「親分、山崎屋の隱居が死んださうですね」
ガラツ八の八五郎は、いつにない深刻な顏をして入つて來ました。
「それは聽いた。が、どうした、變なことでもあるのかい」
錢形平次は植木鉢から顏を擧げました。相變らず
「變なことがないから不思議ぢやありませんか」
「そんな馬鹿なことがあるものか」
「でも、ね親分、あの隱居は疊の上で往生の
「佛樣の惡口を言つちやならねえ」
「死んだ者のことを彼れこれ言ふわけぢやねえが、ね親分、聽いておくんなさい、このあつしも去年の秋、一兩二分借りたのを、半年の間に、一兩近けえ利息を
ガラツ八はそんな事を言ひ乍ら、鼻の頭を撫で上げるのでした。
「まさか、十手や捕繩をチラチラさせて金を借りたんぢやあるまいね」
「借りる時は見せるもんですか。尤も、うるさく
「なほ惡いやな、仕樣のねえ野郎だ。お
「止して下さいよ、親分がそんな事を言ふから、うつかり無心にも來られねえ」
ガラツ八は面目次第もない頸筋をポリポリ掻くのでした。
「お
錢形平次はさう言ひ乍ら、財布から取出した小粒で一兩二分、外に二朱銀を一枚、紙に包んでガラツ八の方へ押やりました。
「へエ、相濟みません。それぢやこの一兩二分は借りて參ります。それからこれは少しばかりだが香奠の印――」
「人の口眞似をする奴もねえものだ」
「勘辨しておくんなせえ、少し面喰らつて居るんで」
八五郎は飛んで行きました。同朋町の山崎屋の隱居勘兵衞に、散々の目に逢はされた一兩二分、死んでからでも返してしまつたら、さぞ
湯島の
「御免よ、――内々で番頭に逢ひてえが」
「その事でございます、親分さん」
顏見知りの久藏、――死んだ隱居の
「番頭か若主人でないと困るが、實は――」
ガラツ八は一兩二分の件を切出し兼ねてモヂモヂしました。
「へエ/\、早速
「――」
「お上のお耳は、早いものでございますなア」
何が何やら解りませんが、ガラツ八の用件とは、大分見當の違つた事件が起つてゐる樣子です。一兩二分と
「言つて見るがいゝ、――一體どうしてそんな事になつたのだ」
「誰が
「何?」
ガラツ八も膝小僧を揃へました。寺方が
「
久藏はキヨトキヨトし乍ら、漸くこれ丈けのことを打あけました。八五郎がその噂を嗅ぎつけて、飛込んで來たと思ひ込んだのでせう。
「親分」
ガラツ八が飛んで歸りました。
「何をあわてるんだ、八」
平次はまだ植木鉢の芽を樂しんで居ります。
「五千兩近い金が煙のやうに消えたんだ。こいつを驚かなかつた日にや――」
「爺さんが死ぬと直ぐ、山崎屋はお家騷動かい」
「それも五千兩だぜ、親分」
「あわてるなよ。誰のものになつたところで、俺や
「いやに落着いて居るぜ、親分。その上、お寺から、
「何だと、八?」
錢形平次は始めて眞劍な顏を擧げました。
「どうせ世間樣から評判のよくねえ隱居だつたから、金に
ガラツ八の鼻はキナ臭く動くのです。
「言つて見るが宜い、何が腑に落ちなかつたのだ」
「第一、親分の前だが、借金を返して
「まさか、それを貰つて來たわけぢやあるめえな」
平次は何となく氣がさします。
「親分の前だが、正直のところ
「馬鹿野郎、
「待つておくんなさいよ、親分、そんな金を貰やしませんよ。腹の中では千萬無量だが、其處は錢形親分の片腕と言はれた小判形の八五郎だ」
「――」
「番頭の和助の横つ面へ叩きつけて、思ひつ切り
「本當に返したんだらうな」
「横つ面へ叩きつけたのは嘘だが、返したのは本當さ。それから佛樣を見ると、首に絞め殺した
「何だと?」
「誰の仕業か知らないが、それを
「で、五千兩の金がなくなつたのは、何うして解つたんだ」
「隱居の變死にも驚かない店中の者も、隱居所にあつた筈の金がざつと五千兩、それがたつた五兩もないと判つた時は、眼を廻したさうですよ」
「兎に角、此處ぢや解らねえ。行つて見ようか、八」
「さう來なくちや面白くねえ。五千兩の大金を盜み出したか、隱したか、兎に角、隱居を殺した奴の仕業に違げえねえけ。これは飛んだ大物ですよ、親分」
ガラツ八は獲物を嗅ぎ出した
平次と八五郎が、山崎屋へ着いたのは晝少し過ぎ。
「御免よ」
さう言つて、薄暗い店を覗いた二人も、何となく
「あ、錢形の親分さん、丁度いゝところで」
誰やらが飛んで來ました。二十五、六の一寸好い男、山崎屋の先代に仕へた忠義者萬助の伜萬吉と後で解りました。
「どうしたんだ、何があつたんだ」
八五郎はもう飛込んで居りました。
「坊ちやんが――私はもう」
その後ろから覗くやうに、齒の根も合はぬ樣子で板の間に立つた美しい娘は、萬吉の
「何か間違ひがあつたのか。何處に居る」
平次はそれを掻きのけるやうに、飛込んで居ります。
一團の人間は、何とはなしにド、ド、ドドと奧へ流れ込みました。隱居勘兵衞の
父親の勘五郎と、母親のお常の悲歎は眼も當てられません。
「勘ちやん、死んではいけないよ、勘ちやん、――お願ひだから氣を確りしておくれ。おつ母さんだよ、判るかい、――誰が一體こんな眼に逢はせたんだえ、勘ちやん」
抱いたり、搖ぶつたり、
「勘太郎、勘ちやん」
父親の勘五郎は、さすがに取亂しませんが、死に行く我が子の手を握つて涙を呑むばかり。
その光景の中へ、錢形平次とガラツ八は飛込んだのでした。暫らくは悲歎と混亂の渦で、平次も八五郎も手の付けやうがありません。兎にも角にも、家の中の空氣の
三日前に死んだ隱居の勘兵衞は、もう六十八といふ歳で、表向の稼業は娘のお常と、聟の勘五郎に任せましたが、金箱は確と押へて、五十文百文の出入も、自分の手を經なければ、勝手に
尤も勘兵衞は、
聟の勘五郎は三十五、六、
殺された少年勘太郎は、二人の間の一粒種で、隱居の勘兵衞もこればかりは、眼の中へ入れても、痛くないほどの可愛がりやうでした。あまり賢こくはなかつた方ですが、色白の華奢な育ちで、勘兵衞が自慢の孫だつたのです。
勘兵衞の女房の妹の
その子久三郎とお染は、三十と十九の、かなり年の違つた兄妹ですが、親に似ぬ子で、早くから勘兵衞に引取られ、店の方を手傳つて肩身を狹く暮して居ります。
もう一人、先刻一番先に顏を出した萬吉は、五、六年前に
番頭の和助は四十男、これは物の影のやうな存在で、勘兵衞には信用されて居りましたが、
あとは下女と下男と小僧だけ、店の仕事は、貸金の取立て、證文の書換へ、地所家作の差配、地代家賃の取立て、と言つた雜務で、五千兩の運轉には、四、五人の手がどうしても入用だつたのです。
隱居の勘兵衞は、ガラツ八の見屆けた通り、床の中で
勘太郎少年は
五千兩の紛失と、隱居の葬式の行惱みで、
「子供は何にも言はなかつたか」
平次は、少し落着いた主人の勘五郎に訊ねました。
「見付けた時は、まだ息がありました。誰がこんな事をしたと訊くと、――お化け、お化け――と言ふだけで、何にも解りません」
「眞晝の納戸の中に、お化けが出たと言ふのか」
「それが子供のことですから、よくは解りません、――それから、お爺ちやんの
「巾着?」
「子供の事ですから、何を言ふか解りませんが、もう一つ變なことを言ひました」
勘五郎は
「變なこと?」
「私にも見當は付きません、が、何でも六十三は今日だね――と言つたやうで」
「フーム」
錢形平次も腕を
「親分さん、この敵を取つて下さい。こんな
お常は兇暴な眼をあげました。
平次は順々に家中の者に逢つて見ましたが、隱居や勘太郎を殺す動機は、すべての人が持つて居り、その機會も均等で、手の
「隱居が變死したに違ひない――とお寺へ知らせたのはお前だらう」
平次は下女のお光を捕へてこんな調子に鎌をかけました。
「お神さんが行つてくれ、あのまゝ
下女は隱し切れません。
「それぢやもう一つ訊くが、夜中に隱居が呼んだ時は、誰が行くことになつて居るのだえ」
「お神さんか、お染さんか、でなければ私が行きますよ」
「久三郎や萬吉は?」
「滅多に行きません。どうかすると、番頭の和助さんが夜中でも隱居所から呼出されることもありましたが」
下女は何の
隱居所は、
「五千兩とかの大金は、此處に置いてあつたのだね」
平次は當り前の事を訊きました。
「この穴倉にあるものと思ひ込んで居りました」
主人の勘五郎も
「家中の者は、皆んなさう思つて居たのだね」
「へエ――」
勘五郎の返事を
「親分、上から
ガラツ八は上から聲を掛けました。
「解つて居るよ」
平次は苦笑し乍ら、穴倉の中を一わたり見廻しました。
「其處に何にもないと解つた時、家中の者は全く驚きました。外に五千兩といふ大金を隱して置く場所はありません。床下も屋根裏も見ましたが――」
勘五郎の言葉には、言ひやうのない絶望が響きます。
「隱居が孫を可愛がつてゐたさうだから、子供にそつと教へて置いたんぢやあるまいか」
「そんな事も考へましたが、子供は何にも言ひません。死ぬ時、
「その巾着に何か思ひ當ることはないだらうか」
「父親は巾着などを持つて居る筈はありません。尤も、伜の勘太郎はお守と
「それを見せて貰はう」
平次は勘五郎を
「ございません――」
勘五郎は用箪笥をあけて、平次をふり返りました。
「ない? ――お神さんに訊いてくれ」
平次に注意されるまでもなく、勘五郎はお常に巾着のことを訊きましたが、これも何にも知らない樣子です。
「親分、――誰だか知らないが、隱居を殺して、穴倉から五千兩盜み出す積りだつたが、穴倉には金がなかつたので、子供を殺して巾着を奪つたんぢやありませんか。――隱居が孫の巾着に金の
ガラツ八の鼻は少し
「そんな事だらうよ、――が、それだけぢや、下手人の當りはつかねえ」
「その『六十三の今日』といふのは何でせうね、親分」
「それが解ると、金の行方か下手人か、何方かゞ解るだらうね、御主人」
「へエ――」
「御隱居の年は六十三ぢやなかつたね」
「六十八でございます。五
「――」
「ね親分、六十三の今日なら、明日は六十四でせう、
「ぢや六十八は何だい」
「シ、シ、シ
「馬鹿野郎、子供の
「へツ」
ガラツ八は額を叩いて苦笑ひしました。
一脈の
「番頭さん、何處に寢るんだい」
「お店の次の六疊に、小僧と一緒に休みます、へエ」
和助は低い囁やくやうな聲で
「隱居所から呼ぶ時は、誰が取次ぐんだ」
「お神さんか、下女のお光でございます」
「お前の方から、夜中に行くやうな事はないだらうね」
「飛んでもない、親分さん」
和助は以つての外の頭を振ります。
「勘太郎の
「へエ、――二、三年前まで坊つちやんの腰へ下げて居りました。
「それが、お前の荷物の中から出て來たが、これは何う言ふわけだ」
「えツ――」
和助の驚きやうは大變でした。
「これだよ」
平次が懷中から取出したのは、和助が言つたと同じ品、ツイ今しがた、雇人から、萬吉、久藏親子の荷物を調べて、八五郎の手で見付けたものです。
「そんな物が、――あの、私の荷物の中に、飛んでもない、親分さん」
「勘太郎を殺して、この巾着を奪つた者が、三日前に隱居を
「親分、私は、私は」
和助は追ひ詰められた
「兎に角、當分家を出ちやならねえ。一足でも戸口を出たが最後、縛られるものと思つてくれ」
「へエ――」
平次は
「まるで波の上でも歩くやうだね、親分」
ガラツ八はそれを可笑しがります。
「あの男は日本一の臆病者でなきや、大變な曲者だ」
「なぜ縛らないんで、親分」
「巾着があの男の荷物の中にあつたからよ。何が入つて居たか知らないが、お守りと
「その迷子札か巾着に仕掛けがありませんか」
「
「成程ね」
「そんな事に感心する奴があるものか、お次は久藏だ」
「いやな坊主頭だね、親分」
そんな事を言ふ二人の前へ、久藏は
「御苦勞樣でございます、親分さん方」
「一向目鼻が付かないから、骨折甲斐もないよ」
「飛んでもない」
「ところで、お前が此家へ入つたのは何時の事だい」
「丁度三年前でございます。へエ散々馬鹿を盡した
「時々は元の稼業が戀しくなるだらうね」
「と、飛んでもない。堅氣に越したことはございません」
「この家の中で、隱居を怨んでゐるやうな者はあるまいね」
「あるわけはございません、皆んな義兄に養はれてゐたやうなもので。尤も、世の中には間違つた野郎があるもので、思を
「それは誰のことだえ」
「物の
「番頭は少し位の費ひ込みがあるやうに聽いたが――」
「そんな事はございません。あれは半紙一枚
「萬吉は?」
「正直者でございますよ。あれの親父の萬助は、御奉行樣から御褒美を頂く筈だつたさうですが、義兄の稼業が稼業ですから、
「主人の勘五郎は?」
「孝行者ですよ、親分さん。あんな結構な聟は滅多にあるものぢやございません」
「すると、隱居を怨んでゐる者は一人もないばかりでなく、家中の者は皆んな忠義者で孝行者ばかりのやうだが」
「へツ、へツ、へツ、まア、さう言つたやうなわけで、へツ/\」
何と言ふ厭な
「萬吉も呼んで來ませうか、親分」
平次がうなづくと、ガラツ八は要領よく萬吉をつれて來ました。二十五といふにしては、少し老成に見えますが、先づ申分のない男で、態度も何となく落着いた、好感を持たせる肌合の人間です。
「お染との祝言が延びるだらうな、この騷ぎぢや」
いきなり、平次はこんな事を言ふのでした。
「いえ」
萬吉は
「何處まで話が進んでゐたんだい」
「何にも決つたわけぢやございません。それに――」
萬吉は、唇を噛みました。
「それに?」
「私は奉公人でございますから、――身を引くのが本當かとそんな事も考へて居ります」
「それは又どう言ふわけだ」
「お染の兄さん、久三郎さんがあまり氣が進まない樣子で――」
「そんな事もあるのかい」
平次は氣の毒さうに言ふのでした。事情が許したら、側へ行つて、肩でも叩きたい樣子です。この好青年は、久藏、久三郎親子の反對を押し切つて、お染と一緒になる勇氣がないのでせう。
それから、久三郎とお染にも一應遇つて見ましたが何の得るところもありません。久三郎は親の久藏に似ぬ、少し
「叔父さんは、それは/\私を可愛がつて下すつたわ、肩を揉んであげると、お小遣を下さるんですもの、――どうかすると、一朱も下すつたことがあつたわ。え、本當なの」
と言つた調子。然し美しさは相當以上で、萬吉と並べたら、さぞ良い夫婦でせう。
「親分、五千兩は何處へ行つたでせう」
その晩、深々と考へ事をして居る平次の前へ、これも落着かない心持のガラツ八が長い顏を持つて來ました。
「五千兩より、二人の命を取つた奴が憎いよ。手配りはしてあるのか」
平次は妙に
「山崎屋の四方へ、七、八人配りましたよ。
「それでよからう。明日は葬式を二つ出させるがいゝ。下手人を追ひ廻すのは、それからだ」
「逃げはしませんか、親分」
「五千兩を狙つた野郎が、
「成程ね。ところで親分、五千兩と言ふと大金だ。隱居所から首尾よく盜出したところで、一人ぢや持ち切れませんよ」
「その通りだ」
「だから、外に相棒が居やしませんか」
「フーム」
「五千兩持出した樣子がないとなると、
「――」
「中の野郎が五千兩一人
「で、何うしようと言ふのだ」
「
「――」
「中の曲者が、あわてゝ顏を出す、其處を捕まへる――と」
「そんなわけに行けば、
「やつて見ませうか、親分」
「やつても構はねえが、無駄だらうよ。それより、よく出入を見張つて居てくれ」
「へエ――」
八五郎は飛んで行きました。折角の名案を、そのまゝお
その晩は何事もなく明けました。
「お早やう、親分」
「どうした八、變りはないか――下手人は首尾よくあの
春の朝日と一緒に飛込んだガラツ八は、これもろくに
「思ひ付きは申分ないんだが、相手はその上を行く
「そんな事だらうよ、まア諦めが
「出入は大變でしたよ、お通夜とお
「あの家の者で外へ出たのは?」
「これも皆んな出ましたよ。主人は町役人のところへ、和助は
「變なところへ行くぢやないか、浪人者に何用があつたんだ」
「ヤツトウの先生ですよ。葬式に出て貰ひたい――と頼みに行つたんださうで」
「萬吉は?」
「縁談の
「お通夜の晩に、縁談を卜つたのかい」
「お通夜だつて
ガラツ八は首を縮めました。
「久藏の用事は?」
「借金を返しに行つたさうで」
「いくらだ」
「八兩二分」
「大層義理堅いんだね」
「昨夜が期限なんださうで、主人の勘五郎から、無理に借りて行きましたよ」
「フーム」
「あとは早桶屋に町役人」
「もういゝ――ところで粂吉は濱町、井田平十郎の家は明神下だな」
「へエ――」
「萬吉の行つた
「明神前の、
「――」
「早桶屋は町内の桶辰、町役人は
「もういゝ」
平次は又考へ込みました。
「親分、何處へ行きなさるんで?」
八五郎と別れて、スタスタと淺草の方へ行く平次を、あわてゝ引止めたのはガラツ八自身でした。
「
「山崎屋の方は? 親分」
「手前がいゝやうにやつて置いてくれ、日の暮れる迄には行つて見るから」
「觀音樣に何があるんで、親分」
ガラツ八の途方にくれた顏は
「觀音樣に何がある――は驚いたな。こんなわけのわからない時は、信心に限るよ。觀音樣を拜んでゐるうちに、結構な智慧が浮かばないとも限らない」
「へエ、――大丈夫ですか、親分」
「氣は確かだ、安心するがいゝ。
「へエ――」
ガラツ八はこんなに驚いたことはありません。二人まで變死人を
が、平次の氣心を知つてゐるガラツ八は、これ以上
日頃評判のよくない上、二人迄變死人だつたせゐもあるでせう。葬式は至つて淋しく、八五郎と下つ引の眼の光る中で本當に型ばかり
夕方、何も彼も一段落といふ時、平次はブラリとやつて來ました。
「親分」
八五郎は、何となくホツとした心持です。
「信心は良いな、八、飛んだ清々したよ」
「驚いたね、此方は一日ハラハラして居ましたぜ」
「それは氣の毒だ」
平次は一向氣の毒さうにもしません。
二人は山崎屋に
「なア、お染坊、隱居は飛んだ可愛がつたさうだが、あの通り死んでしまつたし、萬吉はお前と一緒にならうか、どうしようかと考へて居るやうだから、いつそのこと、此處に居る八五郎と一緒になる氣はないかえ」
「親分」
驚いたのは八五郎です。
「默つて居ろ、
「まア、親分、そんな事を」
お染も少し持て餘し氣味のやうですが、さすがに逃げもならず、モヂモヂと銚子ばかり撫でて居ります。
「
平次の醉態が少しひどくなると、八五郎は急に眞面目になりました。この
「親分、冗談はいゝ加減にして下さいよ。お染が泣き出しさうにして居るぢやありませんか」
たまり兼ねて萬吉が口を出しました。
「泣くほど嬉しいのさ。持參金は五千兩だ、――これは親許の俺が、八五郎に持たせるんだぜ」
「――」
「俺は今月淺草の觀音樣へ行つたのさ。思ひ切りお
「――」
緊張した空氣の中で、平次は懷中を搜りました。取出した紙入――その中に八つに疊んで挾んだのは、何の不思議もない、半紙半枚に刷つた御神籤が一枚です。
「ね、この通り、第六十三番凶と出た。上の方に
「――」
「諦めた方が宜いぜ、八」
「親分、――それや、一體、何で」
八五郎は引入れられる心持で、疊の上へ延べたお
「おみくじだよ、
「六十三番の凶?」
「子供が死に際に言つたのは、六十三の今日ではなくて、六十三番の凶だつたのさ」
「えツ」
「守り袋にこれがあつたんだ。隱居の勘兵衞さんは、この御神籤の文句の中に五千兩の金を隱した」
「――」
恐ろしい
「隱居は若い時寺に居たさうだ。
平次の態度は自信に滿ちて居ります。忽ち用意された提灯が七つ、勘五郎夫妻、久藏親子、和助、萬吉、それに下女、下男、小僧、平次とガラツ八を加へて、隱居所の縁から、春草の漸く青くなりかけた庭に降り立ちました。
「最初の一句は、何故
七つの提灯は期せずして、廣い庭の彼方、隱居がやかましく言つて手を入れさせなかつた藪のあたりを照らしました。
「佳人心漸く
平次はこんな馬鹿なことを言ひますが、もう、笑ふ者もありません。
「
平次の指す下には、古い
「八、その臼を起して見るが宜い。その下に古い
平次の言葉を待つまでもなく、石臼の下には一枚板があつて、それを擧げると、その下は大きな木の
「
平次の言葉が終らぬうちに、
「あつたツ」
ガラツ八は歡聲を擧げました。
「親分、――
お常は千兩箱の山には目もくれずに、平次の次の言葉を待ちました。恐ろしい緊張が水のやうに多勢の背筋を流れます。
「二人を殺したのは、六十三番凶の
平次の言葉が終らぬうちに、提灯が一つ宙に飛びました。平次の顏へ、
「野郎ツ」
「神妙にせい、萬吉」
平次の手は崩折れる曲者の肩へピタリと掛ります。
× × ×
「親分、何だつて、あんなに醉つ拂つた眞似なんかしたんで?」
山崎屋から、萬吉を引立てた歸り、ガラツ八はまた繪解きをせがみます。
「萬吉とお染の顏色が見たかつたのさ」
「お染には
「大ありさ。隱居所へ自由に入るのは、お常と下女と、それからお染の三人切りだ。萬吉が忍び込んだんぢや、隱居は目ざといからきつと聲を立てる」
「へエ――」
「お染に肩を揉ませて居るうち、六十八の隱居は、年にも恥ぢず、若い娘にからかつたのだらう」
「――」
「物蔭から樣子を見て居た萬吉は、ツイかつとなつて、飛込んで隱居を締めた。――日頃氣に入らない事が多かつたのだらう、親の代からこき使はれて、ろくな事もしてくれない上に、近頃はお染を
「成程ね」
「隱居を殺すと、穴倉に五千兩の金がある事に氣がついた。それを盜み出す積りで
「多分お染が、金の隱し場所を書いた書付けは、隱居が一番可愛がつて居る、孫の勘太郎の
「親分」
「まア、さうムキになるな。――ところで、勘太郎の巾着を奪るつもりで、
「へエ――」
「幸ひ六十三の凶をお
「變なことがあるものだね、親分」
ガラツ八は薄寒く