二十九の春とおぼえている。――駒形にまだいた時分だ。
みっともないから事の次第はいわない、とにかく、その時分、いまにして思えば
その間で、ふっと、東京にいるのがいやになった。――どこかへ行くことだ。――平生どこへも出たことのない奴がわけもなくそう思った。
で、
磯部を選んだのは、島崎(藤村)先生のたしか「芽生」のなかにそこのことが出て来るのと岡本(綺堂)さんが、その少しまえ、そこへ
汽車の中でよむ二、三冊の本と、原稿用紙と、万年筆と、外に一つ二つの手廻りのものと、荷物といってはそれだけだった。籠一つでことは足りた。――それを下げて四月の末の曇った午後、わたしはぼんやり一人で上野を立った。高崎で乗りかえて、五時ごろ、磯部へ着いた。
そこで下りたのはわたしだけだった。――切符をわたして思った以上に小さい、人けのないガランとした停車場の構内を出ると、繁り切った桜の
「鳳来館まで。」
二、三人、わたしをみてそばへ寄って来た車夫の一人にわたしはいった。
鳳来館がどういううちだかということをわたしは全く知らなかった。――ただ、磯部で、最も古く最も大きい宿屋だということを汽車の中で聞いただけだった。――それも直接に聞いたのではなく、大宮から乗って来た二人づれの老人の、そのあたりのことを互にいろいろ話合うのを、ゆくりなく、側で、聞いただけだった。
だから、みるまで、蓬莱館と書くのだとばかりわたしは思っていた。――鳳来館だとは夢さら思わなかった。
「こんなうちか?」
すぐ、そのとき、わたしはそう思った。――
案内されたのは三階の何番かだった。――そこへ行くまで、薄暗い廊下を、やや暫く右に折れたり左に曲ったりした。――せめてもの満足は客のすくないことで、同じように並んだ隣の
夕暗は、濃く、
湯に入ったあとで、いたずらに皿かずばかり多くならべた膳の前にすわった。川瀬の音が雨のように近く聞えた。――わたしはぬるい酒を我慢して飲んだ。
と、階下の、離れた座敷のほうで「カチュウシャ、可愛や、わかれのつらさ」と大ぜいでうたいはじめた。――訊くと、女中は、信州の小学校の先生たちの会があるとこたえた。
その晩、早くねたわたしは、あくる朝、
顔を洗いがてら湯に下りた。昨夜はそれほどに思わなかったが、明るいなかでみると、
からだを拭くのもそこそこにわたしは部屋にかえった。
朝の膳も昨夜に劣らないほどの品かずを持っていた。ところ狭いまでにいろいろ皿が並べ立てられた。が、毒々しい色の刺身だのこちこちに固まったフライだの、水のように
食後わたしは外に出た。――田舎田舎した好みの、並べた石にきどりをみせた植込に
わたしは郵便局をさがした。訊くまでもなくすぐに知れた。――電報をうつつもりでなかに入ると、わたしよりもさきに、その窓口に四十恰好の、かっぷくのいい、髭を蓄えた、どこかの宿の泊り客らしい
「はて?」
わたしはわれにもなく注意した。みないふりにしげしげみまもった――昨日わかれて来た「東京」の匂がそれほどもうわたしにめずらしかった。
郵便局を出てから
話はこれだけである。――その日の夕方、わたしは、そこを立って東京へかえった。
何だ、らちもない。――読者はおそらくそういうだろう。――わたしの思わせぶりな書出しにさそわれた読者はおそらくそういうだろう。――が、それに違いないものは仕方がない。
もし三、四年まえだったら、わたしは、ことのついでにこれを小説にしたことだろう。――小説にしないまでも、碓氷川の瀬の音の、更けて、いかに悲しくねざめの枕に響いたかということを、山鳥の尾のながながしく、
これを要するに、島崎先生と岡本さんの好みにあうところならと思ったのがそもそもの間違いだった。島崎先生なればこそ、岡本さんなればこそ、それぞれ折合えるものもみ出されたのである。――三十まえの、なま若い、
ほんとうの一日一と晩。――時間にして二十四時間とわたしはそこにいなかった。――でもわたしには、四日と五日いたほどに寂しく感じられた。出来たら十日と半月いて仕事の一つもしてと思って持って行った原稿用紙を入れたままの籠を下げて、その晩上野の停車場の改札口を出たとき、そのあたりの射るようにあかるい灯火のいろがわたしには全くかけかまいのないように
「温泉の町の