かつて、「むらさき」という雑誌があった。国文学の関係の雑誌で、時々、ぼくの詩を載せてくれたが、編集長の小笹功氏のあっせんで、昭和十三年の八月に、詩集『思弁の苑』を出した。発行所は、むらさき出版部で、神田の巌松堂書店のなかにあった。詩集の巻頭に、佐藤春夫、金子光晴両氏の序詩、序文を飾った。なにしろ、郷里の沖縄を出て十六年目ぐらいのことではあり、結婚したばかりのことではあり、生れてはじめて手にしてみた印税という金であったりしたせいでもあったろうが、なによりもまず、最初の詩集であったことが、ぼくをして声はりあげさせて泣かせたのであった。ここで、ペンをおいて、「そろそろまた詩集を出したくなった。」と、傍にいる女房に話しかけたところ、女房のヤツもあのときのことを覚えていたと見えて、「詩集を出してまた泣きな。」と言いやがった。
(「東京新聞」一九五四年一二月二七日)