莫迦しいとは思いながら、私も子供になった気で相槌あいづちを打ってみた。
「私の計算では六万五千ルピーの予算です」
 断っておくが目下の為替かわせでは一ルピーは邦貨約一円二十四銭を唱えている。六万五千ルピーではざっと八万六百円ばかりの勘定になる。
「誰がそれを作るのです。あなたのお父様が……?」
「いいえ、私が作るのです。そして、姉も少し出してくれるはずになっています。ですからこれができ上ったら劇場の名前には姉の名をかぶせるつもりでいます」
「あなたはそんなお金持なのですか?」
「別段金持ではありませんけれど」と少年は微笑んだ。「でも、それくらいのお金はあるのです」ときた。しかも驚くべし、この八万六百円のお小遣いの少年は平然として、その辺に掲げられてある宝塚の女優の四つ切りブロマイドの額を見上げている。
「では、MRミスタ・シュータン! あなたは、そんな劇場や何かの研究で日本へ来たんですね」
 もう惰性で口だけを動かしているようなものであった。負けず小夜さよ福子の写真を私もにらみ上げる。
「いいえ」と八万六百円は涼しい顔をした。「私は学校へはいりに来ました。桐生きりゅう大学カレッジへ。桐生の大学は紡織と染色では私の国にまで響いています。独逸ドイツのフランクフルトアムマインの大学よりももっと響いています。独逸語を知りませんから、どうせ新しく言葉から習って掛かるのならばと思って日本へ来たのです。私の国は今その技術を、非常に必要としています。私がそれを覚えて帰れば貧しい者たちにもそれだけ生活の分野を拡げてやることができるのです」
 と少年は相変らず葦原あしはら邦子の額を仰ぎながら、苦もなく言って退けた。
「御存知でしょう、さっきあなたと話していた一人の方を――あのあなたに小説の話を伺っていたジャヴェリは私と一緒に桐生の大学へはいるつもりで来たのです。もう一人のシャアの方は高等学校から帝国大学へ入れて、電気工学を修めさせるつもりで連れて来たのです。でも何より先に一年か一年半ぐらいの予定で講義を聞くに差し支えないだけの日本語を覚えなければなりませんが、カパディアの方で一切世話をしてくれることになっています」
 少年の話ではその二人の印度青年を連れて今平河町ひらかわちょうの万平ホテルに宿を取っているが、近々どこかへ一戸を借りて、家庭教師を迎えて日本語の勉強をして、その上で桐生の大学カレッジなりそれぞれの学校なりへはいる予定だというのであった。桐生の大学といえばもちろん桐生の高等工業を指すのであろうが、こうやって聞いている分には、どこと言って辻褄つじつまの合わんところもないが、それでいて子供の話のようになんとなく茫洋ぼうようとして捕捉し難いところがある。ともかく諸君に今、Eccentricエクセントリック という言葉を思い出していただけるであろうか。英和辞書を引っ張ると「中心ヲはずレタル」とか「偏心的ナル」だとかしち難しい訳が出ているが、平ったく言えばなあに「調子ぱずレ」ということだ。この時ほど私はこの言葉が、一分一厘のすきもなくピッタリと当てまる境涯を感じたことがなかった。別段この少年の頭がエクセントリックだというのではない。むしろケタは幾分外れているにせよ、どこかに天才的な直観の鋭さがあって大した野郎だと驚嘆していたが、世の中は戦争のあわただしい空気に包まれて街頭では千人針や献金函が号外売りの鈴の音と相ともに、戦時気分を高調している真最中だというのに、活動を見にはいっても活動も見ずに寂然ひっそりした休憩室でこんな夢みたいな話と取っ組みながら葦原邦子の額を眺めている状態を、まったく私はエクセントリックだと思わずにはいられなかったのだ。自分ながらこの少年に引っ掻き廻されて、たださえ悧巧りこうでない頭がいよいよもって、可笑おかしくなってくるのを感じた。しかも私たちがエクセントリック味を満喫している間も、何か面白い場面でも中では映っているのであろう。はげしい喝采かっさいが聞えて笑いがどよめいてきた。だが、少年は別段写真を見たいと思うでもないらしく、ただこうやって私と話をしていることに楽しみを見出しているらしい様子であった。おまけに頭布サッファを付けた少年の異様な姿は、ここでも多分に人眼をくらしく、煙草を吸いに来ている人々や、売店の女売子たちが、いつの間にか私たちを遠巻きにしていた。
 もう映画を楽しもうという気持なぞは、すっかり私の念頭から消え失せてしまった。仕方がないからどこか人眼に付かぬところで食事でも済ませて、こんな取り留めもないことばかり言ってる子供は、カパディア氏のもとへ連れ帰ってしまおうと考えていた。が、東京でこういう異様な服装の少年を連れても人眼に付かぬところと言えばまず帝国ホテル以外にはない。
 実にウンザリしながらも、誘い出したのが身の不運とあきらめて、私は苦虫をつぶしたような顔をして、アーケード伝いにホテルの酒場バアへはいり込んだ。
 お互いにエクセントリックを仲よく半々に分け合いながら、今や黙々として語るに言葉もなく私はもっぱら麦酒ビールばかりガブガブと飲み、少年はチェリ・ブランデーを所望して炭酸で割りながら、おのおの無念無想の盃を挙げている時であった。どやどやと宴会崩れらしい酔っぱらった一群の外人どもが礼服スモーキングのままではいって来た。その中に兼ねて顔見知りの、パーズレイという横浜の米人輸出商がいた。ちらと私の顔を見ると千鳥足をしながら、懐かしがって片手を挙げた。が瞬間、私に向い合っている少年の姿に眼が留まると、洋盃コップを手にしたまま電撃を食らったように突っ立った。やがて洋盃を挙げて酔っぱらった仲間の連中とガヤガヤ語り合っているようであったが、思いしか、やはりどうもパーズレイの眼だけは凝乎じっと少年の上に注がれているように感ぜられた。不思議なことがあるもんだと思っているとやがて酒のお代りと同時に給仕ボーイがはたして、パーズレイの名刺を取り次いできた。心得て起ち上って行くとパーズレイも仲間から抜け出してきたが、カウンターの一隅で顔が落ち合うとまず私のためにパーズレイはハイボールの一杯を注文してくれた。
「どうした、しばらく逢わないな」と言った挙句、人のひじをついて、端然と掛けている少年の方を目配せしながら、「大変な人と連れ立って来たもんだな、どうして知り合いになったんだ?」と眼を円くして聞くのであった。
「ヴィルプールという国から来たんだ。カシミールの側の」
「ヴィルプール? ヴィルプールの王子プリンスか」
王子プリンス?」と、今度は私の方が眼を円くした。
王子プリンスとは何だ! 誰が王子なんだ?」
「おや知らずに飲んでいたのか。あきれたもんだな」とパーズレイが一層吃驚びっくりした。
王子プリンスじゃないか! 立派な王子だ! ほんとうに君は知らなかったのか」と疑り深くもう一度私の顔をのぞき込んだが、私の眼付きで嘘でなく私が吃驚しているのを見ると、いきなり耳のはたへ酒臭い口をおっ付けてきた。「ヴィルプールとは知らなかったが、確かにあれは印度で名高い王子プリンスの顔だ。何かの写真で見たことがある。……第一あの頭布サッファを見たまえ! あの頭布を! 印度人で、あれだけの頭布を冠っているものは、まず王族以外にはないはずだ。おまけに、あの宝石だ!」と私と一緒に振り向いた途端自分の噂をしているとも知らず、少年の眼がこちらへ向いているのを見るとあわてて、カウンターの上に顔を伏せた。
「間違いない! 確かに王子プリンスだ! 賭けてもいい!」と、うめくように言った。「見たまえ、大した宝石を着けてるぜ! あの価格だけでも大変なもんだ。あれが印度の王族の特長なんだ」
 途端にハッとして、私はさっきからで廻していたネクタイピンを抜いてそこに置いた。
「見てくれ! 硝子ガラスか硝子ではないか?」
「ダイヤモンドか!」とパーズレイは鼻眼鏡を出して電気に透したり、酔った手許てもと危なくこすって膝の間でもう一度透して見たりしていたが、「ハハア」と意味のわからぬ笑いをニヤリと洩らした。
よろしいオーライ! 君がらないのなら、俺が適当な値段で引き取ってもいい」
「待ってくれ、俺のではないんだ!」と、私は大急ぎでそのダイヤモンドを取り上げた。
「やっぱり太子プリンスだ、間違いなく、太子だ!」と私は夢のようにつぶやいた。
「俺を紹介してもらえないだろうか?」とパーズレイがささやいたが、私は夢のような気持で返事をするのも打ち忘れて、高い椅子から滑り降りた。印度人たちの少年に対する鄭重ていちょうさやさっきからの食い違っていた問答やが、瞬間旋風のように私の頭の中でぐるぐるとめぐって、腑に落ちた。
「お友達?」と少年は再び席へ戻って来た私に微笑み掛けたが、私はもう返事をするどころではなかった。ネクタイピンを手に持ったまま茫然ぼうぜんと突っ立っていた。この人が……、この可憐かれんな美少年があのカパディア氏からたびたび聞かされていた英邁えいまいなナリン殿下クマールであろうか? この美しい少年が? 私は混乱し切った頭でもう一度不思議そうに私を見上げている眼前の美少年の顔を、穴のあくほど眺めていた。「どうしました? 何をそんなに考えていらっしゃる?」と少年は微笑み掛けたが、私は咄嗟とっさの機転で「MRミスタ・シュータン!」と呼び掛けた。「あなたはさっき映画館ができたら、あなたの姉妹シスターの名前を付けるつもりだと言われましたね? 何とお付けになります?」と、聞いてみた。
「カムレッシ劇場と付けます」と、いう返事であった。やっぱり太子だったのだ! 私は酔いもめ果てた気持がした。
「あなたはナリン太子ですね。あなたはナリン太子ですね」と私は莫迦ばかのように一つ事ばかり繰り返した。そうとは知らず先程より無礼の段々、ますこのとおり[#「ますこのとおり」はママ]お許し下されエ! と日本の旧劇ならばこの辺で声を張り上げるところであろうが、私にはそういう芝居はできん。
「私はそれに気が付かなかったのです。あなたにお眼に掛かっていてもあなたの頭布サッファを見ていても、それが私にはわからなかったのです。しかし私はあなたのことはMRミスタ・カパディアから、たびたび聞いていました。カムレッシ王女のことも、そのほかにもいろいろなことを、私はみんな詳しく聞いています」
「でも、私はここでは別段太子ではありませんよ、MRミスタ・シュータンです」と、当惑したように太子はまゆをよせられた。「MRミスタ・タチバナ! 私をどうぞMRミスタ・シュータンと呼んで下さい。それで結構です。ヴィルプールは日本とは何の関係もありません。英国の属邦の太子は、あなたにとっては単なるMRミスタ・シュータン以上には出ないじゃありませんか! まあ立っておいでにならないで」と太子は手をって茫然としている私を掛けさせた。「私もあなたのお噂はカパディアから聞きました。あなたが私の方の仕事に好意を持っていて下さることを知って、感謝していました。また今夜あなたが私の友達となって下さったことをも、うれしく思っています」と太子は美しい手を差し伸べられた。その手を私は夢中で鷲掴わしづかみにした。
「私は、もっともっと、できるだけのことをしようと思っています。私はあなたの友達だ。たとえあなたが太子であられようとなかろうと、私はもうあなたの友達です。ともかくもう愉快だ! もっと飲もう! 太子! あなたももう一つお飲みなさい! 私ももう一杯飲む!」と私は王族の親友ができて、無暗矢鱈むやみやたらに愉快になってきた。幾分さっきエクセントリック時代にガブ飲みした、麦酒ビールの酔いが発してきたせいもあろう。「そしてカムレッシ王女はお丈夫ですか?」とつい浮かれた余りいい気になって莫迦ばかなことを聞いてしまった。「姉をお眼にかけましょうか?」と太子は左の内ポケットから、小さなロケットを取り出した。ごく小さな金の盒であったが、これにも何か宝石いしちりばめてあると見えて、煌々きらきらと輝いていた。「右がマハラージャです」
 なるほど、それが太子の父王現国王マハラージャであろう。長くひげを生やした、やはり頭布サッファの老王が太子によく似た眼許口許をのぞかせていた。そしてその左側に眼を移した途端、私の脳裡には突然、いつぞやのカパディア氏の言葉が蘇ってきた。たとえ欧州一の美人と言えどもカムレッシ王女殿下の美しさには及ぶものはないであろうとのあの言葉が。その時私は心の中でカ氏の言を笑殺した。しかし今この眼前の玲瓏れいろう玉のごとき太子のおもてを見、このロケットの中に微笑んでいるカムレッシ王女の姿に接する時、誰がカ氏の言を疑うことができようぞ! 面長な顔、切長な魅惑そのもののひとみ、そして優しくほころびた口許、婀娜あでやかというか、濃艶滴らんばかりというか! 印度を知ること何ぞ遅かりし! もう誰が何と言っても、印度は私の友達だ。日本の盟邦だと私は心の中で絶叫した!
「太子、もう誰がなんと言っても私はあなたの友達だ! そしてカムレッシ王女にもよろしく言って下さい。私のできる限りのことはする!」ともう一度私は太子の手を握った。
「それをあなたはどうなさる?」と私の酔っぱらいぶりをいささか持て余しながら、太子はさっきから私が返そうとして手に握りしめていたピンを抜き取って、また私のネクタイへ挿してくれた。
「いいのではありませんけれど、お役に立てば結構です」
「いいや、これは返す! 硝子ガラスのピンだと私は思っていたのだ! そんな高いものなら、私にはらん。私はちっとも欲しくない!」と私はわめき立てた。「MRミスタ・タチバナ。あまり遅くなりますとみんなが心配しますでしょう。よろしかったらそろそろ帰ろうではありませんか」
 と太子が立ち上った。「お暇でしたら明日でも私のホテルへいらっしゃいませんか? 何にもありませんけれど御飯でも御一緒にしてお話しすることにいたしましょう」
「行きますとも! 私は忙しいけれども行きますとも!」と大元気で私は喚いた。少年がナリン太子とわかった時分から私の呂律ろれつはだいぶ怪しくなってきていたが、それでもまだまだ私は飲み足りん気がしていた。そしてこの少年がナリン太子ならば、自分にも掴めないが何かもっともっと話したいことが、山ほどあるような気持がしていた。


 もちろんそのあくる日は、約束どおり何をいてもまず太子を訪ねることにした。こんなことを言ったら人は私を変態性慾だと思うかも知れないが、昨夜太子とタクシーで別れて以来私には太子の美貌が、妙に眼先に散ら付いて忘れかねたのであった。中学時代に私の棒組ぼうぐみに野球に凝って落第ばかりしているニキビ野郎があって、無闇に下級生の「ヨカ稚児ちご」ばかり追っ駆け廻していた。そのうちにあんまり落第ばかり続けて到頭しまいには自分の稚児サンと同級生になってしまって、数学を稚児サンに教わっていた莫迦ばか野郎があったが、その時分から汁粉屋の女中の手引で女の味を知っていた私は莫迦莫迦しくて男のくせに男を追っ駆け廻すなんて汚ねえじゃねえかとどうしてもその気になれずに到頭その方の経験だけは解せずじまいであった。
 もうそろそろその時分の棒組たちが神妙なオヤジに納まり返って、稚児サン騒ぎなぞ※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびにも出さなくなった今に至って私一人は俄然がぜんとして稚児サンのよさに覚醒めざめ、どうやら朝起きても私の眼前には昨日以来の太子の、女にも見まほしき美貌が散ら付いてきてしかたがないのであった。
 この気持がいわゆる男色ソドミイというのだろうと考えたが、いい年をしてチゴの心境を解した時には事もあろうに、相手は印度人でおまけに一国の太子殿下ときては、なんという我ながら大した心臓野郎かと苦笑せざるを得なかった。が、ともかく別段時間の約束もしておかなかったから、朝飯が済むと早速訪問することにした。
 ところが万平ホテルに訪問してみて驚いたことには、実に驚いたことにはであった。男色どころか、稚児サンどころか、というのであった。太子はMRミスタ・シュータンの微行で来ているにもかかわらず、英国大使館方面ではいち早く神経をとがらしていたものと見えて、日本の新聞には一行半句も現れていないのに、すでに英国大使館の標識を付けた立派なキャデラックがホテルの前に止まって、運転手の野郎はあるじ待ち顔に大欠伸おおあくびをしていた。ひょっとすると、太子を訪ねて来ているのではなかろうかという予感がしたが、頤紐あごひも金釦きんボタン給仕ボーイを通じさせるとはたして私の予感どおり、「唯今大使館のお客が見えているものですから、しばらくお待ちを願います」という切り口上の返事で、冷やかに階下の応接間へ通されてしまった。私の男色なぞはヒェーとばかりに一遍にすっ飛んでしまったが、そんな大使館の物凄ものすごい野郎なぞと張り合う気で来たのではなかったから、私は別段に一張羅いっちょうらも着用せずふだんのままの膝ッコのできた洋服に、泥靴でペッタンペッタンとやって来たのであったが、ホテルなぞというところはいずれは立派なお客ばかりフン反り返って来るところであろう。私みたいな妙ちきりんなお客に対する給仕の待遇すこぶる突慳貪つっけんどんを極めてまるでどこかの外交員でも戸惑いして来たかのような扱いであったから、私は内心怒りが勃発ぼっぱつして人なきを見て、応接間の立派な絨緞じゅうたんで靴の泥を存分に押しぬぐってくれた。そして昨日あれほど友達になったにもかかわらず、もしそういう立派な訪問者との会談なんぞに眼がれて太子までが私をナメて長く待たせるようであったら、かまわねえからこっちから縁を切ってさっさと引き揚げてしまおうかと、今更ながら身分違いの友達を持ったことを後悔したのであった。何かよほどの重要会見でもあったのであろう、会談は相当長引いているとみえて、なかなか私を迎えには来なかった。靴の泥をこすり落とし、手でズボンをつまみ上げて折目も拵え終ったが、それでもまだ迎えに来ず、ええクソ帰ってしまおうか今帰ろうかといらいらしていたが、その私の気持をただ一つつなぎ留めていたものはあの昨夜MRミスタ・シュータンとして、むつまじく語り合っていた時の太子の美しい印象や、あどけない口のききぶりやであった。それがただ一つ私を引き留めて、いら立ちながらもどうにも決断を鈍らせていたのであった。
 だから、やがて昨日の昼間ヴァローダ商会で私と春琴抄の話をしたハルヴァダン・ジャヴェリという従者の方が急ぎ足に私を迎えに来た時には私はもうすっかりムクれて、どうせ私は大した友達ではないでござんしょうよとばかりにねて、とみには口もきいてくれなかった。
「決してこんなにお待たせするわけではなかったのですが、ちょっと面倒な事柄を持って来たものですから太子殿下ラジクマールも大変お気の毒がっていられるのです。さあ、どうぞ! このままお帰りになりましたら、あとで殿下もどのくらい御失望になるかわかりませんから」と私を谷崎潤一郎以上の文豪と尊敬しているジャヴェリは、極力怒れる私の心をなだめた。「さあどうぞ! どうぞ」とこの黒チャンに手をられんばかりにして私は楚々そそ蓮歩れんぽを踏み出したわけなのであったが、東向きの三階四室ばかりはことごとく太子一行のために貸切りとなっているらしく、その一番突端のドアを今ジャヴェリが開こうとした途端、れ違いに中から出て来たのはそれが今まで話していたという、英国大使館の二等書記官なのであろう、やはり白麻の洋服にヘルメットを右手に抱え、夫人携帯の見上げんばかり丈高い紳士であった。向うも私なぞは眼中にありはしなかったから擦れ違いざまに日本の外交員でも来たかと言わんばっかりの、ジロリと傲岸ごうがんな横ざまの一瞥いちべつをくれながら出て行ったが、日本人タチバナ氏の方も別段将来英国大使館と御懇意に願おうとは思わなかったから、反っくり返って絨緞磨きの靴で闊歩かっぽしながら、中へはいって行った。が、一歩中へはいって眼を廻したことには、私は再び繰り返すが男色ソドミイもよか稚児サンもあったものかというのであった。実に大変な人と友達になってしまったと今更ながら当惑せざるを得なかった。というのは、それが非公式ながらも英国大使館員を引見されるための王族の服装なのであったろう。畳数にして八畳ばかりの控えの間をぶっ通したその向うの部屋の、一番奥まったところに今椅子いすを離れて私の方ににこにこと笑みを送っていられる太子の姿というものは、兼々写真で見ていたとおり眼醒めんばかりの薄黄色の、膝まで垂れる絹の上衣シェルヴァニまとうて、膝下でくくったシュルヴァルを着けていられた。そして靴を純印度式のモージャディというのを穿かれ、しかも昨夜の頭布サッファの正面にはこれも兼ねて写真で見るとおりのコロンギという、鳥の羽を飾った五彩赫々かっかくたる宝石のちりばめられた王家の紋章が輝き、太子の服のえりからボタンことごとく、ただ瓔珞ようらくのごとき宝玉で、燦々さんさんとしてカーテンを引いた部屋の中に、私は綺羅きら眼も射らんばかりの古代アラビヤンナイトの王子をそこに見たのであった。
 光揺々ゆらゆらとして玉のごとき王子は、今静かに私の方に歩みを運んで来られるところであった。しかも笑みをたたえた太子の頬は、相変らず蒼鳶色あおとびいろに、今それは衣服の黄色を受けて幾分紅を差して震い付かんばかりの美しい瑪瑙めのう色であった。荘厳というべきか窈窕ようちょうというか、嬋娟せんけんというべきか夢幻というか! 亡国と莫迦ばかにし古代文明国とあざけり、物の数にも入れていなかった印度という六千年の伝統を持つ国に対して、私はまったくこの時ばかりは名伏しあたわぬ[#「名伏し能わぬ」はママ]の下るのを覚えた。恍惚こうこつと神秘という以外には、用いる言葉も知らなかったのであった。しかも太子は少しも勿体もったいぶっていられるのではなかった。
「どうですか、MRミスタ・タチバナ」と椅子の背越しに手を握られたが、「こちらへどうぞ!」と昨日と何の異なるところもない優しい子供らしい声を出されるのであった。
「昨夜はあなたのお陰で、まことに面白く夜を過ごしました。大変愉快でしたが、今朝はご気分は悪くありませんか?」と私に煙草を勧めながら、その愛らしい顔をかしげて微笑まれた。
「私には何の用事もないのですから、どうぞゆっくり遊んで行って下さい。まだすることがありませんので、毎日退屈で困っているのです」その側からもう一人の従者で電気工学を習う目的だという、ラジック・シャアといういつでも怒ったような顔をしている無口な青年も、「荷物がまだ着かないものですから、お読みになる本もありませんし、毎日退屈していられるところです。昨夜は大変面白かったと喜んでいられましたのです」と四角張って言った。
 私には太子のまるで女のように、眼のめるようなこの服装がどうも気になって、これが、王宮にいられる時のふだんの服装だとは聞いていても、話をしていてもなんとなく身が硬ばってくるのを覚えたが、太子自身は少しも意に掛けていられるところもなく、さも年来の友達ででもあるかのようにそのたおやかな衣服を胡蝶こちょうのように舞わせて――もちろん太子自身は意識してそうしていられるのではなかったが、私にはまるで胡蝶の舞っているとしか形容の言葉もなかったのであった――私の右隣りに席を占められ、また元へもどりつして私の問いに応じて隔意ない調子でいろいろな雑談へはいってゆかれた。
 初めは私の方からヴァローダ商会を通じて印度へ送った機械類について、英国品や独逸ドイツ品との性能比較や優劣なぞの話が出たが、これは太子自身には非常に興味を感じていられるらしい話題であったが、私の方が工業や殖産なぞというそんな問題には何の興味も持たず、殊に印度へ送った機械類なぞときてはただ生活の方便にぶら下っている事務の一種ぐらいのつもりであったから、何を送ったかももう忘れてしまっていくら話していてもピントの合おうはずがなかった。私が返答に困って頭ばかり掻いているのを見ると、太子も私の興味がこの方面にないことを察しられたのであろう。転じてなぜ印度のことを小説に書かないかという風なことを質問された。太子は自分が読んだ書物の名などを挙げられたが、いずれも古典的クラシカルなものばかりでその方面にも私はあまり興味が持てなかったから、これもあまり話ははずまなかった。
 やがて話題は変ってふと、国民の精神スピリットの問題に移ってきたが、太子は何ともいえぬ淋しそうな色をうかべて、せめて印度の人々の精神が日本人くらいであったならば、いかに種姓カストわずらいや言語人種の煩いはあろうとも、印度は今ほど無残な英国の圧迫下にてんでんバラバラな苦しみにも陥らなかったであろうという風なことを嘆息するように言われた。
「現在の印度の王族は阿片オピアムで身を持ち崩し、下層民は無学と無智のために身を亡ぼしています。唯今の小国王ラージャ大国王マハラージャたちのうちで、完全に阿片から救われているものが、何人あるでしょうか?」と、悲しそうに言われたのであった。総じてこの年少の太子はその立場の関係上からであったろうが、文学や音楽なぞという限定された趣味にふけることが許されず、いかにして国力を充実させて英国の羈絆きはんから祖国を解放するかということに、その関心のすべてが傾け尽されているように思われた。もちろんこういうことを指していわゆる王道学というのであろうとは考えたが、この年少の身で自分一身の趣味にはしることも許されず、ひたすら国家国民の隆昌にのみ心を砕いていられる少年太子の身の上が、何とも言えず私には痛ましく感じられたのであった。
「太子のお国に小説がありますか?」という私の問いに対しては、「カッチ語という言葉はまことに非文明な言葉で、話すことはできますけれど文字というものがないのです」とずかしそうに顔をあからめられた。「ですけれどグジラット語ならば四、五人の作家もあります。印度全部としては、印度語ヒンドスタニーで書いている作家はおそらく三、四百人もいるでしょうか。しかし言論は極度に圧迫されていますから、印度の作家は低俗な恋愛のみにはしるか、さもなければ哲学か詩の瞑想めいそうへ逃避する以外には書くことができないのです」とうら淋しそうに眼をしばたたかれた。
 ともかく絵のような太子に向い合って、異国のさまざまな話に耳傾けながら静かなホテルの奥まった一室に深々と椅子にもたれていると、私の気持まで何となく異国風エキゾチックな雰囲気の中に溶け込んでゆくのを覚えるのであったが、匂いの高い香料を入れた紅茶も、もうさっきからシャアの手で何度か取り換えられた。そしてこうしたところでこうした服装の太子と話しているよりもやっぱり私には、見慣れた欧州風の服装を着けた昨日のMRミスタ・シュータンの姿の方が、親しみがあってどうにも忘れられなかった。ニヤニヤしながら私がそれを切り出すと、太子はすぐ快く承諾された。
麦酒ビールを上って愉快そうになすってられるあなたを見ているのは、私にも愉快です。どうせ夕飯を御一緒にしようと思っていたのですから、これから歌舞伎へでも御一緒にまいりましょう。そして今日はシャアも連れて行ってやりましょう」と微笑みながら側に立っている容貌魁偉かいいなシャアに何か母国カッチ語で言われた。見る見るシャアの頬にも、喜色が湧き上がってきた。「では着換えてきます間、ちょっと御免下さい、シャアがお相手をしていますから」と太子は別室へ退かれたが、太子の姿がドアの奥へ消えるのを待ちかねたようにしてシャアは私の椅子に身体をのし掛けてほとんど顔を押しけんばかりにして声をひそませた。
「大使館方面への思惑もありますので当分太子殿下の御身分はあなた一人のお胸に止めて、どなたにも内密にしておいていただけませんでしょうか? 折り入ってお願いしておきたいのですが……。御存知でしょう? 先程もグレーヴス二等書記官が訪ねてまいりましたことを……」私は凝乎じっとシャアの眼を見ながらうなずいた。「お国へまいっておりましても、どこにどういう眼が光っているかわかりません。私たちはなるべくお国に在留している自国人たちにも太子殿下をお逢わせしないようにしているのです。殿下の日本御滞在には、大使館方面であまりいい心証を持っておりませんから――それがよくわかっておりますから、くれぐれもお願いしておきたいのですが」
「…………」私はもう一度頷いた。そして、「MRミスタ・カパディアにも?」と聞いてみた。「NO! NO!」と、シャアは破顔した。「あの人は私たち同様、太子殿下の奨学金で学校を卒業した人です。家を探したり女中を雇ったりすることもみんなあの人に頼んであるくらいですから、あの人に御懸念は決して要りません」そしてシャアは私が頷いたので安心したのであろう、私の側に座を占めて、今までよりは幾分声高に話し始めた。
 英国ははげしい圧迫をもって日本品――殊に印度大衆の必須品たる廉価な日本紡績の印度輸入に強圧を加え、英国産の高い紡績を買わせようと努めている。購買力のない印度民衆にとってはそれは塗炭の苦しみで、ヴィルプール国内の、貧民たちもほとんど着る物もろくろく得られぬ現状であった。それを黙視するに忍びず、二つには貧民たちに対する授産事業として太子はヴィルプール国内三カ所に、従前から小規模の紡績工場を建てていられたが、これをもっと大規模な国内産業にするために、自身率先して日本へ紡績を研究においでになったということを話してくれた。それらには英国駐在官レジデントの大反対があって、英国政庁側は日本留学を喜ばず必死になって英国マンチェスター大学への留学を勧めてまなかったのを、太子は押し切ってこちらへおいでになったということ、そして太子はもはや今日では、口先だけの印度の革命や独立などという論議を蛇蝎だかつのごとくいとわれて、ヴィルプール人には一切そうした政治的陰謀を許容にならず専心国力の充実のみを奨励していられるが、御自身はアジメールの貴族学校メイヨーカレッジ在学時代から常に心の奥深く独立の企図を蔵していられるらしいということ。そのためにゆくゆくは他の王族同様帝国候補生隊インペリアルカデットコープスへ進まるべき父王マハラージャや英国政庁辺の意向に逆らって、断然ヴィルプール本国へ引きこもっておしまいになったということ。しかしシャアやジャヴェリらの側近者の考えとしては、そういう危険な政治上の関心から太子がもう少し御自身の愉楽をお取りになることを太子の御健康上専心祈っているから、幸いにこの機会にもしMRミスタ・タチバナが、そういう方面の相手をして下さるならば仕合せこの上もないというようなことを、赤誠めて話し出したのであった。そしてシャア自身心服と忠誠とをおもてに表わして、太子のためならばいつなんどきでも死を恐れぬ色をありありとうかべながら胸をたたいて見せたのであったが、その途端にとびらを排して太子が現れたために、シャアはたちまち口をつぐんでまたそこに石のように突っ立った。私は印度王家の服を着けた太子の美しさを先程口を極めて説いたが、さて今また薄鼠色の軽そうなセルの上下、そしてそれに相応ふさわしい灰色の深いヘルメットを持ち、婦人でも用いそうな瀟洒しょうしゃな鼠色のスエード革の靴を穿かれた小柄な太子の姿というものは、これもまた何とも言えぬ愛らしさのそれであった。
「お待たせしました。まいりましょう! シャアお前もおいで!」と先に立たれたこの少年太子の後から私たちも昇降機エレベーターを降りたが、そこで一瞬まことに異様な光景を、私は目撃したのであった。ちょうど私たちが帳場横の広い開け放した応接室の前を通りかかった時であった、入口近くに座を占めたジャヴェリは豪奢ごうしゃな装いを凝らしたうら若い西洋婦人と何かしきりに問答をしていたようであったが、ちらと眼を挙げた途端、この貴婦人は思わず衝撃ショックに打たれたように、ジャヴェリを棄てて棒立に立ち上がった。そして何か一声二声叫びながら太子の方へ駆け寄ろうとしたのであった。ジャヴェリは茫然と突っ立っていたようであったが、ハッと思う間もなく巨大なシャアが太子の前に立ちふさがって、小山の揺るぎ出したような体格でジリジリと婦人をまた元の、応接室の中へ圧迫して行くように思われた。
 ちょうどその時自動車が横付けになって、太子はまゆ一つ動かされずそのまま踏み板ステップへ足をかけられ、私も続いて乗ってしまったから後がどうなったかは知る由もなかったが、やがて助手台にノッソリとはいって来たシャアは、相変らず石のように押し黙っていた。太子もまた平然として何事をも言われなかったから私一人不躾ぶしつけに口を出すわけにもならず、そのまま脳裏をかすめた一瞬の出来事として私もやがて心の中でこの記憶を葬り去ってしまったが、しばらくの間は今見た貴婦人の豪奢な装いとあまりにも平然たる太子の姿とを思い較べて、私は奇異の感に打たれざるを得なかったのであった。もちろんこの清純な年少太子と、あの貴婦人との間に忌まわしい暗い影が結ばれていようとは想像されず、さりとて政治的な何らかの行動とも考えられず、私はしばらくは走る自動車の中でも怪訝けげんの念に捉えられていたのであった。


 さて太子はおそらく一カ月余りもホテルに滞在していられたであろうか。私は太子に勧められるままその後も暇をみてはしょっちゅうホテルへ足を向けていたが、太子の望みはこんな落ち着かぬホテルの生活なぞを一日も早く切り上げて、専心日本語の勉強にかかられたいらしいのであったが、何分にも望んでいられる家というのがそこらに転がっているような格安の家とは異なって、ちょっと普通の人間には手が出せぬくらいの大規模なものであっただけに、なかなか希望するような家も見付からなくて困っていられた。家の方は主にカ氏とシャアとジャヴェリとで手分けして探しているらしいのであったが、恰好な家も見付からぬ間にいつか残暑も次第に過ぎて都門にようやく秋冷の気が漂う頃となってきた。その頃に困難を極めていた借家探しの方もやっとらちがあいたらしく、まず希望どおりの家が赤坂の霊南坂れいなんざか付近に見付かったという話を聞いたのであった。ちょど[#「ちょど」はママ]またその頃に太子一行の荷物や自動車も次便船で来、また王宮から太子専用の料理人コックやそのほか二、三人の下働きの従僕たちも日本へ着いたばかりの時分で、駿河台するがだいのヴァローダ商会はこれらの荷物や従僕たちで毎日ごった返す騒ぎを演じていた頃だったと覚えている。久しぶりに喜色満面で店へ訪ねてきたカ氏の話によれば、その借家というのは親日富豪として聞えた有名な某米人がぜいを凝らして建てた和洋折衷の邸宅で、間数も二十幾つかあり広大な庭園も付き、太子も非常に気に入られた御様子だったということであった。取りあえず一年間の契約を結ぶこととして、家賃は三百八十円――年にですか月にですかとすんでのことで私は聞くところであったが、ナアニどっちにしたところで大した金額ではない。実に些細なもんじゃ! わずかに三百八十円だ。敷金は六カ月、その親日富豪の没後は三池信託の手で管理されているが、信託の方では家の賃貸契約書が全部日本文で作製されているから誰か相当な日本人を一人形式上保証人として連れて来てくれないかと言っているが、御面倒でも一つ保証人になってもらえないだろうかという頼みであった。もちろん太子の方との関係は私個人的のことであったし、またヴァローダ商会に対する取引上の関係からしても店がそういう労をるというところへまではまだいっていなかったから、私は自分個人で保証人になることに決めてカ氏をして親舟に乗ったような気持で帰らせたのであったが、久しぶりで重荷を下ろしたようにハシャイでいるカ氏の様子を見ると私も他人事ひとごとならずほっとした。
 もっとも個人的としてであろうが店の名をかたってであろうが、どっちへ転んだって大体大した野郎でもない私のような人間が、事もあろうに月々三百八十円ずつの保証人になろうというのは大した了簡りょうけんで、世間でそれほどまでに買ってくれるかどうかは考えてみてもわかりそうなものであったが、そこがわからなかったというのがソノ少しく私の眼のくらんでいたところで、ジャヴェリなぞにホラを吹いている間に自分でもホラがいくらかはほんとみたいな気がしてきて、大分文藝春秋へも書いたから世間でも少しは橘先生ぐらいに尊敬していてくれるかも知れんと思ったのがこの大失敗の原因なのであった。橘先生どころか! ニャンとも情けねえ話なのであったが、すなわちいよいよそれから二、三日経って引き移る準備万端整って契約書を交換する時には、太子も暇だったから遊びかたがた一緒に同行され、私はもちろん肝心の保証人になって印判ハンコすつもりであったから先祖伝来の途方もない大きなハンコを一個首からぶら下げ、それにシャアにジャヴェリにカパディア氏! これらの大一座を引き具して勇気凜々りんりん颯爽さっそうとして乗り込んだのであったが、クソ! 名前が聞えたも出世しているもあったものか! というのであった。おまけにそうと知ったらコッソリ行けばよかったものを、なまじっか大一座で行ったばっかりに私は余計赤っ恥をかいてしまって、もうもう忘れても二度と再び文士つらなんぞするものでないと大りに懲りてしまったのであった。しかもやっつけられたのはただに私ばかりではない。遥々はるばる万斛ばんこくの好意をもって来朝された印度の太子さえも日本一流の大会社にかかっては――一流も一流日本においては三池か三矢かと並び称されるくらいのこの一流大会社の社員たちにかかっては、ほとんど人間らしい扱いも受けられなかったのであった。そこでこれからその描写を少し。ここは丸の内の仲通り、名にし負う三池信託株式会社の宏壮を極めた応接室。そしてどうした風の吹き廻しか、こないだカ氏から聞いたところとは大分話の工合が違ってきている様子であった。「それがあなた方はそう言われますが今まで印度の方では随分手を焼いていますから、残念ながら私共ではいきなり御信用も致しかねるのです。こないだはうっかりああも申し上げましたが、フガフガまだお貸しするとハッキリ決めたわけでもありませんし、まあ日本人で保証をなさる方にもよりますが、会社も今までかなり印度の方にはりていますから」フガフガという挨拶あいさつであった。いずれは海外の勤務からでも帰って来たのであろう、軽薄そうな三十二、三の社員が言うのであった。もちろん流暢りゅうちょうな英語であった。
 立派な英語はわかったが、一体フガフガというのは何だと諸君は思われるかも知れないが、それはこの野郎があんまり毛唐の真似をして日本人のくせに無理に作って亜米利加アメリカ人のような鼻にかかった本場ものの英語を出そうとしているので、どうにもそれが私の耳には鼻欠けのフガフガに聞えて仕方がないのであった。野郎のつもりは躍進日本の一流会社の社員たちは印度の有色人種なぞを物の数にも入れていないぞ! というところを示したつもりなのであろうが、私はこのフガフガに笑いが込み上げてきて抑えるのに骨が折れた。もちろん太子はこの直接の衝に当っていられるのではなかった。椅子によりかかって黙って社員の顔を眺めていられるだけであったが、社員が昂然こうぜんとして得意そうに英語をしゃべれば喋るほど、私は年少な太子の前に同じ日本人として顔も上げ得ぬ肩身の狭さを感じたのであった。
支配人マネージャーに逢わせていただけませんか?」とたまりかねたようにシャアが言った。
「ですから唯今も申し上げたとおりフガフガ支配人マネージャーは多忙でお眼にかかっていられないというのです」とにべもなくこのフガは突っねた。「それで日本人の方で保証人になろうと仰有おっしゃるのはどの方です? あなたですか?」と今度は日本語で私に顔を向けてきた。
「そうです」と私が椅子を進めた。
「失礼ですが、お名前は?」
 私もモゾクソと名刺を出したが、あいにく私の名刺には住所が入れてなかった。商売用の名刺以外には私は住所を入れなかった。これがあながち橘先生ならば住所なんぞなくたってわかるだろうという心臓のせいばかりではなく、年中引っ越しのたんびに名刺ばかり無駄にしているのでこの頃では新案特許のつもりで初めから住所を刷り込まなかった。
「これには御住所も何もありませんな」
「住所は杉並区……ようござんす書きましょう」
「書いて下さい!」
 私はシャアの差し出した万年筆で入れ始めた。住所も刷ってないような怪し気な奴めが! と言わんばっかりの顔をしてフガはジロジロと人の手許てもとを眺めていた。
「立ち入ったことを伺うようですが、どうしてあなたはこの方たちを御存知なのでしょうか?」
「友達です!」
「そうするとあなたは以前印度にでもいらしたとか」
「印度へ行ったことはありませんが、貿易の商売に関係しているものですから、それでここにいるカパディア氏と知り合っています。その紹介で私は友達になりました」
「失礼ですが、お店の名は?」
「それは必要ないと思いますが。私の店が保証するのではありませんから。それにこの頃はあまり店へも行きませんから」
「と仰有おっしゃると何かほかにご商売でも?」
「少し書き物をしています。その方で保証人になります」個人的にであるぞ個人的にであるぞ! とここで私がソノ少し反ったと思ってくれ。
「著述業というわけですな?」
「ハア」というわけで。
「承知しました。少しお待ち下さい。プリズウェイタミニュット」と此奴こいつぬかした。上役には逢わせられないが、自分の一存でも決定の付かぬ情けねえ野郎であった。やがて現れた。
「どうも御関係になっていらっしやるお店の名を伺っておかぬとまずいのですが。まだ御著述の方は何ですなムニャムニャムニャ!」
 と此奴は濁した。「そこでお店の方は何というお名前でしょうか」仕方がねえから、
三田谷サンターヤ商会と申します」と私は情けなかった。
「三田谷商会さんの御住所は?」どこそこと私が答える。
「少しお待ち下さい」
支配人マネージャーに逢わせてもらえませんか」と、どうも相棒も文豪ではないらしいと心細く思ったのであろう。もう一度シャアが繰り返した。何を同じことを二度もぬかす! と言わんばっかりに横にらみにしながら社員氏はドアの外へ消えた。
 が今度現れた時は万事終れりと言わんばかりの落ち着きをもって悠々迫らずはいって来た。
「お待たせしました。橘さんはその三田谷商会さんの御主人ではありませんな!」と興信録でも調べたのであろう。誰も主人でござると言ってないのにまずもって私に鋭い一睨いちげいをくれた。
「それで御返事としては少しこちらとして不満足に感じるところもありますので、もう四、五日ばかり待っていただいて、何分の御返事をしたいと思うのですが……」
「しかし今日来れば契約は交換ができるから日本の人を一人連れて来いというお話だったのですが」とカ氏はいきまいた。
「こちらで満足のできない状態ではなんとお約束してもどうもむを得ませんでしょう」とこの小面こづらの憎いのがうそぶいた。
「私共の方でもいろいろ調査をしてみませんければ」
「あなたのお約束を信じて私たちはもう荷造りも済ませて引き移るばかりになっているのです。ハッキリイエスノーかを言ってもらいたいのです。私たちが印度人だから貸すことができないと仰有おっしゃるのですか?」とシャアが詰め寄った。
「誤解をなさっては困ります。あなたがたに不満があるくらいなら初めていらした時から私共の方ではもうハッキリとお断り申し上げるはずですフガフガ」
「と仰有るととても妙に響きますが」と私が今度は堪らなくなってきた。
「借りる印度の人たちの方には問題はない、日本人の保証人に不満があるという意味ですか?」と私が食ってかかった。しかももうこうなってきては私の意地が許さなかった。私はこの生意気千万な外国あちら帰りの流暢りゅうちょう英語へ臆面もなく昔寝床の中で独学した英語で聞いてくれた。見よ見よ! であった。今や老獪ろうかい英帝国はあらん限りの陰険なる策謀を弄して我が国にあらわなる敵愾てきがいを示しつつある。そして日本全国民の対英憤激はその極に登り詰めている。国民はかかる際こそ心を一つにして、あらゆる同情と交驩こうかんをもって、同じ有色民族たる印度の人々へは温かき友情を示すべきではないか、というのがタチバナ文豪の精神なのだったから、もうこうなったら文法も破格ブロークンも発音もクソもあったものではない。私は太子や私の印度の友人たちに私の義憤と同情を伝え私に対する侮辱にむくいるためにはこの野郎と英語で渡り合う必要を感じたのであった。似たもの夫婦という言葉もあるくらいだから、私の女房も亭主はこの頃やっと芽を吹いて店の月給のほかに書いたものがいくらか売れ出して、ヒョッとしたらいくらかあるいは先生の方にもなりかかって眼を細くしていたかも知れないが、いけねえ、女房まだだ、まだだ! まだ先生にはなっていなかったとこの瞬間私は心の中で絶叫した。
「四、五日間待つことはできないのです。理由がなくて四、五日間は待てないのです。この方たちは日本の学校へはいられるために、英国に留学すべき圧迫を受けながら日本へ来た人たちばかりです。日本人にはまだ一人も知り合いがありません。私は今お調べになったという三田谷商会の番頭です。番頭が個人で関係する問題に一々店の名前を持ち出す必要はないから友達として来たとさっきから繰り返して申し上げているのです。私は今の場合この人たちに便宜を与えなければならぬものを日本人としていろいろ感じるから来たのです。日本人としてあなたが感じられるだけのものを私も感じるから来たのです。名前は聞えていなくても実際の収入をそれだけ私が取っていれば一向差し支えないではありませんか。それでも私には保証人が務まりませんか」とそれだけのことを日本人フガ氏に向って英語でやって退けてくれた。さすがに粗製な寝床英語では骨が折れてタチバナ君は大汗を掻いたと史に伝えられる。


 なんてなわけのことを日本語で書いてくると、いくらそうでございませんと私が言っても感じがすこぶる滑らかになってどうも私がフガを堂々と慴伏しゅうふく[#ルビの「しゅうふく」はママ]せしめたような恰好にも見えてくるが、事実はまったく大違いの話であった。おまけに私のムシャぶり付いた相手がフガ英語の達人ときているから今や大苦しみで、私はポタポタと汗を垂らすやら額をくやら大車輪の奮闘であった。以下ことごとく日本人同士英語での珍問答と心得べし。そこで問答の続き。
「お話はよくわかりましたが……フガフガどうもそういう理屈を仰有おっしゃっても」とフガは私のMadeメイドinイン寝床英語に僻易へきえきしたのかそれとも一文の得にもならん話にウンザリしたか、ニヤリと苦笑をらした。その無感激のニヤリが私をかっとさせた。
「理屈ではちっともありません。私の言うことがわかりませんか、保証人に不満があるのなら無理に私を保証人にさせて下さいとは頼んでいないのです。しかし私だけの関係で私はどうしてもこの人たちを助けなければなりませんから、あなたの方の御満足のゆく保証人を探して上げようと思っているのです。あなたの方の会社のためではありません。この人たちのためです。今日中にでも私はそれをしますから、それですから急に四、五日間の調査を要するようになった原因は、私のためかこの印度の人たちのためかそれをハッキリと仰有っていただきたいというのです」
「つまり私共の方ではこの方たちは相当な階級の印度の方々と思いますからこの人たちはですなフガフガ英国の総領事館へでも行って、しかるべき日本人の保証人を世話してもらわれたらどうかと思うのです。」
「絶対に不可能です。この人たちは英国人の前に乞食こじき同然に頭は下げたくないのです。説明することはさしさわりありますが、印度ではもっと高い地位にある。それなら第一なぜあなたは日本人を一人連れて来いと仰有ったのです!」
「つまり私共の方ではですな、あなたをお疑いするわけではないけれども一応保証人たるべき方の身元を調査してからでないと困るというのです」
「私がマヤカシものだと言われるのですか」
 マヤカシものという言葉の定義がわかりませんから困りますがと、此奴こいつもマヤカシものだけは日本語で入れた。「つまり砕いていえば私共ではもう少し社会的地位のある日本人の方を保証人に欲しいと思うのですフガフガ」と野郎もムカムカしたと見えて到頭一発食らわした。
「わかりました。社会的地位のある人を探してこの人たちを助けてやります」
「たとえば電車通りに店舗を持ってフガ商売をしているとか何とかですな」
「わかりました。電車通りを探します」てなわけで私はもっと咆哮ほうこうしてくれようと思ったが、しかしこれ以上咆哮して私の溜飲が下った途端、お気の毒ですが、家の方はお貸しできませんときたら万事休すと思ったから、この辺でひとまず煮えくり返る腹の虫を抑え付けてくれた。「シャア!」と太子が初めて声をかけられた。何の興奮もない相変らずの落ち着き払った声であった。そして、カッチ語でシャアに何か口早に言いつけられた。
「私共の方では一年の契約をするためにあなたの方の規定のとおり六カ月の敷金を入れてお約束をいたしました」と、シャアが取り次いだ。
「しかし唯今改めて主人の申しますには、一年の契約は元どおりにして一年分全部の敷金をお入れいたします。そして家賃は毎月前払いでお払いいたします。そうすれば保証人というものの必要はなくなりましょうから、改めて立会人として私共の方で一番信頼のできます友人のタチバナ氏にやはりお願いしたいと申しております」
 途端に私は熱いものがグッと胸に込み上げてきた。日本人である私は日本人に感動させられないで印度の人に感動させられた。この日本人の社員が軽蔑けいべつし切っている印度人に感動させられた。そして同じ日本人が私を侮辱し切っている真っ最中に印度人が私の立場を立派に救ってくれた。人目がなかったら私は太子の手を鷲掴わしづかみにして押しいただきたいような気持がした。
「それでどうでしょうか?」とシャアが続けた。
「それでもまだ御相談が整わぬようでしたらこれ以上いてお願いもしたくありませんから、また脇の方を探すと申しております」
「それは御随意ですがフガフガ会社としてはたとえ敷金を全額入れていただいても保証人はやはりります」とフガは今や片意地になって私を忌避し出した。「一年経って契約が切れてももし立ち退かれないような紛擾トラブルの起った場合にフガ、やはりどなたか一人保証の責めを取って下さる日本人がいないと困るからです」と相も変らず無感激に言った。「しかし御相談が変ったようですから、ちょっとお待ち下さい、支配人マネージャーが何と申しますか! フガフガ」
「そんな三百代言だいげんみたいなことをするために必要な保証人なら私みたいな人間にだって立派に務まるじゃありませんか」と堪りかねて私は大声を出した。
「しかしもう御相談になる必要はありません! 私が今言ったような方法でもう一度ほかの日本人の保証人を立てるようにします。それで念のために伺っておきたいのですが、一体どういう人が社会的地位があるというのでしょうか? たとえば六大都市の市長なぞというものは社会的地位がありましょうか」
「六大都市の市長と言いますと?」フガのバカは嘲弄ちょうろうされているとも知らずに真っ向から伺いを立ててきた。「たとえば東京市長とか大阪市長とかいうようなものですか?」
「東京大阪の市長は知りませんが、たとえば横浜の市長なら保証人としての資格はありましょうか?」
「結構ですな! フガ横浜の市長ならばもちろん結構ですな。フガ」
 日本全国の市長サンはよろこばれよ! 市長職には社会的地位ありと三池信託会社において言明せり。
「ではそうします。しかしこれは私の陰での尽力であなたの方の会社とはもうこれで私は何の関係もないのですから、さっき上げた私の名刺は返してくれたまえ!」
 クレタマエと到頭私もやったりけり。
「ちょっとお待ち下さい!」そして私は名刺を引ったくり取って否も応もなく外へ飛び出した。太子も一同の印度人たちもゾロゾロと席を立ってきた。一同を引き具して私は颯爽さっそうドアの外へ出た。エチオピヤを従えしムッソリーニのごとしと私は思ったが、さてここに困ったことにはフガは結構ですなとアッサリ言ったが、私は騎虎の勢い十年ばかり以前に横浜の市長を務めたことのある私の大家の薬罐やかん頭のところにこれから大変な談判をしに行かなければならなくなってきた。なるほど社会的地位のない人間なんてものは誠意ばかりあふれていてもクソの役にも立たんものだと、今更身に染みて私は我が身を嘆じたが、今更もうそんなことを考えたって始まるものではない。
MRミスタ・タチバナ」と玄関へ出るといきなり太子が私の手をられた。
「あなたの御好意はほんとうにうれしく思いますが、私はこの上、あなたに御迷惑はかけたくないと思いますから、これから外務省フォレン・オフィスへ行こうと思います。亜細亜アジア局に多少知った人もありますから、外務省の手で何とか斡旋あっせんしてもらおうと思いますが……」
「駄目です」と私は気が立っていたから言下に一喝いっかつした。「もうこのあらそいはあなた方の諍いではありません。私とあの会社との諍いです。私は重大な侮辱を受けた。もうここまできてはあなた方がよろしいと仰有おっしゃっても行くところまで行かなくては私の気持が納まらないのです。あなた方は私を引っ張り出しました。今度は私があなた方を引っ張り出す。それでどうしても私の力で駄目でしたらその後のことは外務省へ行こうとどこへ行こうと随意にして下さい。それはもう私の知った範囲ではないから、ともかく今だけは何も言わずに私のするとおりにいて来てみて下さい」と私は委細かまわずそこへ来た自動車を呼び留めた。
 心の中では何か考えていられたのであろうが、口に出してはもう太子は何にも言われなかった。私が委細かまわず自動車に飛び乗ったのを見ると黙ってあとから車に乗って来られた。そして二台の自動車は半狂乱の私を乗せて私の家のある郊外の方へ向ってひた走り出したのであったが、横浜の市長などを務めた社会的地位が私の大家だなぞと聞かれようなら、読者諸君は私がどんな宏大な邸宅に住んでいるかと眼を廻されるかも知れんが、ヨケイナ心配はせんでおいとくれ、市長の貸家だとて必ずしも、小さな家がないとは限らんのだから。その一つに私はねぐらを定めて時々家賃を二月きに払ったりしてこの老市長を面食らわせているのであったが、市長を務めたからなんてそう驚くには当りません。市長になる前にはどこかの県知事も務めたそうであったが、見るからに詰らん好々爺こうこうやで年がら年中朝顔と菊の栽培でばかり苦労していた。つい私の家から一町ばかり先に家だけはなるほど宏壮な邸を構えていたが、時々「どうじゃな! これはよくできたと思うんじゃが一つ飾ってみといて下さらんか! 飽きればまた取り換えて上げるじゃで!」と秘蔵娘でも貸してくれるように汚ねえ野良着のらぎでヒョコヒョコと植木鉢をげて裏口からはいって来る。こっちは大迷惑な話で眺めたくもねえ植木鉢を後生大事に縁側に飾って枯らすわけにもゆかなければうっかり腕白どもにへし折らせるわけにもならず、まことに厄介千万なことどもであった。女房なぞは今ではすっかりタクトを心得込んで家賃を負けさせようとの魂胆こんたん物凄く、年中菊の話ばかり持ち出して「大家の小父おじさん」なぞと甘ったれていたが、この小父貴おじきが昔市長なんぞを務めたのが運の尽きとなって、今や半狂乱の私に遮二無二見当を付けられてまさに風前の灯火ともしびとなっているのであった。ちょうど私たちが飛び込んで行った時には風前の灯火は珍しくも書斎で何か調べ物でもしていたとみえて、頃は元禄十四年師走しわす半ばの十四日に宝井其角きかくが着ていたような妙ちきりんな十徳じっとくみたいなものを引っ掛けて私にネラわれているとも知らず、
「おうおう! 橘さんか、さあさあお上がりィ」
 と機嫌よく老夫人ともども現れてきたが、そこへ自動車をドヤドヤと降り立った横浜の開港場のような風景にはさすがに眼を廻してしまった。もちろん老市長もこの人たちの噂は一度も聞いていたこともなくまた、この人たちにしても老市長の話を私から聞かされたこともなかったからそこに何の引っかかりも因縁もないのであったが、私はせめてこういう地位に立っていた「女房の小父さん」だけは時局を解して印度の人たちには同情を寄せてくれるであろうと信じていたのであったが、案にたがわず初めはそこに見慣れぬ顔を見廻しながら怪訝けげんそうに耳を傾けていた老市長はやがて私の頼みが終ると至極無造作に、
「一年分の敷金を置いて一年家を借りるのに保証人も何も要らんじゃろが! 三池三矢なぞというところは金があるんじゃから何もそういう余計な手数を掛けさせいでもよかりそうなもんじゃが! 面倒なもんじゃのう」と浮世の五月蠅うるささには飽き飽きした顔をした。
「おう、よかろとも! わしでよかったらお役に立てさせてもらおう。そんなことで皆さんの御便宜が得られるならお易い御用じゃ!」と言下に応じてくれた。菊の鉢に肥料こやしをやるよりはまだ造作ない返事であった。今日はこれから出掛けて行ってももう会社は退けているじゃろから、明日一緒に行って上げようということになった。
「ああいけん! いけん! 文士なんてものは橘さん駄目じゃよ」と老市長は薬罐やかん頭を振り立てた。
「家主なんてものは気の小さいもんでな、文士じゃ新聞記者じゃ弁護士じゃと聞いたら一遍でお断りじゃよ。なぜあんたは自分の勤めの名刺を出しなさらん。わしには物を書くことなぞ永い間隠しとったくせに!」とこの菊専門の市長は呵々からからと大笑したが、私が訳し終ると太子をはじめ三人は改めて感謝の瞳を昔知事ガヴァナー市長メーヤーだったらしくもないこの妙なりをした大入道の老人に注いでいたが、なるほど印度あたりで大威張りをしている英国あたりの見識張った知事ガヴァナー市長メーヤーを見慣れている眼には定めてこの十徳姿は奇異なものに映るだろうとは思ったが、もう少しぐらいは一同で驚いて尊敬してくれてもよさそうなものにと、知事市長級の友人である私の眼にはいささか物足りなく感ぜられたのであった。
 ともかく老市長は何か調べ物でもしていたらしい様子なので、私たちはもう一度感謝の意を表してそこを辞すことにしたが、私はせわしい仕事を持っていたし、それにここから私の家まではもう眼と鼻の先であったから別れて帰ろうとしたが、いずれも私を引き留めて離さなかった。いつも怒ったようにムッツリとしているシャアまでが眼をいからさんばかりに私を引き留めた。今日だけはどんな用があっても万障放棄してぜひ付き合ってもらいたいというのであった。
 大体今日のフガとの合戦たるやこれを概観するに私の面目がまるつぶれになったのやら、隠居市長の助力によってまる上ったのやら私自身にも混沌茫漠としてつかみどころがないのであったが、掴みどころがないのにタカリ付くのもどんなものかと私は躊躇ちゅうちょしていたが、多少誇張的に言えばこの人々は深き感激と感動のために言うべき言葉もなかったというような状態なのであったから、そこへ流して来た自動車を呼び留めて先頭の車に私と太子とシャアとが乗ると初めて気付いたように、今やこの人たちの降るような握手と感謝とが面食らうほど私の上に浴びせられてきた。
「私はこの感謝と感激とをなんとしてもお伝えすることができないのです。私は今日初めて日本人のほんとうの温かい気持に触れたような気がします。あなたの気持も嬉しい。あの老いたる市長オールドメーヤーの親切も忘れられない。まるで自分のことのように、あなた方は私共の太子殿下ラジクマールのために尽して下さいました。MRミスタ・タチバナ、私もあなたの友達です。御覧なさい! あの連中もあのとおりに喜び切っています」
 とシャアは魁偉かいいな容貌を落涙せんばかりに歪めて、とある曲り角カーブへ来た時に後方から続いて来るカ氏やジャヴェリらの乗っている車を指し示した。その窓からはジャヴェリが、私の方に手を振って見せていた。昨日までとはまた打って変った親しみのある態度であった。「今日までは殿下があなたと御交際になりました。しかし今日は私とカパディアとジャヴェリとが私たちの得た日本人の友人と殿下とを御招待します。さあどこでも言って下さい。あなたのお好きな所へこの車を着けさせます」と満面に笑みを含んでシャアが言った。黙って太子がにこやかにえくぼうかべられた。
「シャアはまことに不思議な性格の人間です。何にも信ぜず人の言葉は何事も聞き入れません。しかし自分の信じたことは必ず成し遂げてしまいます。まるで鉄でこしらえたような人間です。こういう人と友達になることは非常に難しい」
 シャアは黙ってただにこにこしながら聞いていた。窓から眺める街路にはもう薄っすらとゆうべもやがかかって暮れかかる秋の模糊たる町々の景色は、あわただしい中にも妙に一抹のわびしさを私の胸にみ入らせていたが、私のした小さな好意にさえもこんなに有頂天になって喜び切っているこの印度の人々の心根を思うと、なんとなくこの淋しい入相いりあいの景色には一脈似たものがあるように観ぜられて、それがなんとも言えず哀れに見えてならなかったのであった。


 その厄介を極めた契約書騒ぎも済んで引越しも滞りなく終って七、八日。いよいよ秋もたけなわになってすいすいと赤蜻蛉あかとんぼの飛び交う爽やかな陽射しとなってきたが、その日も私は昼から店を切り上げて二人の子供にせがまれて金魚の冬ごもりの池を掘るべく親子で泥んこやをやっている真っ最中であった。
 急に表に騒がしく人声がする様子であったが、やがてドヤドヤとはいって来たのはヴァローダ商会のカ氏を先頭にシャア、ジャヴェリたちの一行であった。泥だらけになって喜んでいた子供たちは一瞥ひとめ見ると物も言わずにコソコソとい上ってしまった。生れて初めて見る黒い顔に吃驚びっくりして、女房の腰にしがみ付いているのであったが、何かよほどの事件でも起っていると見えていずれも血の気のない顔をして三人とも眼を血走らせ切っていた。そして落ち着かぬ様子で座に着いてもしばらくは言葉すくなに眼ばかり光らせているのであったが、事情を知らぬ私はウンザリしてまた何か三池信託あたりと紛擾トラブルでも持ち上ったのか、さもなければこの人たち同士の間であらそいでも始まったのではなかろうかと怪しんでいた。それほどまでにいずれもワナワナと手をふるわせて抑え切れぬ心の激動を包んでいるらしい様子であった。
MRミスタ・タチバナ、困ったことが持ち上りました! 太子殿下が英国大使館に監禁されておいでになるのです」と途方に暮れたようにシャアが口を開いた。
「監禁と言ってはなんですけれど、大使館に滞在を強要されておいでになるのです」とシャアほど気性のはげしくないジャヴェリが人の聞えをはばかるように脇から言葉を添えた。
「英国大使館が到頭爪牙そうがを現してきたのです。英国は太子殿下の日本御滞在を少しも喜んではいなかったのです。到頭常套じょうとうかん手段を用いて殿下を抑留してしまったのです」とシャアは憤懣ふんまんえやらぬように一気にくし立てた。たださえふだんからブッキラボーで怒ったような口のきき方をするシャアのこの激越した言葉では、私には発音さえもハッキリとは聞き取れなかった。おまけにこうやぶから棒では何のために太子が抑留されていられるのか、どうにも私には意味の捕捉も付きようのないことであった。半出来の金魚池の方を眺めながら当惑し切っている私の表情を感じたのであろう。シャアをなだめるようにしてカ氏が初めからの顛末てんまつを私にも飲み込めるように説明してくれるのであったが、その話によればちょうど今日から四日ばかり以前――もう新居に家具もすっかり整頓してカ氏の世話で女子大学の教授をしているKという日本語の女教師も通い始めてくるし、万事の状態がこのまま滑らかな落ち着いた生活へはいってゆけるだろうと安心し切っていた頃おいであった。ちょうどその日シャアは買物があって横浜へ出かけ留守中であったが、いつか私がホテルで逢ったあの大使館のグレーヴス二等書記官がまた訪ねて来たのであった。そして人を遠ざけて二時間ばかりも太子と密談を重ねていたが、やがていとまを告げて書記官が出て来た時には太子も部屋着を外出の仕度に改めていられた。ひどく顔色が蒼褪あおざめてよほど何事かを思い悩んでいられる風であったが、別段何にも仰言おおせられずただ言葉すくなに書記官と一緒に大使のところへ行って来るが一時間ばかりもしたら用談が済むからその時分に車を迎えに寄越すようにと言い残されたまま、グレーヴス書記官と同列で出て行ってしまわれた。言い付けられたとおりに、一時間ばかりも経ってジャヴェリが迎えに行くと、すでに本館の事務は退けた後と見えて広い構内はひっそりして木立ちを透してあちらこちらの官舎からピアノの音や人々の談笑の声がれているのみであったが、大使官邸では太子はすでにお帰りになってしまったという返事であった。そんな莫迦ばかな話はない、太子殿下は自分に迎えに来るように命ぜられたと頑張ると、いずれにせよこちらにはもういられないし大使閣下も帝国ホテルの仏蘭西フランス大使の晩餐ばんさん会へ出席されてお留守中であるから、それならグレーヴス書記官官舎の方へ廻ってみてくれということであった。そちらへ廻ってみると、グレーヴス書記官は参事官官舎にいられるから電話で聞き合せて上げるという返事であったが、やがて太子はやはり二、三十分ばかり前にお帰りになったという書記官の言葉を取り次いでくれた。そういう可笑おかしなことのあるはずもないがと思ったが、あるいは用談でも早く片付いて、久しぶりで御散歩かたがた徒歩で帰られたのかも知れぬと考えたからまた車を飛ばして急いで邸へ引き揚げてきてみたが、もちろん太子の帰っていられようはずもないことであった。ちょうど横浜へ行っていたシャアがそこへ戻って来たが気の短いシャアは、ろくろくジャヴェリの説明も聞かずに、自分が今度は車を飛ばせて大使館へ迎えに行ってみた。が、これもやはり、本館で聞いても参事官官舎で聞いても何の要領も得ず太子はお帰りになったの一点張りで突っねられてしまった。しかしあまりシャアが頑張っていたためかようやく当のグレーヴス書記官が姿を現したが、まるで打って変った木で鼻をくくったような挨拶であった。太子は御都合で当分こちらで御起居になるから心配せずに帰れというブッキラボーな返答であった。
「それならお泊りになる仕度もしなければならぬから、一遍殿下に逢わせていただきたい」と頼み込むと、「仕度なぞはこちらにもあるし、太子は大使館の賓客としてお泊りになるのだから余計な心配なぞはせずに家へ帰って待ってろ!」と書記官はさも五月蠅うるさそうに傲然ごうぜんとして言い放った。
「いずれにせよ一度殿下にお眼にかからぬ限りそういう御返事だけでは家へ引き取れない」と押し返すと、「それなら勝手にそこで何時間でも待っていたらよかろう」という棄て台詞ぜりふで書記官はそのまま奥へ姿を消してしまった。が破れんばかりに戸をたたいて、玄関に腰を降ろしているシャアの前に再度書記官が姿を現した時には怒気満々のていで「この狂人ユークレイジイ!」といきなり呶鳴どなり付けてきた。「貴様きさまはここをどこだと心得てそんな真似をしているのだ! 大使館構内でいつまでも妙な真似を続けていると貴様のためにならないぞ!」と足蹴にせんばかりの態度であった。
「場所が大使館構内でさえなければあんな書記官の一人や二人くらい叩きなぐってでも埒口らちぐちはあけてしまうのですが、残念ながら英国人に蛆虫うじむし同然の私たち印度人の分際ではどうすることもできなかったのです」とシャアは黒鉄くろがねのような腕をしながら無念そうに身を震わせた。そしてそれから三日間つい昨日まで、シャアとジャヴェリとは今に太子がお戻りになるか今に大使館から知らせが来ようかと首を長くして待っていたのであったが、ついに今日まで何の音沙汰さたもないのであった。もちろん大使館が何故に太子を抑留しているかは、シャアにもジャヴェリにも大体の察しは付いていた。それは、太子に別段危害を加えようというのではなく、ただ印度出発から執拗しつように英国側が強制してまなかった太子の日本留学の決心をあくまでもひるがえさせようとして手を換え品を替えて口説くどいているに違いなかろうとは推察されたのであったが、太子のあの気性で手酷てひどね付けて、もしこれ以上の圧迫でも太子の身に加わるようなことがあってはと、二人ともそれをひどく案じ切っているのであった。そしてつい昨晩のことであった。珍しくキャゼリン・ジャルディン嬢が訪ねて来てくれた。
「キャゼリン・ジャルディン? キャゼリン・ジャルディンとはどなたです?」どこかで一度耳にしたことのある名前だとは思ったが、どうも私には思い出せなかった。
「いつかお逢いになったそうですが、ホテルで! あの婦人です、ついこの夏印度から来ましたばっかりの……」とカ氏はこれで私にも思い出せたと考えたのであろう、そのまま話を進めていった。思いも掛けぬ太子の抑留にはキャゼリン嬢も吃驚びっくりしたが、自分も力を合せてすぐ大使館の方へ折衝して太子の身分を英国人であるキャゼリン嬢が引き受けるような方法にでもして、この際太子の希望の日本留学を許してもらえるよう協力させてもらいたいという熱心な頼みであった。
「どうしても私には飲み込めん!」と私はつくづく当惑した。「一体そのキャゼリン何とかいう人は何なのです? 太子とどういう関係のある御婦人なのですか?」
「おやッ!」とカ氏が吃驚した。
Heavensヘブンズ! あなたはMISSミス・キャゼリンを御存知なかったのですか?」と私よりもカ氏の方がもっと吃驚した。
Tutタッツ! Tutタッツ! Tutタッツ!」と続けざまに舌打ちしながら、「あなたは御承知とばかり思っていたものですから!」もう一度大きく苦笑して何のことやらちんぷんかんぷん私には飲み込めぬその婦人のことを改めて説明してくれたのであったが、カ氏から聞くと同時に吃驚して思わず私も眼をみはらざるを得なかった。すなわち読者諸君はこの物語の初めの方にさかのぼって、これも私が万平ホテルに初めてナリン太子を訪問した時に何か太子と深い交渉のあるらしい美装の一貴婦人に怪訝けげんな思いをいだいたことを記憶しておいでであろうか。
 MISSミス・キャゼリンはすなわちその時にジャヴェリと応接間で話をしていたあの美装の貴婦人なのであった。しかもどこかで私が聞いたことのある名前だと思ったのも道理! このキャゼリン・ジャルディン嬢こそが、三年以前当時十六歳の少年であったナリン太子のために王宮内で射殺せられたヴィルプール※(「答+りっとう」、第4水準2-3-29)ちゅうさつの無礼な英国の駐在武官サー・ロバートソン・ジャルディンきょうのたった一人の妹なのであった。しかも兄妹揃っていかなる悪因縁ぞ! 太子はいとい抜いていられるにもかかわらず、このキャゼリン・ジャルディン嬢の胸からは兄を成敗した美貌な年少太子のおもかげ夢寐むびにも消え去らず、今夏、遥々はるばる太子の後を慕ってボンベイから日本へ来朝したばかりの身の上だということなのであった。私が万平ホテルで逢った時がMISS・キャゼリンが日本へ来て初めての太子訪問の時。なるほどそれであの時太子はまゆ一つも動かされず平然としていられたのだなと今更ながら私にも合点がいったのであったが、現実は巧まずして時に小説よりも奇なりという言葉は古くから日本にもあり、また西洋にもあった。しかしさすがに想像を絶したこの奇なる事実に直面しては私もあいた口がふさがらなかったのであった。そして嬢は今帝国ホテルに宿をとっているという。
「初めてです! 初めて今伺ったお話です」
 まだ私にはこれが実在事実の話であろうとはどうしても受け取れず、名高い西洋の小説の中でも彷徨ほうこうしているような気持がして夢のようにつぶやいたのであった。「……それにしてもそういう因縁の婦人がなぜそれほどに太子のことを思い詰めていられるのでしょう? 自分とかたき同然な立場に置かれている身の上ではありませんか?」と私は夏の頃のあの一場面を思い浮べながら口へ出してみた。
「それが恋は盲目ラブイズブラインドというのではありませんか!」とカ氏は白い歯を見せたが、その表情はたちまちたとえ難い厳粛なものに変った。
「まったく今ではMISSミス・キャゼリンの心は殿下のことで一杯なのでしょう。温和おとなしい人ですから口には出しませんが、おそらく四六時中殿下のことのみを考えているのでしょう」とカ氏も暗然たる面持をした。
「まったくカアマなのです。本来ならばあなたの仰有おっしゃるとおり太子殿下はジャルディン卿を御成敗になりましたのですから、殿下を憎まなければならない立場にある婦人なのですが、その殿下にあれほど盲目になり切っているのもカアマなれば、また殿下にしてもそういう女性に付きまとわれていられるというのも、ことごとくカアマという言葉以外では説明の方法がないのです」とカ氏はつくづく嘆息するように言った。「亡くなった駐在官レジデントとは違ってキャゼリン嬢は決してはらの悪い婦人ではありません。もし殿下にさえその気がおありになるのならば、かえってMISS・キャゼリンとでも御結婚になることが対英関係上にも殿下御一身上にも好都合ではないかと思われるのですが、肝心の殿下が、身震いするほど厭い抜いておられるのですからてんで問題にはならないのです。すべてがカアマというよりほかありません」
 よしないことに私が好奇心を起してほじくり立てていたばっかりに話はそれからそれへと岐路に飛んで、さっきからシャアやジャヴェリは手持無沙汰ぶさたそうに床の間の置物なぞに眼を移していたが、ともかくそのMISS・キャゼリンも一骨折らせて欲しい、と頼んでいることであったし、またキャゼリンの関係ならばおそらく大使館でもすげなく拒むようなこともあるまいとは思われるが、ただ一つここに問題なのは、もし万一そういうことがわかったならば、キャゼリン嬢を厭い抜いていられる殿下があとでどのくらい不快にお思いになるかわからないということであった。そうかと言って、ほかに今の場合助力のできる人もなかったし、ついてははなはだ御面倒なお願いとは思うけれど明日にでも一度大使館へ行って太子殿下を訪ねて下さって、いかにしたらばいいかあなたの口から殿下の内意を伺ってみていただけないであろうかというのが、この人たちの私に対する頼みなのであった。印度人なぞは蛆虫うじむし同然にしか心得ていない大使館では我々が束になって騒ぎ立てても何らの痛痒つうようも感じないであろうが、日本人のあなたが訪ねて行かれたならばまさかに、事実を隠蔽いんぺいしてお逢わせしないということもなかろうからという付け加えての言葉であった。そしてもしその上聞いていただけるならば、太子殿下に何か御不自由な物はないかシャアやジャヴェリは何をなして殿下の御帰館を待つべきや等をもついでに伺って来ていただけるならば、これに越した喜びはないという依頼なのであった。大体以上のような事柄が思案にあまったこの人々をして私のところへ頼みに来させたわけなのであったが、
「もしその場合殿下御自身のお気持でキャゼリン嬢とでも仰言おおせられたようでしたら、私共の方では即刻MISSミス・キャゼリンに働いてもらうことにするつもりですから! 御面倒でしょうが、そういう取り計いにしていただけないでしょうか?」
 とカ氏は、それが印度教ヒンデュイズムの礼儀なのであろう、日本の合掌のような形をった――と言えば体裁はいいがイヤじゃありませんか、私は仏様みたいに拝まれたわけなんだ。それにつれてシャアやジャヴェリもかしらを下げた。もちろんこんなに拝まれなくてもこれくらいの用件は私にとっては借家の保証人になるよりもまだいと容易やすいことであったから、私は一議に及ばず引き受けたのであったが、しかしここに私の当惑したのは用件そのものはいと容易いことであったが、私が枢密顧問官とか外務省情報部次長なぞという肩書でも持っている日本人だったならいざ知らず、こんな肩書も社会的地位もない――また三池信託が出るようであったが、私も実際あれにはりたからネ――人間なぞがノコノコ出掛けて行ってはたして尊大倨傲きょごうな大使館の英人連中が私を太子に逢わせてくれるだろうかという懸念であった。逢わせてくれなくてもそれが私の面子メンツにどれほど影響するという問題ではなかったが、こうやって心配し切っている人々を眺めていると、なんぼ吹けば飛ぶような私でもそうそう二度も三度も頼まれ甲斐のないことばかりしでかしてくるのは、つくづくいやだったからネ。引き受けたからにはせめて引き受け甲斐のあるようなことも一度くらいはでかしたいと思ったのであった。
 しかも考えようによってはすでに大使館は何事かを企図して印度人たちの騒ぎも眼中に入れずに彼らの太子を抑留している以上、私なぞがヒョコヒョコと訪ねて行くことは役に立たないばかりでなくかえって、逆に、物事を悪化させてこれ以上の紛擾トラブルき起すことになりはせぬかとさえ危ぶまれる。国際間の動きなぞというものは微妙な摩擦一つで思いもよらぬ方角へすっ飛んでしまうことがよくあるということは私も兼々聞いていたから、橘外男氏事件で日英戦争勃発ぼっぱつせり! なんてことになってくるとやり切れんからネ。今度こそは三池信託へ行くのとは違ってよほど慎重にしないと飛んだことになるぞと私は思ったのであった。快く易々と引き受けておきながら考え込んでしまった私の姿は彼らの眼にはよっぽど不思議なものに映ったのであろう。
「それからのことは、私たちの方でどんな方法でもって御迷惑は決して掛けませんからただ行って、太子殿下に逢って下さるだけのことを引き受けて下さるでしょうか?」と不安そうに今度はシャアが聞いた。
MRミスタ・タチバナ、あなたのお国に対しては、私たちは表面上は英国の臣民なのです。どんなに苦しみましてもこんなことが日本の外務省フォレン・オフィスへ頼める筋合のものでもありませんければ、また持ち込んだからとて、日本の外務省が英国の内政上の問題にまで乗り出すようなそんな手数トラブルをしないことは火を見るよりもあきらかなことなのです。それよりも私たちはやはり私たちの友人であるあなたに試みをやってみていただいて、もし幸いに殿下の内意を聞いて下さることができましたらこれ以上の仕合せはありませんし、よし不幸にしてできなかったにしても決してあなたの御好意を私たちは忘れません。お逢い下さることができなかったらその時は改めてまた私たちは第二の方法を考えて聯合エーピーの記者なり合同ユーピーの記者なりにこの真相をぶちけて助けてもらおうか、とも考えているのです、いかがでしょうか? ぜひそういう意味で御助力願えませんでしょうか」その瞬間私のはらは決まってしまったのであった。智恵も学問も富も充分に持ちながら、ただ亡国の民となっている悲しさに自分たちの熱愛している主人を奪われながらもなすすべを知らぬこの哀れな印度の友達たちの暗い心が、またぞろ私の気持を馬車馬みたいに駆り立ててしまったのであった。そしてもう一つは私を信頼していてくれるあの少年太子がさぞ味気ない日々を送っていられるであろうと思うことが私の心を手負いのししのように、またぞろ身のほど知らずに飛び立たせる決心をさせてしまったのであった。やがていとまを告げた印度人たちの姿が垣根の向うに消えると、ふすまの陰に隠れていた子供たちは安心したように抜き足をして座敷の中へはいって来て、重なり合ってそっと私の膝に腰を下ろしたが、二人の腕白わんぱくの頭をでながら凝乎じっと考え込んでいると、ふだんはついぞ頭にうかんだこともない立派な国体のこの日本に生を受けた私の子供たちの幸福さがこの時ぐらいしみじみと有難く胸に味わわれてきたことはなかったのであった。


 が、私の家から引き揚げた後でまた何かの事情から相談が変ってきたのであろう。そのあくる朝まだ床にいるうちに私の所へはカ氏署名の速達が配達された。文意は至極簡単で、唯今貴宅から辞去後再度キャゼリン嬢が来訪再び一同で協議をしたが結局、この際は後でしかられるまでも一度抑留から殿下をお迎えして今後いかになすべきやを議したいと思うから、ともかくキャゼリン嬢の提案を容れて一応同嬢に大使館当局に逢ってもらうこととしたから、はなはだお手数を掛けて申し訳ないと思うけれどこちらから何分のお知らせをするまで昨日お願いした件を一時保留にしておいてもらえまいかという手紙であった。そしてその後に明日早速キャゼリン嬢は大使館へ出向いてくれるはずになっているから、明晩殿下の御動静判明次第早速またお知らせするつもりであると付記してあった。せっかく起きたらすぐ出かけようと意気込んでいた矢先であったから、何のこった! 散々人を騒がせておいてと張合い抜けがした。しかしもちろん私なぞがヒョコヒョコと出掛けて行って門番に軽くコナされて帰って来るよりも、同国人でありかつはジャルディン卿の妹であるキャゼリン嬢の行く方がどのくらい効果的だかわからないのであったから、もちろん私に異議なぞのあろうはずもないことであったが、頼まれてみると尻込みしていたくせに、こうやって断り状が来てもう行かなくてもいいということになると何となく、自分が廃物視された気持がして妙に奥歯に物のはさまったような心地であった。その妙な気持で一日、私は机の前に坐り込んでいたが夕方近くなって、もう今頃はそのキャゼリンという婦人が戻って来て、太子の動静がわかった頃だろうと思うと、何とも言えず気になって書き物をしていても落ち着かなかった。やがて夜になればまたカ氏から何か知らせてくることとは思ったが、到頭それまで待つ気がしなかったから、夕飯を済ませるとともかく散歩かたがた様子を見に行くことにした。地上あらゆる物がすべて青白く絵のように見える月のいい晩であった。戦争に緊張はしながらもさすがに月の光を浴びて街路には爽やかな秋の夜を楽しむ散歩の人影が一杯であった。その人混みを分けながら自動車を飛ばせていると、私はまるで印度の社稷しゃしょくを双肩にでも担ったような緊迫したあわただしさを感じて、亡国の悲しみや哀れさなりやが今更のようにハッキリと胸に迫ってくるのを感じた。
 そしてわざと暗い所をってもつれ合ってゆく柔弱なやからを見るといきなり横づっぽうの一つも張り飛ばしてやりたいほどかんがたって、
「恋愛なんぞにふけっているべき場合ではないぞ! 祖国を亡国にしたくないためにはまず何をなすべきかを考うべき場合だぞ! クソ! クソ! クソ!」と浴びせかけてくれたいほどの義憤に似た感情の湧き上るのを覚えた。
 やがて自動車がそれと覚しき槐樹えんじゅの植込みの茂った前庭付きの立派な洋館の前へ止ると、私は家を見上げ見下ろし、今更のごとくたたずまざるを得なかった。これはいかに私が力み返っても無資産の私風情の保証では三池信託が貸したがらぬのも無理はないことであった。
 さすがに家賃は月に三百八十円、年にしてもそれにチョッピリ毛の生えたくらいしか納めていない私のお邸とは大分の開きであった。低い鉄柵の門があって、そのすぐ右手にはおそらく今度の騒ぎが起ったために中止しているのであろう、屋根だけいた車庫グラアジが怪物のような口をあけて中には立派なイスパノスイザが灰色の胴体に月光を浴びていた。その左手に砂利を敷いた道が三つ四つの花壇をめぐって芝生の上を宏壮な玄関へと導いていた。こんなどえらい邸宅の保証人になろうと踏ん反り返った橘という野郎も随分身のほど知らずの大莫迦ばか野郎であったが、この富や身分の相違にもかかわらずたくさん有力な日本人もあろうに、りにも択ってこんな貧乏な人間を友達にして、大小となく相談をかけている印度の太子やそれにき従っている周囲の人々の心を考えると、私には温かい友情というものにえているこの人々の心が眼に見えるようであった。
「タレ? タレ? タレデシュカ?」と、私の自動車の音で飛び出して来たのであろう。さっきから玄関には二、三人の人影が黒くかたまってウロ覚えの日本語で私の近付いてゆくのに声を掛けていたが、「橘です」と答えると、「Halloハロー Halloハロー! Dropドロップ inイン!」といきなりバラバラと先を争って砂利の上へ飛び出して来た。
「いいところへ来て下さった! 今あなたへ電報を打とうと思っていたところです!」とシャアが、真っ先に、私の手を握った。「さあ! どうぞはいって下さい。キャゼリン嬢もさっきから来ていられます」とカ氏も言った。
「太子はお帰りになりましたか?」
「NO!」と一斉にいずれも頭を振った。「お話ししたいことが山ほどあるのです。さあどうぞどうぞ!」と私の手をらんばかりにして、一同の連れ込んだのはすぐ右手の広い応接室であった。天井からシャンデリアが煌々こうこうと輝いているほかにそこには幾つかの大きな美しいスタンドに灯がはいって、贅沢ぜいたくな長椅子や座蒲団クッション卓子テエブルなぞがいかにも王子の応接間らしい豪奢ごうしゃな飾り付けを見せていたが、主のない部屋の中は寒々とした一抹の空虚うつろをどことなく漂わせているように感じられた。そして正面壁間に見覚えのある父王マハラージャや姉君のカムレッシ王女の大きな油絵が懸かってその下には同国人であろう、よく顔を見る二人ばかりの印度人が腰を下ろしていた。肝心のキャゼリン嬢の姿の見えないことがちよっと物足りない感じであったが、ともかく招ぜられるままに、私は今まで連中が、額を集めて協議していたであろう一座の中へ早速加わることにした。
「実は御足労でも明日の朝、いらしていただこうと思って今あなたのお宅へ電報を打とうとしていたところなのでした。ほんとうにいいところへ来て下さいました」とジャヴェリが口を開いた。そしてそれを待ちかねたようにカ氏もシャアも一度に語り出したのは大体次のような経過であった。「今日早速、キャゼリン嬢が行ってくれて、英国の大使や参事官、例のグレーヴス二等書記官たちとも種々相談してくれたのであったが、結論として大使館側の言い分では印度総督ヴァイスロイからの通牒つうちょうによって、大使館では到底ナリン殿下の日本滞在を許容するわけにはゆきかねる。紡織や染色を研究されるだけの留学に必ずしも日本でなければならぬという理由はこれを認めるのに大使館当局も苦しむ。印度総督ヴァイスロイからの通牒にも特にその点を強調してきている。かたがた留学地としては大使館当局としても英国臣民たる太子の御自省に待って第一に英本国をお勧めしたいけれども、これは太子御自身にいろいろ御都合もおありのことと思われるから、こちらから重ねてお勧めすることは御遠慮申し上げる。よって第二の候補地としては仏蘭西フランスもしくば米国、この二カ国中において、適宜の地に至急選定替えを願いたい。もし右二カ国を御承諾下さらず、あくまでも日本滞在を固執なさるならば、大使館当局としては、むを得ず旅券の返上をお願いするという意味のことを今日まで御相談していたが、太子は頑として翻意なさらなかった。もし、日本留学を許可しないならば自分は残余の国へは留学する必要を認めないからこのままヴィルプールへ帰国するとの御主張であったから、已むなく大使館では印度総督ヴァイスロイ及びヴィルプール国王マハラージャや同国首相らの意見を徴する間、便宜上大使官邸に御滞在を願ったのであって、召使いの印度人たちは太子を抑留したとしきりに騒いでいるそうであるけれども、決してそんな強制的な意味なぞのあるべきものではない。立派に太子御自身も御承諾の下に、大使官邸の賓客として御滞在になっていたことは、やがて、太子御自身の口からも判明するであろう」
 とぬかしたそうです。そして事実またキャゼリン嬢が見たところでも大使館では太子殿下に、充分な礼儀を尽して現にキャゼリン嬢がお部屋へ伺った時にも太子殿下は向うむきに御書見になっていられて、口は一言もおきにならなかったそうですけれど、部屋の工合でも調度でも確かに貴賓に対する礼儀であったということです。「しかしそんな外交手段なぞをいくらろうしたとて抑留しているという事実には何の変りもないではありませんか!」とシャアは無念そうに身もだえした。それを制してカ氏が何か口を挾もうとしたが、ちょうどその時絹れの音がしてコツコツと当のキャゼリン嬢がはいって来たので、私たちの話は一応ここで中絶の形になった。褪紅色たいこうしょくの上品な訪問着アフタヌーンを着けて綺麗きれいな優しそうな眼は幾分疲れを帯びた風情に恍惚うっとりと見開いていたが、こないだホテルで逢ったとおり、まず感じは一口に言って豪奢ごうしゃというのが一番当てはまっているように思われた。私という不意の新しい来客きゃくがあったためにどこかでしばらく遠慮していたらしい気色けはいであった。もちろん面と向ったのはこれが初めてであったから、カ氏の紹介で私たちは初対面の挨拶あいさつを交換し合ったが、
「お名前はこの方たちからもしょっちゅう伺っておりました。太子殿下にいろいろお世話下さいますそうで、この方たちも大変お力にしております」
 とにこやかに会釈した。そしてそこに腰を下ろしながら、「さあ! どうぞお話をお続けなさって!」と私の方に微笑ほほえみを送りながらカ氏やシャアを促しながら自分は伸ばした脚の甲を重ねて、凝乎じっと話に耳を傾けようとする姿勢を執った。美しくても年は二十二、三か四、五、一体の様子がちょうど太子の姉かなんぞのような趣を見せていた。そしてここの印度人たちに対してはさすがに英国貴族としての誇りプライドなり威儀なりを持して接しているようではあったが、それも別段にわざとらしいところもなく初対面ながら私に対する態度なぞは、はらの中はいかにもあれ、すこぶるしとやかに礼儀正しく、高い教養もあり洗練された社交的の典雅さをも示して、噂に聞いていた兄の駐在官レジデントの風貌なぞとはまるで別人種のような好もしい印象を与えたのであったが、今の私の気持には正直なところこのキャゼリン嬢なぞにこまかい注意の眼を向けているいとまはない。さっきからの話の方に気を奪われていたのであった。カ氏の話が続けられた。
 そこで今日キャゼリン嬢が大使館へ行った。大使館当局で言うのには、もしこれがせめてもう二、三日も以前であったならば、将来キャゼリン嬢との結婚もしくば同棲の約束を太子自身の口から誓約されるならば、大使館は喜んでキャゼリン嬢引受けの下に太子の日本滞在をお許ししたであろう。しかし、時日が二、三日遅すぎた。すでに一切の交渉がニューデリイの印度総督との間にすっかり結了してしまった現在であるし、のみならず本日の朝に至って太子御自身もついに亜米利加アメリカ留学の意志を表示せられた。もはや事態は一切確定してしまった後であるからせっかくの御依頼であるけれども、いかんとも取り計らい難くて残念である……。
「これが今日の午後にキャゼリン嬢のもたらして下さった知らせなのですが、そこにはいろいろなまた私たちにはわからぬ事情があったのでしょうが、ともかくも今申し上げましたように、殿下は本日朝亜米利加留学に御同意を与えられたそうなのです。そこで私共としても、早速その運びにしなければなりませんが、実は大使館からの知らせで、殿下は至急あなたに一度お逢いになりたい希望をらしておいでになるそうです。いかがでしょうか? 大使館へ行って逢っていただけませんでしょうか?」とカ氏が言葉を切った。
「もちろん喜んで!」と私はうなずいたが「今から?」と聞いてみた。
「NO! NO!」と口を揃えてカ氏もシャアもジャヴェリも頭を振った。「もう今からでは、時間も遅いですし、太子殿下もおやすみになっていられるでしょうから明日で結構です」
「殿下の御仕度を伺いに明日私も大使館へ行くことになっていますから、あなたの御都合のよろしい時間をそう仰有おっしゃっていただいて御一緒にまいることにしましょう」とシャアが誘った。もちろんそれにも異存はなかったからともかく明日の朝九時半キッパリに、一緒に行くことを約束したのであった。私たちの間の相談がまとまったとみたのであろう。
「さあ私ももう帰らなければなりませんが、車を言って下さいませんか」と気が付いたように、キャゼリン嬢がジャヴェリを顧みた。そして「せっかくあなたもお骨折り下さいましたのにまことに残念でございました」と私にしとやかな笑顔を向けた。
「私もどうかして、この方たちの望みを叶え、太子殿下の御希望も叶えて上げたいと思いましたが、今お聞きのようなわけで事がすっかり行き違いになって残念でございました」
「では太子殿下が亜米利加アメリカへいらっしゃるのでしたら、あなたもやはり亜米利加へおいでになりますか?」と不躾ぶしつけだとは思ったが私が聞いてみたら別に否みもせずに、「ええ」とキャゼリン嬢はずかしそうに微笑んだ。その態度が別段悪びれもせずあくまでも自分の恋に忠実ならんとする様子がありありとおもてあふれているだけ私は、何ともいえぬ気の毒な気持がした。カ氏はこの恋をカアマだと評したが、いつ自分に好意を持ってくれるともわからぬ兄を殺した異国の王子の後を慕って淋しい女の身で流浪の旅をどこまでも重ねてゆこうとしているこの婦人の恋を、私もまったくカアマだと感ぜずにはいられなかった。そしてあまりの気の毒さで、どんな事情があるのかは知らないが、これだけの優雅な典麗な美婦人の純真な恋になぜ太子はおもてを背けていられるのであろうかとつくづくそれを淋しく感ぜずにはいられなかったのであった。
 やがて車が来て、「またお眼にかかります」とキャゼリン嬢の立ち去った後で、私もまた明朝を約して、いとまを告げたが樹木の多い霊南坂れいなんざか付近の家々はもうすっかり深い眠りに就いてしまったと見えて、ただ遥かの高台の首相官邸や書記官長邸と覚しきあたりから煌々こうこうと木立ち越しに電灯の光がれているばかりであった。そのひっそりとした夜の静けさを破って、溜池ためいけか虎の門方面にまた戦勝の号外屋でも走っているのであろうか、曲りカーブきしっている電車の響きの間々から遠く躍るような鈴の音が聞えていた。タクシイを拾うつもりでその鈴の音を聞きながら月ばかり白々と冴えている人っ子一人通らぬ永田町ながたちょうの坂を登っていると私の頭からは、太子のおもかげも今別れた数奇さっきなキャゼリン嬢の姿もみんな消え失せて、この戦争の陰に着々として来るべき日の備えをしている英国の猜疑さいぎと暗躍とがしみじみと考えられてきた。我が国民が戦勝に気をよくして眠っているこの深夜、表面は何食わぬ顔をして万籟ばんらい声なき最中なるに、おそらくは電信機の火花を散らして世界にめぐらした秘密触手を動かしているであろう英国大使館の姿が思わず慄然ぞっと想像されてきたのであった。


 いよいよその翌日、私がシャアと車を英国大使館へ乗り付けた時には、すでに太子は床を離れていられたのであろう。そして太子が大使館の強圧を容れて、留学地を日本から米国へ変更されたことが大使館当局をして意を安んじて私に太子との面会を事なく許させてくれたのであろうか。別段、話に聞いていたような不愉快な印象を与えられることもなくかえってすこぶる慇懃いんぎんに、大使館本館の応接間に招じ入れられた。権謀外交の本家本元であり、奸黠老獪かんかつろうかい外交の本家本元ではありながらも、さすがに本館奥まったこの応接間近くは森閑しいんとしてしわぶきの音一つ聞えず、表を通る廊下の跫音あしおとや、よく日本の役所に見るような人の往来のあわただしげな気配なぞは少しも動いてはいなかった。入り口から引き続いて長い廊下一面に敷き詰めた絨緞じゅうたんにも、どっしりとしたオークの椅子卓子テーブルやあるいは、重く垂れたとばり、そこから見えるよく手入れのゆき届いた美しい庭の芝生や木立ち等、そのどこにも、大英老帝国のくすんだ渋さなり落ち着きなりが漂っているように思われた。が、しかし、その落ち着きには似ず、思いしかこの部屋の中だけはそこらじゅうに声を潜めた眼が光って周囲からのぞかれているよう気持[#「覗かれているよう気持」はママ]がした。
 そしてそう感じたことは必ずしも私だけの気のせいではなかったとみえて、
森閑ひっそりしているようですけれどどこに耳が付いていないにも限りません。用心しましょう」とシャアが私の耳許でささやいた。その途端に、コトリコトリと廊下に、跫音がして、とびらが静かに開かれた。たちまちシャアは椅子を離れて突っ立ち上ってそこに姿勢を正した。太子が入って来られたのであった。立ち上った私の前につかつかと進んで来られたが相変らず落ち着き払った、しかも満面に懐かしそうな微笑をたたえて、
「よく逢いに来て下さいましたMRミスタ・タチバナ」と穏やかに手をさし延べられた。「一度お眼にかかりたいと思っていました」と傍らに直立しているシャアに眼を移されると何か優しくカッチ語で言葉をかけてそのまま正面の椅子を引き寄せられたが、鬼をもひしがんばかりのシャアはその瞬間今にも両眼涙をあふらさんばかりに硬ばって身を震わせながら突っ立っていた。久しぶりに主人の無事な姿を見た喜びか、あるいは今母国語でかけられた言葉がそれほどまでの感激を彼にもたらせたものか、この忠義一途な若者はとみには口もけぬくらいに硬ばり切っているのであった。
「何からお話し申し上げていいかわかりませんが」と太子は静かに机の上に両手を組んで私の顔を打ち見守られた。大使館に起居していられるせいであろう、薄茶色の背広に、酢漿草かたばみ模様のネクタイを着けて、美しい頬には穏やかな片笑みを湛えていられたが、気の迷いか口辺、まゆのあたりに幾分苦悩の跡を残しているように思われた。
「詳しいことはお話しすることも許されませんが、定めしシャアやカパディアあたりからお聞き下すったことと思います。思い掛けぬいろいろな事情が起りまして、私の意志どおりに振舞うこともできなくなりました。已むなく今度亜米利加アメリカの方へ留学地を変えることになりましたが、あなたにはいろいろ深いお世話になりまして、お互いの友情がもっともっと親密になることを祈っていたのですが……」と太子は言葉を切って凝乎じっと私の顔をみつめていられた。「一度つ前に心からお礼を申し上げたいと思っていましたところへ、昨日MISSミス・キャゼリンが来られたと聞きましたので、もしこの願いが聞き届けられるならと大使館の方へ通じておいたのですが、幸いにも私の希望が達せられてこんなうれしいことはありません」と太子はポツリポツリと言葉を切りながらまたここで声が途絶えた。胸中に去来するはげしい感情のために思うように言葉も続かぬ様子であった。私も太子の胸中を察して凝乎じっと声を呑んで太子のおもてを打ち見守っていた。
「しかしMRミスタ・タチバナ」とややあってまた太子が続けられた。
「長く交際しても何の思い出も残さぬ人もあれば、相逢う期間は短くても胸にいつまでも残って忘れ得ぬ思い出になる人もあります。私はたとえお国を去りましても――もう再びお国へまいることもできなかろうと思いますが、あなたと御一緒に映画へまいったことも、また御一緒に帝国ホテルで食事をしたりあなたが愉快に酔って下さった記憶をも忘れることはできないと思いますが、あなたも私のことを覚えていて下さいましょうか?」
「もちろんです。太子殿下」と思わず私の口からも初めて殿下という言葉が出てきたのであった。「私こそいつまでもその記憶を忘れることはできません、が、しかし殿下!」私は勢い込んだ。「私には事情はよくもわかりませんが、昨晩カパディア氏から聞くところによれば、もしMISSミス・キャゼリンが引き受けさえすれば、そしてあなたさえ米国留学を御変更になってもっと日本にいたいと仰せになれば、大使館は条件付きで許可すると言っているそうではありませんか。たとえMISS・キャゼリンはお嫌いでも一時の手段としてでもここをなんとか切り抜けてもう少し御滞在になるわけにはゆきませんか?」と無駄とは知りつつも私は力をめて太子の顔を打ち見守った。
「誰がそう申しました?」
MRミスタ・カパディアがそう言いました。MISS・キャゼリンから聞いたと言って!」
「大使館がそういう意向だというのですか」
「そうです」と私はうなずいた。
「いいえ違います。あなたは何にも御存知ないのです」と太子は静かに、しかしあきらめ切ったように淋しい微笑をたたえて頭を振られた。「MISSミス・キャゼリンはそう考えているでしょう……それは大使館があの人にそう思わせているからです。しかしもう私個人の意志ではどうすることもできないところまできているのです。私の乗る船も明後日のイキトス号と決まっているのです」と太子はうれわしげにまばたかれた。
「あなたの仰有おっしゃるように、あの人が引き受けるとか、引き受けぬとかいうくらいで変更されるそんな性質の問題でもなければ……また私があの人が好きとか嫌いとか」と太子は面を染められた。「そういう性質の問題でもないのです。私は一度も自分から亜米利加アメリカへ行くと言った覚えはありません。しかし、私の国の総理大臣と父王マハラージャと印度政庁とここの大使館とこの四者間でそう決定してしまったことですから、もう私自身には何とすることもできないのです」
「それなら殿下は……」
 初めてこの瞬間に私には大使館のっている処置の全貌がおぼろげに飲み込めたような気がして、今更ながらに、変幻極まりない陰険な英国の印度政策のすべてをグザと見せ付けられたような気持がしたのであった。
「もう言っても何にもならぬことですから、そんな話には触れないことにしましょう」と太子は卓上に投げていた私の手の上に静かに両手を重ねられた。「私はもう何事も諦めています。ただあなたにお願いしたいことは、あなたがいつまでも私と私の国との友情を覚えていて下さることだけ……それを私は……」
「決して忘れはしません。私の命のある限り私は覚えているでしょう!」と太子の不思議な涙が私にまでも息詰まらせるような感情をもたらせて、私は夢中で太子の手を握り返した。そして大急ぎで付け加えた。「しかし亜米利加アメリカへおいでになれば私に手紙を下さることも御自由でしょうし……亜米利加へは行かずとも、いつか一度は私もきっと印度へは――印度のお国へはまいるつもりです。お互いにその時にはまた殿下逢えるではありませんか!」
 しかし不思議なことに太子は私の言葉には何とも返事はされなかった。ただ満足そうに心から嬉しそうに幾分憔悴やつれの見える頬にえくぼうかめていられるばかりであった。そして黙ってチョッキの隠しポケットから小さな金時計を出して眺められていた。
「私が小さい時に、父王マハラージャから貰いました。それ以来、私のずっと大切にしていましたものです」と言って私のてのひらにそれを握らせた。そして握らせた上からまた両手を重ねられた。「ほんの五、六分間という約束で私はあなたとの面会を許されています。お名残りは尽きませんけれども、これでお別れをいたしましょう」と彫像のように突っ立っているシャアを見上げて二言三言また何か言葉をかけられた。見る見るシャアの頬にはほとばしるような喜色がうかんで、泣かんばかりに引き締めた表情で頭を下げた。
「ではよく来て下さいました。MRミスタ・タチバナ、あなたもお身体をお大切になさって!」
「殿下! 私はおちになる前にもう一度船までお見送りいたします」
「私は……日本の国を思い出す時にはきっとあなたのことを思い出します」と太子はもう一度あと戻りして私の手をしっかりと握られた。そしてそのままつかつかと足速に扉の方に近付いて私の方も振り向かれずにそのままとびらを排してしまわれた。
「…………」呆気あっけに取られた私が、急いで扉を排した時に、一瞥ひとめでなぜ太子がああも急いでいられたかが飲み込めた気持がした。書記官なのか訳官であるのか、顔は見えぬからわからなかったが、二名の大男の英人が、私に背を見せて、今奥の方に立ち去って行かれる太子の後ろにき従っているのであった。英国大使館では、おそらく身分の高い太子殿下ラジクマールに敬意を表して、警固に付けておいたと弁解するであろう。しかし大使館当局がなんと詭弁きべんを弄そうともこの瞬間私の目撃したものは、英国大使館はナリン太子を待遇するに鄭重ていちょうなる「囚人めしゅうど」の礼をもってしていたことを私はこの眼でハッキリと意識したのであった。
 そして私が淋しい気持で自動車に乗っている時、怒りっぽいしかし無邪気なムッツリとした、しかし子供のように単純で率直なシャアは、「MRミスタ・タチバナお喜び下さい! お喜び下さい! 今太子殿下ラジクマールが仰せになりました。お伴は私一人と決まったのです。私がお側に随いていますれば御安心下さい! どこでどんなことが起ろうとも太子殿下のお身体に指一本でも触れさせるものではありません!」と車上に躍り上らんばかりにして、喜悦を満面に現しているのであった。
「そしてジャヴェリは?」と私が聞くともなく上の空で聞いてみたら、
「日本にいましても仕方がありませんからもう帰国しますでしょう」と怒ったように答えた。
 越えて二日、私は太子のことのみを考えて哀愁と思慕とで胸の閉されるような思いを続けた二日の後、太子の乗船イキトス号が横浜を解纜かいらんする日には何をいても見送りに埠頭ふとうへ出かけて行った。出航まで余すところわずかに二日間では何をしようにももう間に合わなかったから、せめて太子の旅情を慰めるためにもと文楽座の人形使いをかたどった博多人形を一個と、これも亜米利加アメリカへ着かれた後の記念にと思って七宝のカフスボタンを太子とシャアとに一対ずつ財布の底をはたいて用意した。そしてそれを船中で手渡ししようと思って舷側を駆け上ったのであったが、驚くべしこの英国船中の警戒は厳重を極めてB甲板デッキ太子の船室ケビンの前には例の私の見た大使館員なのであったろう、英人二名が張り番をして絶対に見送り人を近付かせなかった。しかも太子の船室ケビンのみかは! その船室への通路にさえも菱形に一本マークを着けた船の士官オフィサーが両側の入り口に一人ずつ頑張って何としても近寄ることを許さなかった。埠頭にはすでに黒山のようなイキトス号見送り人の喚声が湧き起って眼球めだまあおい船員たちはせわしく出帆の準備に立ち働いている。そして見送り人の退船の銅鑼どらの音はさっきから引っ切りなしに触れ廻されている。太子やシャアに贈物を抱えて来ているのは一人私ばかりではなかった。私たちは気が気ではなかった。しかも士官オフィサーは何としても通そうとはしてくれぬ。眺める通路の中ほど太子の船室ケビンと覚しきあたりには、見るから憎々しいあから顔の大兵だいひょうな英人二人がこちらを眺めながら平服の腕を組んで傲然ごうぜんと語り合っている。カ氏やジャヴェリたち印度人一行の激昂げきこうはその極に達したのであった。
「我々の太子殿下は囚人めしゅうどではない!」
「英人は何故かくも印度王族の自由を束縛するのか!」
新聞記者ジャーナリストに訴える。英国大使館のこの暴状を我々は新聞記者に訴える。船長キャプテンに通じてくれ!」印度人たちは口々に呼ばわって殺到した。が、士官オフィサーはただ冷やかな笑みを口許にうかめているのみで、いっかな通じようともせぬ。見送り人は続々と下船して銅鑼どらはいよいよ身近く鳴り響いてきた。ついに事務長パーサーらしい制服ユニフォームの上級士官が現れて、その取りしで船の給仕ボーイが私たちの携えてきた贈物一切を両腕に抱えて、ひとまず船長室まではこんで行った。後で太子に御通ししておくという挨拶あいさつで、私や印度人たちの一行はここで声を限りに万歳ナリンクマールを絶叫した。それは船室の奥深く閉じこもっていられる太子やシャアの耳にまで達したかどうか? しかし私たちは天にも響けと四たび五度帽子を振って躍り上って万歳ナリンクマールを絶叫した。私も印度人ではなかったが、この瞬間だけは「万歳」という特定語を持たぬこの印度の友達と心を一にして声の限りに「ナリン殿下クマール」を絶叫したのであった。
 なだめられ、すかされながら私たちが船を降りると同時に、たった一つ残っていた板梯子ギャングウェイも引き下ろされた。海面にこだまして汽笛が物憂げに鳴り響き、今や雨のごとくに降りしきるテープとハンカチの波の向うに、この時突然太子とシャアとの姿がボート甲板デッキいささか船首バウ寄りのこっちに現れたのであった。シャアは黙って太子に従い、太子もまた黙然と佇立ちょりつして私たちの方に訣別けつべつの眼を向けていられる。海を圧する歓呼と万歳声裡に船橋塔フォアキャッスル彼方かなたマストに高く英国旗ユニオンジャックなびかせたイキトス号はいよいよ巨体を揺すぶって埠頭を離れ始めたが、太子はただ彫像のごとくにこちらをみつめて立っていられるのみであった。しかも私はこの時この瞬間の印度の友達たちの太子に対する訣別ほど、世にも悲壮厳粛を極めた光景を未だかつて経験したことはなかったのであった。見よ! あれほど激昂しひしめき合ったその怒りも失せて、もはや誰一人手を振るものもなければ万歳クマールを絶叫するものもない。カパディア氏もジャヴェリもシュカーリャと呼ぶ太子の料理人も、シュカーリャと一緒に印度から来た従僕たちもそしてそのほか二、三のヴィルプール人たちは、ただ粛然とえりを正してその黒い頬に止め度もなく涙をふり落としながら、涙の眼を挙げて自分らの太子の淋しい船出の姿を凝乎じっと彼方に見上げているのみであった。テープは切れて花のように乱れ飛ぶ中に、耳をろうせんばかり怒濤どとうのような喚声の中に、この一団ばかりはただ止め度もなく涙をあふらせて突っ立っているのであった。そして船尾に白浪が湧いて、太子やシャアの姿は小さく小さくやがて人影はただ一つの船影と溶け去って、二万一千トンイキトス号は波の向うに煙を吐いて行くのであった。

 そしてついに現実の上にもこの物語の上にも終りジ・エンドを告げる日がやってきた。よもやと考えていた我らの杞憂きゆうはついに事実となって、わずかそれから十日の後船はいよいよ米国領海に近付かんとして、布哇ハワイ出航二日の後、太子並びにシャア逝去の悲報は突如としてもたらされたのであった。カパディア氏からの急報で私がヴァローダ商会へ駆け付けた時には、在京ヴィルプール人はことごとくヴァローダ商会の二階広間に集まっていた。すでにキャゼリン嬢は太子の後をって次の便船ベルゲンランド号をもって桑港サンフランシスコへ旅立ち、印度から来た料理人コック、従僕らも一足先に帰国して、残るはわずかに邸の後片付けを終ってひとまず国へ引き揚げる手筈てはずになっていたジャヴェリとカパディア氏とあと三人ばかりの印度人のみであったが、これが今在京ヴィルプール国人のすべてであった。
 正面壁上に黒リボンをおおうて生けるがごとき故殿下の愛らしき印度王族姿の肖像を掲げ、その肖像の右肩に小さな花輪をけて、今しもそこに悄然しょうぜんと涙を呑んで黙祷もくとうしていたらしい一団は私がとびらをはいると同時に涙の筋をひいた顔を挙げて目礼したが、その中からあわただしく立ち上ったカ氏とジャヴェリとが同時に右左から私の手を握りしめた。ワナワナと身を震わせて涙が込み上げて絞るような悲痛な声であった。
MRミスタ・タチバナ! 私共の太子殿下は……太子殿下は……お果てになりました。もう万事おしまいです! さあどうぞ! 殿下のために冥福めいふくを祈って上げて下さい。あなたは殿下の一番のお友達でした」
 そして血走ったまなこすごく右と左から黙々として私に大使館からの公文電報を突き付けた。
「……これが、我々に信じ得られるとお思いでしょうか? 疑いもなく××です。殿下もシャアも! 見て下さい! 我々を瞞着まんちゃくするために大使館が寄越したこの電報を!」
 声をふるわせてカ氏とジャヴェリとの悲憤の手に握りしめられていたクシャクシャの電報三葉は左のごとくに読まれた。
 ナリン太子殿下横浜御出航以来御不例かねテ船医ニおいテ流行性脳脊髄膜炎のうせきずいまくえんト診断船中ニ於テ御加療中ノ処病勢御険悪発熱三十九度五分囈言げいごアラセラレ、嘔吐おうと数回嗜眠状態ニアラセラルル旨イキトス号船長ヨリノ無電ニ接ス。大使館ニ於テハ取敢エズ更ニ詳報かた船長ニ向ケ打電同時ニ別掲容態表ならびニ乗組船医二名ノ手ヲもっテ最善ヲ尽スキ旨同船長ヨリノ回答ニ接シタリ。桑港サンフランシスコ着直チニ皇后クィーンエリザベス病院御入院ノ件在ワシントン英国大使館ヨリ桑港英国総領事ニ電命ノ趣、唯今通知ニ接ス。右大使閣下ノ命ニ依リ通牒つウちょう[#ルビの「つウちょう」はママ]ス。

 一通は、
 ナリン殿下容態御佳良かりょうナラズ。最善ノ施設ヲもっテ船上御手当中ついニ本日午後七時二十七分、西経百三十三度四分北緯三十二度六分桑港サンフランシスコへだタル海上八百三マイルノ洋上ニ於テ薨去こうきょ遊バサル。御遺骸ハ船長室ニ安置シ、イキトス号桑港着ト同時ニ、パナマ経由、ボンベイ行メンダリアス号ニ移シ御帰国ノ予定。
 目下イキトス号ハ半旗ヲ掲ゲテ航行中ナル旨九時二十分無電ニ接セリ。太子ハ深厚ナル哀悼ノ意ヲ直チニ在ヴィルプール王宮並ニ政庁ニ送達、なお御遺骸移送ノ他ニ際シテハばん遺漏ナカランガメ在米英国大使館ハ在桑港総領事ニ電命ノ旨唯今通知ニ接ス。

 そして残る最後の一通は、
 ナリン殿下薨去ノ趣前掲通牒ノごとクナレドモ、御遺骸移送ニ際シテハ特ニ慎重ナルキ旨、イキトス号船長ヨリノ無電ニ接ス。尚為念ねんのため、従者ラジック・シャアナルモノハ殿下御看護ニ際シ感染本日午後一時三十分死去水葬ノ趣唯今イキトス号船長ヨリノ無電ニ接ス。
「これがあなたにはお信じになれますか! 英政府の常套じょうとう手段です。ことごとく既定の計画だったのです! 卑怯ひきょうな! なんという卑怯至極なやり方でしょう!」とジャヴェリとカ氏はハラハラと落涙した。「船中で……英国船の船中で船医に命令すればいかなる真似でもできます。シャアが感染するほど激烈な脳脊髄膜炎ならば、なぜ同行の大使館員二人にはうつらないのでしょう! これでは殿下は死んでも死に切れません! いいや殿下は我慢なさっても我々印度人にはもう我慢がならないのです」
 途端に並いる印度人一同の間から歔欷すすりなきの声がれた。そしてその時誰かが、
MRミスタ・タチバナどうぞこちらへ」と私の席を作ってくれた。その席に立ってそして黒リボンに飾られた壁上の太子を見上ぐれば、それは生ける日のごとく眼は美しく、唇は微笑んで「MRミスタ・タチバナ、あなたは私を覚えていて下さるか?」とあの英国大使館で別れる時に微笑まれたりし日のおもかげそのままであった。聡明なる太子はすでにもはやあの時自己の運命の帰趨きすうは充分に悟っていられたのではなかったろうか? 見上げている私の眼にも熱い熱いものがたぎり立ってきた。
「殿下、私も私の命ある限り決してあなたを忘れはいたしません」と私は心のうちで繰り返しつつ、いつまでも肖像を見上げて突っ立っていたのであった。
 ……忘れもせぬ、それは昨年の十月二十九日陰険奸黠かんかつな英帝国の対支策謀の事実が次から次へと暴露してちょうどこの日赤坂三会堂における第三回の排英大会に我が日本国民の血潮が沸騰し切っていたその当日のことであった。





底本:「橘外男ワンダーランド 幻想・伝奇小説篇」中央書院
   1995(平成7)年4月3日第1刷
初出:「文藝春秋」
   1938(昭和13)年2月
入力:門田裕志
校正:荒木恵一
2017年6月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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