この一顆を大杉栄氏に呈す
彼は真の技術者にてありき。
躯幹偉大に筋骨たくましく
色浅黒き男なり。
其眼を見よ。
何物かを求めて止まぬ
いずこにか何かを認めし其眼を見よ。
彼の父は放浪の
彼の母は優しき心の美しき
帝都の郊外なる海近き
同じ工場に働く内に
若い血は若い血を呼んで
人も羨む美しき恋に落ちぬ。
彼は生れぬ先からの織工なりき。
物心覚えてより工場に入り
六時より六時、五時より七時、
彼は真の技術者にてありき。
彼は
運転中
彼が機台の前に立つとき
不思議と経さえ切れず。
彼は今
長年の細き糸を繰れると
運転中の機械を見守れるとに
視力乱され物定かに見えず。
彼は
保繕工として優れたり技能を表わせり。
眼は見えずとも
彼は
耳で聴きわけ、手で探り当て
機械の保繕に妙を得たり。
彼に見出されぬ故障はあらざりき。
彼に繕われぬ機台は曾てあらざりき。
彼は読む事能わず、書く事能わず。
議論する事は尚更好まず。
彼は無智な労働者よ。何も知らず。
されど彼は知る。
労働者は「力」なる事を。
如何なる強敵をも引き倒さねば止まぬ
「力」なる事を。
彼は「力」なる労働者の一人なり。
真に
彼は幾度か
勇敢なる戦闘者なりき。
都に来りては闘い田舎に隠れてはたくらみ
幾度も
よく戦いよく勝てり又よく破れたり。
過ぐる日の帝都なる
紡織界に於ける総同盟罷工に破れてより
職を失いてさすらいの途に上る
企業家は
官憲は到る処に彼を迫害す。
彼は今職に就く事能わず。
都にも
技術者、彼、「力」なる労働者、彼、
両手をポケットに突込みし儘、
街々をさまよい歩く。
何を
(『新社会』一九一六年九月号にN正吉名で発表 『どん底で歌う』を底本)