錢形平次捕物控

名畫紛失

野村胡堂





「八、大變なことがあるさうぢやないか」
 江戸開府以來と言はれた、捕物の名人錢形平次は、粉煙草こなたばこの煙りを輪に吹きながら、いとも寛々たる態度で、飛び込んで來た子分の八五郎に、かう浴びせるのでした。
 あわて者の八五郎、一名ガラツ八は、平次のためには『見る眼嗅ぐ鼻』で、その天稟てんぴんの勘を働かせて、江戸中のニユースを嗅ぎ出して持つて來るのですが、生憎なことに今日は恐ろしい不漁しけで、猫の子がお産をしたほどの事件もなく、でつかい彌造やざうを二つ陰氣に拵へて、日本一の張り合ひのない顏を、兎にも角にも親分のところへ持つて來たのでした。
 その鼻面を叩くやうに、『大變なこと』といふのを浴びせられて、八五郎さすがに面喰ひました。まさにお株を取られたかたちです。
「へエ、何んですそれは? あつしの知らない大變なことてえのは?」
 彌造をほぐすと、左に曲つたまげの刷毛先を直して、八五郎は上がりかまちに腰をおろしました。
「八さんだまされちやいけませんよ。朝つから八さんが來たら、うんと脅かしてやるんだつて、手ぐすね引いて待つてゐたんですよ。どうせつまらないことに決つてゐるんですから」
 お勝手から出て來た平次の戀女房のお靜は、濡れた手を拭き/\八五郎に注意をしてやります。
「默つてゐろ。女房が亭主に裏切りをするのは見つともいゝものぢやねえ」
「まア」
 お靜はちよいとゑんじましたが、自分も少し出過ぎたことに氣がついたか、そのまゝもとのお勝手に、一陣の薫風を殘して姿を隱しました。
「何んです、親分、――あんまり脅かさないで下さいな」
「八五郎のめえだが、たまには俺だつて、面白いネタを拾つて來るよ、――近頃諸方の寺々から、大町人大名屋敷まで荒して大變な名畫名幅を盜んで歩く、不思議な泥棒があるといふ話ぢやないか。お前の耳にそれが入らないワケはないと思ふんだが――」
「そんなことなら、五日も前から聞込んでゐますよ」
「エライ、さすがは順風耳はやみゝの八五郎だが、何んだつてそれを俺の耳には入れてくれなかつたんだ」
「名畫だか名幅だか知らないが、たかがへへののもへじに毛の生えたやうな代物しろものなんでせう。そいつを有難がる奴の方が餘つ程の箆棒べらぼうで、あつしには賽錢さいせん泥棒くらゐに踏んで相手にもしませんでしたよ」
「驚いた野郎だな、お前といふ人間は」
「さうですかね、――そんなエテ物を盜む奴も物好きだが、盜まれて騷ぐ方もあまり賢こくはないと思つたんで」
あきれて物が言へないよ、お前といふ人間は」
「へエ」
「その盜られた品といふのは、一つ/\が何百何千兩といふ名畫ばかりだ。中には公儀にお屆けになつてゐる品もあり、寺寳として寺社奉行所の臺帳に載つてゐる品もあるんだよ」
「へエ、そんな間拔けなものを盜つて、どうするつもりでせう。質草しちぐさか何んかの足しになるでせうか」
 八五郎の氣樂さ、これを教育して名畫の有難味を解らせるためには、もう一度生れ變つて來させるより外はありません。
「質に入れるとか、古道具屋に賣るとかすれば、直ぐわかるやうに手配してあるんだが、不思議なことに、盜まれた品は盜まれつきりで、二度と姿を見せないから厄介だよ」
「それをどうせうといふので?」
「金を盜つたとか人をあやめたのではないから、世間の噂には上がらないが、この世に二つとない寳だから、盜られた身になると金に代へられないほど惜しからう。書畫骨董の氣違ひばかりは、こちとらの考へたやうなものぢやないよ」
 平次は噛んでふくめるやうに説明しますが、八五郎には結局解りさうもありません。が、八五郎の理解はどうあらうと、今日で言へば國寳級の名畫が、片つ端から盜まれるのは、その道の人に取つてはこの上もない重大事で、被害者が手蔓てづるを求めて錢形平次のところへ、その探索を頼みに來るのもまことに當然のことだつたのです。
「親分はどこでそんな話を聽き込んだんです」
「下谷竹町の永寳寺――こゝでは王若水わうじやくすゐ唐子嬉遊からこきいうの大幅がなくなつてゐるが、その寺の執事が、眼の色を變へて飛んで來たよ」
「いつです、それは?」
「ツイ先刻、お前と入れ違ひに歸つた筈だが」
「それつきりですか」
「まだあるよ。淺草馬道の壽滿寺じゆまんじでは、狩野法眼元信の高士觀瀑かうしくわんばくの幅が盜られ。日本橋本銀ほんぎん町の阿波屋藤兵衞は雪舟の秋景山水の六曲一さう屏風びやうぶがやられてゐる」
「屏風? そんなものをどうして持出したんです」
「お前が泥棒ならどうする、六曲一双の屏風だよ」
 平次は妙なことを言ひ出しました。
「大八車を持つて行つて、積んで來るわけには行きませんか」
「間拔けだなア。引越しぢやない、盜むんだぜ」
「親分のめえだが、惡い奴を縛る修業はしましたが、泥棒の修業はまだやつた覺えはありませんよ」
「泥棒の上を越すほど智慧が廻らなきや、氣のきいた泥棒を縛れるものか。聽くがいゝ、その泥棒は六曲一双十二枚に描いた雪秋の[#「雪秋の」はママ]秋景山水の繪を、ソツと剥がして繪だけ持つて行つたのだよ」
「へエ、それぢや賣物になりませんね」
「馬鹿だなア」
 こんな話の眞つ最中でした。お靜は障子を五六寸だけ開けて、
「あのお客樣ですが――」
 つゝましく取次ぐのでした
「どこだ」
 入口の格子の開いた樣子のないのを平次は氣がついたのです。
「お勝手なんです、――若い綺麗な女の方、――親分さんに内々でお目に掛りたいんですつて」
 若くて美しい女の訪問客は、さすがに氣になつたものか、お靜の調子も妙に切口上になります。
「こゝへ通すがいゝ。なぐり込みに來たわけぢやあるめえ、取次にも及ぶものか」
 平次は事務的になりきつて、相手の若さも美しさも問題にしない樣子です。
 お靜はもう一度お勝手へ引返しましたが、やがてひどくあわてた樣子で戻つて來ました。
「まアどうしたことでせう。ツイ今しがたお勝手へ來た若い女の人は、どこへ行つてしまつたか、その邊に姿が見えないんですもの」
 ツイからんだ調子で物を言つた後だけに、ひどくあわててゐる樣子です。
「そんな馬鹿なことが――」
 平次も續いてお勝手から、水下駄を突つかけて外へ出ましたが、その邊には若くて美しい女はおろか、野良犬一匹姿を見せません。
「どうしたんです親分」
 八五郎はその後から、あごを突き出しました。
「人間一人消えてなくなつたよ、――尤も、思ひ立つて何にか頼みに來ても、急に怖氣おぢけづいて歸るのは、若い女にはよくあることだよ。――どんな風をしてゐたんだ、その女は」
 平次はお靜をかへりみて、思ひの外わだかまりのない調子で言ひました。
「お武家風の――お小間使か何んかでせう。堅い家風のお邸の召使といつた樣子でした」
「ウム」
「十七八でせうか、矢絣やがすりたての字の帶で、素顏に近い島田髷の、良い娘でした――あ、それから左の頬に可愛らしい愛嬌ぼくろがあつて――」
「うまいな、お前の鑑定めきゝもまんざらぢやないよ」
「あら」
 夫の平次に褒められると、お靜はあわてて自分の城廓――お勝手に逃げ込むのです。


 平次と八五郎はそれから直ぐ出動しました。最初は下谷永寳寺、寺格の高い襌家の巨刹きよさつで、住職の冷嚴和尚は、自身わざ/\迎へ入れて、丁寧な扱ひです。
「平次殿、飛んだお手數をかけて濟みませんが、こんなことにかけては、寺社の御係りも錢形の親分にお願ひする外はあるまいと申すのぢや」
 こう言つた筋のことを、冷嚴和尚は法衣ほふいの袖を合せながら話すのです。
「飛んだことでございました、――その品はどこに置いてありました」
「この床の間ぢやよ、――見事な大幅での、げん時代のものにしては大した損傷いたみもなく、目の覺めるやうな極彩色ごくさいしよくぢや。五人の唐子からこ牡丹ぼたんの咲き亂れる庭で、遊んでゐる圖ぢや」
 和尚は自分の背後うしろ、書院の一間床の白々としたのを指さしながら續けました。
「――襌家には派手はで過ぎる繪だが、何んと申しても古今の名作だ。先代の住職の時――今から三十年も前であらうか、檀家だんかの日本橋本銀町阿波屋の寄進を受けたものだと聞いてゐる」
 阿波屋――日本橋本銀町の兩替屋阿波屋藤兵衞のところでも雪舟の秋景山水の屏風が盜まれたことを、平次は思ひ出しました。
 それは兎も角、老和尚の説明は尚ほも續きます。
「それ一昨日をととひの晩ぢや、彼岸會ひがんゑで檀家の女子供のお詣りも多いことだから、出して掛けたまゝたつた一と晩だけそのまゝにして置いた。これは毎年の例で今年に限つたことではない。翌る日の昨日の朝は上天氣、幅物をしまひ込むには打つてつけの日和ひよりぢや、執事の了海に言ひつけると、書院に掛けてあつた王若水の唐子の大幅が無いといふのぢや、――それから大變な騷ぎになつて、寺中を搜し廻る。寺社のお掛りへお屆けする。一日はそんなことで暮して、今日になつて平次殿のお耳に入れたやうなわけでな。いやはや、拙僧の心持を申せば、玩物喪心ぐわんぶつさうしんと申すか、襌家に名寳珍什ちんじふなどは無用の沙汰ぢやな」
 冷嚴和尚はこの日本的の寳物と言ふべき名幅にも大して未練は持つてゐない樣子です。
「で、戸締りはどうなつてをりませう」
「寺方のことだ、嚴重とは申難いが、容易に賊の入れる筈はない。それに、一つ二つ不思議なことがある」
「?」
「幅は卷いても、五尺はたつぷりあらうといふ大きいものだ。賊はそれを持ち運ぶのに困つたものか、上下のぢくを切り離して、絹に描いた繪だけを持つて行つてゐる――軸の木は表裝へうさう金襴きんらんをつけたまゝ、賽錢箱の蔭に捨てて行つたのは不敵な振舞ぢや」
「それを拜見いたしませうか」
 和尚は執事を呼んで幅から切り離された軸を取寄せました。
「これぢや」
 平次はわからぬながら一應念入りに見せて貰ひました。金襴もぢくほり和物わものらしく、切り離した刄の跡は、ひどく亂暴でなゝめになつてをりますが、刄物ははさみではなく、鋭い切出しか匕首などの樣子です。
「他に變つたことはございませんか」
「これは王若水の一軸とかゝはりのないことかも知れぬが、今朝本堂前の大賽錢箱を開けて見ると――これは彼岸會の後でいつもすることだが――おびたゞしい青錢、鍋錢、小粒などに交つて、紙に包んだ小判が五枚出て來たのぢや。信心には限りがない、建立こんりふ修覆しゆふくの場合隨分五十兩百兩と寄進する人もないとは申されぬが、賽錢箱へ小判で五兩は、あまり聽いたことがないことぢや」
「その紙を拜見いたしたうございますが――」
「これがその五兩ぢや」
 五兩の小判を包んだまゝ、執事に持つて來させました。
「これは、唐紙たうしぢやございませんか」
 平次は小判を包んである紙のしわを伸して、思はず聲をあげました。その頃の支那唐紙がどんなに珍らしくて貴重なものであつたか、今の人の想像を絶することです。
「左樣日本の品ではない、――丁寧に扱つても、杉原紙すぎはらがみか奉書といふところだが、唐土もろこし渡來の唐紙を、くづでも何んでも惜し氣もなく使つてゐるのは不思議ぢや」
 老和尚冷嚴から訊くべきことはこれで全部でした。曲者の入つた場所はよくわかりませんが、彼岸詣りの善男善女にまぎれて前日から入り込み、一と晩本堂にでも隱れて、翌る日早朝戸の開くのを見濟して、悠々いう/\と出て行く分には、誰も見とがめる者もなかつたことでせう。


 淺草馬道の壽滿寺も、永寳寺に於ける場合と全く同樣で、これは元信の『高士觀瀑』といふ尺五ぐらゐの名幅を、十日ばかり前秋の風入れで取出したところを、誰がどうしてさらつたか、半日のうちに盜み去られたといふのです。今度はさして大幅でなかつたためか、ぢくから切り離すやうなことはしませんが、嵩張かさばつた桐の二重箱は持つて行きません。
「その日は二つおとむらひがありましてな、大勢の人がゴタゴタしてをりましたから、どんな隙に間違ひがあつたかわかりません」
 若い納所なつしよが説明してくれます。
「眞つ晝間で軸から切り取る隙がないとすると、長いまゝで持ち出したことになるが、誰かそんなことに眼が屆かなかつたでせうか」
 平次は丁寧に問ひ返しました。
「何にか眞新しいこもに包んで、肩にかついで行つた若い男があつたさうですが、小僧や門前の花屋のお神さんは、山のいもか何にかだらうと、氣にも留めなかつたさうで――」
「若い男?」
 雪舟の一軸を菰に包んで、ヒヨイと肩に擔いだ若い男の道化た姿を想像して、平次は額を撫でました。
「それから、賽錢箱に大金を投り込んだ者はありませんか」
「ありましたよ。昨日賽錢箱を調べると、三兩の小判を唐紙たうしに包んだのが出て來ました。それがどうかしたでせうか、親分」
「いや、まだ、何んにも解つてはゐませんがね、――その雪舟の幅はいつ頃このお寺に入つたものでせう」
「先代――いや先々代の住職がこんなものを好きで、自分の居間に掛けるつもりで買つた品だといふことですが、物が良いので世間の評判になつて、近頃では寺寳の一つになり、滅多にくらから出さないことにしてをります」
 こんな言葉のうちにも、何にか知らいろ/\の暗示がありさうです。
 平次と八五郎はそこから引返して日本橋本銀ほんぎん町に向ひました。兩替屋の阿波屋藤兵衞といふのは、江戸兩替屋の組頭の一人で、包金を封印のまゝ通用させた家柄、店構へは唯の商人ですが、奧は小大名の下屋敷ほどの構へで、その暮しの豪勢さは、貧乏人の平次や八五郎の眼を驚かします。
「飛んだお骨折だね、平次親分」
 主人の藤兵衞はまだ三十代の良い男でした。大町人らしい寛濶くわんくわつさで、平次と八五郎を奧へ通し、下にも置かぬ扱ひです。
「屏風はこれですね」
 部屋の隅に立ててある六曲一双の屏風、内側の繪をぎ取つて、白々と淺ましい下張りをさらしてゐるのでした。
「これは死んだ親父が道樂で集めた品のうちの一つでね、大層自慢にしてゐたものだが――私はまア、あまりこんな物に未練はない。書畫骨董よりは遊藝の方が好きな方でな」
 藤兵衞はわだかまりもなく自分の道樂を白状してをります。
「これは何時でも、こゝへ出して置くんで?」
「いや、さう言ふわけでもないが、年中箱へ入れて藏の中にしまひ込んで置くと、品物のためにもよくないと聞かされてゐるから、何にかあると取出して飾るんだ。――ツイ十日前、私の誕生日で道樂仲間をんだ時出して、風を入れるつもりでそのまゝにしてあつたが、今から七日前の丁度お月見の晩だ。この前に月見團子を飾つて遲くまでワイワイ騷いで寢たが、翌る朝起きて見ると、屏風がこの通り剥がされてあつたといふわけさ。屏風が追剥おひはぎに逢つたといふのは前代未聞だ」
 藤兵衞は面白さうに笑ふのです。
「ところで、外に變つたことはありませんか、その前後あとさきに」
「變つたことがいろ/\ある。第一剥がれた屏風の前に、小判で八兩の金が置いてあつた」
唐紙たうしに包んで」
「その通りだ、――それから、泥棒が入つた樣子も出た樣子もない。あれだけの仕事をして音も立てないところを見ると、忍術使ひか何んかだらう」
「この部屋の近くに休んでる人はありませんか」
「一と間置いてこの私が寢てゐる。尤も年が若いから私もあまり目敏めざとい方ではないが、――この樣子だと寢首を掻かれるのも知らずにゐるかも知れぬて」
 藤兵衞はどこまでも呑氣さうでした。金があるにまかせての遊蕩三昧で、書畫骨董の有難味などはいさゝかも身に沁みない樣子です。
「屏風を剥がすのは、やさしいことではないと思ふが――少しは音がしたことでせう」
「いや、屏風がひどく濡れてゐたところを見ると、曲者は水で濡らして、器用に剥がしたものらしいな。縁側には手水鉢てうづばちに水を張つたのと、古手拭が置いてあつたよ」
「それは玄人くろうとだ」
 平次も感歎しました。唐土もろこしから傳來の繪と違つて、元信の描いたのは紙本で、それにのりも新しいわけですから、水で剥がすのは一番良い要領です。平次は續けて、
「戸締りは?」
「不思議にどこからも曲者の入つた樣子はなかつた」
「奉公人や出入りの者に、その頃變つたことはなかつたでせうか」
「さう言へばそのことがあつて二三日經つてから、下男の元吉といふのが暇を取つた」
「それは?」
木更津きさらづの者で、この秋から住み込んでゐたが、――請人うけにんは小田原町の源七。間違ひもなく働いてゐたが、遊び癖があつて夜歩きするのと、身體が弱くて荒仕事ができないので、實は少し持て餘してゐると五日前になつて、急に暇を貰ひたいと言ひ出した」
 數へて見ると、それは壽滿寺へ賊の入つた日に當るのです。
「?」
 平次は默つて次をうながしました。
「左の額際ひたひぎはに傷でもあるのか、いつでも膏藥かうやくを貼つてゐたが――」
「その膏藥が時々場所が變りやしませんか――人相を變るための手段かも知れません」
「そんなことがあつたかも知れない。兎も角二十三四の小氣の利いた男で、下男や庭掃きなどをしてゐる人間ではなかつた。それに少しは學問もあつたやうで、時々何にか書いたものを讀んでゐることがあつたといふことだ」
 藤兵衞の説明で、その下男が曲者といふことは、殆んど疑ひの餘地がなくなります。
「變なことを訊きますが、おたな菩提寺ぼだいじは下谷の永寳寺でせうな」
「その通りだ」
「今から三十年も前にあの寺に王若水わうじやくすゐの『唐子』の大幅を寄附したことがある筈ですが」
「さア、三十年前といふと、私が四つか五つの時だから、覺えてゐないが、番頭が知つてるかもしれない」
 早速老番頭の金兵衞を呼んで聽くと、丁度の雪舟の屏風を作つた頃、仲橋の古道具屋の北田屋道八の手から、王若水か何んか知らないが、見事な唐子の繪を買入れて、それは永寳寺に寄附したといふことがわかりました。
「その代金は?」
「さア、そこまでは覺えてゐませんが」
 金兵衞はよく禿げた頭をくのです。
 念のために、下男部屋を見せてもらふと、平次はこゝで押入の中から面白いものを發見しました。
 それは半紙一枚に書いたものです。
高士觀瀑かうしくわんばく   (元信)
秋景山水   (雪舟)
唐子嬉遊からこきいう   (王若水わうじやくすゐ
救世觀音ぐせくわんのん   (巨勢金岡こせかなをか
孔雀くじやく     (徽宗きそう皇帝)
 とあるではありませんか。平次は思はず息を呑みました。が、それを默つて懷ろに落したまゝ、八五郎を促して外へ出たのです。


 翌る日の朝、明神下の平次の家の外で、思はぬ騷ぎが始まりました。
 六十四五の丈夫さうな老人が一人、無殘にも匕首あひくちかなんかで左の胸を一つ突きやられ、あけに染んで死んでゐるのが、金棒曳かなぼうひきの女房に見付けられたのです。
「親分、た、大變ツ」
 女房に手を引かれるやうに、寢卷姿の平次は路地の外まで引出されました。まさにそれは大變です。骨組の確りした、そして慾の深さうな老人が、ドブ板の上で冷たくなつてゐるのです。
 手際は至つて平凡ですが效果的でした。後ろから左の胸、肩胛骨かひがらぼねの下を一と突き、間違ひもなく心の臟をやられたもので、恐らく聲も立てずに死んでしまつたことでせう。
 ふところを見ると大きい財布に小判が五枚と小粒で二兩あまり。これを殘して行くところを見ると、物盜りでないことはあまりにも明かです。身許は容易にわかりませんでしたが、陽が高くなる頃、それは仲橋の古道具屋で、北田屋の道八とわかつて、平次は思はずうなりました。
「どうしました、親分。路地の外に殺しがあつたさうですね」
 八五郎はいつものやうに、間拔けな彌造を拵へてフラリとやつて來ました。
「驚くな八、殺されたのは仲橋の古道具屋の道八だよ――多分昨夜ゆうべ遲くなつてから、俺に用事があつて來たのを、けて來た奴に路地の外で刺されたんだらう」
「すると、あの繪の泥棒とつながりがあるわけですね」
「その通りだよ、思つたよりたくらみは深い。が、金づくの仕事でないだけに手のつけやうがない」
「あんな繪を集めてどうする氣でせう」
「それがわかれば、曲者はすぐ縛れるよ、――おや誰か、客が來たやうだ」
 平次は自分の家の格子の外に立つて、
「頼まう」
 などと、練達無比な聲を張り上げる、四十年輩の武家を指しました。
 平次はあわてて家に入つて、その武家をみちびき入れ、さて、
「御用は?」
 と丁寧に訊ねます。
「外でもない、平次殿、――拙者の主家で、世にも得難い名幅が盜難に逢つたのだ。町方は支配違ひだが、日本の寳とも言ふべき名畫に萬一のことがあつてはならぬ。ことをわけて平次殿にその探索をお願ひするやうにと、主人からの申付けで參つたのぢや」
 中年の武家は、樣子のいかめしさに似ず、ひどく折入つた態度になるのでした。
「その盜まれた名幅は、巨勢金岡こせかなをかの『救世觀音』でせうか、それとも徽宗きそう皇帝の『孔雀』でせうか」
 平次の言葉は唐突ですが、恐ろしく效果的でした。
「どうしてそれを、――紛失ふんしつしたのは、救世觀音の尊像を描いた、巨勢金岡の名筆ぢや――申し遲れたが拙者は、湯島天神町の旗野丹後守たんごのかみの用人久保木桂馬くぼきけいまと申す。お見知り置きを願ひたい」
 久保木桂馬と名乘る中老人は、眞四角に一禮するのです。
「その幅の紛失したのは?」
「昨夜ぢや」
「外から入つた樣子は?」
「ないから不思議だ、――しかも幅は尺三ほどの手頃のものだが、ぢくから切り離して、中の繪だけを持ち去つてゐる」
「どこに置かれたので」
彼岸ひがんに出して供養した後、暫らく奧座敷の違ひ棚に置いてあつた」
「參りませう、大急ぎで」
 平次と八五郎は、路地の外の古道具屋の死體を、驅けつけた下つ引や、町役人に任せて湯島天神町に向ひました。
「その繪はいつ頃お手に入れたものでせう。御先祖から傳はつた物ではないと思ひますが」
「その通りだ。今から二十五六年前、拙者がまだ弱年の頃だ。御先代丹波守樣が[#「丹波守樣が」はママ]、御出入りの古道具屋から求められた品だ」
「その古道具屋を御存じありませんか」
「仲橋の北田屋とか申したが――」
 明神下から湯島天神町への道々平次と久保木桂馬との話は續きました。
「お代は?」
「それはわからぬ。が、不思議なことに、幅を置いてあつた違ひ棚の上に、小判で十二兩の金子が置いてあつた」
唐紙たうしに包んで」
「よくそんなことまで、――さすがは高名な平次殿だ」
 久保木桂馬は舌を卷いてをります。錢形平次は八卦はつけでも置くと思つたのでせう。


 旗野丹後守は三千石の大旗本で、年の頃四十二三。久保木桂馬とは、主從の關係を越えてしたしい間柄のやうです。
「平次か、何分頼むぞ。巨勢金岡の繪が惜しいのではない、私は父親の形見かたみがなつかしい」
 かう言つた調子の殿樣でした。
「昨日から、外へ出た方はございませんか」
「ないだらうな、久保木」
 殿樣は用人をかへりみます。
「ハイ、一切外へ出さないことにしてあります。門番にも堅く申付けて、塀際へも人を寄せつけません」
「それは用心なことで」
 平次は丹後守のゆるしを受けて、屋敷中の者に一應逢つて見ました。奧方、三人の子供達、用人の内儀とその娘、下女二人、若黨、門番、下男まで、ざつと十二三人の大世帶です。
「これだけでせうか」
「まだ小間使の比奈ひなと申すのがゐる筈だが――」
「是非逢はなきやなりませんが」
「よし/\、呼んで參らう」
 久保木は間もなく十七八の可愛らしい小間使をつれて來ました。
「――」
 ハツと平次は息を呑んだのも無理のないことです。その愛くるしい左の頬にはあざやかに愛嬌ぼくろが一つ。
「これで皆んなぢや」
 久保木桂馬は、そんなことに頓着なく、そゝくさとどこかへ行つてしまひました。
 こゝまでは平次の探索の滑り出しは、極めて快適に行きましたが、それから先は恐ろしい暗礁あんせうに乘り上げてしまつたのです。
 何も彼も事實を知つてゐる筈の小間使ひの比奈ひなは、どう責め問はれてもぐわんとして口を割らず、平次もさすがに持て餘して、主人の旗野丹後守と用人の久保木桂馬に一切の事情を打ち明け、その協力を求める外はなかつたのです。
 勿論お比奈の請人宿元も調べましたが、これは全くの出鱈目でたらめで、阿波屋の下男の請人と同樣、おびたゞしい金に眼がくらんで、全く身許を知らない者に請判をしたとわかり、大目玉を喰はせてそれつきりになる有樣。かうたくんだ仕事では、容易のことでは眞相は掴めません。
 その日の晝頃、湯島から本郷一帶に妙な噂が廣がりました。
「旗本旗野丹後守樣のお小間使が、大泥棒の手先になつて成敗されるが、身許がわからないので、夕刻裸體はだかに剥いて湯島天神町の辻番にさらし物にするさうだ。心當りの者は申出るやうに、褒美は小判で五兩だとよ」
 といふ噂です。その頃の五兩は人間一人一年の給料よりも多く、先づは大金と言ふべきで、町の閑人ひまじん達は有頂天になつて噂を撒き散らしました。それに十八娘を裸體にして晒すといふのが、武家にしても傍若無人な成敗で、彌次馬の好奇心をいやが上にも募らせたことは事實です。
 その時刻になると、湯島天神町の辻番の前には縁臺を出し、番手桶に六尺棒まで揃へました。見物はそれを取卷いて十重二十重の人垣を作り、暮れ酉刻むつ(六時)の定刻を待ちきれずにひしめき合ひます。
 が、やがて酉刻むつ(六時)になつても酉刻半むつはん(七時)になつても準備の物々しさに似ず、肝腎かんじんのお比奈とやら、裸體に剥かれた小間使は姿を現はしません。
 あたりは薄暗くなつて、見物がザワザワ騷ぎ始めた頃。
「折角だが皆の衆、わけがあつて、今日は沙汰止みぢや、――さア/\歸つた/\。水を撒くから、そのつもりで」
 番太の老爺は縁臺の上で一とくさりやると本當に手桶を持出して、柄杓ひしやくで水を撒き始めるのです。
「畜生ツ、何んてことをしやがる」
 見物は暫らく湧きましたが、諦めの早い江戸つ子達は、それでも大した未練氣もなく、夕闇の中へバラバラと散つて行きます。


 それから半刻(一時間)ほど經つと、八五郎は鬼の首でも取つたほどの勢ひで、明神下の平次の家に飛び込んで來ました。
「わかりましたよ、親分」
「元町の繪師、岡谷半嶺はんれいの家だらう」
 平次は面白さうにしてをります。
「えツ、親分どこでそれを」
 ガラツ八は暫らく開いた口がふさがりません。
「まアいゝ、お前の方はどんな樣子だつた」
「あの人ごみの中へ、阿波屋の下男だつた元吉が來てゐるに相違ないと言つた親分の見當は、さすがに見事に當りましたよ。阿波屋の番頭が直ぐ見付けて、私に教へてくれたので、大骨折であとをつけると、元町の岡谷半嶺といふ繪師の家へ入るぢやありませんか」
 ガラツ八の踏んだ手順は素より平次の考へたプランだつたことは言ふまでもありません。
「俺の方は、眞物の唐紙たうしを使へる繪描きは江戸中に幾人もないと睨んで、御繪所の狩野家で訊いて、南宗北宗を兼ねをさめた名人岡谷半嶺と見當をつけたのさ――だがお前の骨折も無駄ではないよ、二人の調べがピタリと合つたところで、動きのとれない確かな證據になるのだ」
「へエ驚きましたね」
「騷ぐのはこれからだ。出かけようか、八」
「どこへ」
「元町の岡谷半嶺の家だ」
 平次と八五郎は即刻元町の岡谷家へ乘り込んだことは言ふまでもありません。そこで一と汗掻く氣で行つた二人は、
「これは/\錢形の平次親分。老先生は先刻さつきからお待兼ねぢや、此方へ」
 案内してくれたのは、木綿のはかまを裾短に着けた二十三四の書生――それがかつて阿波屋の下男に住み込んだ、元吉の變る姿だつたことは言ふまでもありません。
 案内のまゝに、默つて奧へ通ると、
「これは錢形の親分、飛んだお騷がせいたした」
「――」
 床の上に起き直つたのは七十近い老畫伯の岡谷半嶺で、あかりを半面に受けた顏には、何やら熱つぽい暗い色さへあるのです。
「――五つの繪が四つまで手に入りました。殘る一つに大きい未練はありますが、さうまでは神佛も見のがしては下さるまい。錢形の親分にこゝで追ひ詰められたのも何にかの因縁と申すものでせう。聽いて下さるか、平次親分」
 岡谷半嶺は病苦を忍んで語りました。その話は長くてわづらはしいものでしたが、要領をかいつまむと、岡谷半嶺は非常に天才で、若くして南宗北宗兩派の技法を體得し、更に和風の土佐住吉の畫風にわたり、技巧の上に於ては完璧の境に達したのが、四十歳そこ/\のまだ若い盛りでした。
 が、門閥のない悲しさ、下手へたでも白痴こけでも幕府の御繪所を預かる狩野に頭を押へられ、衆愚の前に眞技倆を示す折もなく、悶々もん/\の日を送つてをりましたが、その不平に加へてその日のかてにも差支へる貧苦に打ち負かされて、仲橋の古道具屋、北田屋道八の誘惑と陷穽かんせいに落ち、うつかり借りた金のために、心ならずも古今東西の名匠の名をかたつて、恐ろしい僞筆をふるふことになつたのです。
 わけても王若水の唐子、元信の觀瀑、徽宗皇帝の孔雀、金岡の觀音、雪舟の山水は、眞物ほんものまがふばかりの素晴らしいできで、道八の手から諸方に賣り渡され、あらゆる鑑定者の眼までくらまして、今日では日本の寳のやうに持てはやされてをるのでした。
 岡谷半嶺はその後畫道に精進し、獨得の境地を開き、狩野派とは別に、確乎たる門地を打ち建てて、押しも押されもせぬ大家になりましたが、若かりし頃フトした過ちで描いた五つの僞作のことが、何んとしても氣になつてならず、藝術家らしい惱みが嵩じて、つひに重病の床につくやうになつたのです。
「平次殿、御察し下され。私も畫工の端くれで、何んとか言はれてゐる身の上だ。昔の名人巨匠の僞作を五點も殘して、このまゝのめ/\とあの世へ行かれようか、――あの五點も素人しろうとが見れば古名匠とまぎれもするだらうが、この私が見れば、物足らぬことばかり。あれをあのまゝにして置いては、古名人巨匠に對しても相濟まず、私は死んでも死にきれぬ心持でござるよ」
 岡谷半嶺は崩折れるのです。そして元吉の介抱で元氣を取戻して、ようやく懺悔ざんげ話を續けるのでした。
「私の娘の比奈ひなと――その許婚で私の門弟、こゝにゐる蔦井金三郎が、私の歎きを見るに見兼ね、私に代つて、その五點の僞作を取戻さうとしたので御座るよ。三兩五兩と金を置いて來たのは、その昔私が道八から受取つた畫稿料ぐわかうれう、――繪は一枚々々、この私が目で見て、相違ないと判つて燒き捨てました。旗野丹後守樣のところにあつた觀音像は娘の手からあの夜塀外で待ち受けた金三郎が受取り、これも燒いてしまひました、――心殘りの一幅は上野の寺内にあつて見れば力及ばない」
「――」
「あとに氣に掛るのは娘比奈の身の上と、――道八憎さに思はぬ罪を重ねたこの金三郎で御座るよ、平次殿」
 死に行く人の涙ながらの訴へに、
「安心なさいまし、お孃樣は私が救ひ出しませう。そして金三郎樣とやらは、二三年江戸から足を拔いて下されば」
「有難い、平次殿」
 岡谷半嶺はやつれ果てた顏を枕に埋め、その背を撫でてゐた金三郎も思はずその背に眼を伏せました。
 平次は翌る日岡谷半嶺の晩年の傑作一幅を持參して、旗野丹後守に詫びを入れ、娘お比奈を無事につれ戻ると、その日のうちに金三郎と祝言しうげんさせ、二三日父半嶺の樣子を見た上金三郎は暫らくの旅に上ることになりました。
「驚いたね、へへののもへじに毛のえたのがこんな大騷動にならうとは思はなかつたぜ。でも、親分、あの父娘おやこは嬉しさうだつたぜ――だが一つわからないのは、娘は何んだつて、親分の家へ訪ねて行つて、お勝手口から引つ返したんでせう」
 ガラツ八は後日かう尋ねました。
「思案に餘つて頼みに來たんだらう。五枚の繪を是が非でも師匠のために取返さうとしたのは矢張り繪のことのわかるあの金三郎だよ。金三郎のやることが手嚴てきびしいので、旗野丹後守のところに奉公にやられてゐるお比奈さんは、どうしたものかと、フラフラと相談に來たが、思ひ直して逃げて歸つたんだらう。あの時打ち明けて相談してくれさへすれば、人一人殺さずに濟んだかも知れない――いや、繪描きなんてえものは途方もないものだ。おれ達にはあの心持は判りつこはないね」
 平次はつく/″\さう言ひます。が、金三郎を許したことを大して後悔してはゐない樣子でした。





底本:「錢形平次捕物全集第二十九卷 浮世繪の女」同光社
   1954(昭和29)年7月15日発行
初出:「キング臨時増刊」
   1950(昭和25)年
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2017年5月11日作成
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