五月五日には天皇賞レースがある。淀競馬場は沸くだろう。日本のクラシック・レースでも最長距離の力戦である。
天皇賞レースには、御紋章づきの楯が授与されるが、陛下が競馬場へおいでになったことはない。
なぜだろうか。側近の思案もあろうし、陛下御自身の好き嫌いもおありだろう。もし、両陛下とも“見ず嫌い”でいらっしゃるなら、ぜひ一度は御覧ねがいたい。また、側近も、考え直して欲しいとおもう。
明治天皇は、よほど競馬がお好きであった。春秋の横浜根岸競馬へは、前後十八回も行幸になった。横浜じゅうは、ロンドン市民がダービーに熱するみたいな他愛なさと国際色に雑鬧する。
その両側に、ぼくら小学生も立ち並んだことがある。みんなで紙旗を打振るのが、鹵簿の車輪やお体にも触れるほどだった。白い手袋とニコニコしたお顔が、小学生や貧民街の人々や競馬ファンにこたえて行かれた。
ああしたオープンな陛下の姿は、以後、絶対に庶民の眼から遠ざかった。思い出すと、その日のみは、陛下も、ファンのおひとりだった。明治天皇が、わけても民情に通じておられたのも、偶然ではない。
競馬は、宮廷が最初の主催者である。奈良朝の文武帝に始まるというから、仏教と前後して渡った事かもしれぬ。聖武帝と光明皇后。また、代々の天皇、
わけて、平安期の末期には、年表にも「天皇、皇后、競馬を
すべて直線コースで、今の千二百メートルぐらいがせいぜいであったらしい。騎手は、朝臣たちだ。中には、負けたくやしさに、切腹した者もある。
「
いったいに、その頃は、賭け事を、そう危険視や不潔視していなかったようである。僧侶をあいてに天皇が、賭け碁をしたりしておいでになる。
とにかく、競馬場には、素裸な庶民が、終日、他愛もなく渦まいている。