〔『支那思想と日本』初版〕まえがき

津田左右吉




 この書の第一部は「日本に於ける支那思想移植史」と題して、岩波講座の『哲学』の昭和八年一月発行の部分に載せたもの、第二部は「文化史上に於ける東洋の特殊性」という題名の下に、同じ講座の『東洋思潮』のために、昭和十一年のはじめに書いたものである。今この二篇を合せて岩波新書の一冊とするに当り、説明の足りなかったところを補い、支那文字を少しでもへらす意味において文字のつかいかたをいくらか変えると共に、題目をもききやすいことばに改めた。わたくしは、近ごろ、支那文字をつかうことをできるだけ少くするように心がけているのであるが、前に書いたものをそうひどくなおすことは、全体を書きかえない限り、むつかしいので、このたびは、このくらいにしておくよりしかたがなかったのである。
 この二篇は、いずれも今度の事変の前に書かれたものであるが、事変によって日本と支那との文化上の交渉が現実の問題として新によび起されて来た今日、再びそれを世に出すのは、必しも意味のないことではあるまいと思う。日本人が日本人みずからの文化と支那人のそれとに対し、また支那人が支那人みずからの文化と日本人のそれとに対して、正しい見解をもつことの必要が今日ほど切実に感ぜられる時はない。もしその見解にまちがったところがあり、そうしてそのまちがった見解に本づいて何らかのしごとが企てられるようなことがあるとしたら、そのなりゆきには恐るべきものがあろうと気づかわれるからである。
 この二篇に共通なかんがえは、日本の文化は日本の民族生活の独自なる歴史的展開によって独自に形づくられて来たものであり、随って支那の文化とは全くちがったものであるということ、日本と支那とは別々の歴史をもち別々の文化をもっている別々の世界であって、文化的にはこの二つを含むものとしての一つの東洋という世界はなりたっていず、一つの東洋文化というものはないということ、日本は、過去においては、文化財として支那の文物を多くとり入れたけれども、決して支那の文化の世界につつみこまれたのではないということ、支那からとり入れた文物が日本の文化の発達に大なるはたらきをしたことは明かであるが、一面またそれを妨げそれをゆがめる力ともなったということ、それにもかかわらず日本人は日本人としての独自の生活を発展させ独自の文化を創造して来たということ、日本の過去の知識人の知識としては支那思想が重んぜられたけれども、それは日本人の実生活とははるかにかけはなれたものであり、直接には実生活の上にはたらいていないということ、である。日本と支那と、日本人の生活と支那人のそれとは、すべてにおいて全くちがっている、というのがわたくしの考である。この考は久しい前からもっていたものであって、二十年ものむかしに書いた『文学に現はれたる我が国民思想の研究』にも、一とおりそのことが述べてあるが、その後になってそれがますます固められて来た。日本のことを知れば知るほど、支那のことを知れば知るほど、日本人と支那人とは全く別世界の住民であることが強く感ぜられて来るのである。日本の或る方面では、日本の文化と支那のとを何となく同じものであるように思いなす人たちもあるらしいが、それは、わたくしにいわせれば、自分たちのたずさわっていること、好きなこと、またはっている知識技能が、支那に由来のあるものであるために、それだけを日本の文物と支那のとのそれぞれの、またその間の関係の、全体であるように錯覚するところから生じたものである。このほかにもいろいろの理由はあるが、これがその最も大切なものであろうと思う。日本の文化についても支那のについても、そのすべての方面をひろく見わたし、それを一つの全体としてつかみ、またその根本の精神がどこにあるかをきわめ、それと共に日本人と支那人との現実の生活をありのままに見るならば、そういう考はおのずからなくなるはずである。
 なお世間では、これから後の日本が支那に対して政治的経済的または文化的に活動しなければならぬ、もしくはそれらの方面において両民族が提携しなければならぬ、ということと、日本の過去の文化と支那のそれとを同じ一つの東洋文化として見るということとが、混雑して考えられているのではないかと思われるが、この二つはもともと全く別のことである。日本と支那との文化が過去にどういう関係であったとしても、それにはかかわらず、これから後は、日本が支那に対していろいろの方面にはたらくことが絶対に必要となって来た。日本は今、支那人の抗日思想をうち破り、両民族が、支那において、互に手をつないではたらくことのできるような新しい状勢をつくり出そうとして、いのちがけの努力をしている。しかしそれには、日本人と支那人とが、上に述べたようにして別々の文化をかたちづくり別々の民族性を養って来た、全くちがった二つの民族であることを、十分に知ってかからねばならぬ。日本人みずからそれを明かにさとるのみでなく、支那人にもよくそれをのみこませなくてはならぬ。特に今日においては、日本は、長い過去の歴史が次第に養って来た独自の精神とそれによって創造せられて来た独自の文化との力によって、現代の世界文化を新しくわがものとし、日本みずからの文化に世界性を有たせて来たのであって、その点において今までの支那とはひどく違っていることを、はっきり支那人に知らせなくてはならぬ。文化上の提携といっても、実は、現代の世界文化をわがものとしている日本が、まだそれまでになっていない支那を導く意味でなければならず、そうしてそれを導くのは、これらの違いを明かにした上でのことである。漫然、日本人と支那人とを、または日本の文化と支那のそれとを混同して考え、それによって東洋人とか東洋文化とかいう語を作ってみたところで、それが支那人に何の感じをも与えないことは、もうとっくに試験ずみになっているではないか。
 実をいうと、支那人のうちには、日本には日本に独自の文化がなく、過去においては支那のの模倣に過ぎず現代においては西洋のに追従しているのみである、というような誤った考をもっているものが少なくないようであり、日本に対する軽侮心の一つのねざしもそこにあるのではないかと思われるが、もしそうならば、それはいわゆる抗日の態度とも関係のないことではあるまい。抗日意識が植えつけられたことには、いろいろの理由も事情もあり、またその根本には、民族競争国家競争のはげしくなって来た現代の世界の状勢において支那をどうして立ててゆくかという支那みずからの深いなやみがあり、そのなやみから生じた民族意識国家意識を、もともとそういう意識の弱かった、あるいはなかった、支那人の間に急速に、また強いて、つぎこもうとして、目的のために手段をえらばず目前の謀のために永遠の計を忘れるのが常である、あるいは自己の言動に自己みずから昂奮してその正否を反省することのできない、支那の一部の政治家や知識人の気質から、そうしてまた人々の権勢慾やそれに伴う術策がそれに結びついて、終には国際信義をも無視し人道をも無視するようになったというみちすじのあることをも考えねばならぬが、よしそれにしても、それが特に抗日という形をとって現われたことには、日本の強さに接したところから生じた圧迫感ともいうべきものと、日本を弱いと見たところから生じた軽侮心とが結びついたため、あるいはむしろ軽侮心がおもてに現われて圧迫感がそのうちにつつまれているため、にそうなったという理由があるのではあるまいか。(弱いと見たものに対しては、いかなることをもしかねないのが、支那の民族性の重要なる一面である。)そうしてその弱いと見たことには、政治的経済的もしくはその他の点においてのまちがった観察から来たところもあるが、日本の文化に対する上に述べたような誤解もまた有力にはたらいているにちがいないと思われる。
 ところが、日本人みずからのうちにも、日本の過去の文化の独自性に対する堅い信念をもたず、それを東洋文化などと名づけて、支那の文化に従属したものででもあるように宣伝したり、または日本の現代の文化が世界性をもっていること、それゆえにこそ現代の世界における日本の文化であり、随ってまたそれにはおのずから日本の文化としての独自性が具わっていること、についての十分の自覚がなく、それを単なる西洋文化の模倣であるようにいいふらしたり、するもののあるのは、支那人のこの誤った日本観を助成するようなものであり、また日本に対しては今日でもなおなくしきらぬ支那人の中華意識なり優越感なりに迎合するようなものである。意識してそうするのでないにしても、結果においてはそれと同じことになる。そればかりではない。日本人はとかく外国人に対して媚態を示すようなくせがあるので、それは決して外国人をして日本人を尊重させることにはならぬのであるが、支那人に対しても、文化的方面のことについては、やはりそれがあるようにさえ思われる。支那人のとは全く違った文化を有っている、そうしてその文化の優越性に対する強い自信のある、ヨオロッパ人やアメリカ人が支那人に尊敬せられ依頼せられていることを、日本人はよく考えてみなければならぬ。日本人が支那文字を用いたり支那の詩文をまねて作ったりするようなことも、支那人をして日本人に対する親しみを感じさせるやくにたつよりは、日本の文化を支那のに従属しているものと思わせ日本人を軽侮させるはたらきをする方が大きい。(自分らよりも優れていると思っているものが自分らと同じことをすれば、それには親しみを感ずるが、劣っていると思っているものがそういうことをすれば、それはただ自分らの優越感を強めるのみである。)なお支那においても、新しい世界の空気をいくらかでも呼吸している方面の知識人は、過去の支那文化に対して、ともかくも或る程度の批判的態度をとり、支那を現代化することにどれだけかのはたらきをしているのであるから、その運動が果して正しい方向をのみとっているかどうかは別として、日本人は東洋文化の名によって支那の過去の文化を崇拝しそれに執着しているというようなまちがった感じを彼らに抱かせることは、上に述べたとは別の世界において、日本が支那の若い知識人の軽侮もしくは反感を招くものであり、彼らの心をヨオロッパやアメリカに向けさせるものであることをも、考えねばならぬ。日本人がこれから手を携えてゆかねばならぬのは、支那の若い知識人であるから、日本人はそういう人たちの心を日本にむけさせるように努力しつつ、彼らの運動を正しい方向に導いてゆかねばならぬのである。支那も今は思想の転換期に立っていることを知らねばならぬ。
 ところでこう考えて来ると、日本人が支那に対して効果のあるはたらきをするには、日本が世界性を有っている現代の日本文化をますます高めていって、ヨオロッパやアメリカのそれよりも優れたものにしなければならぬということが、おのずからわかるであろう。日本の文化がそうなってこそ、そうして支那人が日本の文化よりもヨオロッパやアメリカのの方が優れていると考えなくなってこそ、支那に対して日本の文化の力を十分にはたらかせ、支那人をしてほんとうに日本を理解させ日本を尊敬させることができるのである。そうしてそういう風に日本の文化を高めるためには、一方において日本人の精神力をますます強めると共に、他方においては文化の発達を妨げるいろいろのじゃまものをできるだけ早く棄ててしまわねばならぬ。このじゃまもののうちには、過去に支那からうけ入れたものが少なくないのであるが、支那文字の如きはその最も大なるものである。支那文字が文字そのものの性質上、一般に文化の発達を妨げるものであることはいうまでもないが、日本のことばと一致しない支那文字を日本人がつかうことは、これからますます発達させてゆかねばならぬ日本のことばのその発達をもひどく妨げるものなのである。また支那文字や古典的支那文、即ちいわゆる漢文、と結びついている支那風の学問のしかたやものの考えかたが、現代文化の基礎となっている現代の学問の精神と一致しないものであることをも、考えなくてはならぬ。支那文字をつかうことをやめるには、順序もあり準備もなくてはならぬから、それをしおおせるまでに或る時間のかかるのは、しかたがない。しかし普通教育の教科として古典的支那文を学ばせるようなことは、一日も早くやめてほしい。これはすぐにでもできることである。古典的支那文を学ぶことは、過去の日本や支那について特殊の学問的研究をするものには必要であるが、一般には何の用もないことであり、学生のほんとうの教養ほんとうの知性の発達の妨げになるのみである。支那文で書かれた日本の古典やいろいろの著作はそれを日本文に書きなおすことによって、いくらでも世間に弘めることができるのである。なお支那の現代語を普通教育の教科としようというような考は、もっての外のことといわねばならぬ。現代支那語を学ぶことは、日本人にとっては何の教養にもならぬからである。これもまた現代支那についての特殊の知識を要求するもの特殊の学問的研究をするものや、支那へいって支那人と親しく接触しなければできないようなしごとをするものには、必要であろうが、それにはそれを学ぶことのできる特殊の機関があればよい。支那人と接触するしごとをするについても、日本人と日本の文化とにほんとうの力があり、それによって支那人が利益をうけることが知られて来るならば、支那人の方から日本語を学ぶようになるはずである。
 更にいい添えねばならぬのは、日本人が支那に対してほんとうのはたらきをするには、支那のあらゆることがらについての精密なる学問的研究、特に文化についてはそういう研究と共にそれによっての厳正なる批判、をしてかからなければならぬ、ということである。今日では日本が支那から学ぶべきものは何もないが、こういう研究と批判とはぜひとも必要である。それが日本人のすべてのはたらきのもとになるのである。文化方面のことについていうと、昔の日本の学者は、学問というものは他から何ごとかを学ぶことだと考えていたので、それがためにおのずから自己の学んだことを学んだままに崇信するようになり、そこから偏固な宗派心が彼らの間に養われて来た。支那に関することでは儒者の学問がそれであった。しかし現代の学問は研究することであり批判することであって、昔のような意義で学ぶことではない。そこで、例えば儒教のようなものに対してもまたそれが要求せられる。政治のおしえ道徳のおしえとしての儒教が、権力者や知識人の思想のうえ知識のうえでは、長いあいだ大なる権威をもっていたにかかわらず、その力によって支那の政治と社会とが少しもよくならず、支那の民衆が少しも幸福にならなかった、という明かな事実も、こういう研究と批判とによって始めてその理由が知られるであろう。そうしてそれがこれから後の支那人に対する指導方針を決定する重要なる資料となるであろう。儒教のみならず、あらゆる文化上の現象についても同じことが考えられねばならぬ。そうしてかかる研究が多方面に行われることは、おのずから学問の世界において支那人を導くことにもなり、日本の現代文化の力を支那人に対して示すことにもなる。のみならず、それはまた、支那についての知識をもたず、支那人の生活、支那の社会の実際状態を知らず、それがために今度の事変についてもまちがった考をもっているものの多い、ヨオロッパ人やアメリカ人に対して、支那についての正しい知識を与えるやくにもたつのであって、これは日本人のぜひともしなければならぬことである。(残念なことには、日本でまだこういう研究が十分に行われていない。ある方面ではりっぱな業績がおいおい現われて来たけれども、それの現われない方面が少なくなく、特に思想に関することにおいてそうである。何故にそうであるかは、上に述べたところによっておのずから知られるところがあろう。)
「まえがき」でこういうことをいうのは、ふさわしくないようでもあるが、この書に説いてあることと密接な関係があるので、率直にわたくしの考を述べたのである。日本は今、支那に対して行っている大なる活動に向ってあらゆる力を集中している。この活動は、すべての方面において、十分にまた徹底的に行われねばならぬ。そうしてそれが行い得られるのは、上に述べたようにして歴史的に発達して来た日本人に独自な精神と、世界性を有っている現代文化、その根本となっている現代科学、及びそれによって新に養われた精神のはたらきとが、一つに融けあったところから生ずる強い力の故である。ところが、この日本の状態と全く反対であるのが今日の支那の現実の姿である。今度の事変こそは、これまでの日本と支那との文化、日本人と支那人との生活が、全く違ったものであり、この二つの民族が全く違った世界の住民であったこと、それと共にまた、日本人に独自な精神と現代文化現代科学及びその精神とが決して相もとるものではないことを、最もよく示すものといわねばならぬ。現に支那において諸方面に活動し、いろいろの意味いろいろのしかたで支那人と接触している日本人には、そのことが明かに知られているであろう。この書に収めた二篇は、要するにこの明かな現在の事実の歴史的由来を考えたものに過ぎない。
昭和十三年十月





底本:「津田左右吉歴史論集」岩波文庫、岩波書店
   2006(平成18)年8月17日第1刷発行
   2006(平成18)年11月15日第2刷発行
底本の親本:「支那思想と日本」岩波新書、岩波書店
   1938(昭和13)年11月
初出:「支那思想と日本」岩波新書、岩波書店
   1938(昭和13)年11月
入力:門田裕志
校正:フクポー
2017年6月20日作成
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