「親分、梅はお嫌ひかな」
「へえ?」
錢形平次も驚きました。相手は町内でも人に立てられる三好屋の隱居、十
「梅の花ぢやよ、――
三好屋の隱居は、相變らず日向に寢そべつて、自分の身體一つを持て餘して居るガラツ八の八五郎に聲を掛けました。
「梅の花といふと、花合せの
平次は苦笑ひをして居ります。
「お言葉だがネ親分、梅の花なんざ、
「馬鹿野郎、何て口の利きやうだ」
「いゝやね、親分、八兄哥は正直だ、――それに向うぢや、平次親分を伴れて來て下されば、恩に着ますつて言ふ位だから、御馳走の方は俺が引受けますよ」
三好屋の隱居は、何心なく筋書の底を割つて了ひました。
「へツ、
とガラツ八。
「そんな事だらうと思ひましたよ、御隱居さん、話が筋になりさうだ、御供しませう」
「行つて下さるか、親分」
三好屋の隱居は有頂天でした。何か餘程甘い話がありさうです。
すぐ支度に取掛つて、三人連れの無駄話に興じ乍ら、巣鴨の屋敷に着いたのは、彼れこれ
「――」
美しい女中が現はれて、行儀正しく式臺に三つ指を突きます。
何だか、
「神田の三好屋が、平次親分を連れて參りました。御新造樣に御取次を願ひます」
三好屋の隱居は
「暫らく御待ち下さいまし」
芝居の御腰元の外には見たこともないやうな、
「へツ、三ツ指で、――御待ち下さいまし――と來やがつた、親分、惡い心地はしないネ」
「馬鹿」
平次は睨む眞似をして見せます。
道々、三好屋の隱居が話してくれましたが、この梅屋敷といふのは、三千五百石取の大旗本、本郷丸山の
「まア三好屋さん、御骨折でしたねえ、平次親分、よくいらつしやいました」
お紋は下へも置かぬ
「初めて御目にかゝります。あつしは神田の平次で、お言葉に甘えて、飛んだお邪魔をいたします」
「まア、そんな改まつた事を仰しやらずに、遠縁の
「へエ――」
氣が付いて見ると、ガラツ八の狹い
「今自慢の料理をお目にかけます。ちよつと、御待ち下さいまし」
身を
「ね、萬事あの通りさ、恐れ入つたらう、親分」
三好屋の隱居は、人の好ささうな眼をしばたゝいて見せました。
「御新造の元の身分は?」
平次はそつと囁きました。
「何でも、町藝妓だつたといふことだが、
「シツ」
話の最中に、
「まア、内證話? 私の
朗らかさと、美しさを
それから酒――。
お紋は元が元だけに、すつかり三人を潰して了ひました。灯が入つた時は、もう
何時もの平次なら、斯んなになる前に歸つて了つたでせうが、お紋の取なしの底に、何か重大な意味がありさうで、ツイ立ちそびれて暗くなつて了つたのでした。
ガラツ八と三好屋の隱居が、すつかり潰れて正體も無いのを尻目に、平次はそつと庭へ下り立ちました。
「何うぞ此方へ――」
何處から現はれたか、小腰を屈めたのは冷たい美しい女中、
默つて入ると、中には
「親分、こんな折を御待ちして居りました」
「あ、御新造」
女中に呼ばれて驅け付けたらしいお紋は、少し息をはずませて、お品の惡くない程度に、
三千五百石取の旗本の妾――
「御新造、ざつくばらんに申しますが、あつしを此處へ呼んで下すつた御用といふのは何です」
平次は大して醉つて居ませんでした。打ち寛いだうちに何となく
「聞いて下さい、親分、――私は世にも恐ろしい者につけ廻されて居ります」
「――と仰しやると?」
「あの姿のない大泥棒、近頃御府内を騷がせて居る
「えツ」
「親分、私を助けて下さい。私ばかりぢやありません、丸山の御屋敷に殘して來た、若樣の御身の上も何うなるかわかりません」
「
平次は事の重大さに膝を乘出しました。
幻の民五郎といふのは、一年ほど前から江戸中を荒し廻る不思議な怪盜で、錢形の平次も、こればかりは手を燒いて居た相手だつたのです。
幻の民五郎の正體は、誰も確かに見たと言ふ者はありませんが、大家や大町人を手當り次第に襲ひ、現金だけを盜んで歩く怪盜で、うつかりそれを
姿を見た者をきつと殺す――それが幻の民五郎の流儀だつたのです。
幻の民五郎は、唐紙や
錢形の平次ほどの者も、幻の民五郎には二目も三目も置かされました。今までも隨分手を盡して追ひ廻しましたが、足跡一つ、髮の毛一本搜し出すことが出來なかつたのです。
「――」
平次はもう一度強く
江戸中の御用聞の中から、選りに選つて、幻の民五郎の
それは實に、一刻一瞬の油斷もならぬ、命がけの挑戰でもあつたのです。
「親分、聞いて下さい。私は丸山の屋敷から
お紋の話はまことに混み入つたものでした。――町藝妓をして居たお紋は、受出されて丸山の
高木銀次郎は兵法忍術に凝つて三十過まで荻野家の世話になつて居るやうな人間ですが、義兄荻野左仲の眼を盜んで、お紋を
お紋の素姓――と言ふのは、さすがに本人は言ひ
お紋の異常な美しさも、その魅力の裏に潜む品位も、河村靱負の娘と聞けば、成程うなづけないことはありません。
「私は幸ひ父親の遺した物や、荻野家の御手當で何不自由なく暮して居ります。此儘
「――」
「親分、そんな理不盡なことがあるでせうか。親は謀叛人でも、その娘の私になんの
お紋はそつと涙を拭きました。居崩れた膝を直して、下から平次を仰ぐ顏は、何う見ても三十近い大年増ではありません。
「ところで御新造、幻の民五郎の話が出たやうだが、彼奴は何うかしましたか」
平次は耐へ兼ねて訊きました。
「昨夜何者とも知れず忍込んで、手文庫の中から手紙の束を盜んで行きました」
「その父上の形見とやらを?」
「いえ、それは袋戸棚に入れてあつたので幸ひ助かりました。盜られたのは、高木銀次郎から私へくれた戀文が七本」
お紋もさすがに極りが惡さうでした。
俯向いてほのかに笑ふと、片面が
「何で、そんな物を持つて居なすつた、燒きも捨てもせずに」
と平次。
「萬一、高木銀次郎が私を相手に正面から來た時は、あの
「フム」
「父親の形見の短刀と、系圖は無事でしたが、いづれ今晩あたりは又盜りに來ませう。姿も、形も無い曲者が、嚴重な締りを開けて入つて、好きな物を盜つて、
「――」
「形見の短刀と系圖が向うの手に入れば、勇太郎樣は蟲のやうに押し殺されるか、
お紋は寄り添つて、平次の裾でも、帶でも掴みたさうでしたが、さすが、年にも身分にも耻ぢて疊へ手を落したまゝ、がつくり首を垂れるのでした。
「幻の民五郎には一年越馬鹿にされて居る。勝つか負けるか解らないが、兎に角及ぶだけの事はして見ませう、――ところで、民五郎は、何うして高木や大澤と一緒になつたか、心當りはありませんか」
「何にも、――尤も高木銀次郎は武藝兵法に
「フム」
何うやら其邊がキナ臭いやうでもあります。
いゝ加減醉つ拂つて居るガラツ八は、追つ立てるやうにして宵のうちに神田へ歸しました。
それは、お靜が待つて居るといけないと思ふ、平次の心やりからでした。
三好屋の隱居は、止めるのも聞かずに、
「大丈夫、駒込へ出る前に駕籠を拾つて行く、年は取つてもシヤンとして居るぞ」
そんな事を言ひ乍ら、茶人帽を
平次は母屋の奧の一と間、八疊の
枕元の小机の上には、
お紋は慎み深く、それつ切り姿を見せず、美しい女中達も遠く退つて銘々の部屋へ入つた樣子、巣鴨の夜は、滅入るやうに、たゞ深々と更けて行きます。
「野郎ツ」
平次はガバと起きました。
何やら
巨大な怪鳥のやうなものが、平次の胸の上をヒラリと飛びました。
「御用ツ、神妙にせい」
平次は何やら掴んでグイと引くと、一
追ひすがる平次は、枕屏風にハタと
「己れツ」
續いて飛付きましたが、手答もなく衣桁は倒れて、平次が抱き付いたのは、脱ぎ捨てた自分の袷だけ。
「何うなさいました」
やゝ暫らく經つてから、物音を聞付けたらしい主人のお紋は、女中に
「あ、御新造、到頭」
「――」
「幻の民五郎は、短刀を奪つて行きましたよ」
「えツ」
「面目次第もないが、少し油斷しました」
錢形の平次も、すつかり恐縮して
「親分、何うしませう」
お紋は根も力も拔けて了つたやうに、冷たい疊の上へ、ヘタヘタと坐り込んで了ひました。派手な
「一度はやられたが、今度は――」
平次は
「お、此處から入つたのか」
縁側の戸が一枚、物の見事に外されて、其處から點々たる泥足の跡が、平次の寢室まで眞つ直ぐに續いて居るのでした。
「親分、何か見付かりましたか」
お紋と二三人の女中が、恐る/\廊下を覗いて居ります。
「御新造、不思議な事だらけですよ」
「――」
「この樣子ぢや幻の民五郎は、思ひの外甘い野郎かもわかりません」
「まア」
「すぐ捕まりませう、御安心なさいまし」
平次の聲は妙に自信に滿ちて居ります。
「どうか、早く捕へて下さい、あの短刀はざらにある品ぢやありません。
「――」
「おや、泥足の跡は、入つたのばかりで、出たのがないのは何うしたことでせう」
「――」
お紋は妙なことに氣が付きました。
「それにこんな大きな足の人間はあるものでせうか」
「――」
平次はそれには答へず、其邊中を
「親分、まだ幻の民五郎が家の中に居たら何うしませう、搜して見て下さいませんか」
「大丈夫ですよ、御新造、その大きな足跡は大一番の
「まア」
「一寸待つて下さい」
平次は庭下駄を突つかけて、暫らく縁の下から庭の植込を搜して居りましたが、やがて、仁王樣の草鞋のやうな、大きな泥草鞋を一足ブラ下げて歸つて來ました。
「まア」
女達の驚きは
「この足跡はひどい内輪ぢやありませんか」
お紋は鋭い女でした。平次が氣が付いて居るか居ないかわかりませんが、兎に角、先を
「それが面白いところですよ、御新造」
「女――まさか」
お紋はぞつとした樣子で肩を
「幻の民五郎が女に化ける筈はありません。これは忍術の方の忍びの足取りです」
平次は腰を浮かして、内輪に爪立つた忍び足をやつて見せました。
「忍術?」
お紋はギヨツとした樣子です。
騷ぎは、これがほんの
翌る朝、巣鴨の往來――一寸人に氣付かれない塀の蔭に、三好屋の隱居が突殺されて居るのが發見され、續いて、お紋の家の隣、界隈の物持で通つて居る植木屋へ、型の通りの怪盜幻の民五郎が入つて、小判で二百兩あまりの金を奪つた上、主人惣吉の土手つ腹を
騷ぎは一刻も經たぬうちに、巣鴨中を煮えくり返らせました。名主五人組が立會つて
三好屋の隱居を殺したのも、植惣の主人を刺したのも、同じ
たつた一つの手掛りと言ふのは、植惣の庭に落ちて居た
平次が曲者を追掛けた時、手に殘つたのは少し
「親分、大變な事が始まつたんだね」
「お、八か」
「錢形の親分が幻の民五郎に
「何て事をするのだ」
飛んで來たガラツ八の遠慮のない聲を聞くと、平次はさすがに顏を
「俺が頑張つて居さへすりや、こんな事がなかつたんだ。神田へ歸つたのが一代の不覺さ」
「つまらねえ事を言ふな、それより手を貸せ、刄物を捨てゝ行つたかもわからない」
「刄物なんざ、何だつて構やしない。幻の民五郎が
「何を、くだらない」
平次は取り合ひませんでした。梅屋敷から植惣の庭のあたり、
「おや」
よく見ると黒い土の間に、キラリと光るものがあります。
土をかき退けるやうに、掘り出して見ると、見事な短刀が
「あれだ」
その間に、お紋の説明を聽いた大塚の重三は、
「よしツ、それぢや下手人は高木銀次郎とか言ふ浪人に決つた。旗本の
無法な奴があつたもので、其儘子分を伴れて、本郷丸山へ飛んで行きました。
旗本は勿論のこと、武家は町方の手で無闇に縛れなかつたのですが、浪人となると、話が違ひます。高木銀次郎、武家には相違ありませんが、お主も
「相手は兵法と忍術に凝つて居るんだ、油斷をしちやならねえ」
「心得たよ、親分」
「腰の物を預けたら、直ぐ飛込んで、口上を言ふんだよ」
「へエ」
「腰の物は番臺に居る娘が持つて逃げる手筈だ、ドヂを踏むな」
「合點」
大塚の重三は、十五六人の子分を伴れて、もう一刻も前から、丸山湯の路地に身を潜めて居ります。
お紋は、
「そら、來たぞ」
「シツ」
羊羹色の着流し、不精らしく懷手をして、一刀を落した浪人體の男は、大通りから入つて、丸山湯の方へ差掛つたのでした。
三十二三の痩ぎす乍ら見事な
浪人者は丸山湯の
「大層空いて居るな」
番臺へ一
「ハ、ハイ」
娘は一ぺんに顫へ上がつて了ひました。
刀を
「可怪しな娘だ。逃げ腰になつて腰の物を受取る奴があるものか、――それに大層
「――」
思はず、今入つて來た入口の方へ眼を移すと、
「おや」
浪人は一度渡しかけた刀を引つたくるやうに、ピタリと左腰に差しました。プツリと
斯くと見た暖簾の外の一隊。
「それツ、氣が付いたぞ、取逃すなツ」
「おツ」
職業意識を眞つ向に振りかざして、バラバラと土足の儘飛込みました。
「御用」
「神妙にせい」
殺到する十手、捕繩、十五六の
「人違ひするな、俺は高木銀次郎、繩目を受ける覺はないぞ」
浪人――高木銀次郎は、飛退くと積んだ小桶を
「その高木銀次郎を召捕るのだ、神妙にせい」
「何? 高木銀次郎と知つて縛ると云ふのか、俺は縛られるのが嫌ひだ」
ギラリと引拔いた一刀、
恐ろしい落着きと、心得た態度に、十何人の捕方は、ギヨツとして立停りました。
「御用」
「神妙にせい」
「馬鹿奴ツ、何の
振り被つた一刀は、
「高木銀次郎こと、
「何、幻の民五郎」
あまりの事に高木銀次郎、一歩退きましたが、運惡く流しのぬめりに足を取られて、ハツと
「あツ」
それを避けるはずみに、高木銀次郎の身體は、物の見事に引くり返ります。
「それツ」
疊みかけて五六人、斯うなると馴れた物が勝です。兵法にも忍術にも及ばず、あツと言ふ間に高木銀次郎、高手小手に縛り上げられて了ひました。
「親分、高木鋭次郎は白状しないつて言ひますぜ」
「さうだらう」
平次は近頃すつかり
親分思ひのガラツ八は、すつかり心配して、お靜と心を
そのうちに、高木銀次郎の長屋の天井裏から三つ葉葵の紋を散らした短刀の鞘が現はれて、徳川の祿を
平次が曲者から剥いだ羽織は、紛れもなく高木銀次郎のものと解つた上、家搜しをして見ると、幻の民五郎が諸方から盜んだ品――現金以外は滅多に手をかけない民五郎でしたが――
大塚の重三はすつかり得意でしたが、肝腎の高木鋭次郎は、骨が
「八、もう一度運試しにやつて見ようと思ふが、何うだらう」
「有難い、親分がその氣なら、あつしは命を投出しますぜ」
「一か、八か、――兎に角、もう一度やつて見なきア、俺には
「何をやらかしやいゝんで、親分」
「耳を貸せ」
何やら打合せて平次は、羽織を引つかけると、何處へ行くとも言はずにフラリと飛出して了ひました。
最初は本郷丸山町の荻野左仲の屋敷。
丁寧な口上を取次がせて、用人大澤幸吉に逢ひ、一刻餘りも話し込んだ上、其處を出ると、巣鴨の荻野家の別莊――今はお紋の宿へやつて來ました。
その時はもう夕景。
「あら、平次親分、隨分久し振りぢやありませんか」
お紋は相變らず機嫌よく迎へてくれて、奧の一と間へいそ/\と案内しました。
「御新造、すつかり御無沙汰しました。曲者は逃す、幻の民五郎は重三
平次は本當に
「そんな事はありやしません。平次親分は、曲者の羽織を掴んで、動きの取れぬ證據を押へたり、足跡や
「――」
「幸ひ私も、近いうちに、丸山町に歸ることになりました。それもこれも、親分の御骨折の御蔭、今晩はどうぞ御ゆつくり召し上つて下さい」
本當に下にも置かぬ
平次はいつもになく落着き歸つて杯を擧げ、宵のうちから大分ろれつが怪しくなつて居ります。
「御新造、高木銀次郎は此處へ來たことがあるでせうか」
「飛んでもない、あんな奴を寄せ付けることぢやありません」
「それにしちや、雨戸を開けて迷ひもせずにあつしの泊つて居る部屋へ來たのは變ですね」
「え?」
「變と言へば、變なことだらけですよ、御新造」
平次はもう眼の色さへ
「何が變でせう」
凝と平次を見詰めた女の眼、――一と息に
「足跡も變でせう。人の家へ泥棒に入るのにわざ/\泥を付けた
「――」
「草鞋を植込に捨てたのに、庭に足跡がないのは可怪しいと思ひませんか。曲者は縁側から草鞋を植込へ抛り込んで、そつと元の廊下を引返し、裏から
「――」
「何う考へても腑に落ちない事だらけでさアね。御新造、あの晩、此家の裏口に血が――ほんの少し血が付いて居たのを御存じですか」
「えツ」
「曲者は大根畠に短刀を隱して、それから又此家へ引返したことになるのは變ぢやありませんか」
「――」
「それとも、宵のうちに三好屋の隱居を殺して、此處へ引返したかな」
「――」
平次の舌は次第に冷靜に事件の
「今晩も泊つて下さるでせうね、親分」
「冗、冗談言つちやいけません。御新造はもう丸山町のお屋敷に歸んなさる身體だ、――男を泊めたとあつちや、ブープ」
平次は立上がらうとしましたが、腰が拔けたやうにヘタヘタと坐つて、口ほどになくフウフウ言つて居ります。
「外ならぬ親分ですもの、誰が何と言ふものですか、さア、私が寢んねさして上げませう」
「――」
お紋は肩を貸して、漸く平次を抱き起すと、女中――いつぞやの冷たく美しい女中に灯を持たせて、この前平次が泊つた部屋に連れ込みました。羽織を脱がし
「ゆつくりお休みなさいまし、――灯は消して置きませうね。御用があつたら、お手を鳴らして下さい、私か女中が參りますから」
姉らしく囁くのに、平次は返事もせず、もう
それから一刻ばかり。
何やら怪しい者、――一
平次の胸と覺しきあたりを存分に刺したのです。
音も何にもありませんが、身を
が衣桁の中には先客があつたのです。飛込んで來る曲者を迎へる樣に、ガバと組付くと、其儘ねぢ倒して膝の下へ。
曲者は僅かな聲をあげましたが、蛇の樣に身體をくねらせると、平次の腕を拔けてサツと廊下へ、
「己れツ」
何と言ふ早い足でせう。雨戸を一枚
「野郎つ、逃すものか」
腕力だけは人の二倍もある、ガラツ八事、わが八五郎が、平次の旨を受けて、宵から其處に待つて居たのです。
「八、逃すな」
「何の」
「俺は
平次は引返して奧へ、其邊にうろ/\する女中、美しく冷たいのを見付けると、有無を言はさず繩を打つて、元の縁側へ引返しました。
「親分、こいつは人違ひぢやありませんか」
「何?」
「
「あツ、逃しちやならねえ」
ガラツ八の手が緩むと曲者はサツと脱け出すのを、追ひすがつて平次。
「卑怯だぞ民五郎、――俺は滅多に人を縛らねえが、手前のやうな惡黨は勘辨して置けねえ」
ピシリと肩を打つと、お紋は其儘
× × ×
翌る日――。
「親分、お紋が幻の民五郎だつたんですかえ。俺にはどうも解らねえ、繪解をしておくんなさい」
八五郎は日向ぼつこをし乍らこんな事を言ひます。
「その通りさ、あの女は生れ付きの惡黨だ。身輕で無慈悲で、人を殺すことを何とも思はないが、自分の子だけは可愛かつたんだ」
「へエ――」
「あの子だつて
「親分を引張り出したのは」
「錢形の平次の鼻を明かしたい爲さ。惡黨は
平次もさすがに感慨深さうです。
「お紋は本當に河村
「それも解つたものぢやない、いづれお
「三好屋の隱居は可哀さうですね」
「知らなくていゝ事を知つたばかりに殺されたのさ。男は怪しい女の内證事を嗅ぎ出さうとしちやならねえよ。ハツハツハツ」