「親分、笑っちゃいけませんよ」
「何だ、八」
「親分もあっしも同じ人間でしょう」
ガラッ八の八五郎はまた変なことを言い出しました。
「その通りだ、眼が二つ、口が一つ、なるほど、こいつは不思議だ。今まで気が付かなかったが、
銭形平次もこの調子です。
「まぜっ返しちゃいけません。――ね、親分、その同じ人間のあっしが、どう修業しても、親分のような良い御用聞になれないのは、どういうわけでしょう」
ガラッ八はつくづくそう言うのでした。歳は幾つも違わないはずですか、人間の貫禄はあまりに違いすぎます。
「そう言うなよ、八、手前の方がよっぽど人間が出来ているのかも解らないじゃないか、神様や仏様から見れば」
「神様や仏様は
「
「それとも、
「
「でも、何かありゃしませんか、親分、あっしはどうせ大した人間じゃねえがお上の御用を聞いてる以上は、一生にたった一度でいいから、八五郎は
ガラッ八の八五郎は、日頃になく思い込んだ様子で言うのでした。
「八、大層改まったが、御用聞には型も極意もねえ。“馴れ”だけに頼って行くのは
こうしんみり言う平次、それほどの名人になって、快刀乱麻を断つような明智の持主でも、最後はやはり人間の「直覚」に頼らなければならないことを知っているのでした。
「勘なら、
「あれ、八五郎さん」
お静はたまり兼ねて、障子越しに声を掛けました。
「そこに居なすったんか、――こいつはいけねえ」
「朝の御飯の催促なんでしょう」
「へッへッ、図星で、ここに泊ると、お茶と香の物がたまらねえ」
「お世辞を言っちゃいや、八五郎さん」
まだ娘気分の抜け切らぬお静は、こう言って、朝の支度に取掛りました。
ちょうどその時でした。
「大変! 親分さん、すぐお願い申します」
飛込んで来たのは、横山町の
「どうなすった、鳶頭」
「
「なるほど、そいつは大変だ」
平次は箸を
それから
「寄っちゃならねえ、手なんか付けると掛り合いだぞ」
番太の
野次馬の眼が、その小判に光ったのも、番太が声をからしたのもそのため、死体はともかく、路地の小判までは、検屍の役人が来るまで、手を着けてはならなかったのでした。
「銭形の親分さん、とんだ御苦労様で」
主人の市兵衛は、さすがに落着いてはおりますが、今日に迫る五千両を、どう工面して細川様へ納めたものか、その心配に打ちひしがれておりました。
後ろから顔を出したのは、老番頭の
「とんだことでしたね、――これほどの騒ぎを朝まで誰も知らなかったのですね」
「誰も気が付きません」
と主人市兵衛、六十近いが少し
「五千両の金が用意してあることは、誰と誰が知っていました」
「店中で知らないものはありません。御領地の熊本から船で送られた、
そう言ううちにも、市兵衛の心痛は目に見えて深まる様子です。
「失礼ですが、それを今日中に納めなさる当てがありますか」
平次の間は露骨で無遠慮でした。
「何とかしなければ、私は
五千両の現金は大黒屋にとっても大金でしょう。主人の後ろに中腰になっている大番頭の嘉助が、居ても立ってもいられないほど気を揉んでいる様子を見ると、この工面は市兵衛が軽く言うほどの
平次は雇人達を一とわたり見廻すと、若い手代の福三郎に案内されて、六畳の仏間に通りました。
顔へ掛けた
「お前さんは?」
「あの、徳と申します」
丸ぽちゃの快活そうな娘は、大して
「男達が寄り付かないのに、親切なことだね、――変死人は気味の
平次はこの親切で明るい娘を勇気付けるように、こんな事を言っております。
「でも、正次郎さんには、お世話になりましたし、男の方は
ともすれば
「八、見るがいい」
平次は死体の頸から切り離して、そのまま肩のあたりに掛けてある荒縄を指しました。
「船具の縄だね、親分」
下手人の当りもこんなところから付くでしょう。ガラッ八は
「喉の絞めた
「…………」
八五郎は
「あれはカンじゃない、物の理窟だ。番頭さんを絞め殺したのは、
「…………」
ガラッ八は一句もありません。こうなると、
「この下手人は容易ならぬ人間だよ、落着いて、横着で、考え深くて――」
平次は明日の大取組を前に、相手の力量を考える力士のように、思わず深々と腕を組みました。
「親分」
心配そうにその顔を覗く八五郎。
「少し外へ出てみよう」
平次は八五郎を促して、外へ出て行きました。
路地の死体のあったあたりに落ちていた小判は、丁寧に勘定すると七十八枚、それから横山町の大通りから両国の方へも、バラバラと二十二三枚こぼれておりましたが、朝のうちに往来の人に拾われたのも何枚かあるでしょうから、正しい数は判りません。
小判の
「八、
八五郎は飛んで行きました。トボケた顔と、
「誰も気がつかなかったそうですよ、船頭は舫っている時でも気が張っているから、
「フーム」
二人はがっかりして引揚げました。主人の市兵衛は五千両の工面でしょう、心痛と
平次は廊下続きに土蔵の方へ行くと、後ろから案内顔の手代が二三人
「誰が土蔵破りか解らないから、うっかり案内を頼めないよ、お
「…………」
お徳は生真面目にうなずいて、廊下伝いに土蔵へ案内しました。
二た戸前の土蔵ですが、五千両持出された方は、廊下続きの
「ところでお徳さん、――この店中で、主人から一番信用されているのは誰だろう」
平次は妙な事を訊ねました。
「殺された正次郎さんでしたよ、――嘉助さんも、あの通り年を取ったし」
お徳は
「福三郎は?」
「可愛がられてはいましたけれど、――お金の事は任せてくれなかったようです」
お徳は少し淋しそうでした。
「親分さん、私が御案内いたしましょう、――お徳さんはお茶の支度でもするがいい」
大番頭の嘉助は、店中の者の不安を代表してやって来ました。
「それはいい
平次は愛想よく迎えます。
「親分さん、正次郎も可哀相ですが、私は旦那がお気の毒でなりません。
嘉助はフッと口を
「五千両
平次の胸には、妙な疑いが芽ぐみます。
「そんな事はございません。五千両盗られても、まだ二千両はあの通り用意がございます。
「それくらいのことなら、細川様へ申上げて、日限を延して貰うわけには行かないものかな」
「とんでもない、大名方ときた日には、待て
「なるほど、それは困るな」
平次は大番頭の指した千両箱を動かしてみました。重さから感じが、間違いもない千両箱です。
「親分、主人の行く先を突き止めて来ましょうか」
ガラッ八は鼻を
「馬鹿、――つまらないカンなんか働かせて、人様の物笑いになるよ。それよりこの町内を始め、浜町から両国へかけて、何か変ったことがないか見て来るがいい。船で逃げたんでなきゃ、下手人かその相棒はまだこの辺にウロウロしているに違いねえ、あれだけ小判をバラ撒いて、眺めていることだろう」
「なるほどね」
ガラッ八は飛出しました。
平次はその上帳面まで見せて貰いましたが、大黒屋も、五千両盗まれた上、また半日のうちに、五千両纏めるのには困った様子ですが、商売の方は行詰った様子もなく、一つの土蔵の中には、穀物が一パイ、一つの土蔵の中には、金に飽かして買い込んだ、
「親分、ちょいと」
ガラッ八は
「何だ、八」
「変な野郎が居ますよ。よっぽど引っ
「何だ、それは?」
「今日は
「それがどうした」
「大道見世物や、露店が二三百出ますぜ」
「…………」
「夜の明けないうちから小屋掛けをしているに不思議はないが、一つ恐ろしくかけ離れて、横山町三丁目に、
ガラッ八は勢い込んで続けます。
「ちっとも驚かないよ、地割りに漏れたもぐりの
「大きな
「少しおかしいな」
「少しどころじゃありません、あれが
「フーム」
「五千両持出したところを、番頭の正次郎に見付かり、追っかけて来たのを路地で絞め殺した、――が、町木戸がうるさいから、夜中じゃ遠く逃げようはない、ことにこの辺は浅草御門や、両国の橋番所、
いやもうガラッ八の得意さ――
「五千両盗んだ大泥棒が、人まで殺して逃げ場に困っているくせに、国府などを
「…………」
「八、あまり騒ぐんじゃないよ、そっと行って、裏から呼出して、十手のガン首でも見せて、河童の
「ヘエ――」
「その上うんと脅かして、昨夜から今朝へかけて、横山町をうろうろしていた人間がなかったかどうか、訊いてみるがいい」
「ヘエ――」
ガラッ八は一句もありませんでした。平次のカンの素晴らしさに圧倒されて、そのまま飛出しましたが、間もなく、
「どうした、八」
「塩漬の中には小判なんかありませんよ。河童の見世物は、死んだ犬の子を乾し固めたんで」
「国府は?」
「それを訊くと元は町人で、煙草だけは
「八、そいつは本当か」
「本当にも嘘にも、作の入れようがねえ」
「財布の中にも塩瓶にも金がなきゃ、そいつは思いの外大物かもしれない、一両拾ったなら判るが、香具師がただの道楽で国府は変りすぎる、来い八」
平次は飛出しました。その頃の国府を
「御用ッ」
八五郎はいきなり河童の見世物へ飛込みました。何かよくない尻があったものと見えて、昼にも間があるのに幕張りの粗末な小屋を畳みかけていたのです。
「何をしやがる。安岡っ引に御用呼ばわりなどをされる覚えはねえ、側へ寄ると河童をけしかけるぞ」
「神妙にせい」
「
二匹の犬のように、猛然と噛み合う二人、後ろからは女房がガラッ八の
「あッ、痛えッ、放せッ」
「何をッ」
滅茶滅茶な騒ぎです。一と足遅れて駆け付けた平次は、
「歩けッ」
場所は両国、盛りこぼれるような野次馬の中を、縄付きを引いて行く照臭さ、あまり人を縛ったことのない平次は、ガラッ八の英雄的な得意さに任せて、一と足先に番所へ
「お、銭形の、今日はお手並拝見に出て来たよ」
「お、
銭形平次の顔は少し曇りました。またこの競争相手――三輪の万七――が出て来ては、事件がかえってこんがらかりそうでならなかったのです。
「大層遠慮するじゃないか、銭形の。何だって大黒屋の主人を縛らないんだ。いつぞや浜町の浪花屋がやった
「それは違う、三輪の。あの術はもうこの
「そう思うところが付け目さ」
「それに大黒屋の身上は、三千両五千両で困るほどに傾いちゃいない。差当り現金を集めるのに困ったところで、昼頃までには、市兵衛はきっと五千両
「大層信用したんだね」
「見ているがいい、今相棒を一人縛って来たから、あの男が口を割りさえすれば、五千両盗んだ奴も、番頭の正次郎殺しもすぐ判る」
平次は河童の塩漬の中にも、
「名前は何と言う、どこの者だ」
ガラッ八の引いて来た香具師夫婦を、平次は静かに迎えて、こう訊ねました。
「名前は
銅六は昂然としておりますが、言う事は思いの外素直です。
「銅六――そうか、いい悪党だ。何だって五千両の
「へッへッ、銭形の親分さん、――へッへッ存じていますよ、一度は鼻を明かせようと思った相手だ。忘れてなるものか、――」
「そんな事はどうでもいい、俺は大方筋書を読んだつもりだが、――お前の口から聴きたい、店で手引をしたのは誰だ」
「へッ、へッ」
「福三郎か、嘉助か――」
「へッ、へッ、お察しの通りで、銭形の親分はさすがに眼が
書き損ねの
「馬鹿野郎」
銭形平次は立ち上がると、いきなり平手で銅六の
「あッ」
銅六もあまりの不意に、さすがに度胆を抜かれた様子です。
「たった今この平次の鼻を明かしてやりたいと言ったのは誰だ、そんな間抜けな心掛けだから、五千両チョロリと横取りされて、犬の子の死骸の番人なんかしているじゃないか、そのうえ正次郎殺しの罪でも
「…………」
「八、追っつけ旦那方が見えるだろう。ここに悪党がかったのが一人居るから、構うことはねえ、番頭殺しの下手人にして引渡してしまえ、――知れたこと、五千両は大川へ沈めたのさ。伝馬町へ送られりゃ、容易のことでは明りが立たねえ」
平次の舌はその手よりも
「わッ、冗談じゃねえ、俺が下手人なんかでたまるものか。五千両持出す相談には乗ったが、人なんか殺した覚えはねえ」
銅六もさすがに仰天しました。
「黙らねえか、悪党らしくもない、相棒の正次郎は殺されたんだ、お前の身の明りを立てる者は、この平次より外には一人も居ねえ」
「恐れ入った、銭形の親分。みんな言う、勘弁しておくんなさい」
他愛もなく崩折れる銅六。
「親分さん、この通り意気地のない亭主でござります。人相は悪党並みですが、とても人なんか殺せるような男じゃありません。五千両持出す話へ乗ったのも、この人にしちゃ荷が勝ちすぎたんですよ、河童の番人をするぐらいが分相応で――」
女房のお浜は弁じ立てます、こっちが二三枚悪党が上でしょう。
銅六夫婦の言うのは、至って簡単でした。大黒屋の番頭正次郎とは、元よく暮していた頃からの知合で、二三日前道で逢って合力を持ちかけると、それじゃ大黒屋の土蔵から、五千両持出すから、それを大川まで運び、船で
「ところが、番頭さんはとうとう来ません、たぶん
銅六の話は馬鹿馬鹿しいがよく筋は通ります。
「それじゃ訊くが、正次郎を殺したのは誰だ?」
と平次。
「五千両横取りした奴でしょう」
「それは判っているが、正次郎が一番怖がっていたのは誰だ」
「主人の市兵衛ですよ」
「それから」
「番頭の嘉助、――こいつはヨボヨボのくせに、
「福三郎は?」
「主人の遠縁で、大きな面をしたい野郎だが、人間は
「あとはどんな事を言った」
「あの家の中で、人間らしいのはお徳の
「よし、判った」
が平次はハタと行詰りました。金を持出したのは正次郎と判っても、その正次郎が殺されてしまっては、この先どこへ疑いを持って行きようもありません。
「銭形の
三輪の万七はいい心持そうでした。が、幾度も幾度も懲りているので、今度はさすがに縛ろうとは言いません。
大黒屋へ帰ると、中は火の消えたような淋しさ、雇人達はあっち、こっちに幾かたまりにもなったまま、仏間には朋輩の死骸のあることも忘れて、押え切れない不安を語り合っております。
「銭形の親分さん、悪者が捕まったそうじゃございませんか」
お徳は飛んで出ました。
「捕まったよ、お徳さん」
「五千両は?」
「それがどこへ行ったか解らない、――もっとも蔵から持出したのは、正次郎と判ったが」
「えッ、あの、正次郎どんが――本当ですか、親分さん」
お徳の驚きは一と通りではありません。
「せっかく、死骸の番までして、誰も構わないのに、線香を絶やさないようにしている、お前には気の毒だが、正次郎は良くない男だ。子飼いの奉公人が、主人の身代に関わるような金を持出して、罰が当らずには済むはずはない」
「でも親分さん、死んだ者へ、線香一本上げる者もないような人達ばかり居る家なんです。正次郎どんばかり悪いとは言えませんよ」
「…………」
お徳は妙に考えさせることを言います。
「この家はそんな家なんです、皆んな銘々のことしか考えてはいません」
「…………」
平次の驚きの前に、お徳は淋しいが、妙に情熱的な笑いを見せて、元の仏間に入って行きました。間もなく
「まず、これでよし」
ホッとした市兵衛の顔を見ると、平次は今まで、何にもしていなかった事を責められるような心持です。
五つの千両箱は、蔵から持出したに間違いはありません。廊下の軒下、ちょうど雨の後の軟かい土の上に、乱雑に置いた跡まではっきり読めるのですが、家の中は言うまでもなく、隣の穀蔵の米俵まで調べましたが、どこにも見付からなかったのです。
「引揚げよう、いつまでいても無駄だ」
暗くなると平次はもう見切りを付けました。
「下手人は逃げ出しますよ、親分」
八五郎は心配でなりません。
「五千両は重いよ、
「ヘエ――」
「せっかく取込んだ金を捨てるものか、帰ろう」
平次は未練気もなく立去りかけます。
「銭形の、俺が夜っぴて調べ上げて、下手人を縛っても構わねえだろうな」
三輪の万七は眼を光らせました。
「遠慮に及ばねえよ、三輪の
平次は何のこだわりもありません。
「銭形の親分さん」
「何だ、お徳さんか」
小走りに追って来たお徳は、そっと平次の耳に唇を寄せました。
「なんか変ったことがあったら、親分さんのところへ使いを出しますよ、――使いがなきゃ、私が一と走り――」
お徳は平次のファンの一人だったのでしょう。一つは夜っぴて踏み止まって、皆んなに
「有難うお徳さん、頼むぜ」
香ばしい息を頬に感じながら、平次はさり気なく言うのでした。
柳原土手の闇を急ぐともなく二人。
「親分、下手人は誰でしょう」
八五郎はたまり兼ねて声を掛けました。
「判らねえよ」
「五千両はどこへ持出したでしょう」
「それが判りゃ下手人は
平次も本当に手掛りを
「福三郎じゃありませんか――大黒屋の遠縁の者だが、番頭にもしてくれず、当分は
これがガラッ八のカンでしょう。
「それは俺にも解るが、福三郎は腹から善人で、おまけに気が弱い。カッとなったら人を殺せないこともあるまいが、
「…………」
場末の芝居の二枚目のような福三郎は、なるほど人を殺せそうもありません。
その晩は何事もなく明けて、
「親分さん、大変なことが起りました」
大黒屋のお徳が、お静に案内させて入って来ました。
「何だ、お徳さん、五千両見付かったのか」
「いえ、柳橋下から、小判が八百何十枚か入った千両箱が揚がって大騒ぎですよ」
「あとの四千両は?」
「それは判りません」
「それじゃつまらない、いずれ行ってみるが――三輪の兄哥は」
平次は驚く色もありません。
「一生懸命です」
お徳は少し面白そうです。
「ちょいと、お前さん」
お静は
「何だ、お静」
「こんな事を言っていいでしょうか、私にも少しばかり思い当ることがあるんですが」
「女房の意見で、御用聞が人を縛るわけにも行くまいが、何かの足しになることなら、言った方がいい」
平次は
「男の意気地は男同士でなきゃ解らないと言うように、女の心持は、女でなければ解らないところがあるでしょう」
「それはあるだろう。第一子供を生む心持なんてのは、男に金輪際解りっこはない」
平次は少し茶化しております。お静に心安く言わせるためでしょう。
「そんな話じゃありません。
「元気で、明けっ放しで、親切で、なかなか良い娘じゃないか、それがどうしたんだ」
平次は改めてお静の顔を見ました。
「女から見ると、あんな人は本当に底が知れないと思います」
「それだけか」
「え」
お静は極り悪そうに
「そいつはお前のカンだ、大きに役に立つだろうよ。八、行こうか」
大黒屋へ行くと、また一つの騒ぎが始まっておりました。お徳が出かけて間もなく、手代の福三郎は
「俺が悪かった、――俺が悪かった」
と言い続けて死んでしまったのです。
町内の本道(内科医)を呼んで見せると、岩見銀山の
その騒ぎの中に、何心なく帰ったお徳の歎きは、本当に見る眼も哀れでした。
「あ、福三郎さん、何だって死んでしまったの、私にそう言ってくれれば、一緒に死んだのに」
猛毒に
平次とガラッ八はその騒ぎの中へ着いたのでした。
一
福三郎の荷物や手廻りの品を調べましたが、薬などは一と包もありません。
「お徳さん、気の毒なことになったな、――福三郎は正次郎を殺して、自分の心にとがめて死んだんだろう。諦めるがよい、お前が泣いてやっても、その心掛けじゃあまり功徳になるまい」
平次はそう言いながら、お徳を抱き起しましたが、
「あッ」
身を揉む
「やはり持っていたのか、――心の病の薬とすり替えた岩見銀山が二た包、一つはお前の留守中に、福三郎が飲んだはずだ」
「違う違う、――それは私の
お徳は必死とあらがいます。
「いや、今医者に見て貰うから、癪の薬か岩見銀山か、すぐ判るよ、――可哀相に福三郎は、恋仲のお前に殺されると知らず、お前を
「違う、――そんな、そんな馬鹿なッ」
お徳は必死と身を揉みますが、
少し蒼ざめた美しい顔にはタラタラと油汗を流し、唇を噛んだ血が豊かな顎に紅い糸を引いて、その凄まじさはありません。
「皆んなの衆、ここへ来て聴いてくれ、隣の仏間には仇同士の仏様が二つも居る。俺の言う事が違ったら、その時は違ったと言って貰おう、証人は二人の仏様だ」
平次は美しい虫のように
「千両箱を五つ持出したのは正次郎だ。福三郎はそれを見付けて、路地で争ううち、お徳も起きて来て、福三郎に手伝い、とうとう、絞め殺してしまった、――福三郎はびっくりして人を呼ぼうとしたが、お徳は女ながら福三郎より三倍も五倍も太いから、正次郎の頸から自分の真田紐を解いて、荒縄で頸を締め直し、千両箱一つ叩き破って、中の小判をバラ撒き、残りは柳橋の下へ沈めた。これは外から悪者が入ったと見せかけ、あとの四千両を横領するつもりの細工だ」
「…………」
平次の明快な推理に、誰も口を挟む者はありません。
「そう言っちゃ悪いが、主人は正次郎にも福三郎にもお徳にも辛く当った。とりわけ姪のお徳には、言うに言われぬ怨みもあったろうが、人一人殺しておいて、その死骸の側にケロリとして付いているお徳の大胆さに、気の弱い福三郎は怖ろしくなった。たった一と晩だが、お徳には、自分から離れて行く福三郎の心持がよく解るし、その上、気の弱い福三郎は犯した罪に
「…………」
「帰って来ると
「違う、みんな嘘だ」
お徳は必死の声をあげました。
「まだそんな事を言うつもりか、お徳」
「四千両どこにある。それを見付けなきゃ、お前の言う事はみんな
お徳の言うのは
「四千両」
「千両箱が四つ」
主人市兵衛始め、居並ぶ人々の口から同じ絶望的な言葉が吐き出されます。
「あんな重いものを、女や手代の手で、どこへ持って行けるものか」
お徳の唇にはもう嘲笑が
「あんな重いもの?」
平次は
「解った」
平次は立上がりました。
「親分、蔵から出た事は確かですぜ」
とガラッ八。
「また蔵へ戻したのだよ。それに気が付かないとは、俺も大間抜けさ」
平次は千両箱を七つも積んであったところへ来ると、その床の上に敷いた
厳重そうに見えた釘が何の苦もなく抜けて、板が二三枚
「あった」
主人市兵衛の狂喜する顔、平次とガラッ八はそれを見捨てて元の部屋に帰ると、二人の仏の前に、縛られたままのお徳は舌を噛み切り、のた打廻って苦しんでいたのです。
*
「八、俺はもう