椰子の樹
ポオル・クロオデル Paul Claudel
上田敏訳
われらが故里の國の樹木は、すべて人間のやうに直立してゐて、しかも不動である。其根を土に突込んで、腕を廣げたままでゐる。ここはさうでない。靈木榕樹は單獨に聳えたつのではなく、多くの絲を吊下げて、地の胸を撫探し、宛も自ら築きたつ殿堂のやうだ。しかしこれから椰子の樹のことを語らう。
この樹には枝が無い、幹の頂上に椰子の葉の房を翳してゐる。
椰子の葉は勝利の章、中空高く、梢の敷桁となつて、光明の中に搖動きつつ廣がり、しかも其自由の重みに項垂れる。極熱の日の、長い眞晝時、椰子はあまりの幸福に恍惚として、その葉の簇を開き別けつつ、四方に離れ支れる所、幼兒の頭蓋をさながらに大きな青い頭のやうに、椰子の實は列んで載つてゐる。椰子の樹はかうして其心底を示すのである。椰子の下葉は、精一杯に開いて、項垂れがちである、中の葉は前後左右、出來得るかぎり、支れてゐる。梢の葉は高く聳えて、手の置處に困る者の如く、又は降伏を示す人のやうに、たゞゆるゆると手眞似をしてゐる。幹は硬直の木質で出來上つてゐるのではない、環紋の材である。嫋やかな、丈長草のやうにいつも地の夢のままになつて、すなほに靡く。中天の日に向つて聳える時も、或は瀬の早い泥水の河岸、はたまた海と空との上に、あの度外れて大きな房を傾ける時も。
夜、濱傳ひを歸り來れば、西南の時風にはたかれて進む獅子のやうな印度洋の怒濤が、恐しい泡沫を磯際にぶつけてゐる。小船や動物の骸骨の如く椰子の枝葉が散らばつてゐる水際を歩いて行くと、弓手の方に眼に入るものは、薄暮の天を斜に匍匐する大蜘蛛のやうに、薄暗い空の下、葉の無い森の上を動いて、いかにも清い光に濕つて、水の上に長く影を曳いてゐる太白星である。その時一もとの椰子の樹が、戀慕に惱む者の如く、海と星とに、なだれかかつて、おのが心を空の火に近づけようとしてゐる。われここを去つて、復、歸り來る時、たしかにこの夜を思ひ起すであらう。椰子の樹の長髮が眼に殘つてゐる。森の周柱を透いて見える天には、海をふまへた大暴風が、山の如くむくむくと立上つてゐた。足元近くまた大洋の蒼白い色を見た。
噫、錫崙、われ汝を思ふ、汝の木の葉、芒果の肉の色をした汝の道を裸形にて通ふ眼優しい汝が民よ、われ病を獲て、涙ぐましく、汝が曇りがちの空の下に肉桂の葉を噛みつつ、搖られゆく時、侍者がわが膝に載せてくれた淡紅の花よ。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。