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竹中郁に
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……なんだかごたごたした苦しい夢を見たあとで、やつと目がさめた。目をさましながら、私は自分の寢てゐる見知らない部屋の中を見まはした。見たこともないやうな大きな鏡ばかりの衣裳戸棚、剥げちよろの鏡臺、じゆくじゆく音を立ててゐるステイム、小さなナイト・テエブルの上に皺くちやになつて載つてゐる私のふだん吸つたことのないカメリヤの袋(私はそれを何處の停車場で買つたのだか思ひ出せない)、それから枕もとに投げ出されてゐる私の所有物ではないハイネの薄つぺらな詩集、――さう云ふすべてのものが、ゆうべから私の身のまはりで、私にはすこしも構はずに、彼等の習慣どほりに生き續けてゐるやうに見えた。今しがた見たことは確かに見たのだが、どうしても思ひ出せない變にごたごたした夢も、それまで自分はぐつすり眠つてゐたのだといふ感じを私に與へはしてゐるものの、同時に、まるで他人の眠りを借りてゐたかのやうな氣にも私をさせないことはなかつた。……
私はベツドから起き上ると、窓を開けに行つた。しかしその窓のそとはすぐ高い石圍ひで、石圍ひの向うには曇つた空と、隣りの庭のすつかり葉の落ち切つた裸の枝先きが見えるきりだつた。が、その窓を通して、しつきりなしに汽船のサイレンがはひつてきた。その聞きなれない異樣な叫びは、自分がいま東京から離れてゐる、目に見えない長距離を、一瞬間、私の目に浮び上らせさうにした。さういふ喧騷の中からひよつくり生れてきかかつた一種の旅愁に似たもの、――私は再び窓を閉ぢた。……
さうすると今度は、私の背中合せの部屋から、タイプライタアの何かにじやれてゐるやうな音が聞えてきた。が、それはだんだんいらいらしたやうな音に變りながら、すぐ止んでしまつた。私はゆうべこのホテルに着くなりすぐ目に入れたところの、廊下の隅にはふり出されてゐた、錆びかかつたやうなタイプライタアを思ひ出した。――それにしても、一體いまは何時ぐらゐなのか少しも分らない。まだ朝飯は食はしてくれるのか知らと思ひながら、私はボオイを呼ぶために、窓とは反對の側の、ドアを開けてみた。食堂は私の部屋と隣り合はせになつてゐるらしい。そこからは途切れ途切れな話し聲に雜つてときどき皿にぶつかるスプーンやナイフの音が聞えてくる。……しかしそれは誰かがまだ朝飯を食べてゐるのか、それとももう晝飯を食べ出してゐるのか、わからない。……どうも具合がへんだから、私はドアを開け放しにして置いて、もう食堂からボオイが出て來さうなものだと待ち伏せてゐた。
やつと食堂からボオイが姿を現はした。支那人らしかつた。私は彼が日本語を解するのかどうかを知らなかつたので、英語と日本語をまぜこぜにしながら、
「Breakfast ――まだ出來る?」と聞いた。
「どうぞ――」と言つてボオイは空皿をもつた手で食堂の入口を示したが、そのまま無愛想にコツク場の方へ行つてしまつた。
私はなんだか一人きりでそんな食堂の中へはひつて行くのが氣づまりだつたので、ボオイが再び皿を運んで來ながら私の部屋の前を通るのを待つてゐた。丁度その廊下の映つてゐる鏡に向つてネクタイを何度も結び直しながら、恰もそれがために何時までも愚圖愚圖してゐるかのやうに裝つて。
やつとのことで再び姿を現はしたボオイの跡にくつついて食堂の中へはひつて見ると、食堂と云ふのもほんの名ばかりであつて、二つの部屋をぶち拔いて、そこに安つぽい花模樣のあるクロオスを掛けた卓子が五つか六つ置いてあるきりだつた。中央の大きな卓子にはホテルの主人夫婦が珈琲を飮んでゐた。さうして向うの壁ぎはの隅の小さな卓子には、青色のブラウスを着て、ブロンドの髮をした十八九の娘がひとりと、それから中庭に面して一段低くなつたヴエランダのやうなところに卓子が二つ置いてあつたけれど、その一つには、黒つぽい着物を着たふたりの女――栗色の髮をして綺麗に化粧した二十七八の若い女と老眼鏡をかけたその母親らしいのが差し向ひで食事をしてゐた。そこのもう一方の空いた卓子が私にあてがはれたのである。食堂の時計を見ると十一時近くであつた。もうこんな時刻だのに、この食堂がこんな女達ばかりなのには私はちよつと異樣な氣がした。私が這入つてゆくのを認めると、珈琲を飮みかけてゐた主人が私の方へ顏を向けて微笑みかけながら「ゆうべはよく眠れたか?」と英語で訊いた。それだけならいいが、それと同時に、他の女達が一ぺんに私の方をけげんさうにふり向いたので、私は少しどぎまぎしながら、反射的に微笑を浮べたまま、主人にうなづいて見せた。やがてこんな stranger によつてちよつと中絶された會話をみんなは再び續け出したらしかつた。ときどきヤポンスキイといふ言葉が混じる。ひよつとすると俺のことでも話してゐるのか知らんと思ひながら、そんな空想によつてかすかな氣づまりを感じながら、私は食堂の窓から、半ば寢ぼけた顏つきで中庭を眺めてゐた。が、それは中庭といつても、狹苦しくつて、樹木なんぞは一本も植つてゐず、ただ空箱の上に一鉢の菊が置かれてあるつきりだつた。しかもそれすら汚らしく枯れたまんまだつた。……
小さなトランクひとつ持たない風變りな旅行者の一種獨特な旅愁。――私はさつぱり樣子のわからない神戸驛に下りると、東京では見かけたことのない眞つ白なタクシイを呼び止め、氣輕に運賃をかけ合ひ、そこからさうしつけてゐる者のやうに、元町通りの方へそれを走らせた。もつとも通行人を罵る運轉手の聞きなれないアクセントは私をちよつとばかり氣づまりにさせはしたが。……
元町通り。店々が私には見知らない花のやうに開いてゐた。長い旅のあとなので、すつかり疲れ切り、すこし熱氣さへ帶びてゐたけれど、それでも私は見せかけだけは元氣よくコツコツとステツキを突きながら、人々の跡から一體どんな方角へ行くのかわかりもせずに歩き續けてゐた。今夜何處へ泊つたものやらまだ目あてのない旅行者で自分があることに誰からも氣づかれまいと思つて……。私はとある珈琲店の中へ氣輕さうにはひつて行つた。ただその店の名前が東京で私の行きつけてゐる珈琲店の名前に似てゐたばつかりに。私はそこから須磨のT君のところへ電話をかけた。T君はすぐ私のゐる店へ來ると言つた。さうして私がまだ一杯のオレンヂエードを飮んでしまはないうちに、そのT君が元氣よくはひつて來た。彼はベレ帽をかぶり、なんだか象の皮のやうな外套を着込んでゐた。
それから私たちは薄ぐらい山手通りを、狹い坂を上つたり下りたりしながら、小さなホテルから小さなホテルへと歩き

HOTEL ESSOYAN
といふ横文字が、建物と同じやうな赤ちやけた色で描かれてあるのが、ぼんやりと讀めた。遠くからそれを一目見たきりで、その小さなホテルは私の氣に入つた。――と見ると、その電車通りに面した二階の窓の一つが開かれてゐて、それが細長い光りを暗い鋪道の上にくつきりと落してゐた。そしてその窓からは、逆光線を浴びてゐるので、年よりなのか若い女なのか見當のつかない、そして髮の毛だけがきらきらと金色に光つてゐる、一つの女の顏が、そのホテルの方へと電車の線路を横切りつつある私たちの方を窺ふやうにしてゐたが――それはちよつと無氣味な感じだつた――私たちがその窓の下までくると、向うでも私たちを恐れるかのやうに、その窓は閉されてしまつた。私たちは小さな石段を昇り、そこのベルを押した。しかし、いつまでも、誰も出て來さうな氣配がしない。そこでT君が再びベルを押したり、ノツブを

やつとのことで表扉が大きく軋みながら開かれた。そしてその内側には、そのホテルの主人らしい、すこし頭の禿げかかつた、私たちよりも背の低いくらゐな毛唐が、ノツブを握つたまま突つ立つてゐた。T君が英語でもつて部屋はあるかと聲をかけた。するとその主人はそれよりもつと下手糞な英語でそれに應じた。(私はへんに重々しげなアクセントによつて彼が露西亞人らしいのを認めた)――いま自分のところには階下に小さな部屋が一つ空いてゐるきりだ。それも丁度いまその部屋の借り手が東京へクリスマスをしに行つてゐるので、その間だけなら貸すことが出來る、といふやうな意味のことをT君に言つてゐるらしかつた。そんな部屋の交渉は一切T君に任せたきり、そこの玄關口に無造作にはふり出されてある埃まみれの本棚だの、錆びかかつたタイプライタアだのへ目を注いでゐた私は、やつと顏を持ち上げながら、どうせ私も二三日ぐらゐしか泊らないつもりだからそれを見せて貰はうぢやないかとT君を促した。T君がそれを主人に通譯してくれた。さつきからT君の方をばかり見てゐたその主人は、今度はそのおづおづしたやうな視線を私の方へ注いで、ではひとつその部屋を見てくれと言ひながら、先きに立つて、便所やらコツク部屋やら浴室やらの前を通りぬけながら、ずつと奧まつた部屋へ――そんな奇妙なところに二つばかり小さな部屋があるのだが、その一つのなかへ私たちを導き入れた。
そんな奧まつた小さな部屋へはひると、いきなりT君が佛蘭西の何處とかの田舍で泊つたことのある古い旅籠の部屋にそれがそつくりだと言ひ出したので、私もさうかなあと思ひながら、そこにある古ぼけた寢臺だの、いやに大きな鏡ばかりの衣裳戸棚だの、剥げちよろな鏡臺だの、小さなナイト・テエブルだのを眺め

その小さな部屋が朝飯つきで一泊三圓だといふ。そこで私はともかくも十圓札を一枚だけ渡して置いた。さうすると、その時までともすると、小さなトランクひとつ持つてゐない私たちを妙に不安さうな眼つきで見がちだつた、すこし頭の禿げたその主人は急にそはそはし出したやうに見えるくらゐ愛想よくなつて、私の方を向きながら、それではお前もこちらにクリスマスを送りに來たのかなどと問ひ出した。私はまた私で、やがてその主人のかかへてきた大きな宿帳に、露西亞人や波蘭人らしい名前ばかりの竝んでゐる下へ自分の名前をぶきつちよな羅馬字で書きつけてゐるうちに、クリスマスなんかを一向樂しいとも思つたことのない私であつたが、なんだか不意に、明日からのクリスマスを樂しく送りに、わざわざこんな神戸くんだりまでやつて來たかのやうな氣にさへなり出したほどであつた。……
T君が明日また正午頃來るからと約束して歸つてしまふと、私は今朝から汽車に乘りどほしだつたので、さすがに疲れてゐたし、どうやら熱もすこしあるらしいので、すぐ服をぬいで、シヤツだけになつて、寢臺に横になつた。それでもその部屋は小さいだけ、ステイムで蒸し暑いくらゐだつた。が、さて横になつて見ると、私はこんな慣れない部屋の中ではなかなか寢つかれさうもなかつた。あいにく讀む本は一册も持つてゐない。その時私は、つい今しがたこの部屋を片づけに來たホテルの主婦らしい女が、鏡臺の抽出しから腕いつぱいに書類を取り出して、それを他の部屋へ移さうとするのを見て、それはそのままにして置いてもいいと言つたら、それを又元のところへ入れ直して行つたのをひよつくり思ひ出した。私はベツドから起きて行つた。さうしてその抽出しに手をかけようとした時、ちよつと氣がとがめたが、どうせこんなところへ入れつ放しにして置くほどのものなら大事なものではあるまいと思ひ直して、それを構はず開けて見た。抽出しの中はなんだか私の讀めない露西亞語の本ばかり詰つてゐたが、なかに一册獨逸語の薄つぺらな本の雜つてゐるのを見つけた。それから小さな獨露辭書らしいものもあつた。その薄つぺらな本を手にとつて見ると、モスコオで發行された、ハイネの小さな詩集であつた。これやあいいものがあつたと、私はそれを手にしたまま、再びベツドにもぐり込んだ。ぱらぱらと頁をめくつて見ると、或る頁に名刺ぐらゐの大きさの寫眞が一枚插んであつた。雀斑のありさうな、若い男の寫眞である。この露西亞人らしい男が、この部屋の借り手で、そしてこのハイネの詩集を讀んでゐるのかと思つたら、ちよつと懷しい氣がした。私はそれを注意深くもとの頁に插んで、それからこんどはその卷頭にある「五月に」(Im Mai)といふ詩を、一字一字丁寧に見つめながら讀んでいつた。
Die Freunde, die ich gek
sst und geliebt,
Die haben das Schlimmste an mir ver
bt.
Mein Herz bricht ……

Die haben das Schlimmste an mir ver

Mein Herz bricht ……
――しかし獨逸語はなにしろ高等學校でちよつと習つたきりなので、その詩のなかの太陽だとか薔薇だとか心臟だとか五月の空だとか、そんな簡單な名詞ぐらゐは覺えてゐたけれど、肝腎な形容詞や動詞をすつかり胴忘れてしまつてゐるので、私は自分の空想力でやつとそれを補ひながら讀んで見たのであるが、どうもそんな私に分かる語彙だけから見ると、その詩はおよそ私の現在の氣持からはあまりに懸け離れてゐさうに思へたので、私はその詩の意味をちつとも嚥み込めないうちに、その小さな本を私の枕もとに伏せてしまつた。それに私はいい具合にすこしうとうとしだしたものだから……
正午ごろ、T君が私を誘ひに來てくれた。それから二人でホテルを出ると、一時間ばかり古本屋だの古道具店だのをひやかしたのち、海岸通りのヴエルネ・クラブに行つた。しやれた佛蘭西料理店だ。そこの客は大概外國人ばかりだつた。私たちが一隅の卓で殼つきの牡蠣を食つてゐると、兎の耳のやうにケープの襟を立てた、美しい、小柄な、佛蘭西女らしいのが店先きにつと現はれて、ボオイをつかまへ、大事さうに兩手でかかへてゐる風呂敷包を示しながら、何やら片言まじりの日本語で喋舌つてゐる。私には「ネープルをもつてきました」と言つたやうにそれが聞えた。ボオイはなんだか解らないやうな顏をして奧へ引つ込んでいつたが、それと入れちがひにその料理店の主人らしいのが出て來て、佛蘭西語で愛想よく一人一人に挨拶をしながら客たちの間を通り拔けて、その婦人の方へ近よつて行つた。その時その婦人が風呂敷包を開けながら、ヴエルネ氏に渡したものをちらつと見ると、それは一匹の可愛らしい三毛猫であつた。ネコといつたのを私はネープルと聞きまちがへたのであつた。ヴエルネ氏はそれをにこにこして受取りながら、しきりに Tr



私たちはそれからマカロニイやら何やらを食べて、その店を出た。さうして私たちはすぐ近くの波止場の方へ足を向けた。あいにく曇つてゐていかにも寒い。海の色はなんだかどす黝くさへあつた。おまけに私がそいつの出帆に立會ひたいと思つてゐた歐洲航路の郵船は、もうこんな年の暮になつては一艘も出帆しないことがわかつた。私の失望は甚だしかつた。さうしてただ小さな蒸汽船だけが石油くさい波を立てながら右往左往してゐるきりだつた。ときどき私たちとすれちがつて行く佛蘭西の水兵たちの帽子の上に、ポンポン・ルウジユが、まるで嬉しがつてゐる心臟のやうに、ぴよんぴよん跳ねてゐたが、それが私の沈んだ心臟と良い

「これから外人墓地へでも行つて見ようか?」
「うん――君さへ元氣があれば行つてもいいよ……」
「さうだなあ……」
……自分で言ひ出して置いて、私はちよつと首をかしげる。そんな會話を交しながら、いつの間にか私たちの歩いてゐる山手のこのへんの異人屋敷はどれもこれも古色を帶びてゐて、なかなか情緒がある。大概の家の壁が草色に塗られ、それがほとんど一樣に褪めかかつてゐる。さうしてどれもこれもお揃ひの鎧扉が、或ひはなかば開かれ、或ひは閉されてゐる。多くの庭園には、大粒な黄いろい果實を簇がらせた柑橘類や紅い花をつけた山茶花などが植つてゐたが、それらが曇つた空と、草いろの鎧扉と、不思議によく調和してゐて、言ひやうもなく美しいのだ。……T君もひさしぶりにこの邊まで上つて來たものらしく、さつきからしきりに此處いらまでよく遊びに來たことのある昔のことを思ひ出してはひとりで懷しがつてゐる。私は私で、こんなユトリロ好みの風景のうちに新鮮な喜びを見出してゐる。こんな家に自分もこのまま半年ばかり落着いて暮らして見たいものだなあと空想したり、かういふところでその幼時を過したT君のことを羨しがつたりしながら、だんだん狹くなつてくる坂を上つたり下りたりしてゐるうちに、今度はT君の方が首をかしげだした。どうやら彼自身のこんがらがつた幼時の思ひ出をほごすのにあんまり夢中になり過ぎてゐたT君は、いつの間にやら、私たちの目指してゐる外人墓地への方向を間違へてしまつてゐるらしかつた。その擧句に漸つと彼は、私たちが飛んでもない見當ちがひな、或る丘の頂きに上つて來てしまつたことを、氣まり惡さうに私に白状した。さうして私たちの上つて來たやや險しい道は、一軒の古い大きな風變りな異人屋敷――その一端に六角形の望樓のやうなものが唐突な感じでくつついてゐる、そして棕梠だのオリイブだのの珍奇な植物がシンメトリツクな構圖で植つてゐる美しい庭園をもつた、一つの洋館の前で、行きづまりになつてゐた。さうして少しがつかりして、息をはずませながら、その風變りな家に見とれてゐる私たちの姿を目ざとく認めると、黄色に塗られた鐵柵ごしに、その庭園の中から一匹のシエパアドが又しても私たちに吠え出した。私はあんまり犬が好きぢやないのだ。どうもこの邊もいいけれど、もの靜かに散歩をするには、すこしシエパアドが多過ぎるやうだ。
夕方、私たちは下町のユウハイムといふ古びた獨逸菓子屋の、奧まつた、大きなストーブに體を温めながら、ほつと一息ついてゐた。其處には私たちの他に、もう一組、片隅の長椅子に獨逸人らしい一對の男女が竝んで凭りかかりながら、さうしてときどきお互の顏をしげしげと見合ひながら、無言のまんま菓子を突つついてゐるきりだつた。その店の奧がこんなにもひつそりとしてゐるのに引きかへ、店先きは、入れ代り立ち代りせはしさうに這入つてきては、どつさり菓子を買つて、それから再びせはしさうに出てゆく、大部分は外人の客たちで、目まぐるしいくらゐであつた。それも大抵五圓とか十圓とかいふ金額らしいので、私は少しばかり呆氣にとられてその光景を見てゐた。それほど、私はともすると今夜がクリスマス・イヴであるのを忘れがちだつたのだ。
私はなんだかこのまんま、いつまでも、ぢつとストーブに温まつてゐたかつた。しかし私は旅行者である。何もしないで、かうしてぢつとしてゐることも、後悔なしには、出來ないのである。
やがて若い獨逸人夫婦は、めいめい大きな包をかかへながら、この店を出て行つた。JUCHHEIM と金箔で横文字の描いてある硝子戸を押しあけて、五六段ある石段を下りて行きながら、男がさあと蝙蝠傘をひらくのが見えた。私は一瞬間、そとには雪でも降りだしてゐるのではないか知らと思つた。ここにかうしてぼんやりストーブに温まつてゐると、いかにもそんな感じがして來てならなかつたが、靜かに降りだしてゐるのは霧のやうな雨らしかつた。
その夜十二時近くに、私はすつかり雨に濡れ、力なげな咳さへしながら、午前中に出たきりのホテル・エソワイアンに歸つて來てみると、その中はひつそりかんとして、誰もまだ歸つてきてゐないのか、それとももうみんな寢てしまつたのか、分らないくらゐだつた。薄ぐらい廊下にただ一匹、からす猫がうろうろしてゐた。私はふとヴエルネ・クラブでちらつと見た美しい婦人の抱いてゐた仔猫のことを思ひ出し(どうしてだか、それがずつと數日前のやうな氣もしたが)、そのきたならしい猫をそつと抱き上げて、咽喉のところを撫でてやつたら、すぐにそいつが咽喉をごろごろ鳴らし出したので、私はなんだか反つてさびしい氣がした。床におろしてやると、私の足へ身をすりよせるやうにして、ついてくるのだ。すこし邪魔つけになつて、私はその猫を足で向うへ押しやりながら、自分の部屋にはひらうとしてそのノツブに手をかけた拍子に、ひよいと薄ぐらい廊下の突きあたりを見すかすと、其處に、二階への階段へちよつと片足をかけたまま、ぼんやりした人影がこちらへ顏を向けながら突つ立つてゐるのに氣がついた。それは女にはちがひないが、その顏は電燈の片光りを浴びて、へんに無氣味な凸凹をつくつてゐるので、それが少女の顏なのか年よりの顏なのか私にはどうしても識別できなかつた。私はふと最初の晩、ホテルの窓から顏を出してゐた女のことを思ひ出した。その時と同じやうに、その髮の毛だけきらきらと金色に光つてゐたが、その髮の恰好は今朝私が食堂で見かけた青衣の少女のそれとそつくりだつた。……私はなんだかぞつとしたやうな氣持になつて、急いで部屋にはひるなり、ドアをぴたんと閉めてしまつた。それをうるさい猫のせゐにして。……それから私が着物をぬいでゐる間中、その猫はそのドアを外から爪でがりがり掻いてゐたが、私がベツドに横になつた時分は、もうあきらめたのか、その爪の音はしなくなつた。とても疲れてゐて、さつきまでは眠くつていまにも倒れさうであつたのに、さて電燈を消してしまふと、よくあるやつだが、急に目が冴え冴えとしてきた。そこでしやうことなし、再び電燈をつけ、今日買つてきたばかりの「プルウスト」を出鱈目に披きながら讀み出した。さうしてひよつくり讀みあてたのが、こんな一節であつた。
――ノルマンデイ海岸のバルベツクに少年がはじめてお祖母さんと一しよに到着した晩のことである。彼等はグランド・ホテルに泊る。彼は自分の部屋にはひる。長い旅のあとなので、すこし熱氣を帶び、ぐつたりと疲れて。しかし眠ることは、こんな見慣れぬ家具類のなかでは、とても出來さうもない。習慣が、時計の音を默らせたり、菫色のカアテンの敵意を弱めたり、家具を動かしたりする餘裕がないのだ。こんな氣味の惡い部屋のなかに、と云ふよりも、まるで野獸の洞窟のやうな中に、たつた一人きりで、四方八方から異形のものに取り圍まれてゐるよりか、むしろ死んでしまひたいと少年は思ふ。お祖母さんがはひつて來て、彼をなぐさめ、彼が靴のボタンをはづすのを手つだひ、着物をぬがせ、彼をベツドに入れてくれ、そしてそこを立ち去る前に、もし夜中に何か彼女にして貰ひたいことがあつたら、彼の部屋と彼女の部屋との間の仕切りをノツクするやうにと言ひ殘して行く。彼がノツクをすると、お祖母さんはすぐ來てくれる。しかしその夜をはじめ、それから幾夜となく、彼は苦しむ。――彼は愛人のヂルベルトなしに何時までも生きなければならないのではないかといふ考へや、彼の兩親を永久に失ふのではないかといふ考へや、彼自身の死の考へに恐怖しだす。しかしさういふやうな愛人や兩親や自分自身から離れてゐる不安は、その不安に慣れるにしたがつて、彼自身もだんだん平氣になつて行くのではないかと考へはじめた刹那、それは一層大きな恐怖に變はる。何故なら、習慣の錬金術がかうして苦しんでゐるものを完全な
――ふとそんな一節を讀みあてた頁から私は目をそらして、私にはまだ慣れきつてゐない自分の部屋を眺めまはしたのち、それから目をつぶつて、今朝のちよつと無氣味だつた眼覺めを心のうちにまざまざと蘇らせた。……
翌朝、私が目をさましたのは昨日よりもまたずつと遲いらしかつた。例の支那人のボオイを呼んで、朝飯はまだ食はせてくれるかと聞いたら、すこし怒つたやうな顏つきをして、朝食を食べるならもう少し早く起きてほしい、もう十二時だ、と下手糞な日本語で、それだけ一層さう見えるのかも知れないが、私にかなり突慳貪な返事をした。が、私が食堂の中へはひつて見ると、そこにはまだ昨日と同じやうに三人の女が遲い朝飯に向つてゐた。私の隣りのテエブルの母娘づれらしい方は、ふたりとも昨日と同じの黒い衣服をつけて、若い女の方は相變らず綺麗に化粧をしてゐたが、もう一方の、私がきのふは十八九の少女だとばかり思ひ込んでゐた金髮の娘の方は、今朝は光線の具合でか、まるで顏が皺だらけで、三十をこしてゐさうに思へるくらゐに老けて見えた。私はをとつひの窓の女も、ゆうべ廊下で出會つた少女なのか年よりなのかわからない女も、ひよつとしたらこの女だつたのかも知れないぞと思つた。おまけに今朝は寢間着らしいものの上にけばけばしい緑色のガウンをだらしなく引つかけたまま、トオストを齧りながら、栗色の髮の若い女が何やらもの靜かに話しかける度毎に、荒あらしくそちらへ體をねぢ曲げては無造作に答へるかと思ふと、そのついでに私の方をも無遠慮に見つめたりした。私はなんだかいやな氣がして、その女から眼をそらしながら、ふとその眼を私がときどきふんづける小さな軟かなものの方へ持つて行くと、それが三鞭酒の栓らしいことを認めた。ははあ、ゆうべは此處でも三鞭酒を拔いたんだな?……こいつらが騷いだのかしら? それにしてもこいつらは一體何者だらう、私にはとんと得體が知れない。……と、そんなことを考へながら、私が靴でその小さな栓を踏みにじつてゐると、食堂のドアを開けてのつそりと、まだこのホテルで私の見かけたことのない、何處やらちよつとクライブ・ブルツクめいた中年の紳士が、寢ぼけたやうな顏をして、這入つて來た。さうしてなんだか寒さうに手を揉みながら、女たちに何か私にわからない冗談を言つてゐるらしかつたが、そこへ丁度、ボオイが、私のためにポリツヂを運んできたので、そいつをつかまへて、「朝飯出來ますか?」とぎごちない英語で聞いてゐた。支那人のボオイはますます佛頂面をしだして、その男のために中央の圓卓子の上を不機嫌さうに片づけ始めた。それを見ると私はなんだか急に微笑がしたくなつた。さうして私のテエブルに砂糖がないことに氣がついて、それをボオイに言はうと思つてゐた私は、ついその男の方に氣をとられて、それを言ひそびれてゐた。……そのうちにどうしてだか突然、私には、この食堂の隅々にまで漂つてゐさうな、陰慘といふほどのものではないけれど、何かしら重苦しい、澱んだ空氣が呼吸苦しく覺えられだした。そしてそれをあたかも具體化したやうに、私の咽喉はへんにゑがらつぽくなり出した。どうもすこし扁桃腺をやられたらしい。さうして砂糖なしのポリツヂは大へん不味かつた。
私はこのホテル・エソワイアンには、四日ばかり泊つた。三日目ごろから、ますますこのホテルの中の噎ぶやうな重い空氣が私には我慢し切れなくなつた。何んといふことなしに世間の空氣が息苦しくなつたあまりに、その息ぬきにわざとこんな世間から離れたやうなホテルを選んで泊つたのであるけれど、このホテルの中のさういふ空氣は私を一そう窒息させさうにした。私はもつと新鮮な、そして氣持のいい空氣がほしくなつた。私はとうとう須磨の方へ宿を替へることにした。
さうして私がこのホテルを立ち去らうとする前に、最後に私の經驗したいかにもこのホテルらしい
その一週間ばかりの小さな旅行の後、私はすつかり扁桃腺をこじらせて、八度近い熱を出しながら、東京へ歸つて來た。――さうしてそれなり寢ついてしまつた私は、或る日、ふと手許にあつたレクラム版のハイネの詩集をめくつてゐるうち、ホテル・エソワイアンに泊つた最初の晩、なかば眠りに浸つてゐた眼をいたづらにその文字面にさまよわせてゐたところの「五月に」といふ詩をひよつくり讀みあてたので、今度は一字一字、小さな獨和辭書を引つぱりながら讀んでみたら、そのときは半分以上も字の意味が分らないままに自分勝手にそれをハイネ好みの甘美な詩に仕上げてしまつてゐた奴が實はハイネの晩年の、彼の愛してゐた友人たちからひどい仕打ちをされ、心臟の破れるやうな思ひをしてゐた頃の、ひどく絶望的な詩であることを知つて、私は愕然とした。その詩の最後の一聯のごときは、
しかしここでは太陽と薔薇とが
なんと殘酷に私を突き刺すことよ!
さうして五月の青い空は私を嘲つてゐる。
おお美しい世界よ、お前は本當に厭はしい!
なんと殘酷に私を突き刺すことよ!
さうして五月の青い空は私を嘲つてゐる。
おお美しい世界よ、お前は本當に厭はしい!
といふやうな意味でさへあるのだ。つまり、私の忘れてゐた獨逸語のほとんどすべてが呪詛の文字だつたのである。そして私がそれらの不可解な文字の上にながいこと眼をさまよはせてゐるうちに、それが解らないなりにそのとき私の氣持からはあまりに懸け離れてゐるもののやうに私に思ひなされたところのその詩は、實はそのときの私自身の氣持さながらであつたのだ。