此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことの外かはいがられ候て、
先きやくぶんのよふなものになり申候。ちかきうちにハ大坂より十里あまりの地ニて、兵庫という所ニて、おゝきに海軍ををしへ候所をこしらへ、又四十間、五十間もある船をこしらへ、でしどもニも四五百人も諸方よりあつまり候事、
私初栄太郎なども其海軍所に稽古学問いたし、時

船乗のけいこもいたし、けいこ船の
蒸気船をもつて近

のうち、土佐の方へも参り申候。そのせつ御
見にかゝり可
レ申候。私の存じ付ハ、このせつ兄上にも
おゝきに御
どふいなされ、それわおもしろい、やれ/\と御
もふしの
つがふニて候あいだ、いぜんももふし候とふり軍サでもはじまり候時ハ夫までの命。ことし命あれバ私四十歳になり候を、むかしいゝし事を御引合なされたまへ。すこしヱヘンニかおしてひそかにおり申候。
達人の見るまなこハおそろしきものとや、つれ/″\ニもこれあり。
猶ヱヘンヱヘン、
かしこ。
乙大姉御本
右の事ハ、まづ/\あいだがらへも、すこしもいうては、見込のちがう人あるからは、をひとりニて御聞おき、
かしこ。