錢形平次捕物控

幽靈の手紙

野村胡堂





 江戸開府以來の捕物の名人と言はれた錢形の平次が、幽靈いうれいから手紙を貰つたといふ不思議な事件は、子分のガラツ八こと、八五郎の思ひも寄らぬ縮尻しくじりから始まりました。
「親分、近頃は暇ですかえ」
「なんて挨拶だ。いきなり人の前へ坐つて、懷手ふところでをしたまゝ長いあごを撫でながら――暇ですかえ――といふ言ひ草は?」
 平次は脂下やにさがりに噛んだ煙管をポンと叩くと、起き上がつてこのばうとした子分の顏を面白さうに眺めるのです。
「錢形の親分が、この結構な日和に籠つて、寢そべつたまゝ煙草のけむりを輪に吹いてゐるんだから、暇で/\仕樣がないにきまつて居るぢやありませんか」
「馬鹿だなあ、だからお前はまだろくな仕事が出來ないのだ。斯う寢そべつて煙草の烟を輪に吹いてゐる時こそは、こちとらが一番忙しく働いて居る時なんだ」
「へエ――」
「クルクル動いて居る時は、ありや遊びさ。斯う呑氣さうにして居る時こそ、ありつたけの智慧を絞つて、惡者と一騎討の勝負をして居る時だよ」
「へエ――、一體その惡者は何んな野郎なんで?」
「大層感心するぢやないか、あんまり眞に受けられると引つ込みが付かなくなるが、なアに、そんなたいした相手ぢやない。お前も知つての通り、深川島田町の佐原さはら屋の支配人殺しの一件だが、下つ引任せでまだ下手人が擧らねえから、いよ/\俺も御輿を上げなきやなるまいと思つて居るところよ」
「實はその事なんですがね、親分」
「何んだ、いきなり膝なんか乘り出して」
「その佐原屋の騷動とは、一萬兩とかの金の行方がからんでゐるさうぢやありませんか」
 八五郎の眼の色は少し變つてをります。
「それがどうしたといふのだ」
あつしは古いことはよく知りませんが、何んでも五年前に死んだ佐原屋の主人甚五兵衞が隱して置いた、一萬兩といふ大金の在所ありかを嗅ぎ出したので、支配人の專三郎が殺されたに違ひない、――首尾よく下手人を捉まへて、一萬兩の金を搜し出せば、千兩の褒美を出す――つて、あの店の采配を振つてゐる、主人の弟の小豆澤あづきざは小六郎といふ浪人者が言つたさうぢやありませんか」
「フーム」
「先刻お神樂の清吉の野郎が眼の色を變へて飛んで行きましたよ。『千兩の褒美はこの清吉がきつと取つて見せる、濟まねえが八兄哥あにい後で文句は言はないでくれ』つて、しやくな言ひ草ぢやありませんか。だからあつしは、親分が暇で仕樣がないなら、一番乘り出してその千兩の褒美をせしめ――」
「馬鹿野郎」
「へエー」
 いきなり馬鹿野郎を浴びせられて、八五郎は首を縮めました。この時平次は三十を越したばかり、子分と言つても八五郎は二つか三つ歳下といふだけのことですが、智慧も貫祿くわんろくも男前も、違ひ過きる[#「過きる」はママ]ほど違つて居るのでした。
「金を目當の仕事なんぞ、眞つ平御免蒙るよ。お上の御用は勤めてゐるが、褒美の金なんかに釣られてウロウロするやうなそんな野郎は大嫌ひだ。さつさと歸つてくれ、歸らなきや野郎ゴミと一緒にき出して鹽をブツかけるから」
 平次は以ての外の機嫌でした。尤もこんなことをポンポン言ふ癖に、寛々と胡坐あぐらなんかかいて、ニヤリニヤリと笑つてゐるのです。この秘藏の子分のガラツ八が、腹の底から金が欲しくてウロウロしてゐるのでないことはよくわかつてゐるのでした。
「驚いたなア、あつしは褒美の金が欲しくて言つたわけぢやありませんよ。眼の色を變へて飛んで行く、お神樂かぐらの清吉の野郎が癪にさはつたんで。――それに千兩ありや、親分に何時まで貧乏させることはないし」
「それが餘計だよ。馬鹿だなア、俺は醉狂で貧乏して居るんだ。お前なんかに不憫ふびんを掛けて貰ひたくねえ」
「それからもう一つ。佐原屋の後見で、先代の義理の弟小豆澤小六郎といふ浪人者は、あつしとは懇意なんで」
「浪人者とお前がかい」
「浪人者といつても、すつかり町人になり濟まして居ますよ。二三年前から品川の沖釣おきづりで心安くなつて、竿さを先三尺の附合ひで」
「竿先三尺の附合ひといふ奴があるかい」
「へツ、つか先三寸の洒落しやれで」
「馬鹿だなア」
「これは二た月も前のことなんですが――小豆澤小六郎といふ浪人者が言ふんですよ。先代の主人が隱した一萬兩といふ金が出て來ないうちは、佐原屋に騷動が絶えない、金のたゝりといふのだらう。錢形の平次親分のやうな智慧のたくましい人間に來てもらつて、なんとかしてこの金を探し出したい――と、さう言つて居ましたよ」
「フーム」
「その金が祟つて、又支配人の專三郎が殺されるやうなことになつたぢやありませんか」
「――」
「だから親分、ちよいと出かけて行つて――」
「まア止さう。一萬兩なんて金は、天井裏や床下に隱し了はせる代物ぢやねえ。いづれ時節が來れば出るだらう。――が支配人殺しは俺も考へて居るんだ。あんまり手際がよくて、下つ引を二三人やつたくらゐぢや下手人の見當も付かないが、これは放つて置くわけに行かない」
「だから親分」
「斯うしようぢやないか、今まで俺が聞き出した事は皆んなお前に話してやつた上、何も彼もお前に任せて俺は手を引く。その上下手人を縛らうと、千兩の褒美を取らうと、お前の腕次第といふことにしてはどうだ」
「本當ですか、親分」
「誰が嘘を言ふものか、褒美が附いて居なきや、俺がやらうと思つて、隨分念入りに調べさせてあるよ。これだけのことをしてやつて、それでもお神樂の清吉に負けたら、坊主にでもなるが宜い」
「勝つたら、親分」
「千兩の褒美で長屋でも建てるんだね、岡つ引よりは家主やぬしの方が柄に合ひさうだぜ。嫁は俺が世話してやらア」
「誰です、親分。良い心あたりがありますか」
煮賣にうり屋のお勘子よ――あの娘は何か藝當があるんだつてね。寢小便と癲癇てんかん
「止して下さいよ、親分」
 二人はそんな冗談を言ひながらも、仕事の打合せは進行させました。


 深川島田町への道すがら、錢形平次は八五郎のために、事件の經緯いきさつを五年前主人佐原屋甚五兵衞が殺された時にさかのぼつて話しました。
「佐原屋といふのは、深川の材木問屋でも一二と言はれた家柄で、店の株、諸國の山元への貸金、材木置場に積んである材木などの外に小判で一萬兩以上も持つて居るといふ評判だつたが、今から五年前、主人の甚五兵衞は何を考へたか、その現金を一人でコソコソと隱し始めた。多分六十を越しても子供のない甚五兵衞は、自分の命や金を誰かに狙はれて居ることに氣が付いたのだらう」
「金持も樂ぢやありませんね」
 八五郎は無駄を言ひました。
「默つて聽け、お蔭樣でこちとらは十兩とまと[#「纏」の「广」に代えて「厂」、277-4]まつた金を持つたこともないから、懷ろ手をして江戸の町が歩けるんだ」
「違げえねえ」
 さう言ふ江戸の町はもう秋でした。赤とんぼのスイスイと飛ぶ河岸縁かしつぷちを、襁褓おしめ臭い裏通りを、足早に深川へと廻りながら、平次の話は續くのです。
「その佐原屋甚五兵衞は、五年前の秋――丁度今頃だ、永代の下から、水死人になつて引揚げられたんだ。肋骨あばらぼねが折れて、水を呑んで居なかつたので、人に殺されてから水へ投り込まれたと解り、いろ/\調べると、甚五兵衞の用箪笥だんす抽斗ひきだしから、書置きが出て來た。それを見ると、『私が若し人にあやめられて死ぬやうな事があつたら、二人のをひを調べて貰ひ度い、近いうちに私を殺す者があるに違ひないと思ふが、下手人はおひの專三郎でなければ彦太郎だ。佐原屋の跡は義弟の小豆澤小六郎が女房の後見をして暫く立て、五年經つた後で二人の甥のうち、善人と見極めの付いた方に家督かとくを讓るやうに』と書いてあつた」
「念入りですね」
「佐原屋甚五兵衞は、時々曲者に附け狙はれたらしいが、それが、二人の甥の何方かに似て居たんだらう。――兎も角、甚五兵衞が死んで見ると下手人の疑ひは眞正面から專三郎と彦太郎にかゝつた。二人共その頃三十五、六で、二人共身體は達者だし、慾も相應に深さうだ。が、何が幸せになるかわからないもので、その晩專三郎の方は風邪を引いて早寢をして、自分の部屋から一歩も外へ出ないと解つたのに、彦太郎の方は町風呂へ行つて碁會所へ顏を出して、八幡前の矢場を覗いて歩いたのを多勢の人が見て居る。伯父の甚五兵衞が八丁堀へ行つた歸り提灯ちやうちんをつけて永代橋へ差しかゝつたところを、いきなり飛び出してなぐり殺し、死骸を大川へ投り込んだと見られてあかしが立たない」
「へエ――」
しかしどんな調べにも、彦太郎は知らぬ存ぜぬの一點張りで、伯父殺しを白状しなかつたのと、一萬兩の行方も知つてゐなかつたので、罪の疑はしきはばつせずとやらで、三宅島へ遠島になつた」
「變なおさばきですね」
「お上のお情けだよ。遠島にして置けば、萬一眞當ほんとうの下手人が擧つたとき島から呼び戻せる」
「成程ね」
「ところが、その船が三宅島へ着いて間もなく、彦太郎は死んだといふ通知しらせが島役人から屆いてゐる」
 平次の話が次第に佳境に入る頃、二人は丁度永代橋を渡つてをりました。ガラツ八はこと/″\く感に堪へて、
「それから何うしました」
 昔話を聞く子供のやうに續きをせがみます。
「それつきりさ。それから何しろ五年も年月が經つて居るが一萬兩の金は相變らず出て來ない。――其の邊のことは小豆澤とか言ふ浪人者からお前も聽いた通りだ」
くすぐつたいやうな話ですね」
「五年經てば罪のなかつたもう一人の甥の專三郎が、佐原屋の跡取りになるわけだが、いよ/\先代の命日が明後日といふ日、あの騷ぎが始まつた」
因縁いんねんですね」
「それを話す前に、先代の主人甚五兵衞が死んだ後の佐原屋のことを少し話して置かなきやなるまい。先づ島流しになつた甥の彦太郎には十二になる娘が一人あつた。親は親でも、小さい者まで憎しみを掛けては非道だといふ小豆澤小六郎の計らひで、親類の反對を押しきつて佐原屋に引取つて育ててゐる。さすがにもとは武士だけのことはあるよ。その娘はもう十六くらゐだらう、お筆とか言つて飛んだ綺麗なださうだ」
「綺麗でさへあれば島流しの娘だつて獄門の娘だつて宜いぢやありませんか」
「お前はさうだらうが、世間がさうは行かないよ。それは兎も角、佐原屋は後家のお由――これはもう五十七八だが、それが女主人で後見は義弟の小豆澤小六郎、をひの專三郎が支配人で昔の通り繁昌してゐる」
「へエ――」
「ところが近頃支配人の專三郎が急にソハソハして、女房のお倉に近い内に大金が入るやうな事を言つて居たさうだ――多分一萬兩の隱し場所を嗅ぎ付けたんだらう。それを取出すのに手間取つて居るうち、――一昨日の晩、忍び込んだ曲者にされて死んだ。それはお前も知つての通りさ。尤も二三日前、專三郎の味噌汁みそしるの椀の中に、石見銀山の鼠捕りが入つてゐたさうだが、味が變だからと一と口で氣が付いて、この時は危ない命を助かつたさうだ」
「下手人は、親分?」
「まるつきり見當もつかないよ。兎も角行つて見るが宜い」
 そんな事を言つてゐるうちに、二人は島田町の佐原屋の大きな構への前に立つてをりました。


「八、家中の者に一と通り逢つて見るが宜い。俺は此處からすぐ歸るから」
「そんな事を言はずに、親分」
 八五郎は少し心細くなつた樣子ですが、平次は何にか口實を設けてこの日當りのよくない子分に一とかどの手柄を立てさせたかつたのです。
「千兩の褒美が怖いわけぢやあるめえ、お神樂かぐらの兄哥が見て笑つて居るぞ」
 さう言はれると、強ひて平次を引留めることも出來なくなりました。
「おや、八兄哥、錢形の親分も一緒ぢやなかつたのか」
 ヌツと店に顏を出したのは、お神樂の清吉でした。
「いや、今日は俺一人だ、――ところで何うだい下手人の當りは?」
「まア行つて見るが宜い。俺はそれより先に一萬兩の方をさがすよ。材木置場を一と通り見るだけでも、三日や四日はかゝるだらうから」
 清吉はさう言つて、草履ざうりを突つかけるのももどかしさうに、堀割をへだてた材木置場の方へ行きました。其處へガラツ八に先べんをつけられるのを恐れる樣子です。
「親分さん、御苦勞樣で御座います」
 代つて八五郎を迎へてくれたのは、老番頭の藤六といふ六十男でした。乾し固めたやうにしわが寄つて、一と握りほどの小さい老爺ですが、何んとなくきかん氣らしく、昔は隨分荒つぽい人足を叱り飛ばして、江戸で何番と言はれた材木屋の店を預かつた人間でせう。
あつしは神田の八五郎だが、飛んだことだつたね。ところで、支配人の專三郎が死ねばこの身上は誰が繼ぐことになるんだ」
「左樣でございます。いづれ御親類方の御相談の上といふことになりませうか、後見人の小豆澤あづきざは樣はもとがもとですから、町人の家を繼ぐのは嫌だとおつしやいますし、多分專三郎樣の伜の專之助樣か、それとも――」
「それとも――」
「彦太郎樣の娘のお筆さんといふことになりませう」
 島流しになつて死んだ彦太郎の娘のお筆が佐原屋の跡取りになるといふことは、八五郎には想像も出來ないことですが、老巧な番頭の藤六が斯う言ひきるのは仔細しさいのあることでせう。
「專三郎の殺された部屋といふのを見せて貰はうか」
「斯うお出で下さいまし」
 店を通つてお勝手や納戸や女中部屋を左右に見て行くと、廊下續きながら別棟べつむねに一つの建物があり、其處に後家のお由、甥の專三郎夫婦、その伜の專之助、死んだ彦太郎の娘のお筆などが住んで居るのでした。
 さすがに商賣の良材をふんだんに使つて、少し手が混み過ぎて下品ではあるが、一應も二應もつた家で、庭の掃除さうぢもよく行屆き、向うの方には銘木めいぼくたくはへて置く物置やら土藏やら、滅多に開けたことのない門などが見えてをります。
 專三郎夫婦の部屋といふのは裏の中二階になつて居て、五六段の廣い梯子段を踏まなければ入れず、その梯子段の下には、伜の專之助の部屋や、後家のお由の部屋があり、母家から廊下傳ひに來たにしても、誰にも氣が付かれずに、そつと忍び込むことは容易ではありません。
「戸締りは?」
「この離屋はなれは先代の主人が念入りに繪圖を引いた建物で、戸締りは恐ろしく嚴重でございます――一昨日の朝も、戸締りには何んの變りもなく、内からよく締めてあつたさうでございます。死骸を見付けたのは、階下したに寢てゐた息子の專之助さんで、父親がいつになく遲いので、中二階を覗いて見るとあの騷ぎでございます」
 老番頭の説明を聽きながら中二階に上がると、
「これは/\」
 一番先に顏を出したのは、浪人者の小豆澤小六郎でした。その爲に武士をてたといふひどい跛者ちんばで、身體も至つて華奢きやしや、町人のやうに腰の低い、縞物などを着た、至つて碎けた人柄です。尤もかみはさすがに武家風で、一刀を提げて居るのは、たしなみを忘れないためでせうか。
「おや、小豆澤樣、飛んだところでお目にかゝります。御災難で」
 竿さを先三尺の附き合ひらしく、八五郎は愛想よく言ひました。
「全く災難だよ。だから私は前から一萬兩の金を探してくれるやうに頼んで置いた筈だが今となつては仕樣がない。――ところで錢形の親分は?」
「參りません、――風邪かぜを引きましてね」
 八五郎は淋しい作を入れました。
「いや、八五郎殿で不足を言ふわけぢやない。が、錢形の親分が一と肌脱いでくれさへすれば、五年越し探し拔いた一萬兩の金も、すぐ見付かるだらうと思ふが――」
 そんな事を言ひながら、八五郎を案内してくれました。
 專三郎の殺された部屋といふのは中二階の六疊で、その前は危ふい手摺てすりを取り付けた椽側になり、後ろの方は唐紙を開けると格子を打つた腰高窓の廊下になつて、便所に通ずる狹い梯子段に盡きて居るのでした。
「お神さんは、その晩何處に居ました」
「專三郎の女房か――、日本橋の親類へ泊りに行つたよ、――尤もよく專三郎と喧嘩はするが、亭主を殺すほどの大それた女ではない。ハツハツハツ」
 小豆澤小六郎は場所柄もわきまへず笑ひ出すのです。
「刄物は?」
「出刄庖丁さ。殺風景な代物だよ」
 二本差の小豆澤小六郎から見れば、出刄庖丁は如何にも愚劣ぐれつです。
母屋おもやのお勝手から持ち出したのですね」
「その通りだ」
「此處からは忍び込めませんか」
 八五郎は椽側から危ない手摺にもたれて下を覗きました。雨戸は名ばかりで、ろくに締りもなく、地上からの高さはほんの五六尺、踏み臺があれば身輕な者なら隨分忍び込めないこともありません。
「私もさう言つて居るよ――清吉とかいふ男は手摺がくさつて居るから、危なくて飛び込めまいと言ふが、あの通り下の土には、箱か何にかを置いた跡があるだらう。出刄庖丁をお勝手から持ち出して、庭傳ひに別棟べつむねになつて居る此處へ來たとしたら、此處から忍び込む外はあるまい。物置を搜したら、踏臺にした箱くらゐは見付かるだらう。箱の上に乘つて手摺に手が掛りさへすれば、此處へ這ひ上がるのは丈夫な者なら何んでもないことだらう。――これほど念入りに建てた家だが、專三郎は呑氣で此處だけは時々戸締りを忘れて寢る癖があつたらしいよ」
「――」
 小豆澤小六郎の説明は、如何にも要領の良いものでした。ガラツ八の八五郎は妙に職業的なほこりを傷つけられたやうな氣がして、默りこくつてしまつたのも無理のないことです。
「おや、又あの乞食が來て居る、――おい、誰か居ないか、おい」
 小豆澤小六郎が呼ぶと、二三人の男達が驅けて來ました。小六郎が指した木戸の外、この中二階から五間とも離れてゐない路地を、お勝手の方へ蟲のやうに這つて居るのは、見る影もないゐざりの乞食老爺で、のゝしりわめく男達の顏をうらめしさうに見上げながら、
「殘り物をやるから、時々晝過ぎに來いと御隱居樣が御親切に仰しやつて下さいましたよ。ハイ歸ります。打たなくたつて歸りますよ。南無、ブツブツ、ブツ」
 何やら獨り言をいひながらゐざりは裏の方へ逃げて行くのでした。片鬢かたびん火傷やけどか何んかで大禿はげになつた上、惡い病ひで鼻も頬も潰れたらしく、見る眼も氣の毒なほど痛々しい姿ですが、それでも生活力は旺盛わうせいらしく、馬の草鞋わらぢを履いた足と手で、思ひの外に早く行きます。
「あれは?」
 ガラツ八はさすがに見逃しませんでした。
「八幡樣の境内に十年も前から居る乞食だよ」
「十年も前から」
 それでは何んの意味もありません。


 裏の梯子段はしごだんを降りると便所で、その先に誰やら人影――。
「あれが專三郎の伜の專之助」
 小豆澤小六郎は苦笑ひをしてをります。八五郎にはその苦笑の意味が解り兼ねましたが、やがて眼が廊下の暗さに馴れると、その後ろに寄り添ふやうに立つて居る、若い娘の姿を見付けました。小六郎の苦笑ひの種はそれだつたのです。
「あれは?」
「お筆といふのだが、――彦太郎の娘の」
 八五郎は何も彼も一ぺんに解つたやうな氣がしました。この敵同士のやうな若い男女――從兄弟いとこ同士の伜と娘が、親が非業に死んだ三日目だといふのに、もう薄暗い廊下の隅にひたひを寄せて、何やらひそ/\と話しをして居る仲だつたのです。
「お前は專之助といふのだな」
「へえ」
 若い男は間の惡さうな顏を擧げました。少し青瓢箪あをべうたんですが、おたな者風の良い男で、精々二十歳はたち前後でせう。
「親が殺された晩は何處に居た」
「自分の部屋にをりました。――御隱居樣の隣りの部屋でございます」
「近頃父親の素振りに變つたことはなかつたのか」
「へエ――」
「お前の父親をうらんでゐる者はないか」
「一向氣が付きません」
「あの晩、何んか物音でも聽かなかつたか」
「へエ――、私の部屋の前を通れば氣が付く筈ですが――私は寢付の惡い方ですから」
 これだけ言ふのが精一杯、あとは何を訊いても一向頼りがありません。
「お前はお筆といふのだね」
「え」
 八五郎の問ひが娘の方に轉ずると、これは小氣味の良いほどハキハキしてをりました。丸ぽちやの色白で、大きい眼、ほのかなエクボ、愛くるしさが一切のものを救つて、何んとなく四方あたりを明るく幸福にせずにはおきません。
「專之助と何を話してゐた」
 八五郎はツイこんな事を訊いて見たくなりました。『この大野暮奴』自分でそんなことを自分に言ひ聞かせながら。
「何んにも話しやしません」
「その手に持つてゐるのは何んだ」
「私の部屋にあつたんです。專之助さんが捨てた方が宜いつて仰しやるけれど――」
「一寸、見せろ」
 八五郎は精一杯の威儀ゐぎを作つて、娘の手から紙包みを取上げました。無造作に疊んだのをほぐして行くと中から現はれたのは、八五郎の馴れた眼には、まぎれもない石見銀山の鼠捕りと判るではありませんか。
「これを何處から出した」
 八五郎は急にきびしくなりました。殺される三日前、專三郎が危ふく石見銀山いはみぎんざんの鼠捕りを呑まされるところであつたといふ噂を思ひ出したのです。
「私の部屋にありました」
「何時からあつたのだ」
「今朝まではなかつたんです」
「誰が持つて來た」
「解りやしません」
「これが何んだか知つて居るだらう、お前は」
「いーえ」
 お筆は大きく眼を見張つたまゝ頭を振るのです。
「お前の部屋を見せて貰ひ度い。宜いだらう」
「え」
 不承々々のおふでに案内させて、八五郎は薄暗い六疊に入つて行きました。娘らしく何んとなくなまめかしい色彩しきさいと、ほのかな匂ひはたゞよひますが、調度は至つて粗末で、押入から引出した荷物の中にも、ろくな着物がありません。世間の手前此處に置いたにしても、島流しの娘は矢張り島流しの娘らしく、あまり優待されては居なかつたのでせう。
 一と通り葛籠も行李かうりも手箱も見ましたが、何んの變つたこともなく、痛々しくも貧しげなうちにも、何んとなく可愛らしさの溢れる品々は、斯んな殺生なことをしなければならぬ八五郎をすつかり憂鬱いううつにします。
 一應押入の中を調べて八五郎は、そのまゝ唐紙を締めようとして、フト氣が付きました。押入の天井の隅の板が一枚づれてその間に何やらはさまつて居るものが見えるのです。
 提灯ちやうちんを取寄せてなほも念入りに調べると、それは女物のあはせらしく、裾がほんの二寸ばかり、天井板に噛まれて三角に現はれてゐるではありませんか。
 裏板をハネ上げて、それを引下ろすと、手に從つて猛烈なほこりと一緒にズルズルと落ちて來たのは、まさに紫矢絣むらさきやがすりあはせが一枚、見ると胸から袖へ、裾へかけて、斑々はん/\と黒ずんだ血潮が附いて居るのです。
「あ、斯んなところに」
 一番先に口を利いたのはお筆でした。
「この袷はお前のものか」
 八五郎はきつとなりました。
「えゝどうして斯んなところにあつたんでせう。――まア、氣味が惡い」
 血の色を見ると、お筆の顏色はサツと變ります。
「來い、お前にはいろ/\聞きたいことがある」
 八五郎の手は、お筆の肩にピタリと掛つてをりました。温かいふくよかな肉が波打つやうにふるへて居ります。
「八五郎殿――それは少し殺生だ。お筆はその通り顫へてゐるではないか」
 取りなしたのは小豆澤小六郎です。
「いや、これだけ證據が揃つちや」
 繩を打たないのが、まだしもこの八五郎の情けだつたのです。
「だが、曲者は外から手摺てすりを越して中二階へ入つて居るのではないかな」
 小豆澤小六郎は手摺ばかり氣にして居ります。が、八五郎はもうあの腐つた手摺などを問題にしては居ません。
 その時驅け付けて來た下つ引の市助といふ男に、お筆の見張りを頼んで、八五郎はなほもこの調べを續けました。
 專三郎の女房――專之助の母親のお倉といふのは、三十七八の身分柄としては少し取濟した口やかましさうな女で、
「あの娘は、父親の彦太郎を島流しにしましたのは、私の配偶つれあひの專三郎の告白のせゐだと思ひ込んでゐる樣子ですよ。同じ屋根の下に住んでゐても、私なんかには滅多めつたに口も利きはしません。――伜の專之助ならねんごろにして居るぢやないかつて、――飛んでもない、そんな事があるものですか。伜はあんなに見えても大の孝行者ですもの――」
 立てつ續けに喋舌しやべり捲くるので、訊く方では掛引も技巧も要りませんが、その代り恐ろしい出鱈目でたらめで、父親が死んで三日經たないうちに、お筆の後を追ひ廻して居る伜を、大の孝行者と信じきつて居るといふ大甘さです。
 先代の配偶つれあひ、後家のお由といふのは、五十八といふにしては恐ろしくけた女で、何を訊いてもハキハキした返事も出來ず、亡夫甚五兵衞の死後は、義弟の小豆澤小六郎や、番頭の藤六に任せきつて、何の疑ひもなく阿彌陀あみだ樣と首つ引でその日/\を送つて居ると言つた人柄でした。從つて一萬兩の隱し場所も知らず、佐原屋の財政状態にさへも、何んの關心も持つては居なかつたのです。
「あの晩、何んか物音を聽きませんか」
「何んにも聞きませんよ。私はこの通り少し耳が遠いので――」
 これでは八五郎といへども手の付けやうがありません。
 窓から外を見ると、ツイ鼻の先の材木置場で、四五人の人足を指圖して居たお神樂の清吉は、材木の山の側にある、古井戸の蓋を取つて一生懸命覗いてをります。
「あの材木置場も念入りに搜したが、ことに古井戸は今年になつてからでも二度も井戸替へをして居る、あの中には小判どころか古釘もありはしない」
 小豆澤小六郎はさう言つて苦笑ひをして居るのでした。


「これだけ證據が揃つても、可哀想であのには繩は打てません。さうかと言つて棄てても置けないから、兎も角親分に相談してからと思つて、町役人に身柄を預けて來ましたよ。どうしたものでせう、親分」
 ガラツ八の八五郎は、その晩取敢とりあへず親分の錢形平次のところへ行つて、その日の報告を濟ませた上、斯う相談を持ちかけるのでした。
「俺にも解らないよ。だが、石見銀山いはみぎんざんを手に持つて居たのは可怪しいな」
「さうでせうか」
「それから、袷の血はどんな具合だつた」
「どんな具合と言つても――斯うベタベタとあちこちに附いて居ましたよ」
「フーム」
 錢形平次はすつかり考へ込んで居ります。
「何處か變なところがあるでせうか」
「變なところだらけだよ――ところでその浪人者の小豆澤といふのは何處に寢て居るんだ」
「これは母屋おもやの方で、番頭、手代、下女、下男などと一緒ですが、小豆澤といふ人だけは店の二階に寢てゐますよ――たつた一人で、梯子段の下には小僧が二人、右大臣左大臣のやうに寢て居るんで、夜中にそつと外へ出ることなんか思ひも寄りません」
「番頭は」
「女中部屋の隣りで」
「小豆澤といふ浪人者は、中二階の手摺てすりが怪しいといふのだな」
「腐つて居ますよ、あの手摺は――北向きですから」
「でも丁度土の上の跡に合ふ踏臺はあるだらう、物置かなんかに」
「そんな物はありやしません。一應は搜して見ましたが」
「少し心細いな」
「踏臺くらゐあつても、あの手摺へ這ひ上がるのは、猫でなきや子供ですよ。大の男の出來る藝ぢやありません」
「フーム、まあ宜い、暫くお前に任せて置くとしよう。ところでお靜――酒はあるだらうな、千兩の褒美の前祝ひに一本つけないか」
「ハイ」
 若い女房のお靜は次の間から立上がつて、お勝手に行つた樣子でしたが、何んに驚いたか、
「あれ――ツ」
 恐ろしい悲鳴を擧げて、二人の居る部屋に轉げ込んで來ました。
「何をしたんだ、騷々しい。素人衆しろうとしうの娘つ子ぢやあるめえし」
「でも――水を汲むつもりでお勝手口を開けると、闇の中からこはい顏が――」
 お靜は餘つ程驚いたらしく、まだ動悸どうきの鎭まらぬ胸を押へて顫へて居ります。
「怖い顏――冗談ぢやないぜ、暮の家主の顏より外に、俺は怖い顏なんぞ見たこともない」
 平次は口小言をいひながら、お勝手へ行つて見ました。
「お前さん、氣をつけて下さいよ」
「何をつまらねえ、何處かの野良犬かなんかを見たんだらう――おや變なものがあるぜ」
「何んです、親分」
「手紙らしいよ、敷居しきゐの上に置いてあつたが――」
 平次は何か白いもの持つて來て、灯りの下にべました。
「達者な字ですね、――こちとらには讀めさうもない」
「――何、――何」
 平次は讀み下して眼を見張りました。手紙といふのは、半紙一枚に達者な細字さいじで書いたもので、その文句は、
 そなたの子分八五郎殿は、佐原屋の甥專三郎殺しの下手人として、娘筆を擧げたが、それは飛んだ間違ひであるぞよ。娘筆は潔白けつぱくで何んにも知る筈はない。證據となつた石見銀山も身に覺えがないからこそ手に持つて居たのだ。血染の袷も天井に隱してわざとらしく端だけ出して置いたのは不思議ではないか。眞の下手人ならあんなことはせずに、何處かへ取捨てる暇もあつた筈だ。血潮も飛沫しぶいた血ではなく、染付けた血だ。娘筆が眞の下手人でない證據はまだ/\あるが、このくらゐにして置いても、明智の錢形親分ならわかるだらう。すぐ娘筆を許して、惡人の策略さくりやくの裏を掻くが宜い。夢々私の言葉を疑ふまいぞ。
お筆の父  彦太郎の幽靈
 斯う書いてあるのです。ひどく人をめた調子ですが、眞實性が紙面にあふれて、八五郎の言葉を聽いて浮んだ平次の疑問を一つ/\恐ろしい的確さで言ひ當てたやうでもあります。
「親分何んでせう、これは?」
「三宅島で死んだ彦太郎の幽靈が、江戸へフラフラ來るわけはない。いづれは足のある幽靈の仕業だらうが、それにしちや恐ろしく眼が屆くね」
「でも親分」
「今から飛んで行きたいが、それ程のこともあるまい。明日は暗いうちから飛び起きて行くとしようよ」
 併し、さすがの平次も、この時ばかりは恐ろしい縮尻しくじりをやりました。翌る朝早々と深川の島田町へ行くと、町内は唯ならぬ物のけはひ。
「親分方」
 平次とガラツ八の顏を見たのか早速飛んで來ました。
「何うした、何にか變つたことが――」
「あの娘が見えなくなりましたよ」
「えツ」
「お預けのお筆が、夜中に煙のやうに消えてしまひました。八方へ手を廻して見ましたが、何處へ行つたか見當もつきません」


「親分、娘を隱したのは、父親の幽靈ぢやありませんか」
 八五郎は其處までは氣が付きました。佐原屋の内外を、一と通り搜し拔いた上、平次と二人、椽側に腰をおろして顏を見合せたのです。
「さうかも知れないが、さうでないと困つたことになる」
「?」
「娘の命が危ないのだ」
「へエ――」
 八五郎には何が何やら少しも解りません。
「ところであの手紙は――番頭に見せたのか」
「見せましたよ。島流しになつて死んだ彦太郎の筆跡ひつせきによく似てゐるさうですよ」
「そつくりだとは言はなかつたか」
「少し違つて居るやうでもあるといふことで――帳面馴れた字は誰のもよく似て居ますからね」
「フ――ム」
 二人は又顏を見合せました。
「錢形の親分さん」
 庭先へチヨコチヨコと入つて來たのは、十三四のかしさうな[#「かしさうな」はママ]小僧です。
「何んだ」
「この手紙を置いて行つた者がありますよ」
「お前は何んだ」
留吉とめきちと申します。この家の奉公人で」
 平次は忙しく手紙を開きました。昨夜のと同じ半紙が一枚、矢立の墨らしいにごつた墨色すみいろで、
 娘筆は惡者にそゝのかされて姿を隱したぞ。これはあらぬ疑ひをかけて、娘の心をかき亂した八五郎親分の罪だ。幸ひまだ永代橋を渡つた樣子はないから、遠くへは行かない筈だ。一刻も早く搜し出せ、手遲れになると娘の命が危ないぞ。早く、早く。
筆の父  彦太郎の幽靈
 斯う讀めるのです。今度は文字も亂れ、口調も荒々しく、少なからずあせつて居る樣子で、早く、早くと重ねたあたり全く居ても起つてゐられない焦躁せうさうに驅られて居る樣子です。
「八、お前がひどくうらまれてゐるぞ」
「へツ、幽靈に怨まれるのは始めてで」
 八五郎はかめの子のやうに頭を引つ込めました。
「女の子に怨まれるのと違つて、こいつは怖いよ」
おどかしつこなしに願ひませう」
「だが、これでお筆を隱したのは幽靈でないと解つた。が、さうなると一刻も放つては置けない」
「何うしたものでせう」
「あせつても駄目だよ。斯んな時は精一杯落着くことだ。お前は深川中の下つ引を集めて、これだけの事を調べてくれ」
「へエー」
 平次の聲は次第に小さくなりました。
「佐原屋の身上しんしやうがどうなつて居るか、現金かね融通ゆうづう、材木、山元との取引など、仲間にいたら判るだらう。出來るだけくはしく調べてくれ。ことにこの五年の間に何う變つたか、先代の主人の生きてゐる頃と今とどう違つて居るか、それが知りたいのだ」
「へエー」
「それから店中の者の身持、貸借の樣子、わけても番頭の藤六と、死んだ專三郎と、後見人の小豆澤あづきざはの懷ろ具合が大事だ」
「親分は?」
「俺は今晩此處へ泊るかも知れない――店に小僧達と一緒に寢かして貰ふよ。――お筆の行先が判らないうちは、一刻も此處を離れるわけに行かない」
あつしは?」
「俺が頼んだことを手配すれば、歸つても構はないよ。――あ、待つてくれ。永代橋まで一緒に行かう」
 平次はガラツ八と肩を並べて、永代橋の方へ注意深く歩き出しました。色の淺黒い顏がすつかり緊張して、少しくちびるを噛んだやうな表情は、見馴れたガラツ八にも、平次が容易ならぬことを考へて居るのがよく解ります。
「あれは何んだ」
ゐざりの乞食ですよ」
 平次が指さしたのは、昨日佐原屋の裏へ來てゐた、醜怪しうくわいな躄の乞食老爺でした。
「何處に住んでゐるんだ」
「八幡樣の裏に小さい小屋をこしらへて住んでゐるんですつて」
「何時も此處に居るのか、橋番に訊いて來てくれ」
「へエー」
 ガラツ八が飛んで行くと、平次はゐざりの乞食の横に立つて、熱心にその樣子を觀察し始めました。
「親分」
 間もなく戻つて來た八五郎は、平次を片隅に呼んで聲をひそめます。
「解つたか」
「晝のうちは大抵此處に居るやうです。橋番とすつかり心安くなつて、昨夜遲く若い娘が通らなかつたか、そればかり氣にして居たさうで――」
「あのゐざりの小屋へ行つて見よう」
 平次は引返しました。八幡樣の裏と言つても少し遠く木立の中に、さゝやかな掘立小屋が建つて居ります。
「家搜しするんですか、親分」
「大名屋敷へ踏み込むのと違つて、氣だけでも樂ぢやないか。入つて見るが宜い」
「此處からでも一と眼に見えますよ」
「そのむしろを捲いて見な、――襤褸ぼろたばの下には何があるんだ」
 平次は容赦しませんでした。莚の下も、襤褸ぼろの中も、小屋の隅々の土まで掘つて見ましたが、乞食一と通りの物以外何んにもありません。
「此處でお家の家寳でも見付かると面白いんだが――」
 と八五郎。
「馬鹿ツ、無駄を言ふな。相手は手剛いぞ」
 平次は以ての外の機嫌です。
 念のため、橋のたもとの家や、八幡樣裏の人達に訊くと、ゐざりの乞食は名前も何んにも判りませんが、顏かたちの醜怪なのに似ず、至つて無害な老爺で、皆んなにも可愛がられ、從つて貰ひも多いせゐか、金廻りもなか/\良く、もう七八年も此處に住んで、深川中を貰ひ歩いて居るといふのです。
「あの乞食が此處へ來てから本當に何年くらゐになるのかなア」
 平次は幾人かに同じことを訊きましたが、その答へは區々まち/\で、或人は十年と言ひ、或人は七、八年と言ひ、中には十二、三年といふのさへあつて、少なくとも六、七年よりは少なくない樣子です。


 その晩平次は佐原屋の店の次の間に泊りました。奉公人達と一緒ではといふので、離屋はなれに泊るやうに勸められましたが、
「いや此處の方が氣樂で宜いから」
 と、小僧や手代達と一緒に面白さうに話し更けて、梯子段はしごだんの下に寢てしまひました。
 翌る日一日、何事もなく過ぎました。夕方近く飛んで來た八五郎は、
「いろ/\の事が判りましたよ」
「どんな事だ」
「先づ、この五年の間に佐原屋がすつかりいけなくなつたといふ噂は嘘ですよ。佐原屋の商賣は主人が死んでいけなくなつたが、身上しんしやうはそんなに痛んぢや居ません。尤も番頭の藤六の臍繰へそくりは溜つてをりますがね」
「殺された專三郎は?」
「少しは拵へたでせうが、たいしたことはありません。思ひの外正直者ですね」
「ゆく/\佐原屋の身上は自分の物になると思つて取込まなかつたんだ」
「成程ね」
「小豆澤さんは?」
「あれは恐ろしい堅人かたじんで、自分のものは鐚一文持つちや居ません。――尤も身持は見掛け程ではないやうで、隣り町に良い年増を圍つて居ますがね。その仕送りだつてたいしたことぢやないやうです」
「フーム」
 平次は考へ込みました。が暫くすると、
「もう一度八幡樣の裏へ行つて見よう。あの小屋に見落したところがある」
「へエー、又御大名屋敷へ行くんで」
「無駄を言ふな」
 街はもう薄暗くなつてをりました。八幡樣裏の小屋にゐざりはまだ歸らず、四方あたりに人影もないのを見定めると、平次はいきなり小屋の後ろに廻つて、念入りに掛けた風除けのむしろを捲くり上げました。その上にもう一枚の茣蓙ござがあつて、茣蓙の中に手を入れると、
「フーム、こんな事だらうと思つたよ」
 中に隱してあつたのは、持ち重りのする財布さいふが一つ、口を開けると中からゾロゾロと小判小粒取交ぜて十七八兩の金が出て來たのです。その外茣蓙の中には、新しい手拭が二三本、眞鍮しんちゆうの矢立が一梃、それにいろ/\の小道具にまじつて女の兒のかんざしらしい古いまみ細工ざいくやら、汚れた赤い巾着やら、憐れ深い品々が交つてゐるではありませんか。
「何んでせう、それは」
「段々判つて來るよ、默つて居るが宜い。それから今度は佐原屋だ」
 平次は茣蓙や莚をもとの通りにすると、八五郎をうながして佐原屋に引返しました。
 その晩平次は、後見人の小豆澤小六郎だけを呼び出して、八五郎と三人膝を交へて話し込みました。番頭も女主人も遠ざけたことは言ふ迄もありません。
「小豆澤樣、一つ考へて見て下さい。あつしの智慧ぢや及びませんが――」
「何を考へるんだ。錢形の平次に判らないことが、この俺に判るわけはないと思ふが」
 小豆澤小六郎は柔和な微笑を浮べて二人の御用聞を見比べます。
「一萬兩の隱し場所でございますよ。五年の間天井裏から床下まで――いや材木置場から堀割ほりわりの中まで調べてないとすると、あと搜し殘したのは何處でせう」
「さア?」
「私の考へぢや、先代の主人――六十を越した人が、一人でそつと持ち出して隱せる場所で、雨風にさらされたり、人の目につき易いところでなく、必ず屋根のやうな氣がしますが」
「?」
 小豆澤小六郎はゴクリと固唾かたづを呑みました。
「さう考へると私は、一生材木をあつかつた人だけに、材木の中へ隱したんぢやあるまいかと思ひますが、どうでせう。例へば材木の空洞くうどうに入れるとか――一萬兩といふ重さは四十貫目もありますが、千兩箱十の中味ですから、たいした量ぢやありません」
「フーム」
「例へば裏の物置の一番奧に立てかけてある二三十本の大きな材木、あれは床柱などに使ふ結構な銘木で、滅多めつたに賣れる品ぢやございません。あの中の二三本が空洞になつて居るとしたら、どんなものでせう。尤も穴は上の方でうまくふさいであるでせうから、素人が一寸見たんでは解らないでせうが――」
 平次の言葉は奇想天外でしたが、それはしかしあるべきことです。さすがの小豆澤小六郎も、それを聽いては暫くうなるばかりです。
「では、すぐ行つて見るとしようか」
「いえ、夜はいけません。灯りをつけては人の目に立ち過ぎます。この儘そつとして置いて、明日の朝番頭や家中の者立ち會ひの上で調べるとしませう」
 平次ははやる小豆澤小六郎を押し留めて、兎も角その晩はきり上げました。
 が、事件は翌る日の朝を待ちませんでした。
「親分」
「シツ」
 互ひに警しめ合つた平次と八五郎は、その晩もう二た刻も佐原屋の物置の隅に隱れて居たのです。中は塗りつぶしたやうに眞つ暗な上、ほこりだらけで蜘蛛くもの巣だらけで、つとして居るのは樂な仕事ではありません。
 やがてもう丑刻やつ(二時)も近いでせう。
「誰も來やしませんね」
「――」
 宜い加減しびれをきらした八五郎の腕を掴んで平次は注意しました。その時丁度物置の戸が開いて、月の光と共に、一人の怪しい者が滑り込んで來たのです。
 曲者は月の明りに透して中へ入ると、いきなり材木の山を渡つて、一番奧にある巨大な銘木の上にぢ登り、片手を使つて小さい窓を開けました。
 サーツと水の如く流れ込む月光、その光の中に曲者は、三間あまりの高さにある唐木からきの上に這ひ上がつて、一本々々切口のあたりを覗いてをります。恐ろしい身輕さです。
「曲者ツ」
 平次は叱咤しつたしました。
「御用だツ」
 續いて八五郎、二人は暗がりから飛び出すと、左右に別れて曲者くせものの退路を絶ち、
「神妙にせいツ」
 サツと飛び付いたのです。
「何をツ」
 曲者は併し輕捷けいせふで恐ろしい體力の持主でした。平次が得意の投錢でも飛ばさなかつたら、この爭ひはどうなつたかわかりません。
 辛くも八五郎の馬鹿力で取つて押へ、月の明りの中に引出すと、
「あつ、小豆澤――」
 八五郎がきもを潰したのも無理はありません。それは佐原屋の後見人――實體で正直で、この上もなく頼母たのもしがられてゐた、浪人小豆澤小六郎の忿怒にゆがむ顏だつたのです。
「平次、無禮だらう。浪人しても武士の端くれだ、その拙者を手籠てごめにするとは何事だ」
「へエ、これは/\小豆澤樣で、御勘辨を願ひます。私と八五郎は、宵に申し上げた一萬兩の金を守護して居ただけのことで惡氣があつてやつたわけぢやございません」
 平次は平謝ひらあやまりに謝つてをります。
「佐原屋の後見人の拙者が、その一萬兩の隱し場所を覗いては惡いといふのか」
「飛んでもない、――毛頭そんなつもりぢやございません。唯私はあの三間もある高いところへ這ひ上がつて、唐木からきの小口を見るやうな身輕な人間は誰だか知りたかつたんで。へエ、それくらゐの輕業が出來る奴なら、離屋はなれの中二階のくさりかけた手摺に飛び付いて、樂に忍び込めるわけで――」
「默れ/\、言はして置けば放圖もない奴だ。それでは拙者が專三郎を殺したと言はぬばかりではないか。無禮な奴ツ、岡つ引でも目明しでも、無法な言ひがゝりは許さんぞ。證據があるなら言へツ」
「――」
「言はなきやおのれツ、手は見せぬぞ」
 柔和さうに見えた小六郎が、打つて變つた激怒げきどに身を顫はせて、一刀の鯉口こひぐちをきつて詰め寄るのでした。
「飛んでもない。證據などと、――尤も、お筆が生きてゐさへすれば、何も彼も一ぺんに判つてしまひますが」
「そのお筆は何處へ行つた、此處へ伴れて來い。一時のがれの言ひ譯は許さんぞ。さア、お筆を出せ、それともこの小豆澤小六郎の成敗を受けるか」
 斯うなると小豆澤小六郎は、執拗しつあうで頑固でした。
「親分、お筆さへ居れば、白い黒いが判るなら、そのお筆を搜し出さうぢやありませんか」
 親分平次の智慧にゆだねきつた八五郎は、たまり兼ねて口を出します。
「待つてくれ、八。俺は昨日からそればかり考へて居るんだ。――あの手紙に、永代橋を渡らない――とあつたらう。身を隱したにしてもこの近所では、あの掛引も細工もない娘が自分で進んで逃げ隱れする筈はない。――あの娘をおどかすか、だますか、兎も角あの娘が居ちや不都合なことのある人間が、そつと隱したに違ひない――遠くへ伴れて行くひまはなかつた筈だ。外は下つ引が鵜の眼鷹の眼で見張つて居る、さうかと言つてお筆を殺しちや後がうるさい、――お爲ごかしを言つて逃がしたか、脅かして隱したか」
 平次は獨り言を言ひながら、物置の前をフラフラと歩き始めました。あかつき近い月は冴えて、この緊張しきつた情景を冷たく照し出して居ります。
「親分」
 その後ろから間の惡さうに跟いて來るガラツ八、家中の者はこの騷ぎに驚いて飛び起きたか、とり/″\の變梃へんてこな樣子で、三人を遠卷にして固唾かたづを呑みました。
「――判つた八、今まで搜し拔いた場所だ。一萬兩の金を搜して散々掻き廻した場所に娘を隱したのだ。――小豆澤樣、暫く立ち會つて下さい。八、お前も來い」
「おウ、何處までも行くぞ、逃げも隱れもする拙者ではない」
 小豆澤小六郎は八五郎に見護られながら、それでも肩をそびやかして、傲然がうぜんと平次に從ひます。
提灯ちやうちんを二つ三つ、――それから土藏の鍵を頼みます」
 錢形平次は提灯と鍵を受取ると、土藏の戸前を開けて入つて行ました。
「親分、あつしは入口に張番して居ますよ。逃げ出す奴があつたら、畜生ツ只では置かないから」
 八五郎は有合せの天秤棒を毘沙門びしやもん突きに、土藏くらの戸を閉め直してその前に頑張ります。
「さア小豆澤樣」
 平次は丁寧に小豆澤小六郎を迎へて、土藏の中の唐櫃からびつをけ蒸籠せいろうなど、凡そ人間一人隱れて居さうな場所を一つ殘らず開けて見ましたが、お筆の姿はおろか、鼠一匹出て來ることではありません。
 側に立つてニヤリニヤリと笑ふ小豆澤小六郎。
「どうだ平次、お筆は消えてなくなつたか」
 冷たい言葉を平次の背に浴びせます。
 平次はそれには應へず、遠く八五郎の方に聲をかけました。
「八、材木置場の古井戸は、今年になつてから二度も井戸替へしたと言つたな」
「へエ、そのご浪人が言ひましたよ」
「それぢや其處だ。一萬兩の小判の代りに、可哀想に娘が沈められてゐるかも知れない、急げ」
「合點」
 平次を先頭に、多勢の人と提灯はドツと店の前の空地――材木置場の方に流れます。
 井戸のふたを拂つて見ると、危ない井桁ゐげたに荒繩で吊られ、水肌すれ/\にブラ下がつて居るのは、蜘蛛くもの巣にかゝつた、美しいてふのやうな娘の姿――それはまぎれもないお筆の、半死半生の姿だつたのです。
 火を起して身體を温めて、町内の本道(内科醫)を呼んで氣付け藥を呑ませると、お筆はようやく息を吹返しました。
 その時丁度八五郎は、逃げ出した小豆澤小六郎を、八幡樣の裏手で押へ、ゐざりの――いや躄でも何んでもない乞食の助力で、組んづほつれつ揉み合つて居るのでした。
        ×      ×      ×
 八五郎と一緒に小豆澤小六郎を引立てて來たゐざりの乞食は、お筆が井戸から助け出されて、危ない命を拾つたと聽くと、人々の驚くのも構はず、そのなりで家の中に飛び上がつて、お筆の枕許に驅け寄ると、その手を取つて男泣きに泣き出すのでした。
「お筆ツ、よく無事でゐてくれた、――俺だよ、お前の父さんだよ、――判らないか、この姿ぢやなア、――お筆、俺は生きてゐたんだ。五年越しゐざりの乞食になりすまして、よそながらお前の姿を見張つて居たのだ。な、お筆、お前のかんざしと巾着を身に着けて、時節の來るのを待つて居たんだ。――」
 乞食の述懷は際限もありません。言ふ迄もなくこの男はお筆の父親――三宅島で死んだと言はれた佐原屋のをひ彦太郎の變り果てた姿だつたのです。
 後で判つたことですが、五年前伯父殺しの無實の罪で、三宅島に流された彦太郎は、島に着く前の晩の大嵐で、波にさらはれて船から海に落ち、そのまゝ行方不明になつたのを、役人達はどうせ助かる見込みはないといふので、彦太郎は島に着いてから死んだといふことにして江戸の役所に屆けたのでした。自分達の手落ちになるのを恐れた、役人根性の誤魔化ごまかしだつたのです。
 ところが當の彦太郎は、岩にさいなまれて大怪我はしましたが、九死一生のところを、運よく通りかゝつた漁船に助けられ、それから半歳經つてようやく江戸に歸りました。
 しかしうつかり名乘つて出ると、島破りの罪でもう一度處刑をされるおそれがあり、今度は島流しくらゐでは濟まないと思つたので、ひどい怪我で顏容の變つたのを幸ひ、その上びんの毛を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)むしつたり、ベタベタ膏藥かうやくを貼つたり、ゐざり眞似まねまでして、佐原屋の樣子を見窮みきはめ、娘お筆の身を見守つて居たのです。
 五年の間――それは驚く可き辛抱でしたが、彦太郎は到頭それをやり遂げましたが、小豆澤小六郎が縛られ、お筆が危ふい命を助かつたと聽くと、前後の見境ひもなく、おろかな父性愛にかへつて家の中へ飛び込んだのでした。
 尤も佐原屋の内部の細々したことや、お筆の日常の樣子などは、小僧の留吉を買收して毎日のやうに聞き出し、お筆が危ないと見ると、幽靈の手紙まで飛ばして、平次を索制したことは言ふまでもありません。
 一件が落着いてから、八五郎の問ひに對して平次は斯う説明してやりました。
「小豆澤小六郎は恐ろしい奴だよ。義兄の甚五兵衞を無慘むざんに殺して、その罪を甥の彦太郎になすりつけ、今度は專三郎を殺して、お筆を罪におとさうとした。次は專之助を殺して、佐原屋の身上しんしやうをぬく/\と自分へ轉げ込む身代だと思ふから、くすねたり誤魔化したりして、人に笑はれるやうなことはしなかつたのさ」
「へエー、太てえ奴ですね」
「義兄の甚五兵衞を脅かして甥二人が怪しいと遺書を書かせたのも小六郎の細工さいくさ。――それから專三郎を殺した時、中二階の手摺てすりを越して忍び込んだ自分のやり口を、自分で大ぴらに話してゐるのは恐ろしい智慧ぢやないか。大跛者おほちんばは本當だが、身輕なことはこの上なしさ。俺はその躰術が見たいので、わざと唐木からき空洞くうどうに小判があると言ひ出したんだ――一萬兩の大金が俺の言つた通り唐木に空洞を拵へて隱してあつた事は驚いたよ。――尤も人が物を隱す場所は大方筋の決つたものだ――あの晩小豆澤小六郎が、我慢が出來なくなつて、搜しに行つて身輕なところを見せたのは運の盡きさ――五年も搜し拔いた金だから、早く見たかつたのも無理はないが」
「親分は最初から小豆澤小六郎が下手人と判つて居たんでせう」
「最初から判つたわけではないよ。尤も現場を見ると、一應離屋はなれの中に泊つた者の仕業のやうだが、耳の遠い女主人と、伜の專之助と、あの可愛らしいお筆ぢや疑ふ氣になれない。それに三日目に娘の部屋から石見いはみ銀山が出たり、血染の袷が出るのも變ぢやないか、――其處で俺は曲者は矢張り外から入つたものと見當をつけ、一と晩母屋おもやに泊つて、小僧達の樣子を見たのさ。すると案の定揃ひも揃つて死んだもののやうによく眠るから、あの樣子ぢや二階から飛び降りたつて眼を覺ます氣遣ひはないと解つた。――小豆澤小六郎は梯子の下に結構な證人を飼つて置いて悠々いう/\とどんなことでも出來るわけだよ。ところであの中二階のくさつた手摺に飛び付いて、樂々と出入りの出來るのは、猫の子か角兵衞獅子か、躰術の名人だ。大跛者おほちんばの小豆澤小六郎が、その躰術の名人だといふことを知りたいばかりに、一萬兩の隱し場所の話をして釣り出したのさ」
「成る程ね」
「もう訊くことはないのか、――何? ゐざりの乞食が五年前深川へ來たのを、土地の人が十年も前から居るやうに思つてゐるわけか、――何んでもない事さ。あんな變つた躄は誰の眼にもつく名物見たいなものだから、三年ゐても十年も居るやうに思ふよ。それが人情さ――でも、俺が付添つて名乘つて出るとお奉行樣も『無實の罪で難儀をしたさうで、氣の毒であつた』と御會釋をなすつたよ。今では誰憚たれはゞかるものもなく佐原屋の主人彦太郎だよ。――何? 一千兩の褒美はどうなるかつて、ハツハツハツ、そいつはお前が小豆澤小六郎と約束したことだ、地獄へ行つたら利息をつけて貰つたら宜からう――尤も專之助とお筆の祝言には、俺の代理で行つても構はないよ。千兩の褒美のつもりでうんと呑んで來るか」
 平次はさう言つて靜かに粉煙草のけむりを輪に吹くのでした。錢形平次も暫く閑寂を樂しむ日があつたのです。





底本:「錢形平次捕物全集第三十八卷 江戸の戀人達」同光社
   1955(昭和30)年1月5日発行
   1955(昭和30)年11月10日再版発行
初出:「月刊西日本」
   1946(昭和21)年8月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
※「筵」と「莚」の混在は、底本通りです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2017年10月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「纏」の「广」に代えて「厂」    277-4


●図書カード