銭形平次捕物控

二度死んだ男

野村胡堂





「親分、良庵りょうあんさんが来ましたぜ」
「ヘエ――、朝から変った人が来るものだね、丁寧に通すがいい」
 銭形の平次は居ずまいを直して、客を迎えました。服部はっとり良庵という町内の本道(内科医)、頭をまるめた五十年輩、黄八丈に縮緬ちりめんの羽織といった、型のごとき風体です。
「親分、早速だが、大徳屋孫右衛門だいとくやまごえもんが死んだことはお聞きだろうね」
 良庵はろくに挨拶もせずに、キナ臭そうな顔をするのでした。
「聞きましたよ。それがどうかしましたかえ?」
「どうもしないから不思議なんで」
「ヘエ――」
「大徳屋さんは丈夫な人だから、私をんで身体をせるのは、せいぜい三年に一度、五年に一度ぐらいのものだが、お酒の席や往来では、月に二三度ずつは逢っている。現に昨日きのう昌平橋しょうへいばしですれ違って、機嫌のい挨拶を聞いて別れたばかり、まさか、あれほどの元気者が、一と晩のうちに冷たくなろうとは思わなかった」
「すると?」
 平次は膝を進めました。
「早合点をしちゃいけない。ね、親分、私は今死骸を診て来たばかりなんだが、変死でないことだけは確かで」
「…………」
「殺されたわけでも、自害したわけでもなく、卒中でポックリ逝ったに違いないが、どうも、私にはに落ちないことがあるんでネ。ともかく、親分の耳に入れておけば、後で何か面白くないことが起った時、私の言ったことを思い出して下さるだろうとこう思ってな」
 服部良庵はつままれたような調子でした。が、後になって考えると、さすがに長い間の経験と、専門家らしいカンで、大事件の匂いを、この時から嗅ぎ出していたことに思い当りました。
「腑に落ちない――にもいろいろあるだろうが、一体どこがどう腑に落ちなかったんで?」
「胸をはだけて見ると、身体がびっくりするほどせていたのが第一の不思議さ」
「…………」
「それに、あんな洒落者しゃれものが、死顔を見ると不精髯ぶしょうひげだらけ、その上、白髪染が流れ落ちて、小鬢こびんが真っ白だ――四十になったばかりの孫右衛門さんに白髪があろうとは、この私でさえ気が付かなかったくらいだから、もう少し上等の白髪染を使っていそうなものだが」
「それから?」
「昨日逢った時あんなに元気だったが、死顔を見ると――もっとも死顔は相好の変るものだが、――十歳とおぐらいは老けていたよ」
 良庵の言うことは取り止めもありませんが、とにかく、大徳屋孫右衛門の死に、一抹の陰影があることは疑いもありません。これだけの報告を済ませると、良庵は、気が軽くなったように、そそくさと帰って行きました。
「八」
 その後を見送って、平次は隣の部屋に遠慮しているガラッ八の八五郎を呼びます。
「ヘエ――」
「聞いたろうな」
「障子一重だもの、耳でもふさがなきゃ聞えますよ」
 八五郎はニヤリニヤリと膝でい寄りました。
「それなら言うことはあるめえ、――気の毒だが、またとむらいへ行ってくれ」
「やけにとむれえが流行はやるんだね。行きますよ、行くには行きますが、――何を嗅ぎ出しゃいいんで?」
「良庵さんのような、物事に馴れた医者が、せっかくあんなに言ってくれるんだから、念のために皆んなの顔色でも見て来るがいい――こんな霜枯れ時には、葬い酒に酔うのも、洒落ているぜ」
「へッ」
 八五郎は平手で額を叩きながら、それでも素直に出かけて行きました。
 大徳屋孫右衛門というのは、お蔵前札差衆の一人、先代までは大町人中でも手堅い家風を褒められましたが、孫右衛門の代になると、商売よりは遊びの方が面白くなり、雑俳ざっぱい楊弓ようきゅう藤八拳とうはちけんから、お茶も香道も器用一方でかじり廻ると、とうとう底抜けの女道楽に落ち込み、札差の株を何万両かに売り払って、吉原に小判の雨を降らせるという大通だいつう気取りの狂態でした。
 お蔵前から引越した、松永町の家にだけでも、お柳、お辰、お村とめかけが三人、本妻のない気楽さと、いさめ手のない無軌道さに、天も恐れず、人にもじぬ暮しを続けていたのです。


「親分、驚いたぜ」
「どうした八、孫右衛門が化けて出たか」
「そんな洒落た話じゃねえ」
 ノソリと宵のうちに帰って来た八五郎、苦い顔をして平次の前へ、長火鉢を挟みました。
「酔った様子もねえが、――解った、お通夜に酒の出ねえのが気に入らなかったんだろう」
「それどころじゃねえ、酒は浴びるほど出たが、――あれを見せられちゃ呑む気はしねえ」
「どうしたんだ」
「まア、聞いておくんなさい、こうだ、親分」
「フーム」
 ガラッ八の話は別に変ったことではありません。しつけもたしなみもない人達の間に、何万両という大身代を遺された浅ましさを、ただまざまざと描き出しただけのこと――。
「ね親分、主人あるじが死んだというのに、涙を流しているのは、風邪を引いた猫の子一ぴきだけは驚くじゃありませんか」
「…………」
「町内の衆は二三十人来ているが、朝っから、まるでお祭騒ぎだ。酒屋から菰冠こもかぶりを取寄せて、中には歌を唄ってるのもある」
「家の者はどうしたんだ」
「それが面白いんで――おいの千代次郎と、番頭の才吉と、妾が三人、それに大徳屋へ三年前から入込んで、支配人みたいな、幇間たいこもちみたいな事をしている浪人崩れの草間六弥くさまろくや、これだけの人間がお互ににらみ合って、一文も余計なものは取込ませまいとするから、果し眼で口も利かない――そんな風だから、仏様の傍なんかへ、寄り付く者もありゃしません。浪人崩れの草間六弥だけが、時々お棺の前へ行って、線香を立てては湿っぽい顔をして来るだけ」
「…………」
「一人の身体が動くと、五六人の眼が動く。一人が立ち上がると、五六人ゾロゾロいて行く。慾と慾が、家の中へ旋風つむじを巻いているようなもので、あんないやなお通夜は見たこともありませんよ。そのくせ死んだ孫右衛門は、――俺が死んだら、困る者はうんとあるだろう。第一、五丁町は暗くなる――と言っていたんだそうで、あれを見ると、人間死んじゃつまらないと思いますよ」
 ガラッ八が、つくづくそんな事を言うのです。
「まアいいやな、どうせ金持にも大通にもなれるお互じゃねえ」
「今日ばかりは、貧乏に生れ付いて良かったと思ったぜ。アア厭だ厭だ」
「何を言やがる、しちの流れ月が来るたびに、――金持に生れりゃ良かった――って言ったじゃないか」
 平次は半分茶にしながら聞いておりました。
「あんな浅ましい図に比べりゃ、腐った袢纏はんてんの一枚や二枚流したって惜しいとは思わねえ」
「ハッハッ、大層悟りやがったな」
 二人は沁々しみじみとした心持で笑いました。が、事件はこれがほんの端緒いとぐちで、この後に続く恐ろしい発展は、全く笑いごとではなかったのです。
 その晩真夜中過ぎ――。
「親分さん、た、大変です、すぐ願います」
 息せき切って戸を叩く者があります。
「誰だい」
 うら淋しい心持で、親分の家へ泊り込んだ八五郎は、居候並みに入口の二畳に敷いた床の中から鎌首をもたげました。
「大徳屋からめえりました、大変なことが――」
「どうしたッてんだ」
 てっきり遺産争いがこうじて、妾三人がつかみ合いでも始めたのだろう――そんな図を頭の中に描きながら、ガラッ八はまだ床の中でモゾモゾしておりました。
「旦那が殺されたんです」
「何?」
匕首あいくちで突き殺されたんです」
「何だと? どこの旦那が殺されたんだ」
「大徳屋の主人孫右衛門で」
「馬鹿野郎、人の寝入端ねいりばなを起しやがって、とんでもねえ野郎だ。大徳屋の主人なら、昨夜ゆうべのうちに卒中で死んで、今晩はお通夜じゃないか。棺の中に居る仏様を、匕首で突き殺す奴があるものか」
 どこかの悪童の悪戯いたずらと合点して、ガラッ八はポンポン言いながら床の中へもぐり込みました。
「本当ですよ、親分、旦那が殺されたんですよ」
 外から叩くこぶしは少しも休みません。
手前てめえは誰だ」
 平次も奥から起きて来ました。
「大徳屋の奉公人ですよ、勘次かんじというんで」
「あの小僧さんか、――それじゃ満更まんざら嘘じゃあるめえ。八、戸を開けてやるがいい」
「ヘエ――」


 大徳屋は煮えくり返る騒ぎでした。棺の中に納められて、ろくに線香をあげる人もない心細い有様であったにしても、とにかく一度は確かに死んだはずの主人孫右衛門が、平常着ふだんぎのまま、仏間の後ろの暗い廊下で、後ろから匕首あいくちで、左貝殻骨の下を縫われ、あけに染んで死んでいたのです。
 見付けたのは小僧の勘次、十七になったばかりの生真面目さで、こればかりは酒も呑まず、遺産争いの渦巻へも入らず、うら淋しく人目を避けていると、仏間の後ろから、ただならぬ悲鳴、驚いて飛んで行った真ッ暗な廊下で、バタリと人に突当りましたが、その袖の下を掻潜かいくぐるように五六間来ると、ちょうど唐紙の隙間から漏れるあかりの中に主人の孫右衛門、血潮の中に断末魔のうごめきを続けていたのでした。
 勘次の声に、お祭騒ぎも、遺産争いも、一瞬にして吹き飛ばされました。家の中を吹きまくるのは、新しい不気味な嵐、あまりの事に、腰を抜かすもの、ふなのように口を動かすもの、一所懸命這い出そうとするもの、しばらくは無言の混乱が続くばかり、新しい死骸に近づこうとする者がないばかりでなく、棺の中に納めたはずの、主人の元の死骸を確かめようとする者もありません。
 その中から、勘次は飛出して来て、平次に救いを求めたのでした。
 平次とガラッ八が大徳屋へ行った時は、さすがに一通り騒ぎは落着いておりましたが、それでも、町内の衆は半分ほど逃げ帰り、家の者は、遺産争いとはまた別の心持で睨み合っておりました。
「あ、親分、ちょうどいいところへ」
 一番先に冷静を取戻したのは、さすがに浪人崩れの草間六弥です。
「大変な事があったんですってね、まず仏様を見せて貰いましょうか」
 眼ばかり光らせている男女を尻目に、平次とガラッ八はいきなり仏間に通りました。型のごとき逆さ屏風びょうぶ香華こうげ、それに思いの外貧弱な供物の中に、なんの異状もなく据えられた棺へ、平次の手は掛ります。
 蓋を開けると、
「あッ」
 ゾロゾロといて来た[#「踉いて来た」はママ]人達は、思わず声を立てたのも無理はありません。
 棺の中は空っぽ――と思いきや、昨夜卒中で死んだ主人の孫右衛門が、白い経帷子きょうかたびらを着たまま、入棺した時と少しの変りもなく、差し寄せた灯の中に寂然じゃくねんとして死顔を俯向うつむけているのです。
 平次はそれを確かめると、横手のふすまを開けました。
「フーム」
 そこは血の海、匕首あいくちに縫われてもう一人の孫右衛門の死骸は、手を触れる者もなく横たわっております。
 その位置と、傷口をほんの一と通り調べた平次は、元の仏間に取って返すと、不安と焦躁に、遠巻の顔を一とわたり見廻してから、
「草間さん、ちょいとお顔を」
 一番後ろの方に、落着き払って差控えた、草間六弥に声をかけた。
「私も話したいことがある、どうぞこちらへ」
 草間六弥はって奥の一と間へ導き入れます。四十五六の少しふとった男で、髪形も着物の好みも、すっかり町人風ですが、物を言わせるとまだどこかに、武士らしい角々かどかどが残っております。
 二人は行灯あんどんを挟んで、立会前の剣士と剣士のように、――でもさり気なく相対しました。
「承りましょうか、草間さん」
 平次は初太刀しょだちを入れます。
「何から話したものであろう」
「第一に、あの棺の中の仏様の素姓は?」
「土手の煮売屋の親爺おやじ、綱屋の綱七――このの主人によく似ていると言われ、平常ふだんから孫右衛門殿が贔屓ひいきにしてやっていたが」
「綱七なら五十以上のはずだが――なるほど、小鬢こびんを墨で染めたのはそれを隠すためですね」
「その通り、さすがは平次親分、目が届くね」
「褒めちゃいけません」
「でも、私が何もかも知っていると睨んだのはエライ」
「この作者は、草間さんに決っていますよ、皆んなお祭騒ぎをしたり、形見分けに睨み合っている中で、殊勝らしく湿っていたのは、お前さんばかりだったと言うじゃありませんか、――それに、棺の蓋をあけて、中の仏に変りのないのを見て、皆んな胆を冷やした中で、少しも驚いた様子のないのは、草間さんばかりだ」
「もう一人、真物ほんものの主人を殺した下手人は驚かなかったはずだが」
「いえ、そいつはわざとのけるほど吃驚びっくりしたかも知れませんよ」
「そう言ったものかも知れぬな」
 平次の打ち解けた調子に、草間六弥も何となく心持がほぐれた様子です。


昨夜ゆうべ――宵のうちのことだが、土手の綱七の死んだ話を吉原なかで聞くと、主人の孫右衛門殿は、大変なことを思い付いたのだ――」
 草間六弥は話し続けました。
 大徳屋孫右衛門は、金を湯水のごとくつかう者の慣わしで、この世の中に、自分ほど人望のある者はなく、自分ほど有益な存在はないと思い込むようになっていたのです。
 阿諛あゆ便佞べんねいと、安価な世辞に取巻かれて、それを阿諛とも便佞とも空世辞からせじとも気の付かぬ孫右衛門は、「俺が死んだら、さぞ皆んなが困るだろう」と思い込むのは当然のことでした。「五丁町は闇になるだろう」「三人の妾は身も世もあらぬおもいに歎き悲しむだろう」そして「家中の者は、追腹おいばらでも切りたい心持になるだろうし」「町内の衆は、光明をうしなったように落胆するだろう」――
 そう考えた末に、孫右衛門は、「もう一度生き返って来られるものなら、たった一日だけ死んでみたい、多勢の俺の讃美者崇拝者のうちで誰が一番俺のために泣いてくれるだろう」――そう思いもし、腹心の草間六弥に漏らしもするようになりました。
 何千両、何万両となくバラ撒いた金が、人間の真情まであがない得るものと、孫右衛門は思い込んで疑いもしなかったのです。
「綱七が死んだと聞くと、そいつが俺だったらと思ったに違いない。すぐ土手の煮売屋まで飛んで行って、投げ出した小判で三百両、綱七の棺へは石っころと古蒲団ぶとんを詰めさせ、死骸を貰って、夜中に松永町まで運んで来た。夜泣き駕籠かごが腰を抜かすほど金をやって運んだ細工だから、手数はかからないが、――こんなイヤな仕事はなかったよ、それもこれも孫右衛門殿の物好きから始まったことで、私が作者などとは、とんでもない、そればかりは、親分の前だが、鑑定めがね違いというものだ」
「それから」
 平次は静かにその先を促します。
「着物を換えたり、びんを染めたり、床の中へ入れたのは真夜中過ぎ、主人の孫右衛門殿は、納戸の後ろにある、小部屋に身を潜めて、それからまる一日様子をうかがった」
「手の混んだ事をしたものですね、――それで本当に泣いたのは何人ありました」
「たった一人さ」
「そいつは面白い、誰です」
「この私さ、――あんまり情けないからだ」
「なるほど」
 平次は笑う気にもなりません。
「町内の衆や遊び友達は、押かけて来てお祭のような騒ぎだ、吉原なかじゃあぶが一匹死んだほどにも思わないだろう」
「…………」
「それより気の毒なのは、三人の女だ、空涙そらなみだ一つこぼすどころか、横着者のお村などは、病気でブラブラしていたくせに、主人が死ぬと鼠鳴ねずみなきをして喜んでいたし、お柳ときた日には、始終ゲラゲラしていた」
「…………」
「番頭の才吉などは、朝から算盤そろばんばかり弾いて、仏様の顔も見ようとはしない。お隣の加積屋安兵衛かづみややすべえなどは、借金が棒引にでもなると思ったか、朝っから酒びたりで歌っている」
「…………」
「この様子じゃ、形見分けと身代の始末で、どんな騒ぎが始まるかも知れない。跡取りは甥の千代次郎だが、気の弱い千代次郎にどれだけの物が遺るか判ったものじゃない」
「…………」
「この様子を、納戸に隠れて見ていた主人あるじの孫右衛門、何べん飛出そうとして私が引止めたことか。どんなに口惜くやしがったか、死骸を見れば判るが、襟も袖も、滅茶滅茶に噛み破ったほどだ」
「…………」
 大方は察したことですが、それでも草間六弥の細かい説明を聞くと、平次も笑えない気持になります。
「涙を流して口惜しがる主人を押えて、ともかくも今晩だけは無事に過させようとすると、やはり気になると見えて、納戸から飛出し、仏間の裏からお通夜の様子を覗いていたのだろう、――そこを誰かが見付けて、後ろからズブリとやった。――これだけの話だ。本当に死んでしまっちゃ、孫右衛門殿も気の毒だ」
 草間六弥は何もかも言ってしまって、ホッとした様子で顔を挙げました。
「で、下手人の心当りは? 草間さん」
「それは判らない」
「それでは、主人が生きていちゃ困るのは誰で?」
「皆んなだよ、千代次郎も、才吉も、お柳も、お辰も、お村も、お隣の安兵衛も」
「草間さんは?」
「私と勘次だけは、主人が生きていてくれた方がよい、主人が死ねば、番頭と仲の悪い勘次は明日にも追出されるかも知れず、――居候の俺は、自分から遠慮して身を引かなきゃなるまい」
「形見分けの指図書のようなものはあるでしょうか」
「あるはずだ、才吉が預かっているだろう。身上は千代次郎のもの、三人の女どもには千両ずつ、才吉は三百両、あとの奉公人は五両三両ずつ貰うはずだ」
「草間さんは?」
「私には茶碗が一つ、茶入れが一つ、――それっきりだ」
 草間六弥の唇には、薄笑いが浮びます。


 平次はそれから順々に家中の者に逢ってみました。番頭の才吉は、
「ヘエ――、三百両のお形見を頂くことにはなっておりますが、旦那が亡くなれば禄に離れます。この先どうしていいか、途方に暮れましたよ」
 そう言って、慎み深い目を挙げました。三十五六のちょっとい男、蔵前時代から十五六年も孫右衛門に仕えたそうで、見かけ以上に手堅そうです。
「草間さんは茶碗一つ茶入れ一つしか貰わないと言うから、三百両は少ないわけじゃあるまい」
「ヘエ――」
 何やら不満らしい声です。
「何か言いたいことがあるんじゃないのか、番頭さん」
「別に、ございません、でも親分さん、あの茶碗と茶入れは主人が自慢の品で、三百両はおろか、三千両でも買えません」
「なるほど」
「こんな事を私が言ったとはおっしゃらないように願います。元が武家だけに、あの人には怖いところがございます」
「よしよし」
 平次はそれ以上に追及しませんでした。
 次に呼出されたのは、小僧の勘次です。
「小僧さん、先刻さっきは御苦労」
「ヘエ――」
「ところでお前、悲鳴を聞いて駆け込んだ時、廊下で人に突当ったというが、それは男かい、女かい」
「男ですよ、親分」
「どうして男と解った」
「カンで解るじゃありませんか、いきなり突当っても、ヨロリともしなかったんですもの」
「誰だか、見当はつくかい」
「それが」
 勘次は首をひねりました。
「背は高かったんだね、――お前が袖の下を潜って向うへ行ったと言うくらいだから」
「ヘエ――」
「背の高い男というと誰だい、才吉は小男だし、草間さんは肥った方で、千代次郎は中背の華奢きゃしゃ男、お隣の安兵衛は高いな」
「違いますよ、親分、出会頭、私の頭が向うの胸に当った心持は、どうも木綿物じゃなかったようで――」
「と?」
 絹物を着ている男というと、千代次郎か草間六弥の外にありません。平次はしかし話頭を変えました。
「お柳とお辰とお村の三人のうち、どれが一番主人の気に入っていたんだ」
「お辰ですよ」
 一番若い十八九のお辰が孫右衛門のちょうを一身に集めたことは考えられます。
「一番気に入らなかったのは?」
「お村かしら?」
 それは少年勘次に解らなかったでしょう。
「三人のうちで、一番力のあるのは」
「お柳でしょう、――踊りの師匠だったって言うけれど、あんなに肥って大柄ですもの」
「そんな事でいいだろう、次は千代次郎を呼んでくれ」
「ヘエ――」
 入れ違いに甥の千代次郎、これは二十五六のお店物たなもの風の男ですが、ガタガタふるえるばかりで、何を訊いてもらちがあきません。
「この身上がお前のものになるそうじゃないか」
「へ、ヘエ」
「叔父さんを誰が殺したか、見当が付くかい」
「へ、ヘエ」
「一度死んだ人がまた殺されたのを見て、どんな心持だったい」
「へ、ヘエ」
 平次はあきらめるより外に仕方もありません。真物ほんものの孫右衛門を幽霊と間違えて、無我夢中で刺したのならこの男に間違いありませんが、それにしては下手人の手際が良すぎます。悲鳴の後で廊下にマゴマゴしていたにしても、勘次に突当られて引っくり返らないだけの土台が、この男にあろうとは思えなかったのです。
 この時、
「親分」
 ガラッ八の八五郎があごを出しました。だいぶ収穫のありそうな顎です。
「こっちへ入れ」
 千代次郎を帰して、平次の顔は憂鬱です。
匕首あいくちは草間六弥のものですよ。もっとも近頃は棚の上のガラクタ箱の中へほうり込んだままだった――て言いますが」
「才吉のつかい込みは?」
「二十や三十はあるかも知れませんが、大したことはないようで」
「悲鳴の聞えた時、表の方に顔の揃っていたのは誰と誰だ」
「不思議なことに皆んな表にいましたよ、千代次郎も、才吉も、お隣の安兵衛も、勘次も」
「草間六弥は」
「これは仏間に居たそうで、――間違いはありません、証人は近所の衆が二三人――」
「女三人は?」
「三人とも奥に居たそうですから、やればこの三人のうちの一人ですよ」
 ガラッ八は物事を簡単に片づけます。
「だが、女にあんな事が出来るかな、死んだと思った主人が生きているのを見たらその場で腰を抜かすか、目を廻すのが精一杯だろう」
「女三人のうちの一人でなきゃ、二人組んでやったとしたらどうでしょう?」
「妾同士がかい、――それもあッと言う間に気が揃うかい」
「なるほどな」
「道具箱から匕首を持出して、主人の幽霊を突き殺す胆っ玉は大抵じゃないぞ」
「すると親分」
「まア、考えさしてくれ、俺にはますます判らなくなって来たよ」
 平次は深々と腕をこまぬきました。
「それから、女三人の身持も手一杯に聞いてみましたよ」
「どうせろくな事はあるめえ」
「難のないのは一番若いお辰だけ、あとは勝手なことをしていますぜ。主人が死ぬと近所の衆は遠慮がないから何もかもヅケヅケ話してくれます」
「…………」
「お柳は今じゃあんなに肥っているが、踊りの師匠上がりで、今でも塀外に一人や二人昔の狼連おおかみれんがウロついていない日はないという恐ろしい女、――もっとも肥ってはいるが、ちょいと可愛い顔だね、親分の前だが」
「何をつまらない」
「お村は病身で、二三日前から寝ていたそうです。それに御家人ごけにん崩れの凄いのが付いているんだそうで、年増だけに世帯のたしに奉公しているんだって言いますぜ、いずれそのうちに、大徳屋がうんと取られるところだったろう――って言いますよ」
「お辰は?」
「親分が会って訊いて下さい。思いの外、あんなのが許嫁いいなずけか何か持っているかも知れません」
「それでよかろう。それから、今日一日のうちに、コロリと様子の変った人間はないか、それを訊き出してくれ。朝はしゃいでいて、昼から滅入ったとか、昼まで滅入っていて、夕方から元気になったとか――、ともかく、真物ほんものの主人が殺されるまで一日の間に、様子の変った人間はなかったか、男でも女でも構わない、それを捜してくれ」
「親分、そいつは少しむつかしいね」
 そう言いながらもガラッ八は、元の店の方へ取って返しました。


 女三人の調べには、平次もさすがに手を焼きました。
「お柳と言ったね」
「ヘエ――」
 よく肥った、見事な恰幅かっぷく、そのくせポトポトこぼれるようななまめかしさ、踊りで鍛えた二十三の美女は、全く形容のしようもない妾型の女でした。
「勘次と廊下で鉢合せをしたそうじゃないか」
 平次は鎌をかけました。
「驚きましたよ、あの時は、いきなり暗闇から飛出すんですもの」
 お柳は何の細工もありません。
「何をしていたんだ」
「自分の部屋へ行って、羽織を引っかけて来たところでしたよ、夜更けになると、薄寒くなりますんでねエ」
「悲鳴はどこで聞いたんだ」
「勘次と鉢合せをする、ほんのちょいと前でしたよ。五六間後ろの方から何とも言えない変な声がしました」
「どんな声だった」
「クワッと言ったような、キャッと言ったような」
「やって御覧」
「まア、親分さん」
 どうも少し扱いにくい女です。
 次はお村、二十五六の年増で、少し華奢な女ですが、昔はさぞ美しかったであろうといった程度の魅力しかありません。――孫右衛門の寵が衰えていたというのもそんなためでしょう。
「お前はあの時どこに居たんだ」
「頭痛がして、部屋に休んでおりました」
「主人が死んで、どう思う?」
「さア――」
 何か一と皮も二た皮もがなければ、本当の心持の判らないといった種類の女です。
「主人が生きて納戸に隠れていることを知っていたはずだが」
「いえ、そんな事は少しも知りません」
 お村の顔は急に引締りました。
 最後に若いお辰は、おどおどしながら平次の前に坐っておりました。たった十九になったばかり、色白の可愛らしい娘で、こんな奉公をするのが痛々しいくらい。
「お前はいつからここに来ているんだ」
「三月ほど前からでございます」
「家は?」
「市ヶ谷」
「両親はあるのかい」
「母と弟だけおります」
「主人が死ねば、すぐにも家へ帰りたかろう」
「…………」
 黙ってうなずきました。かんざしがキラキラと揺れます。美しい顔、匂う襟元、平次も何か押して物を訊く気もなくなります。
「あの悲鳴はどこで聞いたんだ」
「…………」
 お辰は顔を挙げました。唇は動きますが、声は出ません。
「あの主人が殺された時の悲鳴はどこで聞いたんだ。――その時お前の居た場所が判らないと、お前も疑いを受けることになるが」
 助け舟のつもりで、平次がこう言ったのはよくよくの事でしょう。
「主人の声は、あの何にも聞きません」
 お辰の答は予想外でした。
「皆んなが、悲鳴を聞いたと言うぜ」
「それは、あの、私だったかも知れません」
「えッ」
「あの時奥から店の方へ行こうとして、仏間の裏の廊下を通ると、不意に――」
「…………」
 お辰は固唾かたずを呑みました。
「不意に、死んだと思った旦那様に逢ったんですもの、――私は思わず、声を出したような気がします」
「幽霊と思ったのか」
「え、あんまり驚いて、転げるように自分の部屋へ戻りました。それっきり、しばらくは何にも知りません」
 ありそうな事です。が、悲鳴を挙げたのがお辰だったとすると、今まで提供された不在証明アリバイにいろいろの支障が起ります。
「それは大変なことだ、――その時主人は確かに生きていたんだね」
「え、幽霊と思い込んで逃出しましたが、私の顔を見て、何か言った様子でした」
「よしよし」
 平次はこの娘からこれ以上何にも訊くことのないのを見て取りました。あまりにも正直で、あまりにも駆引のない態度です。


「親分、判りましたよ」
「何だ、八」
先刻さっき言い付けたじゃありませんか、昼と夜とで、様子の変った人間ですよ」
 平次の無関心な態度が少し八五郎をうろたえさせました。
「忘れたわけじゃない、こっちにも大変なことがあったんだ」
「ヘエ――、どんなことで?」
「お前の方から、訊こう。誰だい、昼と夜とで様子の変ったのは?」
「お柳ですよ」
「なに」
「あの踊りの師匠ですよ。日の暮れるまで、お花見の前の日みたいに浮かれ切っていたのが、夜になって、あっしが帰ってから急にしおらしくなって、線香を上げたり、念仏を称えたり、時々は棺の前へ行って、泣いて見せたり、大変な芝居だったそうですよ」
「そんな事だろうと思った、も一度お柳をれて来てくれ」
「ヘエ――」
 ガラッ八は横っ飛びに飛んで行くと、今度はお柳の手を取ってグングン引っ張って来ました。
「あれお前さん、痛いじゃないの、――私は何にも知りゃしませんよ、あれッ」
「何を神妙な悲鳴なんかあげるんだ、痛きゃ素直にあんよをしな、ブラ下がるから引摺ることになるじゃないか」
「お前さん無理だよ、そんなに早く歩けやしない」
「踊りの師匠のくせに、あんよが上手もねえもんだ。まごまごしやがると、縛り上げて引っ担ぐぞ」
「あッ、親分」
 八五郎の剣幕に驚いたか、お柳はようやく立ち直って、平次の待っている部屋まで辿たどり着きました。
「お柳、冗談やおどかしじゃないぞ。主人殺しの疑いはお前に掛っているんだ」
「親分」
 お柳はさすがに胆をつぶしたものか、平次の前にヘタヘタと坐ります。
「主人の生きているのをお前は見たはずだが、どこで見た」
「親分さん」
「嘘をくと大変なことになるぞ」
「納戸へ入ると、――死んだと思った主人が居るんですもの、驚くじゃありませんか、親分」
「それはいつのことだ」
「八五郎親分が帰ってから間もなく、戌刻いつつ(午後八時)少し過ぎでした」
「それで、あわてて殊勝らしい顔をしたのか。あきれた女だ」
「でも、親分」
 お柳の身体はまたクネクネと媚態しなを作ります。
「それを誰に話した」
「誰にも言やしません。言うものですか、大事な事ですもの」
「それじゃ孫右衛門殺しは手前てめえだ」
「えッ」
「悲鳴を聞いてから引っ返して主人を一と突きにし、廊下で勘次と鉢合せをしたはずだ」
「違いますよ、とんでもない。あんな結構な主人を殺していいものですか、――それに悲鳴を挙げた時はもう、旦那は刺されているじゃありませんか」
「いや、悲鳴は主人じゃない、お辰だ。主人はあの後で刺されたのだ」
「それじゃお辰ですよ、――孝行面をしやがって、あんなイヤな女はありゃしない。主人に可愛がられながら、一番うらんでいたお辰が、主人を殺したに不思議があるものか」
 お柳はかさにかかって言い募ります。平次はこの女の口から、まだまだいろいろの事が引出せそうな気がしました。
「いや、お辰は主人の生きているのを知らなかったはずだ。匕首あいくちを用意する暇はない」
「いえいえ、お辰は勘次に聞いたに違いありません。畜生ッ、何てイヤな奴だろう」
「勘次も知ってるはずはない」
「私が教えましたよ。そっと、あの子にだけ、――それを勘次の野郎、お辰に吹き込んだに違いありません」
「なるほど、勘次なら孫右衛門を刺す隙があったはずだ。八」
「ヘエ――」
 チラリと目配せ、八五郎はそのまま飛んで行きました。


 平次はこの時ほどいやな思いをしたことはありません。大徳屋の家の中で、一番可愛らしい少年勘次を主殺しの罪で縛るのは、平次にとっては、全く我慢の出来ないことだったのです。
 主殺しは動機の如何いかんかかわらず、磔刑はりつけの極刑に処せられるのが、その当時の不文法でした。平次はそのまま逃出したい衝動に悩みながら、眼をつぶって事の成行きを待ちました。
「親分、つれて来ました」
 眼を開くと、ガラッ八は勘次の肩先を押えるように、畳の上に引据えます。
「勘次、とんでもねえ事をしてくれたなア」
 平次の声には涙がありました。
「親分、あっしじゃありませんぜ」
「何?」
 勘次は少年らしく引締まった顔を挙げました。
あっしは旦那が生きていると聞いて、一と思いに殺すつもりで、刃物まで用意しました――でも、悲鳴を聞いてあっしが駆け付けた時は、旦那はもう殺されていたんです」
「何だって主殺しなんか考えたんだ」
「お辰さんが可哀相です。あの人は親孝行で、町内の評判者ですよ。旦那がお金を積んで買って来たのを私はよく知っています――同じ市ヶ谷で生れたんですもの。お辰さんは毎日泣いていましたよ」
「お前とお辰は幼馴染というわけだな」
 ガラッ八も妙に和やかな口を挟みました。
「それで主人を殺す気になったとは、一応もっとものようだが、よくない心掛けだぞ」
 平次は苦い顔を見せます。
「ヘエ――、でも本当に殺さなかったんです」
「証拠はあるのかい」
「この匕首を見て下さい。――宵のうちに奥から持出したんです。血なんか付いちゃいません――これを持って飛込むと、もう旦那は殺されていたんです」
 懐から出した小刀ほどの小さい匕首、抜いてみると、なるほど血も何にも付いてはいません。
「こんなものを、何だって捨てずに持っていたんだ」
「あわてたんです。旦那が殺されているのを見ると、自分が殺そうとした事をすっかり忘れて、今ようやく思い出したくらいですもの」
「親分、これは一体どうしたことでしょう」
 ガラッ八も妙にこの少年が可哀相になったのでした。
「…………」
 平次は黙り込んでしまいました。
 時は過ぎ行きます。いつの間にやら夜が明けて、まだ閉めたままの雨戸の隙から、キラキラと朝の光が射し込んでくるのに、面喰らった奉公人達は、まだ雨戸を開けようともしません。
「八、雨戸をあけて、一服やってみようか、そんな事でもしたらまた新しい智恵が浮ぶかも知れない」
「…………」
 行灯あんどんあかりで煙草を喫付すいつけている平次を後ろに、ガラッ八は二三枚雨戸を繰りました。
 サッと流れ込む朝の光。
「良い心持だな、八」
「親分、あれを見て下さいよ。大変なものがありますぜ」
「何」
 八五郎の指す方を覗くと、戸袋の下に据えた大自然石の見事な手水鉢ちょうずばち、その上に掛けた手拭に、水にぼけた血のあとらしいものが付いているではありませんか。
「昨夜は誰も死骸に手を掛けなかったはずだな」
「気味を悪がって、寄り付いた者もありませんよ。揃いも揃って薄情な奴らで」
「と、あれは下手人が匕首で刺した手を洗って拭いたものに違いないわけだ」
「まア、そんな事で」
 近く寄ってみましたが、それ以上は何にも判りません。
「恐ろしく落着いた奴だな。勘次やお辰の芸じゃない。雨戸を開けて手を洗って、済ましていたんだ」
「雨戸にも血が付いちゃいませんか」
 ガラッ八は飛付くように雨戸をしらべましたが、よほど用心深く開けたものと見えて、そこにも何の痕もありません。
「待て待て、主人の殺されたのは、お辰が悲鳴を挙げて、お柳と勘次が鉢合わせをするまでの間だ。――その間仏間の裏の廊下へ行ける人間は――」
「…………」
「解った、八」
「え?」
「お村だ」
「お村は自分の部屋で休んでいたと言ったじゃありませんか」
「嘘だ」
「お村の様子も顔色も、朝から夜まで少しも変らなかったというのは?」
「お村は、主人の生きている事を知っても、お柳と違って様子や顔色を変える女じゃない。頭痛がすると言って奥へ引込んで用意をし、お辰の悲鳴を聞いて、物蔭から飛出して孫右衛門を刺したんだ」
「でも」
「いや、他に人間は居ない。お辰か勘次かお村のうちだ。――女では幽霊を刺せまいと思ったのも間違いだったが、孫右衛門が生きているのを見たら、少しは様子や顔色が変るだろうと思ったのが第一の間違いだ」
「…………」
「滅多な事で様子や顔色を変えない女、――相手が幽霊になっても死骸になっても、刺し殺し兼ねない怨みを持った女もある事を忘れていたのだよ」
「…………」
 平次は八五郎を説き伏せるというよりは、自分自身を説き伏せるように言い切りました。自分で組み上げた間違いの構図を叩き壊して、新しい本当の構図を築き上げるためには、こうでもするより外はなかったのでしょう。
「今度は間違いはないぞ。来い、八」

     *

 お村は朝の化粧に余念もないところを縛られました。次第に衰えて行く容色のために、主人孫右衛門の愛をうしなったお村は、孫右衛門の生きてるのを発見すると、最後の運命を匕首一振に賭けて、一千両の形見分けを狙ったのですが、御家人崩れの男の許へ走る前に、平次の慧眼けいがんに見破られてしまったのです。
「親分、変な捕物だね」
 帰る朝の街で、八五郎は話しかけました。
「捕物はつまらねえが、自分の死んだ後の人気を見ようとした、孫右衛門の心持の方がよっぽど面白かったよ」
「そこへ行くと、こちとらは金で買った人気じゃねえから有難いね。死ぬと本当に泣いてくれるのが二三人はあるぜ」
 ガラッ八の顎の長さ。
向柳原むこうやなぎわらの叔母さんは解っているが、あとの二人は誰と誰だい」
 と平次。
「一人は銭形の親分さ」
「馬鹿野郎、俺は泣くものか」
「あとの一人は言わねえ方がいい、言うと殴られそうだ」
「明神様の森の烏だってね、ハッハッハッ」
 平次の笑い声は、始めて朗々と響きました。





底本:「銭形平次捕物控(五)金の鯉」嶋中文庫、嶋中書店
   2004(平成16)年9月20日第1刷発行
底本の親本:「銭形平次捕物百話 第四巻」中央公論社
   1939(昭和14)年
初出:「オール讀物」文藝春秋社
   1938(昭和13)年4月号
入力:山口瑠美
校正:noriko saito
2017年9月13日作成
2019年11月23日修正
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