「八、たいそう
「からかっちゃいけません、親分」
八五郎のガラッ八は、あわてて、
「隠すな、八、ネタはちゃんと挙がってるぜ」
銭形平次は構わずに続けました。
「へッ、へッ、どの口のネタで?」
「いやな野郎だな、
「遠吠えは情けねえ。誰がそんな事を親分に言い付けたんで」
ガラッ八は少しばかり意気込みました。
「手前の伯母さんだよ。――今朝お勝手口へ顔を出して、お静に愚痴を聞かせていたぜ――酒や女の道楽と違って、若い者の稽古所入りが悪いではありませんが、家へ帰って来て
「チェッ、
ガラッ八はそう言いながらも、耳の後ろをポリポリ掻いております。
「そうだろうとも、だから俺は言ってやってよ。――伯母さんの若い時と違って、この節はあんなのが
銭形平次に悪気があるわけでなかったのですが、伯母の
「親分、本当のことを言うと、こいつにはワケがありますよ」
「そうだろうとも。二日も行かなきゃ、師匠の小唄お
「嫌だね。伯母さんが、そんな事までブチまけたんですかい」
「人に意見などをする歳じゃねえが、小唄お政じゃお
銭形平次は
「それは心得ていますよ、親分。芝居小唄の
八五郎の話は妙に筋が通ります。
「…………」
平次はうさんな顔を挙げました。伯母から聞くと、
「仔細あって命が危ない、――お願いだから、毎日来てみてくれ――って言うんで、まさか十手を
八五郎はこう言って変なところに苦笑を漏らしました。こうは言い切ったものの、少しは後ろめたさもあったのでしょう。
「そうかい、そいつは知らなかった。お政の顔を見ながら間の抜けた小唄なんか
「親分、まだ、そんな事を」
「だから、その大望を聞こうじゃないか。江戸二人師匠と言われた小唄お政が、命にかかわるほど思い詰めたなら、さぞ
平次はまだ本気にはなり切っていない様子です。
「だがね親分、お政が二度も殺されかけているんですぜ」
「何だと?」
話はそれでも、次第に軌道に乗って行きます。
その頃は
二人の間には、自然に競争が起りました。同じ芸道にいそしむ仲で、
その間の消息を八五郎はこう説明するのです。
「お政は打ち明けてお寿のせいとは言やしませんが、去年の暮には、大さらいの晩、危うく
「なるほど、そいつは物騒だ。――それで、用心棒の代りに
「早く言えばそうなんで」
「気取って遅くなんか言うから解らなくなるじゃないか」
平次もここまで聞かされると、江戸名物の小唄お政の命が心配になります。
「親分、お政は可哀想じゃありませんか。こうしているうちにも、どこから、どんな
「お政の命を狙うのは――まさか、お寿じゃあるまい」
平次はまだこんな事を言うのでした。
若くて美しくて、ともすれば、先輩のお政の人気を奪いそうにするお寿は当面の仮想敵には相違ありませんが、この
「大さらいの時は、お政とお寿が一緒でしたよ。お政が一とくさり歌って、薄暗い楽屋へ帰って、湯呑の湯を呑もうとすると、そこに居た浜名屋の次男坊の又次郎が、師匠の手を押えて止めたそうです。――その湯は変だから、
「…………」
「縁側へ持って行って見ると、中にはギラギラと水銀が沈んでいるんだそうじゃありませんか。懐中鏡の裏の紙を
「…………」
平次は大きくうなずきました。
「大さらいの場所は?」
「山谷の
「それから、涼み船の一件は?」
平次の探求慾は活溌に働き始めました。
「この時もお寿と一緒で、――お蔵前の山口屋が、二人を
「手前も一緒かい」
「とんでもない。岡っ引きが一緒だった日にゃ
「たいそう物事に遠慮するんだね」
「とにかく、さんざん騒いだ揚句無理強いの酒が廻って苦しくてたまらないから、お寿を誘って、お政は
「お政の方が誘ったんだね」
「おかしいのはそこだけですが、誘われたお寿がはっきり言うんだから嘘じゃないでしょう。お政は何とも言いません、が、舳で風に吹かれているうちに、川へ落っこった事だけは確かで」
「落っこったのか、お政が?」
「それもお寿の言い草で、――たぶん酔った顔を風に吹かれて目が廻ったんだろう。お政さんはフラフラッとすると、真っ黒な水の中へ落ちた――とこうなんだそうですよ。もっとも、お政に言わせると、呑んだと言っても、川へ落ちるほど酔ってはいなかった。
「そこにはお寿とお政の外には誰も居なかったのかい」
「山口屋と取巻きの連中は屋根の中で、お
「なるほどな」
「お寿はあんまりびっくりして声も出なかった。ア、ア、と言ううちに、五六間流されたお政が、幸い通り掛った他の涼み船の船頭に引上げられて、さんざん水は呑んだが、命だけは助かったそうですよ」
「それは危ないな、お政は水心がなかったのか」
「小唄の師匠が泳ぎを知っているわけはありません。もっとも、突き落されると、前
「皮肉を言うな、八」
「ところで親分、これがあべこべだと話になりませんよ。お寿は
「河童に雌があるのかい」
「雄がありゃ雌だってありますよ」
無駄は入りますが、ガラッ八の話は次第に面白くなります。
「それから、八五郎さんの弟子入りとなって、一日顔を見せなきゃア、呼出しが来るというわけか」
「へッ」
「
「まだありますよ」
「誰だ」
「浜名屋の冷飯食いで――」
「又次郎か」
「それから山口屋の旦那」
「たいそう気が多いんだな、それがお政の
「だからあっしなんか、本当の用心棒で」
「気が弱いじゃないか、――今日もこれから行くんだろう」
「へッ、行かなきゃア、また呼出しだ」
八五郎は少しばかり
「
「本当ですかい、親分、それは」
ガラッ八の鼻の下は長くなりました。
「誰が嘘を言うものか、放っておくと、大変な事が起りそうだ。用事が一応片付いたら、きっと行って、この平次が見張ってやる。口幅ったい言い草だが、大船に乗ったつもりで待っているように――って言うんだよ」
「驚いたな」
ガラッ八は
「大変ッ、親分」
ガラッ八は、
「何が始まったんだ。相変らず騒々しい」
平次はそう言いながらも、充分期待していたらしい顔を挙げたのです。
「お政がやられましたよ、親分」
「引っ掻かれるか、髪でも
「それどころじゃねえ、親分――あ苦しい、浅草からここまで駆けて来たら、物が言えねえ」
「馬鹿、それだけ口が立ちゃ沢山だ。早く言ってしまいな――まさかお政が殺されたんじゃあるまいな」
「殺されましたよ」
「何だと」
「この眼で見て来たんだ。間違いっこはねえ、もう
八五郎はもう、銭形の袖を引いて、力ずくでも引張り出そうとしているのです。
「三輪の
「親分、それじゃお政が可哀想だ。いえ、この八五郎が可哀想じゃありませんか。あんなに頼まれたくせに、指をくわえて引っ込んじゃ」
「よしよしお前には
何を考えたか平次は、思いの外気軽に支度をすると、八五郎と一緒に、浅草へ急ぎました。
「お政の家なら馬道じゃないか」
馬道を横に見て
「それが不思議なんで、――お政は昼過ぎから山谷のお寿のところへ行って、珍しく油を売り、薄暗くなってから、お寿に送られて新鳥越まで来て、
「…………」
「その正法寺前の路地で、血だらけになって死んでいたんです」
「誰が見付けたんだ」
「
「誰と誰だ」
「あっしと浜名屋の又次郎と、権助と、染物屋の
そんな話をしながら、平次とガラッ八が現場へ駆け付けた時はいい
「
「ヘエ――」
死体に掛けた筵を取ると、番太は心得て
「あッ、これはひどい、――何という
平次が言ったのも無理はありません。
月の光に
なにぶんにも
晴着らしい
美女の死体の凄まじさに、平次もさすがに
「八、何か
「ヘエ――」
八五郎はお政の死体の冷たい
「ありましたよ、親分」
「何だ」
「毛」
「どれどれ」
ガラッ八のつまみ上げたのを見ると、紛れもなくそれは、女の髪の毛です。懐紙を出して、その上へ置くと、長短不揃いなのが三本、いずれも少し赤くて、縮れているのがはっきり判ります。
「お寿の毛ですよ、親分」
「判っているよ」
美女お寿は、
「刃物は?」
平次は
「三輪の親分も捜しましたが、見当りませんよ」
番太の
「八、念入りに捜してみてくれ。下水の中でなきゃ、塀の中だ」
「よし来た」
八五郎は番太の提灯を借りると、いきなり下水の中へ首を突っ込みました。
「かき廻しちゃ何にもならない。下水を念入りに捜すのは
「ヘエ――」
がしかし、それも無駄でした。
「八、あれは何だ」
しばらくすると、平次は月の光に白々と見える、右手の長屋の
「光るようですね、親分」
「
平次に言われるまでもありません。八五郎は気軽に梯子を借り出して、庇へ掛けると、筒抜けに驚きの声をあげます。
「親分、見付かりましたよ――血だらけの
「有難い、それで何もかも揃った」
「親分、番所へ行ってみましょうか」
「待ってくれ、ここに居るなら、お政の弟子達に一と通り会って行きたい」
「駆け付けた顔はたいがい揃っていますよ。権助どん」
「ヘエ――」
ガラッ八の声に応じてノソリと出たのは、お政の使っている
見たところ五十幾つ、
「それから、又次郎さん」
「ヘエ――」
浜名屋の
「師匠が殺された時分、どこに居なすった」
と平次。
「馬道に
又次郎は少しおどおどしておりますが、大して悪びれた色もありません。
「又次郎さんの言うのは違いありませんよ、親分、
「中座しなかったかい」
「ちょいと、
言いかけて又次郎は口を
「煙草入は?」
「…………」
黙って平次に渡した煙草入を開けると
平次はそれを又次郎に返すと、もう一人染物屋の勘次というのに会いました。これは又次郎よりは少し若く、夕方からガラッ八の相手をして、馬道から一歩も出なかったことが判りました。
「さア行こうか、八」
平次はそこを切り上げて、
「又次郎が怪しくはありませんか、親分」
それを追っかけて
「何とも言えない。が、万事はお寿に逢ってからの事だ。――それとも、又次郎はお政を怨んででもいたのか」
「そんな事はありませんが、お政が近頃旦那の山口屋の機嫌を取りすぎるんで、又次郎も面白くない様子でしたよ。もっとも、山口屋も浮気で、お政に飽きて、山谷のお寿のところへ
ガラッ八の話を聞きながら、平次は何やら深々と考えております。
番所へ行ってみると、三輪の万七とお
「おや、銭形の、たいそう耳が早いんだね」
万七は顔を上げて、皮肉と敵意とをこね混ぜたような、薄笑いを浮べました。
「お政は八五郎の師匠だそうでね、放ってもおけないから覗いただけさ。ところで下手人の当りは?」
平次は穏やかにこう言うのです。
「この女さ、間違いっこはねえ、が――旦那方が見えるまでに、口を開けさせなきゃ後が面倒だ」
万七はそう言いながら、板敷の上に
まだ二十五六、お政よりは六つ七つ若いでしょう。
「お寿が下手人? 一応俺もそう思ったが、
平次は下手に出ました。
「お政の死骸の手に、縮れっ毛が握ってあったはずだ。五六本のうち、三本だけは検屍の御役人にお目にかけるつもりで残しておいたが、銭形の
万七は顧みてお神楽の清吉とうなずき合います。
「これかい、三輪の」
平次は素直に懐紙に包んだ毛を出しました。
「その毛に気が付きゃ文句はあるめえ。それにお政は、清松の大さらいで
「…………」
「お政の
万七の言うのは、常識的で無理のない推理でした。
「その剃刀は多分これだろう」
平次は何の
「あッ、どこで、それを」
「現場近くの
「そうか、下ばかり捜していたが――」
万七は
「お寿、――この剃刀に見覚えがあるだろう。正直に言ってくれ」
と平次。
「…………」
一と目、お寿はサッと顔色を変えました。血に染んで
「どうだ」
「ハ、ハイ、――どうしてそんな所へ行ったんでしょう」
「お寿の品に相違あるまいな」
「ハイ」
これはお寿にとっては罪の白状も同じことでした。それを聞く万七はもう袖の中の捕縄を
「銭形の、お蔭でこの女の口を開けさせたよ。剃刀が出さえすれば、こっちのものだ」
「待ってくれ、三輪の兄哥、――お寿の家から剃刀を盗み出せる
「何だと、銭形の」
万七は仰天しました。平次の言葉があまりにも変っていたのです。
「三輪の兄哥、――気が付かないはずはないが、この毛はみんな古い抜け毛だと思うが――」
「えッ」
「根のある毛が一本もないし、両端が細くなって枯れているところを見ると、切れた毛や
「下手人はお寿の家から抜け毛と剃刀を盗み出し、お政を殺してからわざと
と万七。
「そうでも考えなければなるまいよ」
「ところが、今日は稽古が休みだ。お寿の家へ行った者は一人もありませんぜ」
お神楽の清吉は口を出しました。
「本当か、お寿」
と平次。
「…………」
お寿は悲しくもうなずきます。
「朝まで確かにあった剃刀が、誰も怪しい者の行かないお寿の家から飛出して、血染になって、新鳥越の路地の
清吉の調子は存分に皮肉です。
「だが清吉兄哥、お政の傷は前から斬ったものじゃねえ。お寿のような華奢な女に剃刀で前から切られるのを待っているお政でもなかろうし、第一あんなに前から切っちゃ、返り血を浴びて大変だ」
「…………」
平次は板敷に崩折れたままのお寿の清らかにさえ見える姿を見やりました。どこを捜しても、血の
「後ろへ廻って、右
平次は
「なるほど、こいつはむつかしい」
ガラッ八もやってみましたが、どうもうまくは行きそうもないのです。
「だいぶ面白そうだな」
そこへ顔を出したのは、見廻り同心の
「旦那、ちょうどいいところへ」
平次と万七は迎え入れて、今までの経過を
「なるほど、どっちにも理窟はある。が、こう証拠が揃っちゃ、お寿を許すわけにも行くまい。ともかく、南の御役所へ
南沢鉄之進はそう言いながら清吉を顧みました。お寿に縄を打てというのでしょう。
平次はその足ですぐお寿の家へ行きました。妹のお
「銭形の親分さん、どうぞ、お願い、――姉を助けて下さい、人なんか殺せるような姉じゃございません」
飛んで出たのは、妹のお文でしょう。丸々と
「それはよく解っているよ。助けようと思えばこそやって来たんだ、――隠さずに教えてくれ。第一番に訊きたいのは、今日は本当に誰も来なかったのか」
と平次。
「お稽古の休みは、なるべく人に来て貰わないようにしています。姉はあの通り、身体も心持も弱い人で、時々は一日のんびりと休まなきゃなりません」
とお文。
「お政が来たはずじゃないか」
「でも、それは勘定に入らないでしょう。殺された人ですもの」
「なるほど、そう言えばその通りだ」
平次は苦笑しました。その謎めいた言葉の真意は誰にも解りません。
「
お文は一生懸命でした。姉思いらしい
「それがいけないよ、――そんな
「…………」
噛んで含めるような平次の言葉に、かりそめの拵え事を言ったのを
「ところで、お政は帰る時、髪乱れか、化粧崩れを直したはずだが――」
「え、そこの鏡台でしばらく顔を直していました」
「ギヤマンの
「鏡台の
「…………」
平次は桐の枠に入れた小さいギヤマンの懐中鏡を取上げました。枠にも鏡にも何の変りもなく、裏を開けて見ると、水銀は少しこぼれておりますが、わざと取ったというほどではありません。いや掻き取ったにしてもほんの少しばかりだったのでしょう。
「近頃山口屋の主人が来るそうだが、お寿の世話でもするつもりだったのかい」
「さア――」
お文はさすがに言い渋りました。
「正直に言う約束じゃないか」
「それは、いろいろおっしゃって下さるそうです」
「泊って行くような事は?」
「そんな事はございません。お酒を召上がると、いい御機嫌でお帰りになります」
「それからもう一つ訊くが、今日お政がやって来たのは、何か差迫っての事であったのか」
「大さらいの相談のようでした」
「来ると、いつでも、あんなにゆっくり居るのかい」
「いえ、三年に一度もいらっしゃいません。珍しい事で、姉も大変喜んでいる様子でした。近頃二人の仲が、何となく面白くなかったものですから――」
言いかけてお文はつと口を
「有難う、あまり心配しない方がいいだろう」
平次はどっちともつかぬ事を言って、夜更けの街を、神田へ帰って来ました。
「親分、いろいろの事が解りましたよ」
ガラッ八が神田の平次の家へ飛込んで来たのは
「鏡の事から先に話してくれ」
平次はガラッ八の
「お政の懐中鏡は、
「それから、浜名屋の又次郎はどうした」
「師匠に死なれて
「嘘だろう、あんなに浮気な女どもに騒がれる男は、薄情なところがあって、容易に死ねないものだ」
「ヘエ」
「お前などは捨てられると死ぬ方さ、ね、八」
「そんな心持になってみたいね、親分」
「無駄は
「金持は薄情ですね、
「涼み船でお政を助けた船頭が解ったか」
「こいつは大手柄でしたよ。朝っから飛廻って
「あの晩通り合せてお政を助けたのか」
「それが不思議なんで、客が一人で船を出させて山口屋の船から離れないように
ガラッ八の話は怪奇にさえなります。
「その客は誰だ、解っているだろう?」
「それが解らないんで、暑いのに
「フーム」
平次は
「船頭はいつでも来てくれる事になっていますよ」
「それじゃ気の毒だが馬道へ
「そんな事ならわけはありません、親分は?」
「横山町の
平次の言うことは、まだガラッ八には謎でしたが、山が見えたことだけは確かのようです。
その日の夕刻、平次は馬道のお政の家へ行きました。
「何を言やがる。つい先月、この船頭を頼んで、涼み船から落されたお政を救い上げたのは又次郎だ。去年の暮に、水銀を湯呑の中から見付けたのも又次郎さ、――
漏れて来るのは、ガラッ八の
「八兄哥、大層大きな口をきくが、こいつは又次郎の知ったこっちゃないよ。又次郎は二度もお政を助けただけだ、お政殺しに
そう言うのは三輪の万七の子分のお神楽の清吉でしょう。
「関係のないのはお寿も同じことだ。とにかく俺は又次郎をしょっ引いて、訊いてみたいことがある。縄張話は後で付けようじゃないか」
ガラッ八は突っ張りました。
「八兄哥、お寿はもう白状しているんだぜ。この上、変なことをするのは無駄骨折だ。銭形の兄哥にもそう言ってくんな。小唄の師匠同士、芸の上の
これは三輪の万七でした。
「…………」
「御免よ」
その争いの真ん中へ、銭形平次は入って行きました。
「あ、親分、頬冠りの客は又次郎ですよ」
ガラッ八は部屋の隅に小さくなっている浜名屋の又次郎を指しました。
「銭形の、――俺は喧嘩を売りに来たわけじゃねえ、八兄哥がお政の
三輪の万七は静かですが、皮肉な調子でした。
「有難う、三輪の、八の野郎が何か夢でも見たんだろう。又次郎にも手落はあるが、下手人じゃない。山口屋などは最初から何の
「そーれ、見るがいい、八兄哥」
清吉は平次の言葉に勢いがよくなりました。
「だが、お寿にも罪はないぜ、お神楽の」
「えッ」
「下手人は思いもよらぬ人間さ。いや幽霊と言った方がいいかも知れない――可哀想にお寿は何にも知らねえ」
「そんなはずがあるものか。人の仕事にケチを付けるんじゃあるまいな」
三輪の万七は顔色を変えました。
「最初から筋を立てて話してみよう。違ったところがあったら、そう言ってくれ」
平次は静かに話し始めます。
「よし、聞こう」
一座は
「お政は近頃年を取って、芸も
お政は
その証拠は、お寿の懐中鏡の水銀は
一座の人々は、線香臭い中に、黙って顔を見合せました。恐ろしい沈黙の中を、平次の声だけが、低いながら
「涼み船から落ちたのも、お政の狂言だ。この時は一人ではどうにもならないので、浜名屋の又次郎にそれとなく頼んで、引揚げて貰った。――ずいぶん命がけの仕事だが、女が思い詰めると、それくらいのことは何でもない――。
お寿はだんだん世間から疑われて来た。が、まだ仕上げが出来なかった。そこで八五郎を手なずけて、沢山の証拠を見せ、お寿を疑わせるように仕向けさせた。が、――俺が一二日のうちに行く――と聞くと、その
お政は咽喉笛を避けて切ったために、自分の
「剃刀を
三輪の万七は最後の切札を叩き付けました。
「自分の喉を切って、すぐお政が投り出した。最初から刃物を捨てるのが大事な仕事の一つと覚悟していたので、
誰ももう、何にも言う者はありません。
「仏の前で言うのも何かの
平次はそう言い切ると、棺の前に膝を突いて、香を
誰も物を言いません。涼しすぎる夕風が、お政の遺骸の前に