「親分、ちと出かけちやどうです。花は盛りだし、天氣はよし」
「その上、金がありや申分はないがね」
「實はね、親分。
八五郎は妙な方へ話を持つて行きました。
「知つてるよ、それで巣鴨へ花見に行かうといふんだらう。向島か
「
「大丈夫か、八。此間も大久保まで一日がかりで行つて、
鼻の良い八五郎は、江戸中の噂の種の中から、いろ/\の事件を嗅ぎ出して來ては、錢形平次の活動の舞臺を作つてくれるのでした。
その中には隨分見當外れの馬鹿な事件もありますが、十に一つ、どうかすると、三つに一つ位、面白い事件がないでもありません。
「今度のは大丈夫ですよ」
平次は到頭
「金が出來て暇で/\仕樣がなくなると、人間はろくでもない事を考へるんですね」
ガラツ八の話はそんな調子で始まりました。
「お前なら差向き食物の事を考へるだらうよ。大福餅の荒れ食ひなんか人聞きが惡いから、金が出來ても、あれだけは止すが宜いぜ、八」
「井筒屋重兵衞は
「へエー、そいつが大福餅の暴れ食ひよりも淺ましいのか」
「貧乏人から
「それがどうしたといふのだ」
平次は次を
「百兩の茶碗、五十兩の茶入。こいつは何んとか言ふ坊さんがのたくらせた
「茶碗が化けて出たのか」
「その百兩の茶碗、五十兩の茶入といふエテ物を、片つ端から叩き
ガラツ八の話は飛躍的でした。事件があまりに常識をカケ離れてゐるせゐです。
「そいつは何んのお
「盜むとか、賣るとか、質に入れるなら解つてゐるが、
「
「それから
「
「一々覺えちや居ませんがね。――その次は何んとかの色紙で」
「一つも覺えちやゐないぢやないか」
「兎に角、茶碗も茶入も、燒繼ぎも
「そんな品は庭や畑に並べて置くものぢやあるまい。いづれ土藏とか納戸とか、外からは手の屆かないところにしまつて置くだらう。曲者は家の内の者に決つて居るぢやないか」
平次は事もなげです。
「それが不思議で、家の中には、どう考へてもそんな無法な事をする奴は居ない」
「當り前だ、俺がやりましたと言つた顏をする奴があつたら、直ぐ判るぢやないか」
「尤も、怪しい人間は三人ある。一人は主人重兵衞の
「それから」
「もう一人は二番目息子の
「それから」
「もう一人は下女のお辰。――良い年増ですよ。――この女は道具屋の娘で、親父の仁兵衞は
「成程な」
「道具が次々と打ちこはされて、井筒屋重兵衞すつかり腐つてゐると、今から丁度十日前、當の重兵衞がポツクリ死んでしまひました。『醫者は
「字は男の手か、女の手か」
「
「手を變へて書いたんだらう。――ところで主人が死んだ後でも、道具のこはしが續いて居るのか」
「ピツタリと止んださうですよ、皮肉な野郎だ」
「フム、一向つまらない事かも知れないが、
「何彼といふうちに、巣鴨ですね、親分」
「
「おや、
田圃道を飛んで行く坊主頭を、八五郎は指しました。それは全く唯事ではありません。
巣鴨の井筒屋は、上を下への騷ぎでした。今度は井筒屋の心棒とも言ふべき若主人の重太郎が、十日前に死んだ父親重兵衞と全く同じ症状で、たつた今急死したといふのです。
番頭金之助、妹のお浪を始め、家中の者が重太郎の死骸を取卷いて、泣く、わめくの騷ぎですが、わけても氣の毒なのは若い嫁のお弓で、冷たくなつた夫重太郎に
驅け付けた
「ちよいと待つて貰ひ度いが、泰道先生」
ガラツ八は隣の部屋からその袖を引かぬばかりに呼止めました。
「ハイ、お前さんはどなたぢや」
泰道は
「錢形の親分が、ちよいと訊き度いことがあるさうだ。手間は取らせない」
チラリと十手の房を見せると、泰道はすつかり
「ハイ、ハイ」
「泰道先生、二十七の若主人重太郎がまさか、卒中で死んだのではあるまいな」
代つて平次は泰道と顏を合せます。
「いや、その、その」
「見るまでもなく、死骸は身體中紫の
「いかにも、錢形の親分なら隱しても無駄だ。あれは毒死で御座るよ」
泰道は
「毒は?」
「ありふれたとりかぶと、
「それでよく判つた。毒は手近なところにあつた。誰がそれを朝の味噌汁に
「――」
「この陽氣だが、まだ春だ。十日や十五日ぢや死骸に大した變りはあるまい。――萬一死骸の口中から毒が
平次の論告は、何時にも似げなく
「恐れ入りました、錢形の親分。
泰道は坊主頭を疊に埋めて恐れ入ります。
「頼まれた? 誰に」
「番頭の金之助に頼まれました」
「さうか、――素直に言つてくれさへすれば、あつしはこれつきり忘れて上げよう。だが泰道先生、十日前に大主人が死んだ時、毒死なら毒死と言つてくれさへすれば、二人目は死なずに濟んだかも知れない。お前さんは大變なことをしたと氣が付きなすつたかえ」
「へエ、面目次第もありません」
泰道は
「親分、お勝手は下女のお辰が一人でやつて居ますよ」
八五郎は報告の顏を出しました。
「呼んで來てくれ」
「へエー」
飛んで行つて、つれて來たのは、二十五六の良い年増。お勝手で
「今朝の味噌汁は誰が拵へたんだ」
「私ですよ、
「殘つたのがあつたら、持つて來て見せてくれ」
「捨ててしまひました。私ぢやありません。若旦那へ差上げて少し殘りがあつた筈ですが、今晝の仕度をするつもりで鍋の中を見ると、皆な捨てた上、鍋まで綺麗に洗つてあります」
「恐ろしく行屆く野郎ですね」
ガラツ八は囁きました。
「お前はお勝手を明けることがあるのか」
「え、
妙に反抗的な調子が、この良い年増を喰ひつきの惡いものにさせます。
「お前の居ない時、誰がお勝手に入るかわかるか」
「居ない時入るのはわかりやしません」
斯う言つた調子です
「大主人や若主人を
「そんな人はありやしませんよ」
この女からは何んにも引出せさうはありません。
先代の女房お倉――若主人の重太郎には
「何うしませう、親分さん方。私はもう自分も殺されるやうな氣がして」
とおろ/\するばかりです。四十といふにしては恐ろしく若作りで、嫁のお弓や義理ある娘のお浪の、姉と言つても宜い位。悲嘆と恐怖のうちにも、品を作ることと
「お内儀さんは、若主人の重太郎の死に樣が
「えツ」
「それから、十日前に亡くなつた大主人の死にやうも、卒中や中氣ではない、――はつきり言ふと毒害されたんだが、お内儀さんには氣が付いてゐた筈だ」
「いえ、いえ、私は何んにも知りません――そんな事が本當にあるでせうか、そんな恐ろしい事が」
「それから、もう一つ訊き度い。お内儀さんは先に亡くなつた大主人が、
「それはもう、私に取つては、あんな嫌なものは御座いません。茶入や茶碗や壺を買つて來ると、眺めたり
そいつは若作りの
「大主人や若主人を怨んでゐる者があつた筈だが」
「さア」
お倉の臆面なさも、さすがにそれには答へ兼ねました。
そのうちに、近所の衆や、土地の御用聞や、親類の誰彼まで集まつて來ました。斯う混雜して來ると、一擧にこの家の中に
番頭の金之助は四十二三の中年者で、狐のやうな感じの男でした。百姓の方は一向出來ませんが、
先代の死んだ時は泰道を説き落して卒中にさせ、それで自分の地位も、井筒屋の身上も
二番目の伜――若主人の弟房松は、
その代り、百姓仕事には人並優れた工夫があり、此上もなく勤勉な男で、自分の物にして貰つた五六段の畑を、びつくりするほどよく
よく陽に
「親父の骨董いぢりは時々意見をしましたが、聽いちやくれなかつた。あの通り一
そんな事を何んの遠慮もなくポツポツと言ふ房松です。
嫁のお弓は遠い親類の娘で、五六年前から井筒屋に養はれ、娘のお浪と姉妹のやうに育ち、ツイ昨年の春

何を訊かれても、唯もう泣くばかり。
娘のお浪はお弓より三つ年下の十八で、房松の妹に似ず、少しお轉婆で、あわて者で可愛らしくはあるが實も
「父さんの道具をこはされ一番がつかりしたのは銀次さんですよ。だつて、あの人は父さんの道具係だつたんですもの。房松兄さんは變人よ、重太郎兄さんと仲が良く行く筈がないわ。重太郎兄さんは朝寢好きで、房松兄さんは
お浪はこんな事を數へ立てるのです。
もう一人の番頭の銀次といふのは、井筒屋の遠縁の者で、これは三四年前店に入つた三十男。一寸江戸前で、小意氣で、小唄の一つも出來るといつた肌合ですが、人間は至つて眞面目で、少しは道具や書畫にも眼があり、大主人の重兵衞は何よりの話相手にし、近頃
「私は江戸の骨董屋に奉公して少しはその道の事も存じて居ります。大旦那が自分で鑑定して買入れなすつた一つ/\の道具を
銀次は本當に腹が立つてたまらない樣子です。
「お前も、そんなに道具は好きなのか」
「それはもう、親分さん。此道に入ると、結構なお道具は、我が子のやうに可愛くなります。一つ一つに生命があるやうで」
「さう言つたものかな、――ところで、
平次は向うの縁側から聞えて來る飼鶯の聲に耳を
「私で御座います。良い聲でございませう。飼つてやると、あれも飛んだ可愛いもので、――へエ」
「大層また氣の多いことだな」
これで調べは全部でした。あとは八五郎と土地の下つ引に言ひつけて、金之助、銀次、お辰の奉公人を始め家族全部の身持、わけても奉公人達の親元や前身を調べさせることにし、その日の夕刻神田へ引上げたのです。
翌る日、ガラツ八の八五郎は、恐ろしい勢ひで飛込んで來ました。
「サア、大變ツ、親分」
「待つた、八、その大變が飛込む前に皿小鉢を片付けるよ。今日は來さうだと思つたが、それにしても早かつたぜ、八」
「だつて、井筒屋の二番目息子の房松が縛られましたぜ」
「誰だ、そんなあわてた事をしたのは?」
「土地の御用聞――五助といふ野郎で」
「放つて置け、今に解るから」
「だつて、房松が百姓道具を入れて置く小屋に、とりかぶとの根が馬を二三十匹殺すほど
「人に喰はせる氣なら、そんな場所へ乾して置くものか、あいつは毒草だ。ゲンノシヨウコやセンブリや
「その通りですよ、親分」
「房松がうつかり、こいつは毒だ――か何んか言つたのを小耳に
「でも、親父が骨董に
「それとこれとは別だ。骨董なら後添のお倉だつて打壞したがつて居る」
「ところが、斯んな事を聽きましたよ。骨董は土藏の中に一々箱に入れて、念入りにしまひ込んであるから、家の者でもそいつは
「で?」
「一つ/\持出して、十幾つと打ち割つたところを見ると、他の者ぢや出來ない藝當ぢやありませんか。あれは矢張り自由に取出せる銀次ぢやないかと思ふが――」
「いや銀次は道具屋に奉公して、一かど眼も利いてゐる。道具を知つてゐるものは、道具の有難さも知つて居るわけだから、銀次はそんな事をする筈はない」
「でも、どうせ自分ぢや買へない品だと思ふと、人の
「いや銀次ぢやない。――道具の話をすると銀次は眼の中まで
平次は
それから丸二日、八五郎は精一杯働いて、井筒屋の奉公人家族全部の動靜と身許を洗つて來ました。それによると、番頭の金之助は小金もためて居りますが大したことではなく、骨董係の銀次は思ひの外の働き者で、井筒屋に入る前から相當の
お辰は主人の知合の娘で、下女などに身を落す筈はなかつたのですが、行先もないので我慢して居る樣子、近頃は益々
嫁のお弓は半病人の姿で、娘のお浪は一人天下ですが、家の中は
「それから、變なことがありますよ」
八五郎の鼻は
「何が變なんだ」
「今朝銀次の飼つてゐる
「弱つて來たのか」
「いえ、死ぬ少し前まで、元氣で
「餌はお辰がやつたに間違ひあるまいな」
「皆んなで言ふんだから、間違ひはないでせう」
「面白くなつて來たな。――ところで、打ち
平次は妙なことを訊きます。
「死んだ大主人が見るのも嫌だからと、念入りに拾つて捨てさせたさうで、搜すのに骨を折りましたよ。でも、何んとかの茶碗と水差しの破片が裏の流れに捨ててあつたんで、これだけは拾つて來ましたが」
ガラツ八は懷ろの中から、手拭に包んだ燒物の破片を出して見せます。
「よし/\、それだけありや何んとかなるだらう」
平次は八五郎をつれて、それから直ぐ中橋の道具屋を訪ねました。
「――これが
と言ふのです。錢形平次と八五郎は、別々の心持で顏を見合せました。
井筒屋へ行つて見ると、房松は歸されて氣拔けがしたやうにぼんやりして居ました。
「錢形の親分さん、有難う御座いました。親分のお口添があつたさうで、お蔭で許されて戻りました」
房松が丁寧に挨拶するのを、
「飛んでもない、俺のせゐなんかぢやないよ。――ところで、少し訊き度いが」
平次は押へるやうに訊きました。
「へエ――、どんな事で」
「お前の道具小屋にとりかぶとの根が干してあつたさうだが――」
「あれのお蔭で飛んだ目に逢ひました。花を見るつもりで
「あの根が毒だといふことを、誰かに話さなかつたか」
「お辰には話しましたが――」
房松は何んの
「死んだお前の兄の重太郎は、嫁を取る前お辰と
平次の問ひもスラスラと運びます。
「店の者はそんな事を申しましたが――」
問答のうち、八五郎はスルリと拔け出してお勝手へ行くと、其處に物思ひに沈んでゐるお辰の肩へピタリと手を掛けました。
「
「あツ」
お辰は飛上がりました。
「味噌汁に毒を入れて、主人父子を殺したのはお前だらう」
「違ふ/\、私はあの薄情男は殺したいとは思つた――でも、殺したのは私ぢやない」
「嘘をつけ」
ガラツ八の捕繩はもう、お辰の手首に
その騷ぎも知らぬ顏に、平次は
「鶯の餌は誰が拵へてやるんだ」
「大抵銀次がやります。でも、どうかするとお辰が代つてやることもあります」
「摺り餌を拵へる
「三つあつた筈ですが」
「二つしかないな――一つはどうしたんだ」
「さア」
「ところで、お弓さん、變な事を訊くが、銀次が時々お前さんに變な素振りをしたと思ふが」
「――」
お弓の美しい顏は、耳元までパツと赤くなりました。平次の知りたいことは、それで充分だつたのです。
店の方へ行くと、銀次は神妙に帳場格子の中で、
「銀次」
「へエ――」
「俺は算盤は知らないが、二一天作の六で、二々が八――なんて勘定はないだらう」
「?」
「
「あツ」
立ち上がつた銀次は、あつと言ふ間もなく平次に縛られて居るのでした。
「親分、
お辰を引立てて來たガラツ八。
「馬鹿ツ、下手人は此男だ。――お前は誰を縛つたんだ」
「へエ――」
八五郎の間の惡さはありません。
× × ×
「親分、あつしには
ガラツ八はたまり兼ねて平次に訊きました。それから三日の後のことです。
「茶碗や水差しを
「へエ――」
「道具を取出せるのは、主人と銀次の外にないから、銀次でなきや主人だ。あの道具は大金を出して買つたらしいが、氣の毒なことに皆んな
「へエ――」
「商人と馴合つてその僞物を主人に賣り込ませ、散々儲けたのは銀次だ。
「なるほどね」
「銀次の
「――」
「房松は良い男だ。兄嫁のお弓と一緒にして井筒屋を立てることになれば結構だが――」
平次はそんな餘計な心配までして居るのでした。